ドレスと懊悩
「わーお、化粧のノリが凄く良いわぁ。肌が綺麗で羨ましい……元が良いから薄化粧で十分ね」
「コルセットは要らないわよね。これだけ引き締まってたら」
「ねえねえ、髪はどうするの? 敢えて降ろしておく? それとも盛っちゃう?」
メイドさん達が姦しく喋りながら、私の周囲を忙しく動き回る。
抵抗が虚しいと直ぐに悟った私は、早くもされるがままだった。
メイクって、思っていたよりも手間と時間がかかるんだね……。
自分では絶対にやりたくない……。
「お姉ちゃんしっかりして! 目が死んでるよ!」
アカネ……私はもう駄目だ。
下着まで無理矢理に着替えさせられたし……メイドさん達の会話も理解不能だ。
ベースメイクって何さ? 化粧下地? 正直、ファンデーションくらいしか知らない……。
アイブロウ? チーク? 何それ? しかもどうしてそんなに種類が多いの?
それに、顔に何かが乗っているということに対しての違和感が半端じゃない。
化粧で皮膚呼吸が出来ない所為か、何か普通の呼吸まで苦しい気がする。
ちなみにフィーナさん達は――
「私達も着替えてくるね! 準備出来たら戻ってくるから!」
などと言い残し、私だけを残して居なくなってしまった。
姫様とキョウカさんは盛装済みなので、先に会場で待っているそうだ。
私の到着を待って姫様が最初の挨拶をし、夜会が始まるという段取りらしい。
私などを待たずに始めて欲しいと申し出たのだが、どうしても一緒に居ないと駄目だと聞き入れて貰えなかった。
何故なのか理由は教えてくれなかったが。
ともかく、会場の視線が集まる壇上に姫様と一緒に上がらないといけないということになる。
姫様の陰でひっそりと護衛をしていれば終わると思っていたのに、どうしてこうなったんだろう。
正直に言うと嫌だ……でも、姫様の方に注目が集まるだろうから気にし過ぎだろうか……?
私とキョウカさんは後方に控えているだけだろうし……。
「出来ましたよぉ、カティアさん。姿見の前に立ってみて下さぁい」
獣耳を楽しそうに動かしながら、メイドさんが私に促す。
他のメイドさんは「完璧な出来ね!」と言い合いながらハイタッチなどをしている。
私は憂鬱な気分で椅子から立ち上がった。
――浮かない顔をした赤毛の女が鏡に映っている。
見慣れた自分の顔だが、いつもよりもキリッとしていて凛々しい印象のような?
これは吊り目の顔を活かす方向のメイクだろうか? 知識がないので自信が無いが。
髪は結局、髪飾りを一つ着けただけでそのまま降ろすことにしたようだ。
丁寧にメイドさんが櫛を入れてくれた。
「……うーん」
しかし落ち着かない。
足元も肩も、背中もスースーする。
胸の谷間こそ出ていないが、膨らみの大きさがしっかり分かるデザインだし、第一太腿が見えすぎているよ……。
スカートの後ろ側だけ長くなっていて、前は結構ギリギリだ。
メイドさんによるとこれはフィッシュテールスカートという形状らしい。
例によって全く知らないし、聞いたことも無い……。
知識が無いから、どのくらいメイドさん達の腕が良いのかも不明だ。
ただ、分からないなりに気合を入れてメイクアップしてくれたことだけは伝わってきた。
慣れない踵の高い靴によろめきながら、振り返ってメイドさん達に礼を言おうと口を開いた時――コンコンと扉がノックされた。
やや慌てたような足音と、ノックの間隔。
「カティアさん、居らっしゃいますか!? ギタンさんがいつまで待たせるんだって爆発寸前っす! 貧乏揺すりで地震が起きそうですよ!」
「え!? はいっ、今直ぐに――あ、でも……」
心の準備が全く出来ていない。
この精神状態で行くのか? 本当に?
今どうにか平静なのは、この部屋にはアカネとメイドさん達しか居ないからだ。
ニールさんの言うギタンさんというのは、ドワーフの国の族長さんである。
彼とは会ったことはないがドワーフは種族の傾向的に短気でせっかち、更に酒好きが多いので余り待たせるのは良くない。
しかも、わざわざニールさんが呼びに来たということは私が原因になっている訳で……。
でも恥ずかしいし、若干恐い気すらしてきた。
もし笑われたりしたら、きっと立ち直れないだろう。
私が逡巡していると、メイドさんが背中を押す様に一言。
「心配でしたら、丁度いいので最初にニールさんに見て貰いましょうよぉ。異性に見て褒めて貰えば、きっと自信が付きますから」
「……本当ですか? 私、おかしくないですか?」
「私達のメイクの腕を疑うんですかぁ? 何だかとっても悲しいわぁ……」
「「「悲しいですぅ」」」
「くっ、そう言われると…………はぁ、分かりました。ニールさん! お手数ですが、扉を開けて入ってきて頂けますか?」
「? はい」
戸惑ったような少しの間があった後、扉が開く。
ニールさんは中に入って周囲をキョロキョロと見回した後、私に目を止めた。
すると瞬時に驚きに目が見開かれる。
まず、顔を見た後に視線が下に降り胸元、腰、太腿辺りまで見た後に視線が顔に戻ってくる。
元男としては、その視線の移動は仕方のないものだと知っている。
ただの本能みたいなものだから。
仕方がないと知っているが……しかし、だからといって羞恥の感情が軽減される訳ではない。
――は、恥ずかしい……。
まばたきを忘れるほど見入っていたのか、思い出したようにニールさんの瞼がパチパチと開閉する。
次いで、顔がポッと紅潮した。
そして右手の握りこぶしを天に掲げ
「ふおぉぉぉぉぉぉーっ!」
叫んだ。
どういう反応!?
喜んでいいの? それとも叫ぶほど私の恰好がおかしいの?
「ニールくんがこわれた……」
「歓喜の雄叫び……で、合ってるんでしょうかぁ? カティアさん。思っていた反応から随分と遠いんですけどぉ……」
「私に聞かれても……」
アカネもメイドさん達も、彼の唐突な反応に若干引いている。
ニールさんはそのポーズのまま固まって動かない。
どうしようこの状況……誰か助けて!
「何騒いでんのよ、ニール」
フィーナさんが来た!
クーさんとミナーシャも一緒で、三人ともきちんと盛装をしている。
先頭のフィーナさんは浅葱色のドレスで、普段は化粧っ気のない顔も今夜はばっちりと決まっている。
ううむ、確かに変わるものだな……普段と違う雰囲気に、少しドキドキする。
「カティアちゃん、着替え終わった? ――おぉう、似合う似合う! 完璧にイメージ通り! メイドさんズ、グッジョブ! やっぱり黒で正解よクーちゃん」
「えぇー、そうですか? リリ姫様と被りそうだから色に関しては譲りましたけれど……お姉さま、私にも姿を見せ――ふおぉぉぉぉぉぉーっ!」
「増えたニャ!?」
丁度着替えが終わったのか、三人がぞろぞろと戻ってくる。
クーさんは私と同色の黒いドレスだが、こちらは露出が少なく大きな羽を引き立たせるようなシンプルな装い。
翼も黒系なので、合わさるとまるで堕天使か何かのような風情だ……。
似合っているのは間違いないが、ニールさんと同じポーズで固まってしまった。
ミナーシャは髪色と合わせた桃色のドレスで、惜しげも無く大胆に肌を晒している。
私には信じられない感覚ではあるが、活動的な所作と噛み合っていて不思議といやらしさはない。
健康的な色気、とでも言えばいいのだろうか? 彼女は背が低い割にスタイルが良い。
「……うん、綺麗だよカティア。嫉妬心も湧かない位に。あれだけ動けてそこまで筋肉質じゃないって、詐欺だよねもはや」
「それ、褒めてます?」
私をじっと見た後に、ミナーシャが何か引っ掛かる言い方で褒めた。
フィーナさんがミナーシャの方を見て意外そうな顔をする。
「へえ、あんたって人を褒めないタイプかと思ったんだけど。特に同性は。自分が一番っていうか」
「分かってないニャア、フィーナちゃんは。立ってるステージの違いって言うの? 兵士だってランク分けされてるでしょ? 私はAランクで一番なら満足なの。最近はそう思う事にしたの」
「つまりカティアちゃんは別口ってこと? その理屈で言うならSランク? らしくない台詞ねぇ」
「あとは姫様もかニャ。フィーナちゃんは私と同じ土俵だから、安心するといいよ」
「うんうん……うん? 同じ土俵で自分が一番ってことは……アタシよりかは自分の方が可愛いって言いたいの? んん?」
「そうだよ?」
「ふーん、そう。即答するくらい自信があるんだ、へぇ……喧嘩売ってんのかこの腐れニャンコ! そんなだから同性の友達が出来ないのよ! ケーッ!」
「どうしてそれを!? あ、まさかカティアしゃべ――って待ってフィーナちゃん!」
いや、言ってないよ。
どんな娘なの? と聞かれたので、性格その他諸々に関しては正直に話したが。
だからその発言は完全にフィーナさんの「こいつ友達少なそうだな」という勘と鎌かけの産物であって、私の所為ではない。
ミナーシャが自爆して認めてしまっただけだ。
仕方ないね。
あ、フィーナさんのスリーパーホールドが決まった。
「……それよりも私、大丈夫なのでしょうか? こんな立派なドレス、服に着られているような気がしてならないのですが」
私の為にフィーナさんとクーさんが相談して用意してくれたドレスらしいから、嬉しくない訳ではない。
肌触りが非常に良いし、凄くサラサラしていて上質な生地だ。
なので尚更気になる。
高い物を着ていて似合っていないと痛々しいからな……。
「逆でしょ、それ。カティアちゃんに見合うだけのドレスを用意するために歩き回った、こっちの苦労も考えてよ。いい加減にしないとしばき倒すわよ? ニールを」
「えっ!? 何で自分なんすか!? ――あっ、カティアさん、自信を持って下さい。その……さ、最高に似合ってますよ! 目のやり場に困るっすけど……」
「……ありがとうございます、ニールさん。ニールさんのタキシードもお似合いですよ」
「そ、そうっすか?」
前時代的な貴族服もあるにはあるのだが、例によって迷い人の手で刷新されつつある。
上の世代ならまだ着ている男性も居そうだが、どうだろうか?
ともあれ二人共、貴族の一員だけあって盛装をしっかりと着こなしている。
この辺りは教育の差なのかな……私と違って服が馴染んでいるような感じがするのだ。
しかし、目のやり場に困りますか……。
私だって恥ずかしいのだが……ただ、似合ってはいるらしいので後は――
「そろそろ覚悟を決めないと駄目ですか……」
「バーンと見せつけなさいよ。スタイル良いんだから! もじもじしないで胸を張る!」
「は、はあ……」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
「何? アカネ」
「お姉ちゃんが不安みたいだから、わたしも着替える!」
「え?」
着替えるって一体? ――そう疑問を口にする前に、アカネの体が急に発光した。
着ていたワンピースの服を炎が燃やしていき、燃えた先から別の何かが現れてくる――。
炎が納まると、私とお揃いのドレスを着たアカネが両手を腰に当てて胸を張った。
そういえば、アカネの服はイメージ次第で自由に出来たんだっけ……ずっとワンピースだったので忘れていた。
「じゃん! どう、せくしぃ? お姉ちゃんとお揃いだよ!」
「かわいい」
「かわいいわねえ……」
「かわいいっす」
「うぅ、首が……あ、アカネちゃんもドレス? かわいいニャー」
「はぁ、はぁ、ここが天国ですか? 幸せ過ぎて昇天しそうです……嗚呼、ガルシアに来て良かった……うへへ……」
「クーちゃん、鼻血出てるニャ……」
二人一緒の恰好なら私の不安が和らぐだろう、というアカネの心遣い。
癒されるなぁ……うん、一晩くらいなら我慢しようかなって気になってきた。
着替えたアカネは大人っぽいデザインのドレスがミスマッチで、まるで背伸びをしている子供のようで微笑ましい。
「あのぉ、みなさん。和むのは結構なんですけど……お時間は宜しいんですかぁ?」