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剣聖の弟子  作者: 二階堂風都
第十章 四国会議
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別離

 夜会が終わり、ミディールさんに会う為にサロンへと向かう。

 今夜の姫様の夜間警護はキョウカさんの担当なので、一人で行動しても特に問題はない。

 まだ城内には帰っていない貴族や客人も多いが、ホールの近くに人が集中しているので、この区画は普段よりも静かなくらいだ。

 そんな人気の少ない廊下を進んで行くと――サロンの扉が勢いよく開かれた。


「……ッ!」

「?」


 中から目に涙を溜めた女性が現れ、私を睨みつけてから荒い足取りで去っていく。

 今、どうして睨まれたんだ……?

 考えていると記憶の端に彼女の姿と符合する情報がある。

 確か王都の近領トレヴァー、そこの領主の御令嬢だったような。

 数えるほどだが城内で見掛けたことがある。

 噂好きな獣耳のメイドさんによると、彼女はとある人物に会うために頻繁に城に来ているとかどうとか。

 そこまで思い出しても、私が彼女に睨まれる様な記憶はないのだが……。

 結構な美人さんなので顔を憶えてはいたが、話をしたこともないのに。


「駄目ですよミディールさん。余り女性を泣かせては」


 ただ、彼女が会っていたという人物が誰かというのは非情に分かり易い状況だったが。

 サロン内には一人、待ち人が立っているのみだった。

 他に人の気配はしない。

 私の言葉に特に動じた様子もなく、返答は直ぐに発せられた。


「好意を持っていない女性からしつこく言い寄られた場合は……いっそ、嫌われる覚悟で突き放すのも優しさだとは思いませんか? お互いのためにも」

「そういうものですか? 私にはそんな経験ありませんけど。一切ありませんでしたけど!」


 ミディールさんは黙って肩をすくめただけだ。

 うん、ただのひがみですけど? 主に前世の。

 さっきの御令嬢に平手打ちの一つでもされていれば、私の溜飲りゅういんも下がったのに……普段通りの綺麗な顔をしてるよ、全く。

 そして馬鹿な発言をしても突っ込みを入れてくれる人がこの場に居ないので、何だか余計に悲しい。

 はぁ……。


「……アカネさんは御一緒では?」

「アカネですか? 居ますけれど、もう眠りました。初めて見る夜会に、はしゃいでいたので普段よりも疲れたのだと思います」


 言いながら私は自分の体を指差した。

 尤も、夜会などという洒落しゃれたものが初めてなのは私も同様なのだが。

 アカネは深く寝入っていて、軽く呼びかけた程度では恐らく目覚めないと思われる。

 それを聞いて軽く頷いたミディールさんは私に背を向けると、何やら湯気の立つ液体をカップに注ぎ始めた。

 飲み物を用意しているということは、長い話になるのだろうか?

 それが終わると、ゆっくりと体をこちらに向けた。


「ドレスは着替えてしまったのですか」

「それはそうですよ。恥ずかしいですし、いつもの服の方が落ち着きます」


 今回着用したドレスは頂いていいとのことで、メイドさんが仕舞っておいてくれるそうだ。

 メイドさんの一人が私がドレスを脱いだ直後に物凄い速度で回収していった。

 どうも私にドレスの扱いを任せておくのが不安だったらしい。

 確かに正しい管理をする自信はないけどさ……普通の服と一緒では駄目なのかな?


「残念です。しかし、薄着でないのであればそちらでお話ししませんか?」


 示した方向にはバルコニーがある。

 ミディールさんらしくなく、今夜は中々本題に入らない。

 アカネの居場所を気にしたり場所替えを提案してきたり。

 何か話を先延ばしにするような……そんな気配さえ感じる。

 それでも特段拒む理由はないので、頷いて移動を始める。

 

 窓を開くと、秋の冷たい夜風が室内に入ってきた。

 確かにこれはドレスだと寒いだろうな。


「おー……」


 思わず感嘆の声が出たのは、夜空が余りにも綺麗だったから。

 冬が近付いて上空の気流が強いからか、今夜は一段と空気が澄んでいる。

 大小無数の輝きが暗い空を美しく飾り立てている。

 昼間は少し雨が降っていたのだが、綺麗に晴れたものだ。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 渡されたのはホットミルクだった。

 それに口を付けると、少し体が温まる。

 ほんのり甘く独特の香りがするので、蜂蜜を垂らしてあるようだ。

 これは美味しい。

 温度がやや高めだが、今の状況には丁度いい。

 取っ手を避けてカップの側面に触れると、手も同時に温められる。

 隣に立つミディールさんが口を開いたのは、カップの中身が空になる頃。

 たっぷり五分以上は経過してからのことだった。


「……私は明日から、数十名の部下を率いて帝国への潜入任務に就きます」

「――!」


 告げられた言葉に、思わず私は手に持ったカップを落としそうになる。

 言葉通りに受け取れば、開戦が秒読みの敵国へ探りを入れるという情報部としては当然な任務内容に思える。

 しかし、以前に私は帝国へ向かった情報員がどうなったか聞かされている。

 他でもない彼自身の口から、である。


「ここ最近、帝国へ向かった情報部の者は誰も帰ってこないと……」

「ええ、確かに言いました。現にその通りです」


 可能なら事前に諜報員を潜り込ませておくのが常道だろう。

 しかし、それは帝国側によって全て防がれてしまっている。

 強行偵察に限りなく近い今回の命令は最早、死にに行けと言われているのに等しい。

 余りの事態に、私は二の句が継げなかった。


「……」

「私の居ない間はヨハンという者が代理を務めます。人格に難はありますが、優秀な男です」

「……そう、ですか」


 どうにか絞り出せた言葉はそれだけだった。

 気の利いた台詞など何も頭に浮かんではくれない。

 ふと、彼の上司であり父親でもある人のことが気に掛かった。


「……ダグザさんは何と?」

「特には。立派に務めを果たせ――とだけ」


 死地に向かう息子に対して掛けた言葉がそれだけ……?

 戸惑いと怒りとで、頭の中が埋め尽くされそうになる。

 それではミディールさんが余りにも――いや、違う。

 ……違うな。

 冷たい夜風が、温まり過ぎた頭を瞬時に冷やしてくれた。

 

 表面的に受け取ってどうする。

 これは単に情報部長としての言葉だ。

 情報部の責任者として一人の部下に対して掛けた言葉に過ぎない。

 そしてそれは、息子を一人の情報部員として認めている証でもある。

 爺さまが一個の剣士として私を扱ってくれる時の言葉と少し似ている。


 ――何も心配しとらんから、思った通りにやれ。


 突き放すような、しかし信頼されているという確かな想いが伝わってくる言葉でもある。

 だからそれとは別に、父親として掛けた言葉も何かあった筈だ。

 なので「他に何か言われませんでしたか?」と、目で訴えてみる。

 こうして人を試すような真似をするのは、この人の悪癖だと思う。

 観念したように再びミディールさんが口を開く。


「……それから、老いた我が身を呪うと。お前に自分の代わりをさせて済まない――父はそう言いました」

「……」


 ダグザさんとミディールさんは、年の離れた親子だ。

 年齢で言うとダグザさんが確か六十前後、ミディールさんがニールさんと同じ十八。

 彼はダグザさんが四十を越えてからの子供だと聞いている。

 恐らく、もう現場の諜報員として働くことは体力的に難しいのだろう。

 本当は若い息子を行かせる位なら、自分が帝国へ向かいたい筈だ。

 ……さぞかし無念だろうな。

 今のダグザさんは、情報部の統率以外にはスパイクさんの補佐が主な仕事となっている。

 既に一線から退きつつある状態で、現在は徐々にミディールさんへと実権を譲りつつあったところなのだが……。

 そのミディールさんが危険な任務へ行かなければならないということは、


「やはり、現場の諜報員達の士気は……」

「ええ。上の者が率いて帝国へ乗り込まなければならないほどに、低下しています。逃亡者や亡命者こそまだ出ていませんが、何も手を打たなければ……時間の問題です」


 そういうことになる。

 しかし、それも仕方のない話だ。

 生還率がゼロの任務に対して、消耗品のように使われたのでは部下達は堪ったものではない。

 どれだけ情報部の人間達の忠誠心が高くても、いつかは心が折れてしまう。

 ここは上に立つ者が覚悟を示す必要がある。


「そういう事情でしたか……」


 事の成り行きは理解した。

 それで納得した訳ではないけれど、私がとやかく言えるようなことでもない。

 それよりも私は今、ミディールさんに何と言葉を掛ければ良いのだろう?

 明日から任務という事は、今夜はガルシアで過ごすことが出来る大事な時間の筈だ。

 そんな時間に、私は彼に呼ばれてここに居る。

 何を期待されているんだ? 一体何を話せば……?

 私は考えた。

 もし、自分が彼の立場だったらどうして欲しい?

 考えて、考えて、しかし……何も思い付かない。

 悩んでいる間にもミディールさんが話を続ける。


「……カティア殿、私はガルシアの将来を貴女に託します。もし私が――」

「嫌ですね」

「……!?」


 口をついて出たのは、衝動的な否定の言葉。

 彼の言葉の続きに不吉な気配を感じたというのもあるのだが……。

 珍しく動揺を露わにしたミディールさんに対して、私は勢いに任せて思いのままを告げることにした。


「姫様の補佐は、もうミディールさん抜きでは不可能です。放っておくと、カリル殿下の仕事がネズミ算式に増えて過労でお倒れになりますよ? 現状でも、騎士が本業の私とキョウカさんが事務作業を手伝っているのはおかしいのですから。だから……」

「……」


 こんな理由付けなんて本当はどうでもいい。

 私が伝えたいことは多分、一つだけ。


「必ず戻って来て下さい。約束ですよ?」


 悩んだ割には、出たのは他愛なく飾りのない凡庸な言葉。

 それでもこれはカイサ村を旅立つ時に、自分が言われて一番嬉しかった言葉でもある。

 必ず無事に帰ってこい、待っていると。

 自分で口にしてから気が付いたことではあるが。

 私の様子を黙って見ていたミディールさんだが、やがて肩を竦めて苦笑した。

 同時に張り詰めていた空気が緩む。


「――やれやれ。首尾よく城に帰ってきたとしても、大量の仕事が待っている訳ですか。休む暇がありませんね」

「そうですよ。逃げないで下さいね? 一緒に仕事に追われましょうよー」


 ミディールさんの強張っていた表情が幾分か柔らかくなった気がする。

 私のおどけたような口調にも薄い笑みを浮かべてくれた。

 その顔を見ていると、大した事を言えなくともこれで良かったのだと……そう思うことができた。


「フッ……まあ、貴女と一緒ならば仕事漬けの生活も悪くない。分かりました。戻ります――必ず」

「……はい」


 無茶な事を言っているのは分かっている。

 だが、それでも信じたい。

 彼が生きてこの城に戻る日が来ることを。


「……」

「……」

 

 そのまま二人、黙って星空を眺めた。

 元々ミディールさんと二人きりの時は互いに口数が少ない。

 基本的に今の私の周りには、話していた方が楽しい人の方が多い。

 ただし、相手が彼の場合は別だ。

 それを気まずいだとか嫌だとか思ったことは一度もない。

 

 ……今、耳に入ってくるのは虫の声と互いの息遣いだけだ。

 月に良く似た丸い星が、淡い光を王城へと降らせている。

 一言もなく、私達は静かな時間を共有した。

 

 次に静寂を破ったのは、私ではなく彼の方からだった。


「……さすがに冷え込んできましたね。カティア殿、今夜はつまらない話にお付き合い下さり感謝しています。……ありがとうございました」


 名残を惜しむように、しかし決然とした表情でそう告げてくる。

 それを聞いた私は今、どんな表情をしているのだろう?

 自分でも分からない。


「私はお礼を言われる様な事は何も。……おやすみなさい、ミディールさん。また明日」

「はい。また明日」


 特別な話をしたことが嘘のように、私達は普段通りの挨拶をして別れた。




 ――翌朝、ホットミルクのおかげか普段よりも少しだけ遅く私は起床した。

 そしてミディールさんの出発時刻を聞いていなかったのを思い出し、城内を探して歩いたのだが……その日を境に、彼の姿を見掛けることはなかった。

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