第1話 冤罪で追放された日
「神代悠真。お前を、探索者チーム《暁の剣》から除名する」
黒瀬蓮の声が、ギルド支部の会議室に冷たく響いた。
壁際のモニターには、昨日の攻略記録が映っている。
ただし、肝心な場面だけが不自然に途切れていた。
B級ダンジョンの中層で、突然変異のモンスターに襲われた。撤退の判断が遅れ、通路が崩れかけ、白鳥玲奈たち後衛が取り残されそうになった。
俺は最後尾に残った。
崩落しかけた通路で魔物を足止めし、仲間を先に逃がした。
その結果、俺だけが回収地点に遅れた。
そして今日。
俺はなぜか、攻略失敗の責任者になっている。
「魔石の回収数が合わない。お前が横領したんだろ」
蓮が机の上に報告書を投げた。
俺の名前の横に、赤い印がいくつもついている。
「違う。あの状況で魔石なんて拾ってる余裕はなかった。そもそも、最後尾に残れって言ったのは――」
「言い訳か?」
蓮は俺の言葉を遮った。
整った顔に、露骨な苛立ちが浮かんでいる。探索者ランキング上位の若きエース。攻略配信でも人気があって、ギルドの広告塔みたいな男だ。
その蓮が、俺を見る目はひどく冷たかった。
「お前、撤退時に玲奈を置いて逃げたらしいな」
「……置いてない」
俺は思わず、白鳥玲奈のほうを見た。
彼女は回復役で、俺より二つ年下だ。いつもなら、何か言いたげに眉を寄せて、それでも最後には「悠真さんはそんな人じゃない」と小さく言ってくれる。
けれど今日は違った。
玲奈は胸の前で手を握りしめ、うつむいていた。
「玲奈」
名前を呼ぶと、彼女の肩が小さく震えた。
「……私、わからないんです」
絞り出すような声だった。
「あの時、煙がすごくて。誰がどこにいたのか、ちゃんとは見えてなくて。でも……蓮さんが、悠真さんが先に離れたって」
「俺は最後まで残ってた」
「でも、記録映像には……」
玲奈はそこで口を閉ざした。
責めているわけじゃない。むしろ、信じたいのに信じきれない顔だった。
それが一番きつかった。
怒鳴られるより、殴られるより、ずっと。
俺は証拠を持っていない。
記録映像は切れている。魔石の数も、報告書上では俺が怪しいことになっている。チーム内の証言は蓮側に傾いていて、俺ひとりが「違う」と言ってもどうにもならない。
それに俺には、出せない切り札があった。
俺は一年前、異世界から帰ってきた。
正確には、こちらの世界で行方不明になっていた三年間、剣と魔法と魔獣だらけの世界で生きていた。
向こうで得た力を使えば、昨日の突然変異体だって本当は倒せた。いや、倒してしまえた。
けれど、それをすれば説明が必要になる。
なぜC級探索者の俺が、B級上位のモンスターを単独で処理できるのか。
なぜ魔力測定に出ない種類の力を使えるのか。
なぜ、現代日本の探索者理論にない技を知っているのか。
帰還してから、俺はずっと隠してきた。
もう、戦いの中心に戻りたくなかったから。
誰かに便利な道具として使われたくなかったから。
だから俺は、いつも「少しできる程度」の探索者として振る舞ってきた。荷物を持ち、索敵をし、地図を作り、傷の手当てをし、飯を作る。
足りないところを埋める。
それでよかった。
そう思っていた。
「阿久津支部長」
蓮が会議室の奥へ視線を向ける。
そこには、探索者ギルド支部長の阿久津修が座っていた。銀縁眼鏡の奥から、感情の読めない目で俺を見ている。
「処分をお願いします。今回の件、チームの信用にも関わります」
「ふむ」
阿久津支部長は、最初から結論を決めていたような顔で頷いた。
「神代悠真。君の探索者ライセンスは、本日付で一時停止とする。期間は調査終了まで。もっとも、今回の報告内容を見る限り、復帰は難しいだろう」
「……俺の話は、聞いてもらえないんですか」
「聞いた上での判断だ」
嘘だ。
俺の話なんて、誰も聞いていない。
でも、それを言っても何も変わらないことだけはわかった。
蓮が椅子から立ち上がる。
勝ち誇った顔ではなかった。ただ、邪魔なものを片づけた顔だった。
「お前みたいな無能はもういらない」
その一言で、胸の奥に残っていた何かが静かに折れた。
怒りはあった。
悔しさもあった。
けれど、それより先に疲れが来た。
またか、と思ってしまった。
異世界でも同じだった。便利な力があれば使われ、役に立たなくなれば捨てられる。帰ってきたこの世界では、普通に生きられると思っていたのに。
俺は机の上に置かれたチームバッジを見た。
《暁の剣》。
夜明けを目指す剣、なんて大層な名前だ。
俺はそのバッジを外し、机の上に置いた。
「わかった」
それだけ言って、会議室を出た。
背中越しに、誰かが息をのむ気配がした。玲奈かもしれない。振り返らなかった。
ギルドの廊下は、昼間なのにやけに暗く感じた。
受付の前では、若い探索者たちがざわざわしている。もう話が回っているのだろう。俺と目が合うと、慌てて視線をそらす者もいた。
ロッカーに戻り、荷物をまとめる。
予備の着替え、安物の調理ナイフ、携帯コンロ、小さなスパイスケース。
探索用の道具より、料理道具のほうが多いことに少し笑いそうになった。
俺は昔から、飯を作るのが好きだった。
異世界でも、討伐した魔獣の肉をどうにか食べられるようにしていた。硬い肉を煮込み、臭みを香草で消し、毒のない部位を選ぶ。仲間たちが疲れきっている時、温かい鍋だけは人を黙らせた。
そういう時間だけが、俺にとっては救いだった。
ギルドを出ると、スマホに通知がいくつも来ていた。
《暁の剣、攻略失敗》
《神代悠真、魔石横領疑惑》
《チーム追放か》
探索者配信の切り抜きアカウントが、もう騒ぎ始めている。
俺は画面を消した。
反論したい気持ちはある。真実を言いたい気持ちもある。
でも、言葉を重ねるほど、傷口が広がる気がした。
アパートに戻って通帳を確認すると、残高は思ったより少なかった。ライセンス停止中は探索者として稼げない。配信もしていない俺に、収入源はない。
家賃、光熱費、食費。
都会で粘れる時間は、一ヶ月もなかった。
「……行くか」
引き出しの奥から、古い鍵を取り出した。
祖母が残してくれた田舎の家の鍵だ。
山と海の間にある、小さな村。子供の頃、夏休みに何度か行ったことがある。祖母が亡くなってからは空き家になっていて、管理費だけを細々と払っていた。
電車とバスを乗り継げば行ける。
仕事はないかもしれない。近所付き合いもわからない。家だって傷んでいるはずだ。
それでも、今の俺にはそこしかなかった。
夜、最低限の荷物をリュックに詰めてアパートを出た。
駅へ向かう道すがら、街の灯りがやけに眩しかった。コンビニの明かり、居酒屋の笑い声、信号待ちの車列。世界はいつも通り回っている。
俺ひとりが追い出されても、何も変わらない。
それが少し寂しくて、少し気楽だった。
最終のローカル線に揺られ、終点近くの無人駅で降りた。そこから祖母の家までは、山沿いの道を歩いて三十分ほどだ。
五月の夜風は、都会より冷たい。
田んぼには水が張られ、月明かりを薄く映していた。遠くで蛙の声がする。舗装された細い道の脇には、雑草が伸びている。
リュックの肩紐を握り直しながら歩いていると、不意に小さな音が聞こえた。
かすれた、弱い鳴き声。
「……猫?」
足を止めて耳を澄ませる。
また、聞こえた。
道端の側溝のそば。草むらの陰が、わずかに動いている。
スマホのライトを向けると、そこに白い猫がいた。
いや、白かったのだろう。
毛は泥で汚れ、ところどころ赤く染まっている。片耳は裂け、前足をかばうように丸まっていた。けれど不思議なことに、その瞳だけは夜の中で金色に光っていた。
猫は俺を見上げた。
逃げる力もないのか、ただ小さく口を開く。
「……大丈夫か」
俺はゆっくりしゃがみ込んだ。
傷だらけの白猫は、震えながら、それでも俺から目をそらさなかった。




