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第七十三話:SSS級の外部コンサルタント

◆第16階層・仮設休憩室/黒瀬視点


 第16階層。俺がなけなしの魔力を投じて拡張した、この北西迷宮の最下層だ。


 部屋はリリスの趣味で黒薔薇の紋様が施され、アンティーク調のテーブルと椅子が並べられている。正直、目がチカチカする独特なセンスだが、文句を言うと彼女が拗ねるので放置している。


 そのテーブルの向こう側で、三人の勇者が並んで座っていた。


 ダイキは俯いたまま、自分の巨大な両手をじっと見つめている。ミユは目をぱんぱんに腫らし、時折小さなしゃくり上げを漏らしている。レンは壁にもたれて天井を睨んでいるが、その目元は赤い。


 三人とも、心身ともにボロボロだった。


 昨日まで彼らを支配していた「チートさえあれば無敵」という傲慢なメッキは、完全に剥がれ落ちている。


「さて。更生プログラム・フェーズ1が完了した。お前たちは自分のチートが万能ではないこと、そして自分がどれだけ無力でちっぽけかを思い知ったはずだ」


 反抗の言葉は、誰からも出なかった。


「安心しろ。ここから先は殴らない。溶岩にも沈めないし、暗闇にも閉じ込めない」


「ご主人、それ、安心させるための前提がブラック企業すぎます」


 影の中からナノの冷静なツッコミが聞こえたが、華麗にスルーする。


「お前たちの今後の処遇についてだが、俺の迷宮だけでは教育環境として不十分だ。そこで、外部から専門家を呼んだ」


 その瞬間、部屋の空気が一変した。


 甘く、濃密な香り。噎せ返るような花と、猛毒を混ぜ合わせたような匂い。

 空間の一角がビリッと裂け、紫色の亀裂から一人の女性が優雅に歩み出てきた。


 銀に近い紫の髪。切れ長の瞳。扇情的な漆黒のドレス。

 魔界の女王にして、SSS級迷宮主――リリスだ。


 三人の体が同時にこわばる。


 バルログの暴力も、ジグの重圧も、リリの魔法も恐ろしかっただろう。だが、リリスが放つ「圧」は次元が違う。呼吸をするだけで、存在するだけで、彼女を中心に空間そのものが歪んでいる錯覚に陥る。


「あら。これが噂の勇者ちゃんたち? ……ふふっ、思ったよりも小さくて可愛いわね」


 ダイキの奥歯がカチカチと鳴っている。ミユは泣くことすら忘れて凍りついた。

 レンだけが辛うじて平静を装っているが、ポケットの中に突っ込んだ拳は白くなるほど握りしめられていた。


「リリスさん、お忙しいところすみません」


「いいのよ。ちょうど退屈していたところだもの。――それに、私の可愛いリリちゃんを本気で怒らせた悪い子たちがいるって聞いたら、挨拶くらいしておきたいじゃない?」


 リリスの視線が三人を順番に撫でた。値踏みをするように。品定めをするように。


「で、黒瀬くん。この子たちをどうするつもり?」


「チートの制御訓練、基礎戦闘能力の構築、精神面のケア。うちの迷宮ではとても手が回りません。リリスさんにこいつらを預かってもらえないかと」


「あら、私にこの子たちの面倒を見ろっていうの? ふふっ。相変わらずビジネスライクね」


 リリスは扇子で口元を隠しながら、蠱惑的な含み笑いをした。


「いいわよ。引き受けてあげる。……ただし、先にこの子たちに一つだけ聞きたいことがあるの」


 リリスは勇者たちに向き直り、その真紅の瞳を細めた。


「ねえ、あなたたち。――元の世界に、帰りたい?」


 ピクリ、と三人の動きが止まった。

 ダイキが弾かれたように顔を上げ、レンが天井から視線を下ろし、ミユが息を呑む。


「……帰れん、のか?」


 ダイキの声は、酷く掠れていた。


「さあ。私にも分からないわ。私はSSS級だけど、異世界転移の術式は専門外なの。ただ――他の迷宮の中には、世界の壁を越えるルールを持つものがいくつかあると聞いたことがあるわ。確証はないけれど、手がかりがゼロというわけでもない」


 ミユが両手で口元を覆った。レンの目が、わずかに揺れる。


「ただし、今のあなたたちじゃ話にならないわよ? チートに依存して基礎がゼロのガキが、SSS級の迷宮に挑めるわけがない。瞬殺されて終わりよ」


 リリスは扇子を閉じ、一人ずつその瞳を覗き込んだ。


「でもね。磨けば光るかもしれない原石を放っておくのは、悪魔として少しもったいないでしょう? 特に――」


 その視線が、レンで止まった。


「この子は面白いわ。今は一番くすぶっているけれど、一番伸びしろがある目をしている」


 レンはチッと舌打ちをして目を逸らした。だが、その頬がわずかに紅潮しているのを俺は見逃さなかった。


 残酷だが、事実だった。

 三人は黙り込んだ。だが、その目には先ほどまでの「ただの絶望」ではなく、微かな「目標の光」が宿っている。


 昨日までの万能感が砕け散り、今は『無力感』に変わっている。その差は、彼らの今後の成長において計り知れないほど大きい。


「リリスさん。報酬の条件は?」


「マカロン千箱と、月一回のお茶会へのご招待で手を打つわ」


(安いのか高いのか分からんが……予算内だ)


「承認します」


「ママっ! 来てくれたの!?」


 不意に、部屋の扉が開いてリリが駆け込んできた。そのままリリスの胸にダイブする。


「もう、リリちゃんったら甘えん坊ねぇ。……でも、ちゃんとお仕事してるのね。偉い偉い」


「べ、別に甘えてないし! ちゃんと交渉できてるか確認しに来ただけだし!」


 リリスの膝の上で顔を真っ赤にして否定するリリ。説得力がなさすぎる。


 ダイキが小声でミユに「あの怖い悪魔……お母さんの前だと普通のガキだな……」と囁き、ミユが「それ聞こえたら殺されるよ……」と青ざめて突っ込んだ。


(よし、これで外部コンサルとの契約成立だ。SSS級のリソースを月額マカロン千箱で確保できるなら、コスパは悪くない。……たぶん)


◆第5階層・迷宮都市/ダイキ視点


 翌朝。

 三人は、ジグとロクに引率されて迷宮都市の大通りを歩いていた。


 朝の迷宮都市は活気に溢れていた。


 武器屋のドワーフが店先で剣を磨き、火花を散らしている。薬屋の窓から、ハーブの清涼な匂いが漂ってくる。パン屋の前には行列ができていて、焼きたての小麦とバターの香りが通りいっぱいに広がっていた。


 前にここへ来た時は、こんな景色は一切目に入らなかった。「レベルの低いNPCがうろつく背景」としか思っていなかったからだ。


 ダイキは、生まれて初めて、この世界を『自分の目で』見ていた。

 石畳の一枚一枚の凹凸。通りを行き交う冒険者たちの笑い声。露店の食べ物の匂い。


(こんなに……人が生きてたのか、ここ)


 バルログの溶岩で死にかけた体は、まだ節々が痛む。


 だが、その痛みのおかげで「自分が生きている」ことを実感できる。痛覚って、自分が世界と繋がっている証拠なんだなと、今は思えた。


 レンは相変わらずポケットに手を突っ込んで黙っている。ミユは泣き腫らした目でうつむきがちだ。三人とも足取りは重い。


 だが、誰も「行きたくない」とは言わなかった。


 食堂街を抜け、花屋の角を曲がった先に、ケット・シーの刺繍が施された可愛らしい看板が見えた。

 ――『猫のひげ亭』。迷宮都市で最も人気のある食堂。


 入口の数メートル手前で、三人の足がピタリと止まった。


「……入りたくねぇ……」


 ダイキの口から、弱音がこぼれた。


「入れ」


 後ろを歩いていたジグが、短く、だが絶対の圧を持って促す。


「ロク。この店に現在、何名のケット・シーが勤務している?」


『七名。うち、勇者パーティの暴行を直接受けた個体が三名。全員、精神的外傷スコアが基準値を超過しています』


 ジグの表情は変わらなかったが、歩く速度がわずかに上がり、ダイキたちの背中を押した。


 カラン、とベルを鳴らして店内に入る。

 温かい光と、スパイスの匂いに満ちていた。「いらっしゃいニャ!」と明るい声が飛び交う。


 蹴られても、燃やされても、次の日にはまた笑顔でお客を迎えて、働いている。


 それは彼らが「弱いから」ではない。ただ逃げているだけの自分には、絶対に真似できない強さなのだと、今のダイキには分かった。


「あ……」


 お盆を持っていた一匹のケット・シーが、ダイキたちに気づいた。


 ダイキが蹴り飛ばした、あの小さな猫だ。

 猫の体がビクッと強張り、お盆を胸に抱きしめるようにして後ずさりしかける。


 ズキリ、とダイキの胸が痛んだ。

 溶岩に沈められた時の恐怖より、この猫の怯えた目を見る方が、よっぽど辛くて、息が苦しかった。


「あ、あの……っ」


 ミユが、震える足で一歩前に出た。

 目をぱんぱんに腫らしたまま、ケット・シーの前に進み出て、深く、深く頭を下げる。


「あの時は……ごめんなさい……っ。あなたが痛がって、泣いてるの見て、私……笑って……本当に、ごめんなさい……!」


 声が震えている。涙がまた、ぽたぽたと木の床に落ちた。


「……俺も」


 ダイキも前に出た。

 巨体が、小さな猫の前で縮こまるように、不恰好に膝をつく。


「俺が……蹴って、悪かった。痛かっただろ。怖かっただろ。……ごめん。本当に、ごめんなさい」


 不器用だった。言葉の選び方も分からなかった。

 だが、バルログに教えられた「恐怖」と「痛み」が、彼の喉から嘘偽りのない謝罪を絞り出させていた。


 ケット・シーは、しばらく固まっていた。

 やがて、その丸い大きな目に、ゆっくりと涙が溜まっていく。


「……許す、ニャ」


 震える、小さな声だった。


「すっごく、怖かったニャ。痛かったニャ。でも……謝ってくれたニャ。それだけで……嬉しいニャ……」


 店内が、一瞬だけ静まり返った。


 カウンターの奥で、他のケット・シーたちが手を止めてこちらを見守っていた。常連の冒険者たちも何事かとこちらを見ていたが、事情を察したのか、誰一人野次を飛ばすことなく、黙ってスープを啜り始めた。


 ジグは入口に立ったまま、腕を組んで見守っていた。その表情はいつも通り無表情だったが、目元だけがわずかに和らいでいるように見えた。


 ――だが。

 レンだけが、まだ二人の一歩後ろに立ち尽くしていた。


 言葉が出ない。謝り方を、知らない。

 ポケットの中で、拳を血が滲むほど握りしめている。


 『ダルい』って言って、逃げれば楽なのに……


 でも、逃げたくなかった。あの暗闇の中で膝をつき、自分の空っぽさを知った今、その言葉だけは絶対に口にしたくなかったのだ。


◆迷宮核の間/黒瀬視点


 モニター越しに一部始終を見ていた俺は、ゆっくりと息を吐き出した。


「……あの脳筋と魔法少女、ちゃんとやり切りやがったな」


 モニターの片隅で、ジグが微動だにせず店の入口に立っているのが見える。あの男が黙って背後で見守っているというだけで、場の空気が締まる。武人の存在感というのは、こういうことだ。


(今回の対応としては、及第点だ。加害者が被害者に直接謝罪し、被害者がそれを受け入れた。……ただし、まだ謝れてない奴が一名いるがな)


 レンが、俯いたまま立ち尽くしている。


(あいつは、あいつのペースがある。バグの修正は、一括パッチを当てて再起動すれば直るものと、コードを一行ずつ追って手動で書き直さないといけないものがある)


 ダイキとミユは前者だ。素直で、感情の回路が単純だから、痛みを教えればすぐに自分の非を認めることができる。


 だが、レンは後者。根が深い。人間関係を学んでこなかった、奥底に潜んだ論理エラーだ。


 俺はマグカップを手に取り、冷めたコーヒーを啜った。今日で七杯目だ。


「ご主人、カフェインの一日摂取上限が規定値を――」

「黙れナノ」

「就寝管理フラグを強制実行――」

「黙れって」


 俺はコンソールを叩き、通信のチャンネルを切り替えた。


「ナノ。レンの件は、俺が直接対応する」


「……承知しました。ですが、くれぐれも無理はしないでくださいね」


「分かってる」


 分かっているさ。俺は「効率化」のプロだが、人の心を修理するのに、効率もマニュアルもクソもないことくらい、前世の経験で嫌というほど学んでいる。

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