第1話:ギルドの聖女は、八百屋の箱の上でとろけたい
異世界転生したけれど、チート魔法で無双するより、のんびり暮らしたい。
そんな俺が始めたのは、八百屋の空き箱を椅子にした「なんでも屋」でした。
最初のお客様は、お疲れ気味のギルドの聖女様で……?
「……おいおい、マジかよ」
異世界に転生して一ヶ月。俺、カイが手に入れたのは、聖剣でも魔王を倒す伝説の魔法でもなかった。
あるのは、前世で培った「ちょっとした生活の知恵」と、市場の親父からもらった、泥のついた八百屋の空き箱。
俺はその箱をギルドの目と鼻の先、薄暗い路地裏の入り口に置き、いらなくなった板切れにこう書き殴った。
『なんでも屋:一回100ギル(内容次第)』
ギルドから出てくる冒険者たちが、冷やかしの視線を投げかけてくる。
「おい見ろよ、あんなゴミ箱に座って商売だってよ」
「なんでも屋? どうせドブ掃除か迷子の猫探しだろ。……おい兄ちゃん、悪いことは言わねえからさっさと田舎に帰りな」
男たちの嘲笑を、俺は半分寝たような顔で受け流す。
だが、俺は確信していた。この街の連中が、どれほど「蓄積された疲労」に悲鳴を上げているかを。
この世界の医療は『欠損』や『外傷』には魔法で即座に対応する。だが、慢性的な『肩こり』や『眼精疲労』を治す魔法なんてものは存在しないのだ。
「……あ。ねえ、あなた。……本当に『なんでも』、やってくれるの?」
日が完全に沈み、街に魔石の灯りが灯り始めた頃。
ギルドの裏口から、音もなく一人の女性が姿を現した。
街中の冒険者が「微笑みの聖女」と崇め、誰もが一度は求婚して玉砕するという超人気受付嬢、リアナさんだった。
いつもなら凛とした制服姿で完璧な微笑みを絶やさない彼女だが、今はどうだ。
亜麻色の髪は乱れ、制服のボタンは少し緩んでいる。何より、宝石のように美しい瞳には、隠しきれないほどの隈が深く刻まれていた。
「内容によりますけど。……見ての通り、箱しかない店ですよ」
「いいわ……。もう、誰でもいいから助けて……。目が、目が焼けるように熱くて、肩に岩が乗ってるみたいに重いの……っ」
彼女は俺の前に来ると、まるで糸が切れた人形のように、泥のついた八百屋の箱へ突っ伏した。
ギルドの制服越しでもわかる、バキバキに張った背中のライン。
毎日何百人という粗野な冒険者の相手をし、深夜まで羊皮紙の書類と格闘していれば、二十代前半の女子の体はこうもなる。
「100ギル、先払いで」
「……はい、これ。……ああ、もう、何でもしていいから。この痛みを、どうにかして……」
彼女が震える手で差し出した硬貨を受け取り、俺は準備していた「道具」を取り出す。
魔導具でも、高価な薬草でもない。ただの清潔な布と、魔法瓶に入れた熱湯だ。
「リアナさん、少し顔を上げて。……熱いから気をつけて」
「えっ、な、なに……ひゃっ!? あつ……あ、あああああ……っ!」
俺が熱いお湯で絞った布を、彼女のまぶたの上にそっと乗せる。
現代知識その一、『ホットアイマスク(蒸しタオル)』だ。
「熱い……あ、でも、不思議……。奥の方が、じわじわ解けていく……っ。何これ、魔法……?」
「ただの布ですよ。……次は肩だ。失礼」
俺は彼女の背後に回り、細い肩に手を置く。驚くほど硬い。
俺は親指にグッと力を込め、現代のマッサージ技術を駆使して、首の付け根から肩甲骨のキワにかけて、ゆっくりと、だが確実に圧をかけていく。
「んぅっ……! あ、そこ……そこダメぇ……っ! 変な感じがするぅ……っ!」
路地裏に、リアナさんの艶っぽい、それでいて切実な声が漏れた。
あの「微笑みの聖女」が、街角のゴミ箱に突っ伏して、名もなき男に触られて喘いでいる。
もしギルドの冒険者たちが見たら、泡を吹いて卒倒し、暴動が起きるような光景だろう。
「力、抜いて。……ここ、相当ヤバいですよ」
「だって……だって気持ちよすぎるのよ……。あなたの指、魔法なんかよりずっと凄い……。ああ、脳が……溶けちゃいそう……っ」
彼女の白い項が赤く染まり、荒かった呼吸が次第に熱を帯びていく。
俺の指先がコリの核心を捉えるたびに、彼女の体はビクンと小さく震え、やがて完全に、俺の膝の間に体重を預けてきた。
「……ねえ、カイくん。……明日も、ここに来ていいかしら」
十分後。タオルを外した彼女の瞳は、潤んでトロンとしていた。
その視線は、もはや「なんでも屋の店主」に向けるものではない。自分を救ってくれた、唯一無二の理解者を見る目だ。
「……100ギル持ってくるなら、拒否はしませんよ」
「ふふ、倍払っちゃうかも。……また、私をめちゃくちゃに癒やしてね?」
耳まで真っ赤にしたリアナさんは、ふらふらと、しかし憑き物が落ちたような足取りで夜の闇へ消えていった。
――さて。
その一部始終を、路地の暗がりからフードを深く被った銀髪の美少女が、驚愕と、そして「期待」の入り混じった表情で見つめていることに、俺はまだ気づいていなかった。
【後書き】
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