第一話 ゴミじゃない
新連載です。
廃材から魔導鎧を造り、最底辺から這い上がっていく異世界ファンタジーです。
お楽しみいただければ幸いです。
「そんなゴミ、どうするつもりだ?」
背後から飛んできた声に、少年は振り返らなかった。
スラムの外れ。
街の工房や探索者たちが捨てた廃材が集められるこの場所には、錆びた鉄板、折れた剣、砕けた魔導具、用途の分からない金属片まで、ありとあらゆるものが山のように積まれている。
鼻を刺す油の臭い。
湿った土。
焦げた金属。
普通の人間なら、長居したいとは思わない場所だ。
だが、十五歳の少年――レオンにとっては違った。
短く切った黒髪はところどころ跳ね、痩せた身体を包む灰色の上着には何度も縫い直した跡がある。
袖口から覗く指には、小さな切り傷と火傷の痕。
背も同年代と比べて特別高くはない。
どこから見ても、スラムで暮らす貧しい少年だった。
ただし。
廃材を調べる時だけは、その灰色の瞳が妙に鋭くなる。
「これのことか?」
レオンが持ち上げたのは、手のひらほどの黒ずんだ金属片だった。
表面には緑がかった汚れがこびりつき、端は大きく歪んでいる。
近くにいた廃品商の老人が鼻で笑った。
「そいつだ。昨日、探索者が持ち込んだ魔導鎧の残骸だよ。腐食がひどすぎる。溶かしたところで、まともな鉄にもならん」
「……魔導鎧か」
レオンは親指で表面を擦った。
黒い汚れが指先につく。
次に、小さな石を拾って金属の端を軽く削った。
ガリッ。
表面が剥がれる。
その下から、わずかに青みを帯びた銀色が現れた。
レオンの目が細くなる。
――やっぱり。
腐食は深くない。
表面は酷いが、内部まで侵食されているわけではない。
しかも、この妙な硬さ。
ただの鉄じゃない。
レオンは金属片を持ち直した。
重さも妙だった。
見た目から予想するより軽い。
「爺さん」
「なんだ?」
「これ、いくら?」
老人は呆れたようにレオンを見た。
「本気か?」
「値段を聞いてる」
「そんなゴミに銅貨を払うつもりなら好きにしろ。三枚だ」
レオンは腰の小袋を開いた。
中身を確認する。
七枚。
今日持っている金の半分近くだ。
一瞬だけ迷った。
今日の夕食。
明日の朝食。
そして、そろそろ交換しなければならないヤスリ。
頭の中で数字を並べる。
「二枚」
「三枚だ」
「誰も買わないだろ、こんなの」
「だったら置いていけ」
「二枚。それと、そこの細い鉄線をつけてくれ」
老人が眉を上げた。
「ガキのくせに細かいな」
「貧乏だからな」
数秒睨み合った末、老人が手を振った。
「持ってけ」
「毎度」
レオンは銅貨二枚を渡した。
老人はまだ理解できないという顔をしている。
「何に使うつもりだ?」
レオンは金属片を袋に入れながら答えた。
「まだ決めてない」
「は?」
「何に使えるか調べてから決める」
「……変なガキだな」
レオンは答えず、その場を離れた。
老人にはゴミにしか見えなかった。
たぶん、この街のほとんどの人間にも同じだろう。
だが、レオンには分かる。
物には、それぞれ性質がある。
硬さ。
粘り。
熱への耐性。
腐食。
重量。
そして、それらをどう組み合わせるか。
材料というものは、名前だけで価値が決まるわけではない。
使う場所が変われば、欠点が長所になることさえある。
それをレオンは――一度目の人生で嫌というほど学んでいた。
◇
帰り道。
レオンは大通りを使わなかった。
いや、正確には使えなかった。
スラムの人間が身なりの良い地区をうろつけば、面倒なことになる。
だから、いつもの細い道を歩く。
傾いた家。
割れた窓。
壁に継ぎ当てされた板。
雨が降るたび泥水が流れる道。
十歳にも満たない子供が、木箱の中から食べられそうなものを探していた。
少し先では、片足を引きずる男が壁にもたれている。
探索者崩れだ。
こういう光景を、レオンはもう何年も見てきた。
この世界に生まれて十五年。
前世の記憶をはっきりと思い出したのは五歳の頃だった。
最初は夢だと思った。
知らない街。
知らない言葉。
見たこともない機械。
白い研究室。
そして、自分が死んだ記憶。
幼い身体でそんなものを思い出した時は、何日も眠れなかった。
だが十年も経てば、嫌でも理解する。
あれは夢ではない。
自分は一度死んだ。
そして、この世界でレオンとして生き直している。
だからといって、前世の知識が何もかも解決してくれたわけではない。
むしろ逆だった。
この十年、何度も試した。
壊れた農具。
鍋。
安物の魔導灯。
捨てられた魔導具。
拾えるものは拾い、直せそうなものは分解した。
材料なら理解できることも多かった。
構造も、ある程度なら推測できる。
だが必ず、同じ壁にぶつかった。
魔力。
前世には存在しなかったもの。
熱でもない。
電気でもない。
少なくとも、同じものとして扱えば失敗する。
前世の知識を持っているからといって、この世界の技術を最初から理解できるわけではなかった。
だからこそ。
今日手に入れた魔導鎧の破片は、いつもの廃材とは違う。
魔導鎧そのものに使われていた部品。
まだ内部が生きている可能性がある。
レオンは袋の上から金属片に触れた。
その時だった。
「すみません!」
少し離れた場所から女の声が聞こえた。
レオンは何気なく視線だけを向けた。
スラムには似つかわしくない少女がいた。
淡い金色の髪。
旅用らしい外套。
遠目でも、この辺りの住人ではないことくらい分かる。
少女は何かの紙を手に、通りにいた男へ話しかけていた。
「この場所へ行きたいんですけど……」
男が紙を覗き込み、何か答える。
少女は素直に何度も頷いていた。
レオンは数秒だけ見て――視線を戻した。
「……」
関係ない。
この辺りでは、他人の事情に首を突っ込まないほうがいい。
それに、あんなふうに簡単に知らない人間を信用していたら、そのうち痛い目を見る。
レオンはそのまま歩き去った。
数分後には、少女のことなど頭から消えていた。
◇
路地を抜けると、一瞬だけ遠くが見えた。
高い壁。
その向こうに並ぶ石造りの建物。
さらに奥には、夕陽を反射する白い塔。
同じ街だ。
だが、まるで別の世界だった。
レオンは立ち止まらない。
ただ歩きながら、その景色を見た。
「いつか……」
口から出かけた言葉を止める。
違う。
いつか、じゃない。
そう言い続けて何もしなければ、一生ここにいる。
「俺は、ここを出る」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
そのためには金が必要だ。
スラムを出るだけなら歩けばいい。
だが、外で生きていけるかは別の話だ。
仕事。
住む場所。
身分を証明するもの。
そして何より――力。
この世界では、それがなければ簡単に奪われる。
前世の知識があれば簡単に成り上がれる。
子供の頃には、そんなことを考えたこともあった。
現実は違った。
知識があっても金がない。
工具がない。
設備がない。
信用もない。
そして、この世界にしか存在しない魔法を知らない。
知っているだけでは、何も変わらなかった。
結果に変えなければ意味がない。
今のレオンには、その結果がなかった。
まだ。
◇
家と呼ぶには少々苦しい小屋に戻ると、レオンは買ってきた金属片を机に置いた。
机も自作品だった。
脚の長さが微妙に違うため、右端に薄い木片を挟んでいる。
壁には金槌、ペンチ、ヤスリ。
どれも中古だ。
小さな炉もある。
本格的な鍛冶仕事ができるほどのものではない。
「さて……」
レオンは椅子に座り、買ってきた金属を改めて観察した。
まず表面の汚れを落とす。
削る。
磨く。
臭いが鼻を突いた。
その瞬間――。
白い部屋が脳裏をよぎった。
ゴム手袋。
防護眼鏡。
換気装置の低い音。
並べられた試料。
金属片。
鉱物。
薬品。
そして、自分の手。
今よりずっと大きく、傷の少ない、大人の手。
前世の自分は軍に関係する施設で、金属や鉱物を中心とした材料を扱っていた。
兵器を撃って敵を倒す仕事ではない。
何がどれだけの熱に耐えられるか。
どの素材が腐食しやすいか。
どの組み合わせなら重量を減らせるか。
そういったものを調べる側だった。
地味な仕事だ。
だが、嫌いではなかった。
むしろ――好きだった。
結果が出るまで試す。
失敗したら原因を探す。
条件を変えて、また試す。
そうして昨日まで分からなかったことが、一つ分かる。
その瞬間が好きだった。
だからこそ。
やりすぎた。
『もう帰ったほうがいいですよ』
誰かにそう言われた記憶がある。
『これだけ終わらせる』
いつも同じように答えた。
咳が増えても。
身体が重くなっても。
検査結果が悪くなっても。
仕事を続けた。
化学物質への長期間の曝露。
医師から説明を受けた頃には、すでに身体はかなり傷んでいた。
それでも最後まで、
――あと少し。
そう考えていた気がする。
馬鹿だった。
少なくとも、今ならそう思う。
レオンは手を止めた。
「……換気」
小屋の窓を開ける。
冷たい風が入り、跳ねた黒髪を揺らした。
前世と同じ死に方をするつもりはない。
そう思っている。
思ってはいるのだが――。
作業を始めると、食事も時間も忘れる癖だけは、十五年経っても完全には直っていなかった。
「……気をつければいい」
誰に言い訳しているのか、自分でも分からない。
レオンは再び作業へ戻った。
◇
表面を削り終える。
予想どおりだ。
内部は使える。
それどころか――。
「軽いな」
見た目から想像した重量より、明らかに軽い。
軽いのに、簡単には曲がらない。
鉄とは違う。
この世界特有の金属なのだろう。
「面白い」
思わず笑みが漏れた。
そのときだった。
金属片の裏側に、小さな溝があることに気づく。
「なんだ、これ?」
細い。
人工的に刻まれている。
模様ではない。
何本もの溝が途中で合流し、また枝分かれしている。
レオンは布で丁寧に汚れを落とした。
すると、溝の奥から淡い青色の線が姿を現した。
「……」
分からない。
十五年間この世界で生きている。
安物とはいえ、魔導具を分解したことだってある。
それでも分からない。
材料ならある程度推測できる。
構造も分かる。
だが、この青い線を前世の何かに無理やり当てはめれば、きっと判断を誤る。
魔法。
この世界にしか存在しないもの。
「分からないなら、壊さない」
理解できないものを、理解したふりをするのが一番危険だ。
その程度は一度目の人生で学んでいる。
レオンは金属片を横に置いた。
そして今日拾ってきたものを袋からすべて取り出した。
鉄線。
小さな歯車。
折れた留め具。
細長い金属棒。
そして――。
「これも魔導鎧の部品だったのか?」
昨日拾った小さな関節部品を手に取る。
先ほどの金属片と同じ、青い溝があった。
レオンの表情が変わる。
二つを机に並べた。
向きを変える。
また戻す。
「……ここか?」
金属片の溝と、関節部品の溝。
完全ではない。
だが、一部が繋がる。
レオンは息を止めた。
「待て」
立ち上がり、棚から箱を引っ張り出す。
これまで何年もかけて拾い集めた金属片を床へ広げた。
錆びた板。
捨てられた工具。
用途不明の魔導具の破片。
これまでは素材としてしか見ていなかった。
だが――。
もし。
これらの中に、同じ仕組みを持つものがあるなら。
一つずつ確認する。
「違う」
次。
「これも」
次。
「……違う」
そして。
「あった」
小指ほどの部品。
青い溝。
レオンは机に戻った。
三つを組み合わせる。
当然、そのままでは合わない。
削る。
位置を変える。
固定する。
また外す。
「違うな」
やり直す。
一時間。
二時間。
外はすっかり暗くなっていた。
腹が鳴った。
「……」
レオンは棚のパンを見る。
そして机を見る。
――あと少し。
その言葉が頭に浮かんだ。
手が止まる。
前世の自分の声と同じだった。
「……」
レオンは顔をしかめた。
パンを取る。
今度は一口だけではなく、半分ほど食べた。
水も飲む。
「これでいいだろ」
誰も答えない。
残ったパンを横に置き、作業へ戻った。
本人は気づいていなかったが。
それは、一度目の人生ではできなかった選択だった。
「ここを……こうして……」
金属線を固定する。
関節部品を差し込む。
先ほどの廃材を支えにする。
最後に、壊れかけた小さな魔石を接続した。
反応なし。
「まあ、そう簡単には――」
パチッ。
「!」
青い溝に、一瞬だけ光が走った。
関節が動く。
カチッ。
ほんの数ミリ。
それだけだった。
そして魔石の光は消えた。
小屋に静寂が戻る。
レオンは動かない。
机の上の粗末な部品を見つめる。
数秒後。
もう一度、魔石を触った。
反応なし。
完全に力を失ったらしい。
それでも。
レオンの口元がゆっくりと上がった。
「動いた」
偶然かもしれない。
接続方法も分からない。
魔力がどう流れているのかも理解していない。
前世の知識だけで作れたわけでもない。
この世界で十年間、拾い、壊し、直し、失敗してきたもの。
その積み重ねがあって。
ようやく数ミリ。
それでも――。
動いた。
つまり。
「作れる」
レオンは床に紙を広げた。
炭筆を取る。
線を引く。
手。
手首。
前腕。
肘。
人間の腕を覆う形で金属を配置する。
重量。
可動域。
関節。
保護。
一度目の人生で得た材料の知識。
十五年間この世界で覚えてきたこと。
そして、まだ理解できない魔導技術。
その三つを、一つにする。
初めてだった。
前世の知識を、この世界の何かへ本当の意味で繋げられた気がした。
「……いける」
しばらく設計図を描いていたレオンの手が止まった。
必要な素材を書き出していく。
鉄。
固定具。
革。
魔石。
そして、今日買った金属と同じ素材。
そこで問題が起きた。
「足りない」
圧倒的に足りない。
◇
翌朝。
レオンは再び廃品商のもとを訪れていた。
「あの黒い金属?」
老人は顎を掻いた。
「もっと欲しい」
「無理だな」
「どこから来た?」
「言ったろ。探索者が持ち込んだ魔導鎧の残骸だ」
「その探索者はどこで拾った?」
老人の顔から笑みが消えた。
「……お前、まさか取りに行くつもりじゃないだろうな」
「場所による」
老人はレオンをじっと見る。
そして、ため息をついた。
「灰の谷だ」
レオンの表情が止まった。
初めて聞く名前ではなかった。
スラムでも時折、その名を耳にする。
街から北へ半日。
古い戦場跡と魔物の生息地が重なった危険地帯。
金になるものを求めて入る者はいる。
そして――戻ってこない者もいる。
「死人が出る場所だぞ」
老人が低い声で言った。
レオンは黙った。
昨夜動いた、たった数ミリの関節を思い出す。
今の自分には金がない。
まともな装備もない。
特別な魔法の才能もない。
前世の記憶があるからといって、剣が強くなるわけでもない。
だったら。
持っているものを使うしかない。
知識。
十五年間で身につけた技術。
自分の手。
そして、誰も欲しがらない廃材。
「灰の谷までの地図は?」
「……話を聞いてたか?」
「聞いてた」
「人が死ぬんだぞ」
「だから、いきなり奥までは行かない」
「お前なぁ……」
老人は呆れたように額を押さえた。
「本当に変なガキだな」
レオンは笑った。
「よく言われる」
◇
小屋へ戻る。
床には昨夜描いた設計図が残っていた。
完成した魔導鎧には程遠い。
いや。
鎧と呼ぶことさえできない。
金もない。
設備もない。
素材だって、ほとんどゴミだ。
それでも。
昨日までとは、一つだけ違う。
前世の知識だけでは越えられなかった壁。
この世界で十年試しても、掴めなかったもの。
その向こう側へ、ほんの数ミリだけ進めた。
なら。
次はもっと動かせる。
その次はもっと強くできる。
失敗したなら、原因を探せばいい。
レオンは錆びた金属片を手に取った。
設計図の右腕部分へ置く。
「まずは――腕一本だ」
スラムから抜け出すための最初の一歩。
それはまだ、誰が見てもただのガラクタだった。
けれどレオンだけは。
そのガラクタが、まだ何になれるのかを見ていた。
この章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
楽しんでいただけたなら幸いです。もし何かご感想やご意見、あるいは単に物語の展開に対する感想などがありましたら、ぜひお聞かせください。皆さんのコメントは、物語をどのように受け止めていただいているかを知る上で大変参考になりますし、私自身も作家として成長していく上で大きな励みになります。
また、もしこの物語が評価に値すると感じていただけましたら、ぜひ評価をいただけると嬉しいです。




