ハイルロジアの図書室
シュラウド様と旅行の約束をしてから、私には悩みごとが一つ増えた。
その悩みを解決するために、私はコルトアトルを肩に乗っけて、オルテアさんを連れて図書室に来ている。
ハイルロジアの図書室はとても大きい。
シュラウド様は兵法書ぐらいしかお読みにならないようだけれど、初代ハイルロジア辺境伯の時代から収集された本が所狭しと書架には並んでいる。
昼間でも静かで、落ち着ける場所だ。
紙の匂いだろうか。微かに独特な匂いが広い図書室には漂っている。
高い天井まで伸びる書架の、上段から本をとるためだろう。
書架の前には、可動式の梯子が置かれている。
それがいくつも連なっているので、一体どれほどの冊数があるのか、眩暈がするぐらいだ。
「今日の晩酌、辺境野草全集……星の神話、水乞いの儀式、女性にモテる百五十の方法……百五十とは多いですね」
『何をぶつぶつ言っているのだ、アミティ』
「本の背表紙を読んでいます。これだけ多いので、探すのも一苦労です」
『何か探し物か』
「はい。うーん……辺境の騎士と姫君の愛……これは、後で読みたいですね……もちろん、お話の中に出てくる辺境の騎士様よりも、シュラウド様の方がずっとずっと格好いいと思いますけれど」
私は頬に両手を当てて、自分で言った言葉を恥ずかしがった。
ここには私とコルトアトルとオルテアさんしかいないので、大胆なことを言ってしまった。
誰にも聞かれてないわよね。もちろん、シュラウド様の方が格好いいというのは本当だけれど。
誰かに聞かれていたとしたら、少し居た堪れない。
「……思わず本音が出てしまいました」
『アミティ。最近浮かれていないか? 以前のお前はもう少し落ち着いていたような気がするが』
「それは、確かにそうかもしれません。……気をつけますね」
『いや、いいのだがな』
コルトアトルが、甘えたように私の顔に額を擦り付けてくる。
私はそのつるっとした小さな頭を指先でポンポンと撫でた。
「王国史は、長いでしょう? お恥ずかしい話なのですが、私、幼い頃に必要最低限の教育を受けたきりなのです」
『我にはそれが恥ずかしいことかどうかはわからん。教育とはなんだ』
「物事を、教えてもらうことです」
『ほう。森で狩りをしたり、野宿をしたり、生き抜く方法だな』
「少し違うかもしれません……」
『あの馬鹿者は、暇さえあればナイフを一本だけ持って森に入って行ったぞ。遠くから見ていたが、一週間近く帰らんのだ。ここにいる人間たちを困らせるのが趣味なのだな』
「シュラウド様、そんなことを……? 素敵です……」
シュラウド様はすごい方だわ。足も速いし、強いし、ナイフ一本で森で一週間生き抜くことができるのね。
「はじめて聞きました。後で、お尋ねしてみましょう」
『それは素敵なのか。さっぱりわからん』
「素敵です。オルテアさん、私が探しているのは、神獣に関する本なのですよ。王国史は長いですから、もしかしたらどこかにコルトについて書かれた本があるかもしれません」
『コルトアトル様について、何が知りたいのだ』
私はきょろきょろしながら居並ぶ書架の間を抜けて、図書室の奥へと向かう。
「コルトはお風呂に入れるかどうかが知りたいのです」
『風呂? あの、湯に浸かる、あれか』
「はい。シュラウド様とお約束をした旅行先には、大きなお風呂があるようなのです。せっかくならコルトも入れてあげたいのですが、私、神獣を育てるのははじめてなので、お風呂がいいか悪いかわからなくて」
『入らんだろう。我もあのようなものには入らん。体が汚れたりはしないからな』
「どうして汚れないのでしょう?」
『我はただの獣ではない。由緒正しき、聖獣であるからだ』
「お風呂は気持ちがいいですよ?」
『入らん』
オルテアさんは頑なだ。オルテアさんがお風呂を嫌うのだから、コルトアトルもお風呂を嫌うのかしら。
もしお湯に浸けて、体が溶け出してしまったりしたらどうしよう。
少しのお湯でも火傷をしてしまう、とか。
「もう少し、神獣について知ることができたらいいのですけれど……シュラウド様も、伝説ぐらいしか知らないとおっしゃいますし」
梯子に足をかける。上段にある本を見ようと思ったのだ。
梯子を登っていく私を、コルトアトルが心配そうに覗き込む。四枚の小さな羽がパタパタしている。可愛い。
『おい。危ないのではないか、アミティ』
「これぐらい、大丈夫です」
『お前は、なんとなくだが、とろそうな気がするのだが』
否定はできない。私は確かに、運動があまり得意ではない。
要領も、そんなにいい方ではない。だから公爵家では、一緒に働いていた侍女たちによく叱られた。
早く仕事を終わらせなさい、とか。
遅いのよ、役立たず、とか。
よく言われていた。
不意に脳裏をよぎる昔の苦しい記憶に、私は軽く頭を振った。
今はもう、終わったことだ。過去を思い出しても仕方ない。
わかっては、いるけれど。
「あ……」
かなり高いところまでのぼって、背表紙に金色で文字が書かれた本を取ろうとした。
角度が悪いせいで、背表紙をきちんと読むことができない。
古めかしいけれど立派な本だ。少し、気になる。
けれど余計なことを考えていたせいか、私の足はずるっと、梯子を踏み外したのだった。




