54.喜色満面(きしょくまんめん)
エンタクとクプルが酒場へつくとそこは歓喜の宴、いや狂喜と言ってもいい様子だった。ハイナも客も全員が大騒ぎですでに出来上がっている様はこの世のものとは思えないほどである。
店内で唯一冷静と言っていいのかはわからないが、エンタクたちはとりあえずミチュリの横へ陣取った。さらにその隣にはまんまるな笑顔の眩しい新妻が座っており、もちろんすでに大酔っ払いである。
「なんだか考えすぎんのがばからしくなってきたぜ。オレたちも呑むしかねえ。つまみは勝手に取って行っていいのか? この大騒ぎの支払いはどうせ俺がするってことになってると踏んだんだがあってるか?」
「うむ、オマエさんもやるときはやるんじぇね。くたびれた冴えない中年男かと思ってたけど見直したじぇ? 最近は若いもんが減ってこんなめでたいこと無かったど嬉しくてたまらんじぇき」ハイナが喜んでいるのは売上的なことじゃないのかと言いたくなったエンタクだが、ここは素直に祝われておくことにしてジョッキを受け取って一気に飲み干し次を注いだ。
さらにはいつもは酒場へ来ないような女衆までが噂を聞きつけたと見えて駆けつけている。代わる代わるハイヤーンの元へとやってきて、頭上の蔦冠へ花を一輪ずつ挿していくのがこの村の風習なのだと言う。
「見てよオマイさん、頭が随分重いけどどうなってんだい? アタイもちゃんとした花嫁に見えるかねえ?」その笑顔は今まで見たことないくらいに可愛らしく、いつもの気の強さがどこかへ消え去ってしまっているようだ。
「いや、あのな、なんというか…… ちゃんとしたどころかすげえキレイだぜ。オメエみてえな美しい花嫁がオレのカミさんだなんて信じられねえくれえだ。なにかバチでも当たるんじゃねえのか心配になっちまうぜ」ここまで来たら照れだとか恥ずかしいだとか言ってはいられない。正直に心情を打ち明けることが正しい振る舞いだと思うようになっている中年男である。
照れくさそうに言いながらもそう言えばと『バチ』を思い出すと、酔っぱらっている花嫁へとにじり寄り耳元へとささやいた。
「例のダンジョン調査隊、あとふた晩くれえで着くらしいぜ。メンバーにはシェルドンとカミリガンにミクロマの名があったが、どうやら『回廊の冥王』として来るわけじゃねえみてえだな。もしかしたらオメエの行方が分からねえからかもしれねえが、やつらが去るまではうろつかない方がいいかもしれねえぞ?」そのことを聞いたハイヤーンはさすがに真顔になってエンタクへと向き合った。
「アンタ、それは本当なんだよね? そりゃ願ってもないことさ。王都まで戻らなくてもパーティーを抜けることを伝えることができるんだよ? 向こうまで行く手間が減ったってもんさね」思いのほか強い意志を感じさせる新妻の言葉に、エンタクは心強さと不安を半々に感じてしまう。
だがハイヤーン自身が却って都合がいいと考えているなら、エンタクはその決断に沿って助力し寄り添うだけである。冒険者の力量としては劣っているとしても人生経験は上だし、打たれ強さには絶対的な自信があった。
とは言ってもヤツラの到着まで日があることだし、今晩は大いに騒いで祝ってもらうことにしようと決め、参列者に負けじとジョッキをあおりはじめるのだった。しかしその宴席の費用が自分持ちだと言うことだけは忘れられず、酔うに酔えないエンタクである。
今までであれば夜が明けるくらいまで呑んでいることもあったが、ミチュリを抱えている今出はそうも行かない。大人に取ってはまだ良い酒の時間と言えるのだが子供の眠気を放っておくわけにはいかない。
「それじゃ女将、代金は多めにおいとくから余りはツケといてくれよ。働いても働いても出てくモンが増えちまって仕方ねえぜ。チビ助はまだ呑んでていいからヨマリマにでも相手してもらえよな」そう言って、近くに座っていた受付嬢の平たい胸の前へと妖精を差し出してから一家は引き上げようとする。
その丘の高さはクプルの好みではないので当然文句を言っていたが、女将から樹液酒の入った皿を出されて大人しくなり、カウンターの上に陣取ってエンタクたちを見送るのだった。
こうして早仕舞いした子連れの新婚は、酒場とは違って静まり返っている村の中を連れ立って歩いていく。見た目からは初々しさが無いものの、二人の距離感からは長く連れ添っているようにも見えないと言う不思議な関係性が垣間見える。
「なんだかようやく実感が出て来たよ。アタイは今まで所帯持つ願望なんて無かったけどさ、こうして祝ってもらうってのもいいもんだねえ。でもその分また稼がないといけなくなったかい?」
「金なんざ働きさえすりゃ勝手に手に入るもんだから気にするこたあねえさ。それより重くねえのか? オレが代わってもいいがミチュリが起きちまったら大事になりそうだしなあ」エンタクは小さいとは言えそれなりに重いだろうと、ミチュリをおぶさったハイヤーンを気遣った。
「これくらい平気さ。でもさ、アンタのそう言う優しさが心地いいもんだってのも今まで気づかなかったな。思い返せばパーティーで一緒に行動してた時から似たようなことがあったっけ。カミリガンにはシェルドンがいるし、ニクロマなんて気遣う必要ないだろう? アタイってそんなに頼りなく見えるのか? なんて思っちゃってたんだ、すまなかったね」
「いやいや、カミリガンには近寄るな話しかけるなって言われてたからな。まあ人の女に興味はねえから頼まれても断ったかもしれねえがな」
「アンタの場合は女側から興味を持たれてなかったけどな」エンタクの言い分にハイヤーンは笑いながら茶々を入れた。だが酷いことを言った相手と自分が夫婦になったのだから、誰に向かって冷やかしの言葉を投げかけているのか謎である。
「そういやもう風呂は出来たから使ってもいいってゴロチラムが言ってやがったな。明日にでも水を貯めてみようじゃねえか。きっとミチュリも喜ぶぜ?」
「そんな無理して運ばなくてもいいさね。それともデカい桶でも見つかったってのかい? 酒樽で汲んで入れた風呂でミチュリが酔っぱらっちゃったら困るからねえ」
「なるほどねえ、そんなことまで考えねえとだめか。こりゃなかなか難儀なこったぜ。井戸が出来上がるにもまだまだかかるだろうし、しばらくは我慢できるか?」
「そんなこと気にしなくていいんだよ。オマイさんがそうやってアタイたちのことを考えてくれてるだけで満足さ」そう言うとポンっと身体を寄せたスピルマンからは花のようないい香りが漂い、女日照りの長いオッサンには到底抗えない魅力を放つ。
自宅はもう目と鼻の先、酔いのせいもあってとてもじゃないが耐えきれないと、ハイヤーンの細い腰に自分の短い腕を回そうとしたその時、エンタクの耳に彼女の困惑した言葉が入ってきた。
「おぉいエンタクぅ、こんな夜遅くにお客みたい? だなぁ……」
自宅の前には、遠慮なく停められた見慣れぬ馬車と、冒険者風の数人が立っているのが見えた。
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きしょく-まんめん【喜色満面】
喜びの表情が心の中で包みきれず、顔じゅうにあふれ出ているさま。




