戦いの報酬
マルタ砦を駐留軍に引き渡し、本国への帰途についたのは終戦から五日後の事。
私は今、出立前と同じ様にアイゼン団長の前に立っている。
今回は場所が姫様の執務室で、当然、姫様も一緒な訳だが。
キョウカさんは私とアイゼンさんが揃って居る事もあり、私と入れ替わる様に休憩へと向かった。
「カティア・マイヤーズ、ただいま帰還しました。姫様」
帰って来た私に対し、姫様は目立ったアクションを起こさなかった。
むしろアイゼン団長が先に口を開く。
「無事なのが当たり前といった面持ちですか、リリ様。副団長も中々に果報者だ」
「……うん、そんな感じ……お疲れ様、カティ」
「はは……ありがとうございます、姫様」
信頼が重い――が、全力で応えたくなるのは姫様の人徳かな。
今後も一層努力しようと思える。
そんな私と姫様の様子を見た団長が、相好を崩して白い歯を見せる。
「いやあ、それにしてもお疲れだったね副団長。互いに無事で何より」
「アイゼン団長も、お疲れ様です。リード砦の攻略軍を率いたのは団長だったとお聞きしています」
「うん。主に、例の二人を抑えるのに苦労してね……」
「リンさんとベルさんですか……ご活躍だったとは耳にしましたが」
「ルミアに軍団長を頼めば良かったよ。この年で子守りは中々に辛い。苦労に見合う活躍をしたとはいえ、もう少し君のように落ち着いて欲しいもんだ……」
子守りって。
まあ、近いものはある……かな。
アイゼン団長はぼやきながら腰を軽く叩いている。
「しかし、赤の部隊は予想以上の成果を上げて見せたね。千の部隊で五千の敵を撃退か……こちらの侵攻が遅れて、本当に済まなかった」
アイゼン団長が頭を下げてくる。
私は慌ててそれを止めた。
これに関しては、誰の所為とも言えない事なのである。
「い、いえ! どうしたって自然には勝てませんから……。それと、そのお言葉は可能であれば、亡くなった部下達の遺族に掛けてやって下さい……」
「うん。遺族への手紙、見舞金、それから……可能な限りの追悼を行うと約束する。私自身も後で慰霊碑に向かわせて貰うよ」
「はい……」
あの日、不運にもリード砦に向かう道中、近くで崖崩れが起きた。
結果、行軍が遅れて私達は予定よりも長い時間をマルタ砦で耐えなければならなかった。
それがなければ、死なずに済んだ者もきっと居るのだろう。
しかしそれと同じくらいに、亡くなった兵達への対応に慣れている様子のアイゼン団長の姿が悲しかった。
それだけ長い期間、この国は戦い続けているということなのだろう。
湿っぽくなった空気を変えるように、姫様がポンポンと手を叩いた。
小さく首を振って「この話はこれでお終い」と暗に言っている様子である。
それを見てアイゼンさんと揃って姫様に軽く頭を下げる。
お気遣い頂きありがとうございます、姫様。
「……カティ。今日呼んだのは、ろんこ……ろん……」
「論功行賞です、リリ様。兵達の苦労に報いる為の、大事な場ですよ」
「……そう、それ……カティの部隊は……配分を、カティに任せる」
「えっ」
そういうのも部隊長の役目なのか……?
難しいな……私の分配で、不平等を感じる人が出はしないだろうか?
私の不安を察したのか、アイゼン団長が大まかな流れを教えてくれる。
「基本的には、大きな功を挙げた数人に多めに。残りは階級等を考慮しつつ分配するのが無難だろうね。それと、小さな仕事を数多くこなした者にも多少の色をつけると好印象かもしれない。記録官のメモを見ながら、取りこぼしが無いようにね」
「……一番、活躍した人をまずは……挙げたら、いいよ……?」
それなら今回の戦いは分かり易い。
私の気持ち的には部隊員全員に大金を渡したい想いだが、そういう訳にもいかないのが難しいところ。
「一番手柄はニールさんですね。今回は、彼が後詰めに居た敵の大将を討ち取ったので」
「意外な人物が功を上げたものだ。騎馬隊での奇襲だったね? スパイク様も彼には目を掛けていたようだし……このまま伸びるといいね」
「……ニール、頑張った……」
「大剣での一撃離脱の戦法が、騎兵の動きにぴったりでしたから。自信が付けばもっと化けるかもしれません。……私は今でも頼りにしていますが」
「……それ……ニールには、言わない方がいい……浮かれて、失敗しそう……」
「くくくっ、若いですなぁ。確かに彼は分かり易い、非常に」
「え? え? どういうことです?」
私が褒めたくらいでそんなに浮かれるかな?
しかしアイゼン団長は笑っているし、姫様ですらうっすらと微笑んでいる。
どこに笑う部分があったんだ……?
「悩むようなら、ゼノンさ――ゼノンに聞くと良い。彼なら、上に立つ者に関しても下につく兵達の気持ちも理解しているだろうから」
「あの……アイゼンさん。一つ窺っても宜しいですか?」
「む?」
そろそろゼノンさんについても聞かねばなるまい。
古参の人達が揃って推してくるのだから、きっと過去に何か大きな功を為した人物なんだろう。
怪しさ満点で、正直言って気になって気になって仕方がない。
アイゼン団長が私の言葉に片眉を跳ね上げた。
もしかしたらこの後、何を聞くのか予想がついているのかもしれない。
奇妙な緊張感が漂う中、私は質問の言葉をアイゼン団長に対して放った。「
「何だい? 副団長」
「――ゼノンさんって、一体何者なんですか?」
「……」
「?」
空白。
そして首を傾げる姫様。
薄い笑顔のまま固まったアイゼン団長。
……何だ、この間は。
「さあ、姫様! そろそろ公務の時間ですね私達はこれで失礼します行こうか副団長!」
「え? ええー……」
あからさまに何かを隠しているな!
むしろワザとなんじゃないかと思えるレベルなんだけれど。
「……カティ……後で、お菓子……」
「あ、はい! 何か持っていきます! お、押さないで下さいアイゼンさん! 分かりました、もう聞きませんから!」
姫様の呟きに返答しつつ、私とアイゼン団長は執務室を辞した。
それから数日が経過し、練兵場を間借りして赤の部隊への報酬授与を行う事になった。
団長の勧めに従って、記録を見つつゼノンさんに相談に乗ってもらい決めたのだが――皆、この分配で納得してくれるだろうか?
それと同時に、ある式典が行われる。
こちらは余り明るい顔で行えるものではなく……。
「ガルシアに奉じ、勇敢に戦った戦士達に――黙祷」
「……」
「……」
部隊の戦死者を悼んでの追悼式だ。
ブライアン、リッティー、マット、イオナ、ソニ……。
総勢五十一名の名前が読み上げられ、城内に鐘の音が響き渡る。
帝国の死者千に対しては異常に犠牲者が少ないが、かといって悲しみが薄れる訳ではなく……。
彼らの遺体は既に骨になり、それぞれの故郷へと運ばれていった。
式の最後に真っ白な鳩が放鳥され、死者との別れが終わる。
(お兄ちゃん……大丈夫?)
(大丈夫とは言えない……けど、出来るだけ早く戦いを終わらせよう。こんなの、何度もやるものじゃないよ)
(うん……頑張ろうね……)
(アカネも、無理しないで。泣きたい時には、我慢しなくていいんだよ)
(……ぐしゅ、う、うぅ……うあぁぁ……)
内側からはアカネの泣き声。
そして目の前では、亡くなった部隊員と親しかった者達のすすり泣く声が僅かに漏れ聞こえてくる。
私はただ真っ直ぐに、飛び去って行く鳩をいつまでも見つめていた。
「ほら、押すなー! 順番に並べ、こらそこ!」
「必要以上にお姉さまの手に触れたら刺しますよ? 受け取ったらさっさと移動してください!」
「ケチだなぁ、鷲の嬢ちゃん!」
「そうだそうだ。同性愛は非生産的だぞぉ」
「副団長はみんなの副団長だろ! ブクブクと太っちまったカミさんのせいで、荒れた目の保養にも最適! 最高!」
「お前、後で殴られんぞ」
「ガッハッハッハ! あれでも若い頃は美人だったんだぜ!」
「黙りなさい中年オヤジども! あ、そこなにちゃっかり手を握り締めているんですか! 離しなさい!」
騒がしい……非常に騒がしい……。
手ずから渡した方が印象が良いとの事で、私は順番に報奨金を部隊員に渡している訳なのだが……。
経験豊富な兵ほど切り替えが早いのか、練兵場内は先程の静かな空気が何だったのかというほどの喧騒に包まれている。
この様子なら、金を受け取ったその足で酒を飲みに行く兵も多そうだ。
「彼らが騒ぐのは――」
「え? 何です、ゼノンさん」
「彼らが騒ぐのは、それが戦時を生き抜く術だと心得ているからですよ。悼むことと落ち込むことは別なのです。切り替えが遅いと、引きずられて次に戦えなくなる事を知っているのですよ」
「……そういうものですか」
だから追悼式の後に論功行賞なのか……ちゃんと順番も考えられているんだな。
沢山の金貨が積まれた台の上から、それぞれに感謝を込めながら袋に入れられた報奨金を渡していく。
みんな、嬉しそうだな。
「ほっほっほ、ジジイの戯言です。忘れて下され。若い時分には、自らの頭で悩むのも大いに結構でしょうから」
「いえ、覚えておきます」
私が戦死者に対する心の折り合いがつけられていないのも、ゼノンさんにはお見通しもようだ。
少し恥ずかしいな……何時まで経っても、私は心に隙が多いみたいだ。
(でもお兄ちゃん、実はそんなに若くな――)
(しつこいよ、アカネ! 何歳でも知らない事は勉強なの!)
(はーい)
ようやく金貨の山が減って来た。
部隊長に少しだけ多い金貨を配り、私は最後に最も功を上げたニールさんを呼ぶ事にする。
ニールさん? あれ、ニールさん?
呼んだのに来ないな……と思っていたら、躓きながら部隊員達の間から転がる様に出て来た。
ニールさん!?
「「「ハハハハハッ!!」」」
「ちょ、大丈夫ですか!?」
「す、すみませんカティアさん! きき、緊張して!」
笑われちゃってるよ……嘲笑が混じってないのが救いだけど。
ゼノンさんと一緒に助け起こし、所定の位置に立たせて私は台の反対側へと戻る。
「ええと……こ、こほんっ! 今回の一番手柄ですね、ニールさん。本当にご苦労様です。見事な働きに、姫様からもお褒めの言葉を頂戴しました。皆、騎兵隊長ニール・ラザに拍手を!」
「ううぅうっす! ここ、光栄っす!」
(ニール君、カチコチ……)
部隊員の拍手の中、ニールさんが重たい金貨の袋を受け取る。
それと、王家から下賜された儀式用の短剣を渡した。
見ていて恐い。
両手が震えていて今にも落としそうだ。
「良くやったわよ、ニール!」
「いよっ、騎兵隊長!」
「しっかりしろよ、田舎貴族! 固いぞー!」
「誰よ、今ウチを馬鹿にしたのは!? 確かにド田舎だけど!」
「認めてんじゃねーか、姉ちゃん!」
フィーナさんの声を皮切りに、練兵場が再びの笑いと拍手に包まれる。
それを聞いてようやくニールさんが肩の力を抜いた。
兵達も袋を開いて自分の報酬を確認したりで、練兵場には弛緩した空気が漂っている。
……これで終わりかな?
では、締めの言葉を――
「そういえばカティア、作戦前に言ってた個人的なご褒美は? 活躍したニールに何かないにゃ?」
「は?」
言おうと思ったら、ミナーシャが余計な口を挟んできた。
え、何? そんなの何も考えて無いよ……?
そもそも、あれは冗談の類じゃなかったのか……?
「おお、本当に何かあるんですかい?」
「内容によっては、俺らも次はもっと気合が入りますぜ!」
「私も知りたいです! カティア様!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
私は助けを求めて周囲の顔を見回した。
皆が納得する個人的なご褒美って何だ!?
流れ的にこの場で何か、という感じなのがまた難しい……。
リクさん――駄目だ、ニコニコしていて特に何も思っていない!
カイさん――何で今、斧を研いでいるんですか! 助けて! ヘルプ!
クーさん――悔しそうに歯噛みしているが、貴女は私が何を渡すと思っているんですか?
フィーナさん――ニヤニヤして状況を楽しんでいる、論外!
ニールさん――目を白黒させて再度、固まってしまった。
ええい、こうなると分かっていたら高い酒でも用意してきたのに!
私は困り果て、部隊の相談役であるゼノンさんへと視線を向けた。
「ぜ、ゼノンさん……?」
「頬にキスでもなさったら良いのでは? 事前に何も用意していないのであれば、それで皆が納得――」
「は!? はぁぁぁぁ!? 駄目ですよ、お姉さま!」
頬にキス……?
こんな元男のキスが嫌でないのなら、別に構わないけど。
口なら勿論断るが、頬だもんな……あれ、私も少し混乱している?
別に変じゃない……よな?
「まあ、それくらいなら……」
「「「おおおおおっ!」」」
私の承諾に、男女問わずほとんどの部隊員達が歓声を上げた。
え、良いのこんなので? 本当に?
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!? この世に神は居ないっ! 神は居ないいぃぃっっ!! んがああああ!」
「うるせえぞ、クー」
「あんたはこんな時に何やってんのよ、カイィッ!」
「次は俺が一番手柄を取る。今からその為の準備だ」
「ふざけんな次は私が取るわその砥石貸しなさい!」
「自分のを使え」
クーさんの狂騒にさすがの部隊員達も引き気味だ。
見かねたフィーナさんがクーさんの肩を叩く。
「どうどう、クーちゃん。落ち着きなさいな」
「フィーナ先輩はこれで良いんですかぁ!? 貴女と姫様は同士だと思っていたのにぃっ!」
「頬くらいなら問題ないわよ。てか、同士って何よ。初めて聞いたんだけど?」
フィーナさんもああ言っているし……セーフだよね?
皆の注目がクーさんに向かっている間に、私は固まっているニールさんへと意を決して近付いた。
(ドキドキ……ドキドキ……)
(それ止めてアカネ。私まで緊張するから!)
ニールさんの傍に立つと、私に気が付いたのか肩をビクッと跳ねさせた。
……自分よりも動揺している人間が居ると、却って自分は落ち着いてくるよね。
今、私はそんな状態かもしれない。
「……あの、ニールさん。お嫌でなければ、それで構いませんか……?」
「めめめめ滅相も無い! かか、カティアさんこそ、ほ、本当にい、い、いいんすか?」
「前に……私の正体を打ち明けた時の事です。その時に、私を気持ち悪くないと言って下さったニールさんの言葉。それを私は、信じます――」
少しだけ脂がのった頬に、微かに唇で触れる。
それはほんの一瞬の出来事。
それでも、自分で思っていたよりもずっと複雑な感情が、胸の中へと溢れた。