幸せを売る女(仮) 14
「じごく…いいえ、あれが修羅場ってやつかもしれないわ。」
私は洗った皿を奈津子に渡しながら呟いた。
「修羅場ねぇ。」
少し小馬鹿にしたような奈津子の言い方を気にしながら、私は当時を思い出した。
「あなたからすれば、たいした事では無いかも知れないけど、私には人生、後にも先にもアレが修羅場だったと思うのよ。
綾子が車を自宅の駐車場に止めて、
運転席側のドアを開いた瞬間…おじさんがっ。」
私はそこで言葉と手を止めた。
綾子がドアを開けた瞬間、ぐっと外側からドアを引っ張られ、綾子は車から引きずり出された。
驚いた綾子が、綾子のお父さんを見たとき、綾子のお父さんは、ぱあぁぁん。と、ドラマのような見事な平手打ちを綾子にお見舞いした。
心臓が止まるかと思った。
綾子のお父さんは、酒屋さんをしていて、優しいひとだと思っていたから、その夜叉のような怒った顔が怖かった。
一瞬ひるんで、それから震えながら外に出た。
私のわがままの結末に胸がつぶれそうになりながら、泣きそうな声帯を必死に動かして、私は綾子のお父さんに謝ろうとした、が、その前に誰かがそれを止めた。
「それ以上はいけません。」
と、綾子のお父さんの腕を背後からつかんだのは、私の旦那だった。
「あっ、あんた………。」
いいえ、私は、日ごろ旦那を『あんた』なんて呼んではいない。
腹がたっていたので、思わず口から出た言葉だ。
私達の夫婦喧嘩に綾子を巻き込んだことが私には許せなかった。
が、そんな事は瞬間の気の迷いだ。
綾子のお父さんは鬼の形相で綾子を叱っていた。
なにか、私を巻き込んだことが許せないらしかった。
ここで、綾子が泣いて謝るタイプなら、私も旦那に気がいったのだろうが、綾子がお父さんにやり返したために、事態は激しさを増したのだった。
私は、自分の旦那の悪口を思いながら、綾子のお父さんがこれ以上、綾子に手をあげないようにしてくれるのを頼もしくも思った。
やがて、綾子のお母さんとお兄さんが登場し、暴力から、話し合いでの解決へと雰囲気が流れて行き、
私は、綾子のために、綾子のお父さんに必死で事情を説明した。
泣きながら説明した、ムニエルの夫婦喧嘩の話は、残念ながら綾子のお父さんには届かず、
代わりに、私の旦那にこれでもか、と、ダメージを与えた。
私は泣いた。
そして、激しく反省した。
こんな事になるなんて。
綾子のお父さんは、我々の夫婦喧嘩の内容は刺さらなかったが、
激しく泣きじゃくる私には情を感じたのか、私のせいではないと、
綾子に説教しながらも、私をフォローしてくれた。
それは、確かに、綾子のお父さんからしたら、フォローなのだが、
「人妻に」とか、
「人妻だから」と、人妻連呼が、私には辛く感じた。
まるで、自分が寿美礼と言う名前すらなくして、
旦那の為のオプションにでもなったような、疎外感を感じたからだ。
どうして、焦って結婚なんてしちゃったのかな?
私は叱られる綾子を見つめながら、綾子と自分が、随分むかしから、違う世界にいた事を自覚した。
仲間とスキーに行くことも、
飲み会に行ったり、
お見合いパーティでドキドキすることも、結婚なんてしなければ経験できたはずだ。
それはともかく、今、綾子が、叱られたりしなかったに違いない。
私が人妻だから、綾子のお父さんは、私を連れ出した綾子をしかっているのだから。
そんな風に胸がつまる思いをしていると、お父さんの説教を黙ってきいていた綾子が、噛みつくように反論した。
「なによっ!さっきから、人妻、人妻って。
この子の名前は人妻なんかじゃないわ。
スミレちゃんよ!
私の幼稚園からのお友だちの寿美礼ちゃんなんだからっ。
新婚旅行とか、彼氏の話とか、小学生の時からずっと話し合ったり、夢を見たりしてきたのよ。
素敵な食器で、ダーリンと食事するのがスミレちゃんの夢だったのに!
新婚旅行も
3段式の大型オーブンも、何一つ、叶えてあげてないじゃん。
アンタなんて、スミレちゃんの旦那さん失格なんだからっ。
別れてよっ。
私がスミレちゃんと暮らすからっ。」
いつの間にか、お父さんから、背後の旦那に綾子の攻撃対象は変わっていた。
私は綾子の言葉に感激しながらも、ダーリンなどの、少女の黒歴史を暴露されることに赤面しながら、立ち尽くしていた。




