第57話:士燮への手紙
士燮。それは交州で勢力を伸ばしたという知られざる奸雄である。元は中央官に就いてたという士燮はほぼ自ら職を辞す形で故郷に帰る、という所からその奸雄ぶりが見え始める。表向きの理由は中央の争いに巻き込まれたから。しかしその実際は中央の争いに愛想を尽かし、出世の目は無いと踏んだというのが正しいだろう。
その後交州の一郡を治めていた彼は着々と勢力を交州全体に忍ばせていった。そのせいか、交州刺史として赴任していた朱符が反乱によって殺害されると一族を各郡の太守に任命して瞬く間に交州全体の政権を握ったのである。そのあまりの手際の良さに史実を知っている俺は士燮が反乱を仕組んだのでは無いかと疑っている程だ。
俺が転生してきた190年直前に交州は既に士燮の手に落ちていた。と言っても反乱が終わったばかりではあったようで一部混乱は続いていた。それでも士燮の政治は人民によく受け入れられており、布岳によると最早漢ではなく士燮の支配下にあると考えている人がその時点で大多数を占めていたらしい。それでいて誰も反対せずに寧ろ賛成しているというのだからその手腕はかなりえげつないものだろう。
烏戈国は交州へ一部食い込んでいる位置にある。そのこともあり、烏戈国は士燮とかなり親交を結んでいる。これは烏戈国が自国の東の方にあまり確固とした勢力圏を築けていないのが大きいだろう。士燮の手を借りてなんとか治めているのが現状なのである。
烏戈国の拠点は進乗(箇旧)にある。地理的に見れば雲南(昆明)のほぼ真南にある村だ。ではなぜ昆明族は烏戈国の西にあるという言い方をするのか。それは2つの国、というか集落の出来方に起因する。
夜郎の勢力が衰え始めた前漢末期、進乗(箇旧)や雲南(昆明)は地理的条件が良く2つの豪族がそれぞれ覇権を取ったという。しかし夜郎国の一部だった為に互いの存在は知っており、何時か2つの勢力は衝突すると思われた。そこでそれぞれの首長は昆明国が西を、烏戈国が東を制覇することで衝突を回避しようと目論む。幸いというべきかどちらの勢力も夜郎国の中心部に近く、争い合えば夜郎国に潰されると分かっていた両者は実際に争うことも無かったのである。こうして烏戈国は西に南に勢力を広げていき、昆明国は東に北に勢力を広げていった。かつて互いの首長が決めた盟約は何時しか暗黙の了解となり、結果として双方の国は共に国の辺境に拠点を持つことになったのである。
……結果として烏戈国はベトナムと益州、交州に跨がる国になったのに対して昆明国は永昌(保山)付近まで勢力を持つ国になった。良かったのか悪かったのか、昆明国は人口が多い地域を併合して烏戈国は経済的なゆとりがある地域を併合した。そのことによって両国は互いに支え合うことになったのである。
まぁそんなこんなで烏戈国の拠点はかなり西寄りにあり、東の方は士燮の手を借りて治めているような状態だ。最初の方に実際に従ってるのは18万人中12万人と言ったのもそういう事情である。
また、今回の侵攻は見方によっては夜郎国の領土を取り返す戦いにも見える。というかどうせ夜郎国の首長はそう言って兵を集めたんだろう。
「……よしっと。これで士燮への手紙はオーケーかな」
誰もいない書斎で一人呟く。士燮に宛てた手紙の内容は簡単だ。援軍要請と正式な同盟締結の提案である。夜郎と交州は交易していないから流石に此方に付いてくれる……とは思う。更に言えば烏戈国と交易しているからと夜郎が血迷って攻撃対象にしてくれれば万々歳である。いや、そう仕向けるべきか……?
とまぁ、そんなことはいいとして。俺にはやらないといけない作業がある。今夜は夜を徹して作業を進めることになりそうだ。
今度の戦い、懸念材料は幾つもある。まず戦力差が酷い。これを解決するには昆明からの援軍は勿論、士燮からの援軍等も募らないといけないだろう。
次に戦い方である。南蛮の戦いが本当に諸葛亮の南征のような感じだったら今までと全然違う戦いになる。自分や賈詡が指揮できるのかが怪しい。
更に懸念点としては象兵等の動物兵の存在がある。象兵なんかに当たったら藤甲兵と言えども一溜まりもない。間違いなく死ぬ。どうにかしなければならない。
こうして頭を悩ませながら兀突骨はその夜を越したのだった。
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