突入
砦の本体に至る関門は前回の戦いで破損している。
そこを通り抜けて前へ。
栗毛の馬は瓦礫を物ともせずに駆けて行く。
――うん、良い馬だ。
砦の塔の先端には帝国の旗……黒地に三角形の模様が描かれた国旗が立っている。
三角形は横の四つの線が入っており、種族の頂点に立つ人族を表しているらしい。
何とも傲慢な旗印だ。
私達は今からあの旗を引きずり降ろさなければならない。
砦が目の前に迫り、数十人のバアルの眷属達が姿を現す。
隙間窓から手を掲げ、何やら黒い霧を飛ばしている。
何だ、あれは?
念の為にオーラを多めに纏ってから軽く触れると、指先のオーラが削げ落ちた。
周囲の物には何の作用もないことから、どうやらオーラだけを削る魔法のようだ。
(あいつら、遠隔攻撃出来たのか。アカネ!)
(何でもいいから、同じくらいの魔法をぶつければ相殺できる筈だよ!)
黒魔法とでも呼ぶべきか、その霧は辺り一帯にゆっくりと広がっていく。
濃度は薄いものの、このままでは砦全体が霧に覆われそうだ。
眷属以外がこの中で戦うとオーラの消耗度が極端に跳ね上がることになる。
奴らにとっては、自分達には無害な毒をばら撒いているようなものだ。
(お兄ちゃん、集中して!)
アカネの言葉に馬上で魔力を練る。
密度が薄い以上、こちらも広範囲且つ低威力の魔法で十分……。
私は熱風を砦に向かって解き放った。
アカネの言葉通り、砦を包んでいた霧が熱風に晒されて消えていく。
そこで後方の兵達が追い付いてきた。
「おお、妙な霧が晴れて……っと、中隊長殿! 砦の跳ね橋は全損、通行は不可能であります!」
「ならば、手筈通り魔法士隊を前に!」
砦への跳ね橋は帝国軍によって壊されていた。
バアルの眷属は全員が飛べるため、これも当然の措置である。
だが、この程度はこちらの軍も予想済みだ。
指示に従って魔法士隊が土魔法を使い幅十五メートル、深さ五メートルの深い堀を埋めていく。
流石にオーラを全開にして跳躍しても、この距離ではリスクが余りにも高い。
もし届かずに堀に落ちたら袋の鼠である。
「敵を魔法士隊に近づけるな! 重装歩兵は壁になれ!」
ミディールさんが声の限りに叫ぶ。
堀を埋め始める様子を見たバアルの眷属達が高速で飛来し、重装兵が盾で弾く甲高い音が響いた。
後方の指揮は彼に任せ、私はクーさんを呼び寄せる。
馬を手近な兵に預けて指示を出す。
「飛べる者は私に着いてこい! クー、頼む!」
「はいっ!」
オーラを全開にしたクーさんが私を抱え込む。
鷲の獣人というだけあって、大きく優美な翼がはためいて二人分の体重を容易く浮き上がらせる。
独特の浮遊感が若干気持ち悪いが、今はそんなことを言っていられない。
砦に取り付いて、少しでも敵を攪乱する必要がある。
「シェアアアッ!」
「!」
奇声を挙げたバアルの眷属が短剣を持って襲い掛かってきた。
空中でまともに剣は振れないので、取る手段は一つだ。
私が何も言わずとも、既にアカネの集中力は高まっている。
「邪魔だ!」
(どいて!)
叫ぶが早いか、一瞬にして発動した魔法が眷属を業火に包む。
数秒で炭化したモノが堀に底へ落下していく。
堀を越えて最も低い位置にある張り出し陣に着地すると、敵の槍や剣が殺到してきた。
二剣で捌いて蹴りを放つ。
「そうだ、こっちだ! もっと来い!」
堀の内側に注目が集まるほどに、魔法士隊への攻撃が弛んで動き易くなる。
私が両腕を振るう度に血飛沫が舞う。
魔法剣も使い、赤い目立つ髪を振り乱し、時には大声を出して注意を惹く。
「貴様が指揮官か!」
「囲め、囲めぇ!」
一斉に十を超える眷属が私に向かって群がる。
周囲に獣人の影が無い事を確認し、動きを止めた。
捌き切れない人数ならば――
「何だ!?」
「っ!?」
チリチリと私の周囲に火花が散った後、音が消える。
目の前が真っ赤に染まり、砦の塔よりも尚高く、天に聳えるように火柱が昇る。
炎が収まった時、周囲に居た眷属達は影も残さずにこの世から焼失した。
「……な、馬鹿な……」
「獣人ごときが、こんな高度な魔法を使える訳が――ガッ!」
呆けた眷属をランディーニで貫くと、後ろから多数の足音がしてくる。
後方を見ると堀が階段状に持ち上がり、張り出し陣に接続されていた。
私の横を通り抜け、堀が埋まるまで待機していた歩兵隊が突撃していく。
砦外の敵は残り少数、後は中で防御を固めているようだ。
優勢に傾いた戦場を見て私は呼吸を整えた。
「おじょー、堀の埋め立て、全て完了です!」
「お嬢、カストル軍の先鋒、足止めを受けましたが間もなく到着します」
報告したのはリクさんとカイさんだ。
リクさんはガントレットを装着した腕に、カイさんは手に持った斧に血が付着していた。
どちらも返り血だろう。
更にクーさんが、一人の眷属を大鎌で空から撃ち落として降りて来る。
私に付いて飛んできた獣人十人ほどは、その半数が姿を消していた。
(……)
(お兄ちゃん、今は)
(分かってる)
眷属達の能力は、全種族の平均値を超えた位置にある。
丁度、人族を一回り強化した様な能力で、以前の帝国兵とは質が大きく違う。
だが今は、数に勝るこちらが優勢に戦闘を進めている。
第一中隊百五十人に対して出て来た敵は百程度……残りは砦内とカストル軍の足止めに兵力を割いたにしても、妙に少ないな。
しかし、現場指揮官として判断を迷っている訳にはいかない。
中隊の兵は消耗しているが、後続のカストル軍は直ぐに到着するようだ。
戦況が落ち着いたのを見て私は声を張った。
「これより砦内部に突入する! 負傷兵は下がってカストル軍と合流、動ける者は突入準備を! 第二中隊はどうなっている?」
第二中隊も到着が遅れているのか、未だに第一中隊しか砦に取り付いていない。
カストル軍が遅れた理由は聞いた通りだが、手筈通りなら第二中隊もとっくに合流出来ている時間なのだが……。
その時、ミディールさんが駆けて来るのが視界の端に入る。
入れ替わる様に二人ほどの兵が背を向けて林の中に入っていくのが見えたので、どうやら斥侯と連絡を取っていたようだ。
「迂回した敵兵がカノープス軍の後続を攻撃している模様です。砦を盾にせず、しかも戦力を分散とは妙ですが……どうしますか? ここはカストル軍に任せて撤退しますか? それとも――」
意図はどうあれ、帝国側の兵の機動力は驚嘆に値する。
二方面に足止めの兵をこの短時間に放つとは。
兵の全員が飛べるというのは恐ろしい事だ。
帝国にはもう、眷属にならなかった人族は残っていないのだろうか?
……思考が横道に逸れた。
合流か、突入か。
しかし、決断は一瞬だった。
狙いが何にせよ、砦を落とせば敵の戦意は大きく低下するだろう。
後方を襲っている敵も撤退するか、若しくは今よりもかなり倒し易くなる筈。
味方の被害を減らせるのはどちらの選択か。
「変更は無しだ。このまま内部に進む! 魔法士隊、水魔法準備!」
「はっ……水魔法、でありますか?」
「水魔法だ。私の攻撃に続け」
返事は聞かず、私は砦の壁に高温のランディーニを差し込んだ。
剣を伝った熱が砦の壁を急速に溶かす。
溶解した石壁が流れて来るが、足に触れないように剣を引き抜いて下がる。
黒煙を吐き出しながら、壁だったものが地面に流れていく。
「今だ、撃て!」
砦の再利用を考えると、これ以上の損壊は不必要だ。
手を挙げて魔法士隊の動きを促す。
「……! み、水魔法だ、放て!」
赤く光を放つ石壁に大量の水が浴びせられる。
蒸気が一面に広がり、それが収まると壁に大穴が出来上がっていた。
私は真っ先に穴を通って中へと侵入する。
「行くぞっ!」
「中隊長に続け! 進め!」
後方からミディールさんの声がする。
私は侵入に驚いた様子の眷属を一人見つけると、首を跳ね飛ばして砦の中を見回した。