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剣聖の弟子  作者: 二階堂風都
第十二章 血の道
154/155

とある帝国兵の記憶 前編

 使徒化。

 帝国で崇拝する神・バアルから御力を賜り、新たな命を得ることをそう呼ぶ。

 一兵士としては単純に、力が増すことはありがたい。

 ただ、はっきり言ってしまえばその姿は「異形」で……。

 口にすれば、糾弾されるのは王国民ではなく自分になることはわかっていたが。

 思うだけなら、自由ではないだろうか?

 ……そんな異形となるのに、不安を覚えない人々のほうがおかしいと自分は思う。

 同時期に、自分と同じく使徒化した信心深い同僚はこう言った。


「素晴らしい! バアル教の教えを体現しているかのような姿だ! ……お前もそう思うだろう!?」


「謎の黒い塊」を口にしただけで体表が鎧のように硬く転じ、羽が生え、膂力が何倍にも増す。

 こんな異常な変化を前に、能天気に騒げるその神経が羨ましい。

 ……わかっている。

 帝国という国では、自分のような人間のほうが少数派だ。

 もっとも既に、人間と呼んでいいのかも疑わしい姿になってしまったが。


「すー……はーっ……」


 この姿になってから、深呼吸することが増えた。

 なんだか息苦しいのだ。胸が詰まるような感覚がある。

 同僚たちの中には使徒化してからというもの、性格が度を越して攻撃的になった者が何人かいる。

 幸いにも、自分は精神的な変化は少なかったように思う。

 だが、この身に付き纏う違和感はなんだろう……?

 体の芯に冷たいものが入り込んだような、落ち着かない感覚。

 ……体の変化、といえば。

 自分同様、少数派の――あまり信心深くない同僚はこう言っていた。


「腹が減りにくくなるのが一番の恩恵だよなぁ」


 と、そのように。

 確かに、それはその通りだ。

 自分も彼も、貧しい農村の出身だ。

 子どものころから“満腹”という状態をまず経験した記憶がない。

 言葉として知っているだけだ。

 似たような生い立ちながら、自分よりずっとのんびりしていて穏やかな彼の様子を思い出すと……。

 ふと、こんな状況でも笑ってしまう。


「おい。お前、なにを笑っている!」

「っ!?」


 叱責、と同時に衝撃。

 上官に殴られたのだと理解したのは、転んだ際に石畳の上についた手が冷たさを感じてからだった。

 血の味が口の中で広がっていく。

 使徒化していないとはいえ、生え抜きの軍人による一撃は重く、痛かった。


「後方任務だからと気を抜くな。次は上に報告する」

「は、はっ! 申し訳ありません、小隊長殿!」


 ここは城塞都市ムルス。

 堅牢な城壁を備えた、王国……否、今回の敵は連合国だったか。

 連合国の侵攻で国境砦が陥落した今では、ここが最前線となっている。

 自分が配属されたのは、居住区へと続く内防壁付近の哨戒部隊。

 国境付近の避難民が大量に流れ込んだため、防壁の外にまで疲れた顔の人々が溢れている。

 いざ戦闘となれば、無理矢理にでも防壁内に押し込むことになるだろうが……。


「あんた、大丈夫かい……?」


 小隊長が離れるのを待って、避難民の老婆がそう心配そうに声をかけてくれた。

 その背には隠れるように顔だけ出した少年……孫だろうか?

 老婆は手に使い古しながらも清潔そうな布を持ち、こちらに差し出してくれている。


「?」


 一瞬その意図が理解できなかったが、口元から血が流れてしまっていることに気づいた。

 この布で口元を拭え、ということらしい。


「い、いえ。汚れてしまいますから……」


 放っておいても、この体で受けた傷は少し経てば癒える。

 それも異常な速度で。

 残念ながら個人差があるようで、自分は即座に完治とまではいかないけれど。


「いいから」

「ですが」

「いいから。押さえておきなさい」


 周囲を気にしながら小声で、しかし押しの強い調子で布を渡してくる老婆。

 ……あまり騒がしくすると、また小隊長に気づかれてしまうだろう。

 あの人の民衆を、避難民を見る目は冷たい。

 今度はこのお婆さんたちまで暴力を受けかねない。


「……ありがとうございます」


 結局、布を受け取り口元に当てることにした。

 自分が受け取ったのを見ると満足そうに、老婆は少年を連れて離れていく。

 食糧のひとつでも渡してあげたかったが、あいにくと上からは携帯糧食の配給すらない。

 使徒には必要ない、という判断なのだろう。


「……ありがとう」


 聞こえているかはわからないが、老婆の背にもう一度そう声をかけた。

 傷は既に治りかけていたが……。

 そのボロ布からは、不思議と懐かしいような優しい香りがした。




 城塞都市が戦地になったのは、それから二日後のことだった。

 都市部にこそ侵入を許していないが、複数ある防壁が次々と突破され、我が軍は混乱に陥っている。


「赤毛の魔女だ……! やつが来たんだ……!」

「炎の柱が上がるのを見たぞ! 間違いない、赤毛の魔女だ!」

「魔女?」


 その噂は自分も耳にしたことがある。

 なんでも、獣王となったあのライオルに並ぶ力を持つという話だ。

 火魔法と双剣の使い手で、多くの帝国兵が魔女の犠牲になったとか。

 他にも炎とオーラを同時に使うだとか、馬ごと空を飛んだとか、瀕死の状態から炎を纏って復活したとか、眉唾のような話も多数ある。


「赤毛の魔女、カティア……」


 不気味な相手だ。

 獣人、ドワーフ、エルフと、帝国の敵は常に人族を超える能力を持つ者たちばかりだが……。

 なんとカティアは、人族だという話だ。

 過去、ここ城塞都市ムルスが陥落した際の戦でも「剣聖ティム」という大敵がいた記録は残っているものの、それ以来ではないだろうか?

 ここまで武名を轟かせる人族が現れたのは。

 ……どうして王国にばかり、優れた戦士が生まれるのだろう?


「崩れるぞぉぉぉ!」

「……!」


 思考を巡らせる余裕があったのは、そこまでだった。

 なんらかの魔法が炸裂し、頑強なはずの石造りの壁が破壊される。

 来た、遂にここまで来てしまった。

 勢いに乗った連合軍の部隊が、開いた大穴から雪崩れ込んでくる。

 ……覚悟なんて決まっていない。

 本当は命をかけた戦いなんてしたくない。

 だというのに、自分は……。

 避難民が押し込められた区画に続く扉を目がけ、気がついたら槍を手に駆け出していた。

 あの扉だけは、なんとしても守らなければ……!


「貴様っ! 持ち場を離れ――」


 小隊長の呼び止め、叫ぶ声が不自然に途切れる。

 倒れた小隊長の胸からは、鎌のような武器の柄が生えていた。

 そして、大穴が開いた壁の中から――サメ……という生き物だっただろうか?

 サメの獣人が、小隊長に刺さった鎌をゆっくりとした動きで回収する。

 胸当てを砕くほどの投擲攻撃……こうして大半の人族には不可能な芸当を目にすると、心の底から嫌になる。

 だが、人族のままだった小隊長と違い、使徒化した自分なら時間を稼げるはずだ。

 この騒ぎが伝われば、中の避難民たちも更に奥へと移動を始めるだろう。

 それまで、少しでも時間を……!


「ここは……通さない!」


 扉を背に、武器を構える。

 このサメは間違いなく強者の類だろう。

 戦いの経験が少ない自分でもわかる。

 決死の覚悟で槍を構える自分に対し、しかしそのサメは白けたような顔をしてみせた。

 他に獲物はいないのかと、周囲に視線を巡らせている。

 ……相手にされていないことに多少は腹が立ったが、そのまま様子を見てくれるのなら都合がいい。

 そう思いつつ、槍を握り直した――その時だった。


「もう、カイさん! あまりひとりで先行しないでください!」

『そうだそうだー! だめでしょー!』


 おかしな光景だった。

 戦場に不似合いな、鮮やかな紅色の美しい女性がそこに立っていた。

 よく見えなかったが、同じように紅く小さな光がその傍に寄り添うように漂っていた気もする。

 極度の緊張から見えた幻覚だろうか? そういえば、子どもの声の幻聴もしたような。

 この場が戦場であることを忘れ、自分はしばしその女性を見入ってしまっていた。


「お嬢。ちっちゃいお嬢も、いいところに。ここは任せますよ」

「あ、ちょっと!」


 女性と短い会話を交わし、サメ獣人が先へ先へと走り去る。

 あっちにはまだ守備兵がいたはず……避難所の扉とは別の方向だ。

 ――残された女性に目をやる。

 赤く流れるような長い髪、両の手には長剣と短剣が一本ずつ、軽鎧には泥と返り血。

 その返り血を見た瞬間に、ようやく頭の中で散らばっていた情報と結びついた。

 喉の奥から、掠れた声が絞り出される。


「……赤毛の魔女!」


 自分が発した声に、双眸がこちらを向く。

 瞳まで紅く美しい……しかし、正体を知った今となっては恐ろしくもある。

 カティアは震える自分の体と槍の穂先を見て、困ったような表情を見せたものの……。

 半身になり、こちらと戦う姿勢を取る。

 眩いほどのオーラが体に満ち、剣から激しい炎が立ち上った。

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