空隙
「ライオルさん!」
敵が阻む隙間から見慣れた巨体が覗く。
愛用の全身鎧を身に纏い、両拳を血に染めている。
一体どれだけ戦ったのだろうか?
鎧の表面は所々砕けそうになり、足は土と血で黒く汚れていた。
付近で戦う兵も健闘しているが、いずれも隠し切れない疲弊が滲んでいる。
見える距離に居るのに、その場所が遥か遠くに感じる。
「このっ!」
斬っても斬っても敵の数が減らない。
戦場は血みどろの混戦だ。
この段に至っては、もはや指揮は機能せず両軍とも王旗目掛けて殺到するのみである。
目前の敵を右のランディーニで斬り裂き、左手で敵の後方の部隊に炎弾を放つ。
マン・ゴーシュはボロボロで、既に腰の飾りとなっている。
「若ぁーっ!」
「!?」
カノープス将軍の焦りを感じさせる叫びが響いた。
敵を捌きつつ視線をライオルさんに向けると、敵将らしき者の前で膝を突いていた。
その敵将は驚くことに眷属化していなかった。
人の姿を保ったまま、刀のような薄い刀身の武器を持っている。
黒い霧が幾重にも纏わりつき、ライオルさんのオーラを容赦なく奪っていく。
剣を振りかざした敵将が何かを呟いている。
私は焦りと、彼を失うことへの恐怖から総毛立った。
刀がライオルさん目掛けて振り下ろされる刹那――
「させぬ!」
ショートソードによって刀が弾かれる。
危ういところを駆け付けた老将が防いだ。
そのまま敵将と数合打ち合うが、次第に息が上がり始める。
二人の体力差は歴然だった。
「む、凄まじい技の冴え。流石は不死身の名将……惜しむらくは、その老いか」
思いの外、明瞭な声が聞こえた。
頭の上で括った黒髪を揺らしながら、カノープス将軍に襲い掛かる。
「ラズロウ! 若をお連れして逃げろ!」
「逃がさん!」
男が力で将軍を押し返すと、回り込んでライオルさんに向かっていく。
だが、瞬きするほどの間、将軍のオーラが途切れたかと思うと敵の足が止まる。
「ぬ……! やるなっ!」
土魔法が敵将の足を覆っていた。
――くそ、私も助力に行かないと……!
纏わりついてくる眷属に攻撃を仕掛けるが、上手く距離を取られる。
迂闊に近寄ってこない。
「邪魔だっ、どけぇっ!」
威力を上乗せした魔法剣でどうにか強引に突破すると、私の足元にどさりと何かが降ってきた。
目に飛び込んできたのは剣を弾かれたカノープス将軍、その前に仁王立ちするラズロウ小隊長。
そして刀を振り抜いた体勢の敵将の姿。
小隊長の右肩から先には何もなく、足元を見ると
「――!!」
何と叫んだのか、何を叫んだのかは覚えていない。
気が付くと、私は敵将に斬りかかっていた。
耳障りな甲高い剣戟の音が響く。
「また横槍か……うん? お主、女か?」
「だったらどうした!」
魔法剣が相手のオーラを削り取っていく。
侍のような男は、いつ抜いたのか逆手に持った鉄製の鞘で私の剣を受け止めていた。
火を放つランディーニを見やり、眉をひそめた敵将が大きく距離を取る。
「女を斬る刀は持ち合わせておらぬ」
「!?」
そう言って私の斬撃で歪んだ鞘を投げ捨てると、刀を持ったままくるりと背を向けた。
悠然と去っていく男に、両軍の兵が呆気に取られる。
慌てた様子の眷属が男を止めようとするが――
「アーヴィン大佐! コンラッド卿の命に背くおつもりで!?」
「拙者の役目は将の首を一つでも取ること……ポルックスを討った時点でそれは果たされている」
「あ、お待ちを! 大佐!」
その姿が坂の下に進んで行き、遂には見えなくなる。
こちらを後一歩の所まで追い込んだ男は、何の未練もなくあっさりと去っていった。
「い、今の何だったニャ? カティア」
合流したミナーシャが呟く。
気が付くと混戦は終わり、私達が本隊と合流出来たことで山の上下に両軍が綺麗に分かれていた。
ライオルさんとカノープス将軍、ラズロウ小隊長はどうにか森の中に撤退出来たようだ。
「分からない……でも、この状況は良くない」
戦場に空隙が生まれる。
全員が注目していた混戦の中心で起きた出来事だ、それは必然だったのかもしれない。
だが、勢いに乗りかけていた獣人国側にとっては大きなマイナスだった。
闘志に燃えていた頭が冷えた上に、追い打ちをかけるように間が悪いことが起きる。
地鳴りのような足音が響く。
(敵の……増援……!?)
空と地上から、黒い影が差し向かいの集団に加わっていく。
敵の軍勢が増員された。
一度冷静になった獣人達は、誰もが減った自分達の数と相手の数とを比べた。
――比べてしまった。
「奴ら、まだこんな数が……」
誰が呟いたのか、恐怖と不安がさざ波の様に伝播していく。
「くそっ! くそぉっ……」
「ここまでか……」
敵は隊列を整え直しているのか、直ぐには攻めてこない。
或いは、敢えて見える距離で数の優位を見せつけているのか。
将軍も王もこの場には居ない……指揮権を預かる中隊長として何か言わなければ。
「諦めるな! 耐えれば王が、残った兵を再編して戻って――」
私は、最期までその言葉を言えずに飲み込んだ。
士気の低下が著しい。
一度止めた足は動かず、火の消えた心は燃え上がる様子を見せなかった。
兵達は互いの顔を見合わせる。
ライオルさんを知っている私は、彼が必ず戻ってくると確信している。
しかし、彼らにとってはただの即位して日が浅い王に過ぎない。
言葉に説得力が足りない……。
「どうしてみんな答えないニャ! 戦わなかったら……みんな死んじゃうんだよ!」
「そ、そうだ。諦めるのはまだ早いぞ!」
「一人辺りが二、三人倒せば良い話ですよ! 貴方達、それでも男ですかっ!」
ミナーシャ、リクさん、更にはクーさんがややヒステリックに叫ぶが効果は見られない。
私はボロボロになっている兵士達を見回す。
片目が潰れている兵だって居る。
肩を借りなければまともに立てない兵だって居るのだ……。
既に傷だらけの彼らに、もっと戦えなどと言う事は私には出来なかった。
目を閉じて一つ深い呼吸をする。
そして……
(……お兄ちゃん?)
「リクさん、カイさん。皆を後退させてください」
演技無しの、素の口調で告げた。
兵達が驚いたように私を見る。
「お嬢……? どうする気で?」
「私一人で時間を稼ぎます。範囲型の火魔法を連発するので、誰も近付けないように」
「一人で!? おじょー、死ぬ気ですか!?」
私はそれ以上答えなかった。
ただ、私は他の兵と違い無傷で、更には余力が残っている。
時間を稼げば、まだ何とかなるかもしれない。
しかし今の士気のままぶつかれば、こちら側が間違いなく負ける。
奇跡が起こる余地すらなく、確実に。
混戦の後に残る死体の間を、敵陣に向かって進んで行く。
「カティア! カティア、駄目だよ戻って!」
「お姉さま、私も一緒に――カイ、どうして止めるの? 離しなさい! 離してっ!」
背後の悲痛な叫びが遠ざかっていく。
もしかしたら、私の行動は安っぽいヒロイズムに過ぎないのかもしれない。
それでもまだ、諦めたくなかった。
少しでも可能性があるのなら……。
カノープス将軍が落として行った剣を拾い、急ごしらえの二刀流を作る。
大軍勢の前に一人で立つと、情けなく足が震えた。
(ごめん、アカネ……)
謝罪の言葉が零れる。
アカネが精霊化した時から薄々、分かっていたことだ。
それを裏付けるような感覚の共有、私から離れるとアカネに疲労感があるという事実。
これは、お互いが完全に独立した存在になっていないという証だ。
つまり私が死ねば、アカネも……。
(お兄ちゃん、謝らないで)
アカネが実体化する。
長い髪を靡かせながら宙に浮くと、目を合わせて私の両頬を優しく包み込んだ。
温かい……。
「わたしの命はお兄ちゃんが救ってくれた命。一緒に散るなら本望……ううん、違うね。わたしは、ただお兄ちゃんと離れたくないだけ……だから何があっても」
――最後まで、ずっと一緒だよ。
私と額を合わせて微笑むと、アカネの姿が輝いて消えていく。
体の奥から熱と力が湧き上がり、足の震えが止まる。
もう何度目か分からない感謝の言葉を繰り返す。
――ありがとう。
「さあ、行こうか……!」
借り物の剣とランディーニが闘志に応えて燃え盛り、火の粉が舞った。