伝令
砦に向かって雑談をしながらゆっくりと歩く。
人目を避けて奥に向かってしまったためか、思ったよりも砦から遠かった。
こんな場所で、カノープス将軍は良く私を見つけられたもんだ……。
「祝杯って言っても周囲の哨戒がまだ終わっていませんよね? 十分な安全が確保出来ないと許可が降りないと思うんですけど」
「いや、ただの口実でしょ? あの娘がカティアのことを好きなのは間違いないしニャ……」
(わたしもお兄ちゃん好きー)
(……うん、ありがとう。私もアカネのこと好きだよ)
アカネは既に私に憑依しているので、この場にもう姿は無い。
彼女の無邪気な好意は、くすぐったくも嬉しく思う。
しかし何と言うか、二人の好意の質には隔たりがあると思うんだ……。
「クーさんか……いまひとつ、どういう距離で接したら良いのか分からないんですよね。そもそも、どうして好かれているんです? 私」
「知らないよ……カティアに助けられた時に一目惚れでもしたんじゃにゃいの? ベヒーモスの洞窟でのこと、うっとりしながら語ってたし」
「そんな大したことはしてないんですけど」
「ベヒーモスを一人で足止めしておいて大したことないって、私を笑わせたいの? ――ん? この音……」
そんな他愛ない会話をしていると、ミナーシャの猫耳がピクピクと動いた。
私がどうしたのか尋ねる前に、人差し指を自分の口の前に当てる。
「しっ、何か聞こえるにゃ……うーん、空、かな?」
そう言い残すと、様子を見るべく機敏な動きで手近な木に駆け昇っていく。
おお、ミナーシャが珍しく猫らしい能力を発揮している。
そう思ったのも束の間、直ぐに慌てて木から降りて来る。
「か、カティア! 追われてる!」
「追われて? 誰が、誰にですか?」
「眷属に、鳥人が! どっちも黒っぽいけど、羽の形が違うから間違いないよ! 三対一になってる!」
私は一も二もなく駆けだした。
木立を抜け、頭上の視界が開けると確かに四つの影が空を飛んでいる。
先頭の追われている者は疲弊しているのか、ふらふらと蛇行して飛んでいるようだった。
黒い霧が纏わりついていて、オーラが制限されているのか速度が出ていない。
(危ない!)
アカネが叫び、眷属の繰り出した槍が逃走者の翼を掠める。
若干、双方の近過ぎる距離に不安があるがやるしかない。
(アカネ、半分任せる!)
(うん! やったるぜー!)
無数の矢が体の周りに浮かび上がる。
アカネとコントロールを分担した矢の群れは、左右に別れて飛んで行く。
「ぐあっ!?」
「がっ!?」
「しまった、深追いし過ぎたか! ――こうなれば、貴様だけでも!」
命中した火の矢は二人の眷属を穴だらけにしたものの、残る一人が捨て身の特攻を仕掛ける。
追撃の矢で狙うものの、加速した相手を追い切れずに中途で消失した。
アカネが操る矢は敵の体を掠めたものの、撃墜には至らない。
――くそっ、肝心なところで制御の甘さがっ!
眷属の剣が鳥獣人に迫る。
翼を持たない私には、その距離は余りにも遠過ぎた。
魔法の次弾も間に合わない!
しかし、そこで横合いから急上昇していく影が視界を掠める。
一瞬、幻覚かと思ったそれは――
「クーさん!?」
「はあっ!」
「!?」
大鎌が眷属の股間から頭頂部まで撫で斬りにした。
全く容赦がないことに加え、一撃で両断して見せたオーラの練り……。
こうしてじっくり見たのは初めてだが、クーさんの実力はかなりのもののようだ。
血飛沫を上げて縦に別れた遺体が地面に降って来る。
「はーっ、どうやら間に合ったみたいだにゃ……って、あぶなっ!」
「ミナーシャ! もしかして、クーさんを呼んできてくれたんですか?」
落下してきた遺体を避けながら現れたのはミナーシャだった。
姿が見えないと思ったら助けを呼んでくれていたらしい。
「えっへん! 良い判断だったでしょ?」
そう言うと、ミナーシャは背丈の割には豊満な胸を張って誇って見せた。
恐らく、空中戦で自分に出来ることが無いという考えから発した行動だろう。
あわや救援失敗かという段階だったので、私には今のミナーシャが女神か何かに見える。
クーさんが来なかったら鳥獣人の命も危なかった。
「うん、偉い! 最高! 愛してる!」
「あ、ちょっと、そんなに撫でると……うにゃぁー……」
(うんうん、良かったぁ。ミナーシャちゃん偉い!)
「何をしているんですか、お二人共! あああ、羨ましい……」
高ぶる感情のままにミナーシャを撫で回していると、クーさんが負傷した鳥獣人に手を貸しながら降りてきた。
鳥獣人は痩身の男性で全身黒ずくめの服装、黒髪、彫りが深い顔立ち……って、あれ?
つい最近見た顔じゃないか。
「ヤタさん……ですよね? 私を憶えていますか?」
「……魔法剣士……殿……」
反応があった。
間違いない、闘武会の準々決勝で戦ったヤタさんだ。
小さな裂傷があちこちに走り、血が流れ続けている。
「お知り合いですか? お姉さま」
「ガルシアの兵士です……でも、どうしてこんなところに」
「……伝令……緊急……」
それだけを告げると、懐から血の付いた封書を取り出して気を失った。
既にかなりの血を失っている様子で、このままでは危ない。
早く治療を施さなければ。
だが、伝令の内容も気になる。
こんな状態になってまで伝えるべきことって一体何なんだ?
「お二人共、ヤタさんを砦へお願いします」
僅かな思考の後、ヤタさんの搬送を二人に任せることにした。
見張りの兵士が先程の戦闘に気付いていれば、やがて他の兵も集まってくるだろう。
どうにかなる筈だ。
「え? カティアは?」
「私は将軍達の所に状況を知らせに行きます」
「はい、お姉さま。行きますよ、ミナーシャ先輩」
「え、あ、まっ――」
嫌な予感が高まっていく。
砦を奪還した直後にガルシアからの伝令……。
私は砦の指揮所を目指して駆け出した。
「……急いで出撃の準備を整えさせて下さい」
封書を開き、内容を確認したカノープス将軍が険しい顔で一言告げた。
同席しているカストル将軍が怪訝そうな面持ちを見せる。
後詰めの軍は山の手前に陣を張っているので、ライオルさんとポルックス将軍はこの場に居ない。
状況が落ち着き次第、砦の防衛に必要な兵以外は順次撤退を始める予定だったのだが……。
「どういうことです? ガルシアは何と?」
「ガルシアの国境に布陣していた帝国軍が、アリト砦に向かって転進。こちらに向かっていると……三日前のことだそうです」
将軍の言葉に、指揮所の空気が凍り付いた。