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剣聖の弟子  作者: 二階堂風都
第十章 四国会議
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幕間 ニールとミディール

 その日の早朝は霧がかかっていた。

 濃い霧に紛れるように三十程の人影が城から出てくる。

木製の跳ね橋を集団で通っているにも関わらず、ほとんど足音がしない。

 任務中の移動を妨げるのもどうかと思ったが、声を掛ける機会は今を置いて他にない。


「ミディ」

「……」


 呼ばれた彼は声を出さない。

 黙って片手を挙げると、後方の情報員達は自分達を追い越して霧の中へと消えていく。

 無視されなかったということは、多少は時間の猶予があるようだ。


「ニール。良くこの時間に出ると分かったな」

「偶然、目が覚めたっすよ。こういうのも虫の知らせっていうんすかね?」

「さあな。だが、出発前にお前の緊張感のない顔を見ておくのも悪くない」

「さらっと酷い!?」


 目の前に立つ男が帝国への潜入任務を言い渡された事は聞いていた。

 ただし詳しい出立の日時は教えてくれなかったので、今ここで会う事が出来たのは本当に偶然だ。

 商人風の格好をしているので、恐らく国境まではこの姿で行くのだろう。

 顔は素顔のままで、例の別人になりすます為のマスクは着けていない。


「カティアさんには、出立する事を伝えられたんすか?」

「昨夜の内にな。まさかあんな反応を返されるとは思わなかったが」


 肩を揺らして声を抑えるようにくつくつと笑う。

 こんなミディは初めて見る。

 一体どんな反応をされたんだろ?

 あの美貌の女性は大人しい性格の割に、まるでびっくり箱のように何をしでかすか分からない人だからなぁ……。

 まだミディは笑っているので、適当にそれらしいものを挙げてみる。


「ええと、心配された? それとも成果を期待してますとか励まされた? あ、まさかっすけど行かないでって泣かれたとか……」

「そういうその辺に転がっている女の様な手合いじゃないのは、お前だって知っているだろうが」


 言われてみれば。

 でも、それがどんな反応なのか予想できないからカティアさんなのであって。

 勿体つけられても自分は答えに辿り着けそうにない。


「……じゃあカティアさんは、どんな?」

「私が居ないと仕事が回らないから、早く帰ってこいだと。……笑えるだろう?」

「――それはまた……」


 まるで散歩にでも出掛ける人を送り出すような。

 人によっては逆上してもおかしくなさそうな言葉。

 多少はミディの意訳というか要約が入っているんだろうけど……。

 でも、それを嬉しそうに話すミディの顔は常にないほど穏やかだった。

 これから敵地に向かうことが信じられない程に。


「……これでも私には余裕が無かったんだ。それこそ先の事を考える余裕なんて」

「分かっているっすよ。前にミディが話してくれたことっすから」


 自ら望んで騎士学校に入れて貰ったミディだったが、悩んだ末に結局父親の跡を継ぐことに決めた。

 その時にダグザさんから送られた言葉が「有事の時こそ冷静に」というものだったそうだ。

 自分の目で見る限り、この友人はそれを実直に守ってきた。

 少なくとも表面上は。


「我々が上げる情報次第で、戦争の趨勢すうせいが決まりかねない。帝国への侵入経路、人員の配置、情報伝達手段……あらゆる状況を考え、悩みに悩んださ。それこそ自分が捕えれられた場合の自決方法までな」

「ミディ……」


 彼だって自分と同じ若輩者だ。

 任務を言い渡されてから今日まで、一日だってそれを考えない日は無かっただろう。

 どんなに平静に見えても、内心は穏やかではなかった筈だ。


「だがな……彼女の言葉に気付かされたよ」

「?」

「即位したばかりのリリ様の周りには、課題が山積している。税の見直しに始まり発言力を高めるための貴族への根回し、民から要望の声が多い教育環境の整備、他にも――」

「うへえ……聞いてるだけで嫌になるっすね」

「茶化すなよ。だがまあ……私には戻ってやるべきことが幾らでもある。無責任に死ぬことはただの逃避に過ぎん。父の跡を継ぐと決めた身として許されざる行為だ」


 今のミディの眼には力がある。

 カティアさんは見抜いていたのだろうか?

 ミディは責任感の塊のような男だ。

 帰ってからもすべきことがある――それを自覚することはミディの力になると思う。

 

 ……自分が友人としてやるべきこと、全部カティアさんに取られちゃったような気が……。

 だったら自分は、せめて普段通りに接するべきだろう。

 えーと……緊張を解せるような普通の会話……駄目だ、何も思いつかないっす……。


「おいニール。昨夜のカティア殿みたいな顔をするんじゃない。お前の変顔でカティア殿の記憶が塗り潰されそうだから止めてくれ」

「またさらっと酷い!? うん? でも、同じ様な顔をしたってことは……カティアさんも何を話すか悩んだんすね。お揃い……」

「妙な共感で悦に入るな。お前は乙女か。いい加減にしないと殴るぞ?」

「す、ストップストップ! 勘弁っすよ! あー……しかし意外っすね。女性に対して手が早いミディが、まだカティアさんには思いを伝えていないんすよね? その様子からして。てっきり、出立前に伝えていくものと思っていたんすけど」


 この件に関して内心で焦っていたのは秘密だ。

 顔の出来が良いミディは非常に女性に人気がある。

 騎士学校時代は何人かの女性と付き合っていた筈だ。

 どの娘も長くは続かなかったようだけど……。

 そんな彼が、これだけ長い期間一人の女性に入れ込むのを自分は初めて見た。


「フン、馬鹿め。今の彼女にそんな事をした所で良い結果を得られると思うか? 前世とやらを引きずっているのか知らないが、まだ女として生きていく心構えなど出来ていないだろう。いや、それ以前に――」

「何すか?」

「……何でもない。これはお前とお前のうるさい姉にでも期待しておくとしよう。御自身で気付かれるのが一番だが……残念ながら私の役目ではないだろうからな。カティア殿には、自分を大事にするようにとだけ伝えておいてくれ」

「はあ……構わないっすけど」


 カティアさん自身は、心の在り様については徐々に体に合わせて変わってきていると言っていたかな。

 確かにミディが言う様に微妙な状態かもしれない。

 でも、それ以前の問題とは一体何だろう?

 自分とフィー姉に期待って……どうせ聞いても教えてくれないんだろうな。

 昔っから、それこそ騎士学校の座学の課題とかも絶対に手伝ってくれなかったからなぁ。

 その頃のミディの口癖は「自分で考えろ」である。

 本当に男には優しくない……。


「それよりお前こそ良いのか? のんびりしていて。時間が経つほどに、どんどん彼女の競争率は上昇していくぞ。非公式の後援会などもある上、あれだけ姉にべったりだったカリル殿下も、近頃は文句も言わずに剣術指南を受けて――」

「何すかそれ!? どっちも初耳なんすけど!」

「そもそも彼女の出自の特殊性から考えて、同性に靡くという事も十分に可能性が――」

「のおおおおおおおおおおお!? まじっすか!? まじっすか!?」

「うるさいぞニール。だから言っただろうが、のんびりしていていいのかと。敵が多いことを忘れるな。まぁ……私が居ない間に精々頑張っておくことだな」


 言いながら、懐中時計を取り出して時間を確認する。

 ……もう時間か。

 別れの気配を漂わせ始めたミディに、自分は黙って手の平を見せた。

 静かな朝の王城前に力強い音が鳴り響く。


「……行ってこい!」

「ああ。行ってくる」


 淡い微笑を残して背の高い、しかし細身の背中が霧の中へと消えていく。

 また会えるという保証は何処にもない。

 霧で何も見えなくなると同時にじわじわと寂寥感が胸の内に広がっていく。

 それでも、自分はこうして戦いに向かう友人を送り出せた偶然に感謝した。

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