夜会の終わり
獣人国の使者達の様子を見ると、文官達がせっせと他の国の要人に繋ぎを取っている。
察するに、農業関係で援助を受けるための根回しだろうか。
ライオルさんとルイーズさんは、スパイクさんと何かを話し込んでいた。
式典等にはほとんど出ないカリル殿下も珍しく出席していて、その会話に参加している。
近付くと、あちらの方から声を掛けてくれた。
「よお、御三方。副団長様、出世した気分はどうだい?」
「止して下さいよ、ライオルさん……私も国王様って呼びますよ?」
「ははっ、すまんすまん。しっかし、お前のドレス姿は映えるなぁ。良い仕事したな、カリル」
「なっ、馬鹿、ライオルっ!」
「――あっ」
……お前の仕業か小僧!
口を滑らせたライオルさんに、カリル殿下が頭を抱える。
殿下の顔色は明らかに悪くなっているけど、許さん。
次の剣術の稽古では、予定の三倍は厳しくすると今決めた。
何か意趣返しをするような事を言っていたが、まさかこんな形とはね……。
「よ、呼び方といやぁ、リリ。何でお前は女王を名乗らねえんだ?」
「……みんなが……」
姫様が私を見る。
これは、面倒だから説明してくれって顔だな……無表情だけど。
「あー、ええとですね、戴冠直後はみんな女王陛下って呼んでいたんですよ。ですが、以前までの癖と相まって姫様のイメージがですね……」
「女王って感じでもないと?」
「そうです。特にキョウカさんが何度も――」
「カティアさんっ、どうして大先生に言ってしまうのですか! これでも矯正しようとはしたのですよ!?」
「まあ姫様でも、身分の高い女性に対して広く使う呼称なので間違ってはいないですしね。情報部だけは王としての威厳を持って頂く為、と言って頑張っていましたが……余りにも姫様姫様と呼ぶ者が多かったので、諦めたようです」
「お前等らしいわ、本当に。しっかしキョウカも何時まで経っても不器用だな」
ライオルさんが姫様の即位直後の状況を知らないのは、一度トバルに帰っていたからである。
そこから使者として招聘されてそのまま獣人国へ、といった具合だ。
なのでその時を最後に、ライオルさんはトバルの道場に顔を出せない立場になってしまったが……道場の人達、元気にしているだろうか?
ライオルさんが遠い立場の人になってしまって、気落ちしていないといいけど。
キョウカさんが妹のミズホさんと頻繁に連絡を取り合っているので、期を見て聞いてみようかな。
「リリが可憐過ぎる故、致し方ないのであるな! おー、よしよし」
「御爺様……ひげが……痛い……」
「お止めくださいスパイク様! 余計に威厳がどうとか言える次元では無くなっていますわ! ああ、周囲の目が!」
視線を戻すと、姫様を頬擦りするスパイクさんをキョウカさんが必死に押し留めていた。
普段の二人の様子を知っている者は仕方ないといった溜息を、良く知らない人々はギョッとした顔でそれを見た。
これは暫く姫様呼びは脱せそうにないな……本人に非はないが。
姫様に甘い顔をする保護者が傍に居る限り、女王としての印象が根付くことはないだろう。
「しかしライオルよ。そういうお主こそ、あまり王らしい恰好とは言えないではないか。その服、余り上質な生地を使っているようには見えんが」
「勘弁してくれよオヤジさん。獣人国は今、有り得んくらい貧乏なんだぜ? これでも精一杯だ。いらん見栄張っても仕様がねえ」
「服程度、ガルシアがお主個人に与えた金を使えば良いではないか。称号持ちとして与えた給金は、決して少なくない筈であるが」
スパイクさんの言葉通りライオルさんの服は決して見窄らしくはないものの、王という立場に見合った服とはいえなかった。
かなり近づかないと分からないので、他のゲストには問題なく見えているだろうが。
ルイーズさんが伏し目がちに言葉を挟む。
「ライオル様の個人資産は、全て我が国の建て直しに……申し訳ありません」
「何でお前が謝んだよ。全部、親父が作って兄貴が増やした負債だろうが」
「ひゃー、良くやるわねライオッサン。私財を投げ打ってまでって、普通はそこまでしないわよ。そんなに早く王様を辞めたいんだ?」
「カティアから聞いたのか? 焼け石に水だが、一応な。俺が帰る場所はガルシアって決めてるからな。そんだけだよ」
フィーナさんに対して答えたその言葉に、ルイーズさんだけが複雑そうな顔をした。
やはり彼女は、ライオルさんに国に残って欲しいのだろう。
どちらにしても、獣人国の国政が安定してからの話になるだろうが。
スパイクさんが己の禿頭をつるりと撫でて、白い歯を見せる。
「嬉しいことを言ってくれる。だがまあ、全ては帝国を何とかしなくては始まらぬ。頼むぞ、ライオル」
「ああ、分かってるよオヤジさん。奴らの魔法で作られた黒い霧、もう国境付近まで広がって来てるんだろ? 否が応にも、こちらから攻め込む必要性が出た訳だからな……」
「いずれにせよ、短期決戦に持ち込まなければならないね。あちらは眷属ならば誰でも精霊の汚染が可能、対してこちらで精霊を浄化できる人員は二人だけだ。獣人国の食料事情も厳しいから、どうしても長期戦は不利になる」
カリル殿下が、姫様と私を見つつそう締める。
獣人国・ホープの村の実例があるように、バアルの眷属が精霊を変化させると土や水が汚染されて作物が育たなくなる。
今のところ対処法は大精霊ないしアカネを介した浄化で、実質姫様と私しか行える者が居ない状態だ。
浄化能力は私よりも大精霊を従える姫様の方が高いらしいのだが、それでもとても全域を浄化して回ることは不可能で、攻め込んで元から断つしか方法が無い。
これには帝国で眷属化している人間の割合や眷属化する方法の解明など、情報部や魔法研究者の働きにかかっている部分も多い。
「あのさ、今夜は止めない? そういう話。どうせ明日の会議でもするんでしょう? だったらほら、暗い顔してないで今は飲め飲めー」
「おい、グラスを顔に押し付けんな。分かった、分かったっつーの。酒がこぼれるだろ」
「……」
場の空気を変えようと賑やかなフィーナさんを尻目に、ルイーズさんが何かを考え込むようにしている。
その様子が気になった私は、近付いて声を掛けた。
「どうかなさいましたか?」
「……獣人国の夜会と、今夜の夜会とを比べていました」
「獣人国の、ですか?」
グラスが空だったので、給仕のメイドさんにお願いしてルイーズさんに新しいものを届けてもらう。
お酒は適量ならば、人の心と口を軽くしてくれる……気がする。
「ありがとう、カティアさん。私が文官に任命されて直ぐに、一度だけ獣人国で行われた夜会……というより晩餐会ですか。それに出席したのですが……」
「はい」
苦い思いを一緒に飲み込んでしまうように、グラスを軽く呷ってから言葉が続く。
「それはもう酷いものでした。如何に己の武勇が優れているか、それを誇る為か戦いの話ばかりで。更には軍上層部での主導権争いに始まり、文官は文官で権力の座を巡っての牽制の応酬、婚姻の話が挙がったかと思えば大抵は政略結婚……とまあ、ただの身内との駆け引きの場でしたね。足の引っ張り合いです」
「……」
獣人国は、四国の中で最も帝国との戦闘回数が多い国だ。
自分達の側から仕掛けた戦いも多く、最も帝国を……人族を憎んでいるといっても間違いではない種族である。
それ故に武力偏重が進み、内政が疎かになって国内が荒れて行ったのだと思う。
「国民が飢えているというのに豪華な食事が並べられているのも、気分の良いものではありませんでしたね。私は体調不良を理由に退席した後、二度と出席しまいと心に誓ったものです」
獣人国が仕掛けた戦いは大敗こそ無かったものの、かと言って領土が広がった訳でも無いので戦費の負担は民衆への税という形で行っていたということになる。
四国同盟の原則として防衛にはどの国も援軍を出すが、侵攻の際は援軍を要請出来ないという取り決めがある。
今回の会議でこれは変更されるだろうが……それはともかく。
四国同盟成立後、帝国に侵攻して領土を広げるほど大勝した過去を持つ国はガルシアだけだ。
戦争で豊かになるケースは、失った以上に相手から奪うことが出来た時だけである。
ルイーズさんは深い溜め息を吐くと、苦い笑みを浮かべる。
「ガルシアは良い国ですね。豊かで、差別も無く……皆、心から夜会を楽しんでいるように見えます」
「……そうですね」
若干、羽目を外し過ぎている者も居るようだが。
社交ダンスに混ざって、ドワーフ国の使者達がどじょうすくいのような踊り(安来節だっけ?)を踊っているし……どの迷い人が踊りを伝えたのかは謎である。
身長差があってドワーフはドワーフ同士でないとペアで踊るのは難しいので、こうなるのも仕方がないのかもしれない。
しかしそれを迷惑がっている者はおらず、楽しそうに一緒に踊っている者すら居たりする……演奏されている音楽に合ってはいないのだが。
一方でエルフ国の者達は楽団に混じり、持ち込んだ楽器を演奏している。
こちらは見事に調和がとれている。
大精霊達は代理人格が歴史上の偉人という事で、話を聞きたがる者が多いようでこちらも人だかりが出来ている。
火の大精霊や水の大精霊にも会いたかったが、今夜の内は難しそうだ。
既にこれは夜会というよりは――
「もうほとんど宴会ですけれどね。料理も消費が早いですし……面倒な格式なんて、誰も気にしなくなっていますね。度を越さない限り、それを悪い事だとは思いませんが」
「そうね。カティアちゃん、アタシ前言撤回するわ。思ってたよりもお堅くないし、こんな夜会ならアタシ達も楽しめるわね! じゃ、行ってくる!」
急に会話に割り込んできたかと思うと、フィーナさんは「ヒャッハー!」と愉快な叫びを上げながら飛び込んでいく。
途中、踊りに誘ってくる男性を無視してドワーフの一団の方へ。
やっぱり、そっちに参加するんだ……。
「ふふっ。ライオル様が、ここを理想の国と思うのも理解できる気がします。本当に、羨ましい……」
「でも、獣人国だってこれから変わる筈です。ライオルさんとルイーズさんが中心となって、変えていくのでしょう?」
「……!」
何の根拠もない能天気で向こう見ずな言葉だと、自分でも思う。
ただ、この場でルイーズさんだけが何時までも暗い顔をしているのが気に入らなかった。
私の言葉に驚いていたルイーズさんは、ややあって眼鏡を持ち上げて姿勢を正した。
強気で知的な、いつもの彼女の姿が帰ってくる。
「そう、でしたね。これから変えていけば良い……。華やかな夜会に目が眩んで、忘れる所でした。ありがとう、カティアさん」
「いえ、お気になさらないで下さい。あ、そうだ」
もしかしたら、私はこの場の雰囲気に酔っているのかもしれない。
普段ならしないような、思い付いたことを即座に実行に移した。
私はスパイクさんや姫様と話し込むライオルさんの手を掴むと、
「お、おい、何だよ?」
ルイーズさんの近くまで引っ張っていき、二人の手を無理矢理繋がせた。
互いに、目を白黒させている。
「あの、カティアさん?」
「ほら、折角なので踊ってきて下さいよ。今後は御二人の連携が一番大事なんですから」
「お前、珍しく強引だな。……行くか? ルイーズ」
「ひゃい! い、いきましゅ」
ルイーズさんが噛んだ……。
噛んだからなのか、それとも相手がライオルさんだからなのか。
照れた様子のルイーズさんを、ライオルさんがエスコートして行く。
踊りが始まると、彼は普段の粗暴な様子からは考えられないほど紳士的に完璧に、ルイーズさんをリードしてみせた。
見事なダンスに若い女性達が羨望の眼差しを向けている。
忘れがちだがライオルさんは王族として教育を受けた身で、これくらい出来て当然なのかもしれない。
「ふむ……。カティアは、あの二人をくっつけたいのであるか?」
「――スパイク様。そうなったら良いな、とは思っていますよ。そうならなくとも、互いに支え合うような二人であって欲しいと」
「ほう、そうか。確かに支え合う関係は大事であるな。余にとってティムとダグザがそうであったように、王は一人では成り立たぬ」
姫様がのそのそとスパイクさんの後について来る。
あ、姫様もう疲れてきてるな……顔に出ないけれど、動作がスローになるので分かり易い。
私の前まで辿り着くと、ぽつりと一言。
「……私にとっては、カティとミディールがそう……」
「…………」
それを聞いたキョウカさんが、寂しそうに姫様を見ている。
……姫様を見ている。
……見てますよー、姫様。
何か言ってあげて。
「………………………………あと、キョウカも」
「はいっ!!」
ものすごーくついでのようにだが、姫様がキョウカさんの名を付け加える。
そんな扱いでもキョウカさんは嬉しそうだ。
せめてもう少し、優しくしてあげて欲しい。
「おらぁーっ! あんたも食べて飲んで喋ってばかりいないで踊りなさいよ! こっち来い!」
その時、少し遠くから聞き慣れた声が響いた。
会場内の視線が自然と集まる。
「フィーナちゃん!? い、嫌ニャ! 皆、私を守る壁に――ってあれ!? 何処に行ったニャ!?」
「あんたの体ばっか見てニヤニヤしてるような連中に、アタシを止める根性なんてある訳ないでしょ! ほら、行くわよ!」
「ニャー!?」
……ええと……。
まあ何だ、あれだ。
仲の良さって大事だよね、うん……。
私が自由に行動できる状況になったのは、それから二時間後のことだ。
「カティア嬢、この後の御予定は?」
「え、あの」
「宜しければ、私の屋敷でゆっくりと――」
「後日、乗馬でも――」
「チェスはお好きですか?」
「踏んで下さい! その靴で!」
「す、直ぐに姫様の元に戻らなければなりませんので……」
一人になった瞬間、ガルシア貴族の男性がひっきりなしに寄ってくる。
今夜の内に副団長まで昇進してしまったし、もしかしてその所為だろうか?
私に構っても、出世の足しにはならないと思うのだけれど……。
目的地である会場内のニールさんの元へ到達するまでに、そこから更に三十分も掛かってしまった。
距離は五十メートルも無かったのに……疲れる。
ニールさんは、会場内の後方にあるテーブルの近くに居た。
会場の隅の方で、ここは人が少な目だ。
「あ、カティアさん。お疲れ様っす。急に勲章授与なんて、大変でしたね」
「ニールさん、アカネと一緒に居て下さってありがとうございました」
「いえいえ」
「その、夜会を十分に楽しめなかったのでは……?」
事前に決めていた訳ではないのだが、流れでニールさんにアカネを任せきりになってしまった。
挨拶回りなんて、アカネは絶対に途中で飽きてしまうだろうから。
……夜会も終了が近付き、周囲では帰り始める者も出て来た。
「そんなことないっすよ。二人で会場の様子を見ながら、楽しくお喋りしてたっすから。料理もちゃんと頂きましたし」
「お姉ちゃん、私と一緒だと退屈ってしつれーじゃない?」
「ごめんごめん。そういう事じゃなくて、ほら……ニールさんだって、女の子を誘って踊ったりとかさ」
私の言葉に、ニールさんが心なしか傷付いたような顔をした。
何故だ。
「でもさっきまでね、初めて会う女の人達とお話ししてたんだよ。ドレス、似合ってるって言ってくれた!」
「そっか、良かったね」
「あとねー、お姉ちゃんに似てるから娘さんですか? って、何人かに聞かれたよ。違うよって言っておいたけど」
「……」
またかい。
中身はともかく十七だよこの体? アカネ位の子供がいたら、十歳前後で生んだことになるじゃないか。
妹さんですかって聞かない? 普通は。
そんなに老け――じゃない、大人びて見えるのかな……一体何がいけないのだろう。
「でね、わたしと一緒に居たからニール君はお父さんなんですか? って聞かれて、またいつもの変な顔になってた」
「ごめんなさい、ニールさん。とんだご迷惑を――」
「い、いやいやいやいや! 決してそんなことは! むしろうれし――」
「え?」
「な、何でもないであります! うっす!」
「何ですかその口調? ふふ」
「あ、あはははは……」
その後、ニールさんは酔い潰れたフィーナさんとフィーナさんに無理矢理酔い潰されたミナーシャの二人を回収しに向かった。
介抱を手伝おうかと聞いたが、念のため今夜は姫様の傍に居た方が良いと言ってくれたので、そうすることにした。
何時の間にか戻っていたクーさんも戻る途中で見つけたので、そちらは大丈夫だろう。
賑やかだった会場内も、徐々に喧騒が遠くなっていく――。