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許婚は私のことを知らない  作者: 青山忠義
10/11

ママと涼子さんの関係

 涼子さんにこのままキスを続けられたら、きっとファーストキスのときみたいになってしまう。

 あのときはお兄ちゃんに助けられたが、今はいない。

 涼子さんの肩を思いっきり押して突き放した。

「いい加減にしてください」

「乱暴になったわね。アメリカにいたときは、すごくおとなしかったのに」

 涼子さんは微笑んだ。

「誰かに見られたらどうするんですか?」

 私は食ってかかった。おなじ学年の子にでも見られたら学校中の噂になりかねない。

「心配しなくても誰もいないわよ」

 ちょうど下校する生徒は誰も通っていなかったみたいだ。少しホッとする。

「こんなことをするために会いに来たんですか?」

「あら、挨拶よ。ちょっとした挨拶。アメリカではよくするじゃない。忘れたの?」

 女同士とはいえ挨拶で口にキスをする習慣なんてアメリカでもない。ましてや舌を入れてくるなんて聞いたこともない。

「会えたからもう用事は済んだんですよね。では、さようなら」

 校門の前の信号が青になったので、涼子さんをその場に残して横断歩道を渡る。

「久しぶりに会った自分のお兄さんのカノジョに対して冷たいわね。家に招待してくれてもいいんじゃないの?」

 涼子さんは後をついてきた。

「もう別れたんじゃないんですか」

 あの事件のとき、涼子さんはお兄ちゃんを見捨てて逃げた。もうお兄ちゃんのことをなんとも思っていないのじゃないかと思っていた。

「ユキオがそう言っていたの?」

 突然、涼子さんの声が昔の低い声に戻った。

「いえ。そんなことは言っていませんけど……そうじゃないかなと思って」

 涼子さんのあまりにも真剣な様子に口調がモゴモゴとなってしまう。

 “What is it that you think you understand.”

(あなたに何が分かるの)

 アメリカにいたころのように涼子さんの目は暗く、まるで底知れない闇の中に沈んでいるように見えた。

「何かあったんですか?」

 涼子さんとお兄ちゃんの間で何があったのではないかと思った。

「……別に。それよりまだ遠いの? もう疲れたわ」

 涼子さんはすぐ明るい表情に戻ったかと思うと、ウンザリしたように言った。

「もうそこですよ。まだ歩いて10分ぐらいですよ。涼子さんの学校は家から近いんですか?」

 10分ぐらいの距離を歩いたぐらいでどうして疲れるのか理解ができない。

「最近までママが校門前まで車で送り迎えをしていたから、ほとんど歩かなかったのよ」

 最近まで監視されていたというのはそういうことかと納得した。おそらく一人で登下校させたら何をしでかすか分からない涼子さんなので、お母さんが心配して送り迎えをしていたのだろう。

「今は違うんですか?」

「そう。ママに内緒で家の近くの知り合いに預けているバイクに乗って学校まで行っているからほとんど歩かないの」

「バイク通学できるんですか?」

「そんなわけないでしょう」

 涼子さんの通っている学校は、お嬢様学校だ。バイク通学なんか許してもらえないだろう。

「見つからないように学校の近くに住んでいるカノジョの家に置かせてもらっているのよ」

「カノジョですか」

 涼子さんはバイセクシャルだから、カノジョがいても不思議ではないが、お母さんの監視の目をかいくぐってよく作れたものだと半ば感心する。

「偶然に、図書館で知り合ってちょっとタイプだったから、話しかけたのよ。ご主人が単身赴任で寂しがっていたし、その気もありそうだったから、口説いてみたら上手くいったの」

「そうですか」

 何のために図書館に行っているんだろうと素朴な疑問を感じる。

 でも、どうやら涼子さんの性欲は満たされているようだから二人きりになっても前みたいに襲われることはないだろう。


 マンションの部屋に入ると、涼子さんはキョロキョロと中を見回した。

「さすがにいいマンションね。3LDKくらい?」

「いえ。4LDK」

「さすが金持ちは違うわね」

 涼子さんは感心するように言った。リビングに案内してソファーに座ってもらう。私は着替えてから向かいのソファーに座った。

「そんなことないですよ。でも、涼子さんはよく私だと分かりましたね」

 アンナのときとは、メイクで顔を変えているし、雰囲気も違うはずだ。自画自賛になるが、アメリカの知り合いが見ても絶対アンナだとは気づかれない自信があった。

 それなのに涼子さんは校門から出てきた私を一目見ただけでアンナだと気づいた。

 私の樹里の姿を知っているのはママだけのはずなのに。

「ああ、それは簡単よ。アンナちゃんじゃなかった、今は樹里ちゃんか。樹里ちゃんのお母様から写真をメールしてもらったから。それにしてもまったくの別人ね。写真をもらってなかったら、分からなかったわ。うまく化けたわね」

 そういえば、ママがアメリカに帰る前にスマホで写真を撮ったんだった。

「演劇をやってましたから」

「そういえば、アンナちゃんが州の演劇コンクールで主演女優賞を取ったんだとか幸雄が自慢げに言っていたことがあったわね。だから、化けるのが上手いのね」

 たぶん涼子さんは誉めているつもりなのだろうが、『化ける、化ける』と言われたら、私がまるで化け物か妖怪のように聞こえる。

「涼子さんもアメリカでは上手く化けてたじゃないですか」

 私だけが言われるのは悔しいので言い返した。

「私は前に日本にいたときに上の人に教えてもらったのよね」

「そうですか」

『上の人』がどういう関係の人なのか聞くのが、なんだか怖いような気がするのでスルーする。

「それより許婚の写真を見せてよ」

「それもママから聞いたんですか?」

「そうよ。早く見せてよ」

「ママと仲がいいんですね」

 聞けば単純なことだが、ママと涼子さんがメールのやりとりをするほど仲がいいとは知らなかった。

「まあね」

 一体、ママはどこまで話しているんだろう。お兄ちゃんのカノジョだといっても、ちょっと話し過ぎじゃないかなと思った。

 ママと涼子さんとでは、あまりにも性格が違うのにどうして気が合うのか不思議だ。

 ママは和風美人で優しく滅多に怒らないし、パパのように大声も出さない。お兄ちゃんをパパがチームのアジトから引っ張って帰ってきたときもママは一言も怒らなかった。

 いつも穏やかな表情をして、私やお兄ちゃんの話を聞くときは微笑みを浮かべて聞いてくれる。

 アメリカにいた涼子さんはチェーンがたくさんついた革ジャンにボロボロのジーンズを穿き悪魔メイクをして、大きなバイクを乗り回す見るからにアウトサイダーで、その上バイセクシャルだ。

 そんな涼子さんとママが仲良くできるとは、どうしても信じられない。

 それなのに、涼子さんがしばらく家に住んでいたときは、実の娘である私が嫉妬しそうになるぐらい仲がよかった。

「どうして、ママとそんなに仲がいいんですか?」

 涼子さんに思い切って聞いてみた。

「いろいろあるのよ」

 涼子さんが何か含みのあるようなことを言う。

 そういう言い方をされるとすごく気になる。

 ママは、涼子さんみたいに元気すぎるぐらいの人がひょっとしたら好きなのかもしれない。

 私がママの前で初めて樹里の格好をしたときも、制服のスカートが短いともメイクが濃いとも一言も言わなかった。ただ一言「いいんじゃない」と言っただけだ。


「そんなことより早く見せてよ。そんなに焦らすところをみると、私に見せたくないほどのいい男なの?」

 涼子さんが焦れたように言った。

「そうではないですけど……」

 仕方なく、パパが探偵に撮らせた写真をみせた。

「なんか普通ね。背も低そうだし。まあ、真面目そうだけどね。わざわざ正体を隠してアメリカからくる必要はなかったんじゃない」

「そんなことない」

 隆司がバカにされたような気がして、思わず声を荒げてしまった。

「隆司はイケメンでもないし、オシャレでもないし、ケンカも強くない。でも、誰にでも優しいし、人のことを思いやる心も持っている。間違っていることは間違っていると誰にでもちゃんと言える。お兄ちゃんや涼子さんみたいになんでも暴力で片付けようと思う人には分からないだろうけど、私は隆司のことをカッコいいと思う」

 私は一気にまくし立てた。涼子さんはビックリしたような顔をして私を見ている。

「そんなにムキにならないで。樹里ちゃんが好きなのか、アンナちゃんが好きなのかは知らないけど」

 涼子さんは冷やかすように言った。

「まあ……嫌いではないですけど」

 顔が火照ってきて、思わず下を向いた。

 最初は隆司さんのことが好きとか嫌いとかではなく、ただ単に許婚がどんな人か知りたくて男子に聞いて回った。

 そのうち、隆司さんが本当に噂どおりの人かどうか知りたくなって、ちょっと強引だったけど付き合うようになった。

 隆司さんは噂どおりの人だった。優しくて真面目で正義感が強い。アンナなら友だちに絶対なりたくないような樹里にも嫌々かもしれないけど、真面目に付き合ってくれている。遅刻しがちな樹里のために受験で忙しいにも関わらず毎朝モーニングコールをして迎えにもきてくれる。

 樹里の我儘のような頼みにも嫌な顔をせずに聞いてくれる。本当にいい人だ。

「ごめんなさい。そんなに許婚のことが好きになってるなんて知らなかったの。お詫びにいいことしてあげる」

 いつのまにか涼子さんが私の横に座っている。胸を触りながら、スカートの中に手を入れようとした。

「やめてください。性欲は満たされているんじゃないんですか」

 なんとか手を振り払った。カノジョがいるのにどうして私にまで手を出してくるの。

「カノジョはタチなのよ。私はリバだからどっちにでもなれるんだけど、タチの私が満足できないのよね」

「リバってなんですか?」

 そんな言葉を聞いたことがない。

「タチもネコも両方ともできるってことよ」

「どうして私なんですか?」

 タチもネコもかろうじて意味を知っている。伸ばしてくる涼子さんの手を払いながら聞いた。

「アンナちゃんも可愛いかったけど、樹里ちゃんみたいな美人でちょっとの気の強い子にもそそられるのよね」

 涼子さんは勝手なことを言う。

 腹が立ってきて、涼子さんの手を払うと、顔面目がけて力いっぱいの正拳突きをした。当たっても正当防衛だ。

 涼子さんは首を少しだけ右に傾けて拳を避けると、立ち上がった。

「危ないじゃない。もうすぐにムキになるんだから。アンナちゃんは可愛かったのに。まっ、いいか。許婚の写真も見られたし。じゃー、またね」

 涼子さんは、笑って手を振り、リビングから出て行こうとしていた涼子さんが足を止めて振り向いた。

「そうそう。樹里ちゃん、英心の子に因縁つけられたんだって。ちゃんと話しつけておいたから何も言ってこないと思うけど、何かあったら連絡ちょうだい。アドレスとか電話番号はまたメールするから」

そう言って涼子さんは本当に帰っていった。



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