竜の物語
私の体は──床に叩きつけられたりは、しなかった。
次にくる衝撃を想像してぎゅっと目を閉じたのだけれど、痛みはなくて、その代わりに体温の暖かさと硬い体の感触を感じた。
ぱちりと目を開くと、黒い軍服が見える。
私の下にはシュラウド様がいて、シュラウド様の下にはオルテアさんがいる。
そしてコルトアトルが少し遅れて、ぽんっと私の頭の上に降ってきた。
「シュラウド様!」
「無事か、アミティ」
「は、はい……っ、ごめんなさい、大丈夫ですか?」
「それは俺の台詞だ。大丈夫か、アミティ」
「はい、私は大丈夫です。でも、シュラウド様が……」
『どけ、馬鹿者』
オルテアさんが不機嫌そうにのっそり起きあがった。
シュラウド様は私を抱いて立ちあがり、乱れた髪を撫でてくださる。
「全く、オルテアがついていながらどういうことだ? アミティが怪我をするところだっただろう」
『お前がいなくても我がアミティを助けた』
「ともかく、君が無事でよかった。ずいぶん高いところまで登っていたのだな。君を探してここまで来てよかった。俺がここにきた時、ちょうど君が落ちそうになっていて、肝が冷えた」
シュラウド様にはオルテアさんの声が聞こえないのだけれど、いつも少し会話みたいになっている。
通じ合うものがあるのかもしれない。
「ごめんなさい、シュラウド様。私、梯子も満足に登れないなんて」
「気にする必要はない。いつでも俺が、君を助けるのだから。俺には、不思議な力がある」
「不思議な力?」
「あぁ。君の危機を察知する力だな。君がどこにいるのか離れていても分かるし、君が転びそうになっていたり、どこかから落ちそうになっていたらすぐに駆けつけることができる」
「ふふ……すごいです、シュラウド様。ありがとうございます」
「あぁ、すごいんだ、俺は。今日も君の危機に間に合っただろう、アミティ」
「はい……!」
私はシュラウド様の胸に、甘えるように自分の頬を寄せた。
シュラウド様は聡い方だ。
私が落ち込んでいるのにすぐに気づいて、励ますための言葉をごく自然にくださる。
「ごめんなさい、気をつけます。今度から高いところのものを取るときは、オルテアさんの背中に乗せてもらいます。そうすれば、落ちませんから」
『そうだ。最初からそう言え、アミティ』
オルテアさんは、ふん、というように大きな首をプイっと背けて言った。
なんだかちょっと拗ねている。
「オルテアさんも、助けようとしてくれてありがとうございます」
『当たり前だ。お前はコルトアトル様の愛し子だからな。……それだけではない。我はお前を気に入っている』
「ふふ……」
「アミティ、オルテアとあまり話すな。嫉妬をしてしまう」
「はい。気をつけますね」
コルトアトルが、私の頬に自分の頭を擦り付けてくる。心配した、と、言われている気がした。
私はコルトアトルの長い体をそっと撫でて、それから書架に視線を向ける。
「何か気になる本があったか? 俺が取ろう」
「ありがとうございます、シュラウド様。あの、金色の文字の、背表紙の本が読みたくて」
「あぁ、これか」
シュラウド様は私の代わりに梯子に登って、書架の上の段から本を抜き出してくれる。
手渡されたそれはやはり古めかしい本で、長い間誰も読んでいなかったのだろう、埃をかぶっていた。
「竜の神話?」
「シュラウド様、この本をご存じですか?」
「さぁ、知らないな。俺はあまり本は読まない。図書室にも滅多に足を運ばないぐらいだ。君は読書家で、偉いな」
「ずっと、自由に本を読むこともできませんでしたから、とても嬉しいんです」
私は本を持って、シュラウド様と共にテーブルに向かった。
テーブルには、読もうとして抜き出してきた本が積んである。
「食べられる野草、冬の楽しみ、パイの全て、辺境の騎士と、姫君?」
「あ、あぁ……っ、あの、恥ずかしいので、あまり見ないでください……」
積み上げられた本のタイトルを読むシュラウド様に、私は慌てた。
シュラウド様は辺境の騎士と姫君というタイトルが書かれた表紙を指先で辿って、笑みを浮かべる。
「君の騎士は、俺だけでは?」
「も、もちろんそうです……私の暁の騎士様が一番格好いいのですけれど、どんなお話か、気になって」
「では、読み終わったら感想を聞かせてくれ。もしこの本の中の辺境の騎士に君の心が奪われたら困るからな」
「は、はい……」
シュラウド様はそう言うと、本の表紙を撫でていた指先で私の唇を撫でる。
私は真っ赤になりながら頷いた。
「それで、君はコルトアトルについて調べていたのか?」
「はい。コルトは、お風呂に入れるのかが気になって」
「ふ……あはは……っ、もっと深い悩みがあるのかと思ったら、風呂、か。本当に君は、愛らしいな、アミティ」
「え、あ……っ、あの、変でしょうか」
「そんなことはない」
「コルトを、お風呂に入れてあげたいのですけれど、もしよくないことだったら困るなと、思って」
「なるほどな。それはかなり、切実な悩みだ。普段は本など読まないが、一緒に読んでみようか」
「でも、シュラウド様。お仕事は?」
「だいたい終わらせてきた。さほど、仕事もないんだ。今は少し、落ち着いている」
「そうなのですか?」
「あぁ」
シュラウド様は眼帯で覆われていない片目を細めると、私の頬と頭を撫でる。
それから、椅子に座ってご自分の膝を「こちらにおいで」と言って、軽く叩いた。




