冬山の行軍
マルタ砦から東に二十キロ。
出発から五日目の夕刻、山中の深い森で私達は息を潜めるようにして小休止を行っていた。
襲撃前の最後の食事を済ませ、後は見つからない様に夜を待つだけだ。
しかし敵兵に見つからない様に火を起こせない都合もあるが、乾いたパンと干し肉はどうにも味気ない……。
食べ過ぎると行動中に吐く可能性があるので、量はほどほどにしておく。
他の部隊員もどうやらそうらしく、皆、食事に掛ける時間は短めの様だ。
それを終えた後は小声で雑談や任務の最終確認を行っている。
そんな様子を横目に、私はシラヌイに運ばせていた武具を降ろしていく。
「ブルルルルッ」
「あ、ごめんね。冷たかったよね」
鎧の一部がぶつかり、嫌がって体を振るような動作をさせてしまった。
シラヌイも、冬毛が伸びて大分モコモコしてきたな。
もう十二月も近い。
辺りには足首程度までの雪が積もり、私達の行軍を遅らせる原因となっている。
今現在は雪こそ降っていないが、山の気温はそれこそ身を切るような寒さで、金属製になった私の鎧も当然のように冷たくなっている。
……今からこれを装備するのか……。
「特に楔帷子なんかは、この季節は最悪っすよねえ……」
「でも、夏は夏で蒸れるんですよね……鎧に快適さを求めるのは間違っているかもしれませんが」
食事が済んだのか、近付いてきたニールさんと共に愚痴を溢す。
彼の方は既に準備が整っているようだ。
着込んだ鎧の上に、防寒用のマントを羽織って低気温に対応している。
「ですがカティアさん、思い切って早く装備した方が良いと思うっすよ。新しい鎧に慣れていない分、着用に時間が掛かるでしょうし」
「そうなんですけどね……どうせ火の気もない事ですし……」
苦痛を先延ばしにするだけだからね。
あー、焚火にあたりたい……寒い。
何とかならんかな。
要は煙が上がったり光が漏れるから駄目なんだと思う。
熱だけ抽出……は不可能だが、火の性質を弄れば或いは……。
私はアカネにとあるアイディアを相談した。
少し考えた後、アカネはこう返して来る。
(出来るよ? えっと、火を出来るだけ小さくしてそれでいて強く?)
(そうそう。取り込む酸素を増やして、不純物が入り込まないようにするんだ。もし目立つようなら直ぐに止めてね? 大丈夫だとは思うけれど)
(うん。やってみよ)
念のためにしゃがみ込み、最小限のもので試してみる。
魔力を僅かに消費し、手の平の上に拳大の炎が現れた。
但し、この炎は……
(おお……ほとんど見えない。予想以上に上手くいった)
(へー。けむりもぜんぜん出てないね)
ほとんど見えない。
目を凝らしてようやく、僅かに青く見える程度の炎。
顔に近付けると、酸素を多量に消費しているのか少し息苦しいものの、しっかりと熱を感じる。
見えないので取り扱いには注意だが、これは……小さい割に熱量が大きい。
このままのサイズでも充分か。
はーっ、あったまる……。
「カティアさん、急に手を掲げたりしてどうしたんすか?」
「ああ、ニールさん、ええと……少しこちらに来てくれませんか」
「?」
説明するよりも近くで見て貰った方が早いだろう。
ついでに一緒に温まれるし。
ニールさんが近付いて止まる。
……私から一メートル前後の微妙な距離に。
「いやいや、もっと近くに」
「ええ!? もっとっすか? いいんすか?」
ニールさんは寒いのか、頬だけでなく耳まで真っ赤に染まっている。
しかも妙にそわそわと周囲を気にして見回し始めた。
……? 何も無いし、誰も近くに居ないと思うけど。
私は自分からニールさんに半歩近付くと、横並びになって手の平を互いに見える位置へと持ち上げた。
何故だかニールさんの顔に更に赤みが差したが、少しして驚いた表情を見せる。
「これ、もしかして手の上に火があるんすか? ほとんど見えないっすけど」
「はい。これで温まってました」
肩を寄せ合って暫しの間、見えない炎から熱を分けてもらう。
他の部隊員も、この火を使えば寒さを凌げるのでは? 火が得意な魔法使いも魔法士隊に居るだろうし。
そう思い、ニールさんに聞いてみると、
「無理っすよ。そんな繊細な魔法のコントロールが出来るのは、ルミア様とカティアさん……と、アカネちゃんだけっすよ」
否定の言葉が返ってきた。
駄目か……良い考えだと思ったんだけどな。
「残念です……では、このことは三人だけの秘密ということで」
「う、うっす! 自分も温まったっす! 色んな意味で!」
「色んな……?」
「あ、気にしないで下さいっす。ええと、ありがとうございました!」
「いえ……話は変わるんですが、ニールさん。ゼノンさんを探してきてくれませんか? 作戦前に、少量の飲酒を許可するので兵達に配って欲しいと」
「了解っす。体も温まるし、みんな喜ぶと思うっすよ」
戦において、酒の使い方は大事だと教えてくれたのはライオルさんだ。
特に冬場、米から作った物や赤ワインなどは体を温めるのに効果的である。
更には精神的な作用も期待できる。
頼みを引き受けてくれたニールさんが足早に去っていく。
(ニールくん、ずっと顔が真っ赤だったねー。風邪かなぁ?)
(さあ……それにしては普段通り元気だったけど)
……さて、冷えない内に鎧を着てしまおう。
手を握って火を消す。
実は納品された時に一度自室で試着しただけなので、新しい鎧を着るのはこれが二度目である。
ええと、確かここを通して……うん、足の部分は大丈夫。
踵を地面に打ち付けて外れないか確認……問題無し。
続けて腰当て、それから胸当てを装着し……装着し……あれぇ!?
(お姉ちゃん……太った?)
(嘘だっ!? だってあれから一月も経ってないんだよ!? ほら、腰はちゃんと入ったし毎日訓練もしてたんだから、そんなに太った訳が……)
しかし現実に、胸当てがキツイ。
微妙に入らない。
我慢できない程ではないけど……ううむ。
仕方がないので、少し締め付ける様に無理矢理装着する。
帰ったらサイズを微調整して貰おう……金具以外の部分が縮んだ可能性もあるし。
最後に肩部分と篭手を着け、これで防具は完成だ。
胸当てに関しては誤算だったけれど、新しい鎧はフルオーダーだけあって非常に良く体に馴染む。
軽さも皮よりは当然重いが、許容範囲内。
これなら違和感なく戦えそうだ。
最後に剣帯の位置を微調整していると、背後から誰かが近寄って来る気配がする。
「……」
「あ、カティア新しい鎧にゃ。前のはどうしたの?」
フィーナさんとミナーシャか。
ミナーシャは普段通りだけど、何故かフィーナさんがじっとこちらを見たまま動かない。
珍しく無言である。
どうしたんだろう?
「フィーナさん?」
「……」
「フィーナちゃん、どうしたにゃ? お腹でも壊したの?」
「……」
私の呼び掛けにもミナーシャの問いにも一切答えない。
ただ私の姿をじっと、じーっと穴が開くんじゃないかと思うほど見つめている。
「……やっぱ無理無理! カティアちゃん、ちょっと待ってて! そこに居て!」
「は? はぁ……」
何がしたいのか、フィーナさんはやがてニールさんと同じ方向へと走って行った。
残された私とミナーシャは顔を見合わせる。
「よく分かんないけど……まあいっか、フィーナちゃんだし。今に始まったことじゃないしにゃ。で、確認なんだけどさ、カティア。私達が先導する形で敵の砦に近付く……でいいんだよね?」
「そうですよ。上手く敵の警戒網の間を抜ける事が出来なければ、奇襲は成立しませんから。その為のルート選択はミナーシャ達の仕事です」
「責任重大にゃ……はぁ。話は戻るんだけどさ。その鎧、いつの間に新しくしたの? しかも特注でしょそれ」
「分かるんですか?」
話しつつ、ミナーシャが私の鎧をぺちぺちと触りまくる。
たちまちの内に、ほぼ新品の鎧の表面が指紋でベタベタになっていく。
いや、どうせこれから戦闘で汚れるんだけどさ……何かさ……。
「分かんない方がどうかしてるにゃ。これだけカティアのアレな体型にぴったりだし……うん、恰好いいよ。これぞ騎士! って感じで。前のも似合ってはいたケド」
「アレって何ですか、アレって。前のは騎士らしくありませんでした?」
「うーん、流しの剣士というか、傭兵っぽい装備だったよね。今のヤツはちゃんと上品な感じだし、発注した人はセンスあると思うよ」
この鎧は例の店員さんが発注してくれた物で、銀を基調に黒で意匠が施されている美しい鎧だ。
ランディーニを抜いた際にも、調和を取れる様に計算された外観をしているのだと思われる。
これで見た目だけでも副団長らしい威厳を出せればいいんだけど……。
(お兄ちゃん、何事も中身がともなってこそだってルーちゃんが言ってたよ)
(分かってるよ……指揮官としては、私はぺーぺーもいいところだからなぁ……)
基本は一通り座学で学んだが、果たして通用するのだろうか。
獣人国ではミディールさんが完璧なフォローをしてくれたからな……指揮官としての経験に数えていいものか微妙な所だ。
それにしてもミディールさん、今頃どうしているだろうか?
「あ、良かったまだ居た! カティアちゃん、少しでいいから動かないで!」
私が物思いに耽っていると、軽く息を切らせながらフィーナさんが慌てた様子で駆け戻って来た。
その手には、何処から調達したのか小さめの紙と筆記用のペンを握りしめている。
「フィーナちゃん、それどうしたにゃ?」
「戦場記録官から借りてきた!」
「えぇ……。無茶しますね」
しかし、その手があったか。
戦場記録官は戦場で各個が挙げた手柄や戦場の詳細な推移、そして結果などを書き記す特殊な従軍兵である。
その仕事内容から、間違いなく紙と筆記用具は持っているだろうけれど……。
「でもフィーナさん、行軍再開までもう五分と少ししかありませんよ? 間に合うんですか?」
「それだけあれば充分よ! 今! ここで! 描かないと! アタシの感動とか気持ちとかが! 風化しちゃうでしょうが!」
「わ、分かりました分かりました。ですからペンを突き付けないで下さい、顔に刺さる! それと、もう少し声量を抑えてですね……」
「あ、ごめんごめん」
フィーナさんのその勢いに、ミナーシャですら少し引き気味だ。
巻き込まれるのを避けてか「じゃ、じゃあ私達は先に出発するにゃ」と言い残してさっさと自分の部隊へと戻っていった。
アカネじゃないけどこう言いたい。
薄情なニャンコめ!
そしてフィーナさんは適当に地面に座り込むと、実にいい笑顔で紙にペンを走らせ始めた。
特にポーズなどは要求されていないが、その間、私は動けずに立ったままである。
また体が冷えてきた……フィーナさんは平気なんだろうか……。
「いいわねぇ、新しい鎧。益々、絵に映える姿になったじゃない。後でクーちゃんにも教えてあげないと」
「それは止めておいた方が……」
「そう? 喜ぶと思うんだけどな」
確かに喜ぶかもしれないが、絶対に大声でリアクションを取るし……これから隠密行動なのに。
いやしかし、もしこのままそうと知らずに戦闘中に私の姿を見つけたら……うーん、いくらクーさんでも戦闘中くらいは集中して……いや、でもなあ……。
不安だ……とても不安だ。
(よそ見しそうだよねえ、クーちゃん。お姉ちゃんのこと好き過ぎるし)
(うっ……アカネでもそう思うのか……でも、私の自意識過剰ってことも……)
(ナイナイ。ないよぉ。いこ? そのほうが安心でしょ?)
(まあ……そうだね……)
一方のフィーナさんは、目を見張る速さでラフどころかデッサンを完成させると、満足気な様子で自分の配置へと戻っていった。
クーさんに関しては私に任せてくれるそうだ。
それから少し考えた結果、行軍開始直前に急遽リクさん、カイさんにも声を掛けてクーさんの所に一度姿を見せておくことにした。
結果、歓喜の叫びをあげる寸前のクーさんの口を、両側から二人が塞ぐという期待通りの構図に落ち着いた。
さすが、付き合いが長いだけあって完璧なタイミング。
この二人を連れて来て良かったと心から思った。
どうして彼女にここまで好かれているのかは、私の中で未だに謎ではあるのだが。
……陽が沈み、私はシラヌイの手綱を引きながら配置についた。
そしてミナーシャを中心とした偵察隊を先頭に、私達は静かに冬山の行軍を再開した。