17 舞阪という場所
虹子は自宅に戻るなり、全力ダッシュで風呂場に行き、シャワーの蛇口を捻った。手を当てて「うわ、冷たッ」と反応してから、お湯になるのを確かめて、頭上から全開のシャワーを浴びる。これだけ走ったのは陸上部で先輩にしごかれた時以来だろうか。
着ていたシャツは汗でぐしょぐしょだった。風呂場で一気に脱ぎ捨てると、息を止めながら左の指先で摘んで、洗濯機に放り込む。着替えを風呂場に持って来ていなかったことを思い出した。
シャワーを浴びてからタオルを体に巻いて、まるで消防隊の訓練みたいな足取りで二階に駆け上がった。ちょうどリビングに出ていた陽子がびっくりして口を開けていたが、気にも留めず寝室に入ると、ハンドタオルを枕の上に敷いて、ベッドに寝っ転がった。
時計の針はすでに午後11時を回っていた。陽子は朝5時ごろ起きて、虹子の朝食とお弁当を作って、虹子を見送ってから郵便局の仕事に出かける。これ以上、寝ないで待たせる訳にも行かない。
まだ虹子の心は落ち着かなかったが「よしっ」と無理やり気持ちを奮い立たせる。そしてコンピュータゲームでラスボスの待つダンジョンの最奥に向かうような、勇敢な足取りで階段を降りる。
虹子「あの、あ母さん。聞いて欲しい話が」
陽子「静岡のチーム受けるのよね」
虹子「え、なんでそれを・・・」
陽子「ふふふ、母親をなめるんじゃないわよ」
種明かしは簡単だった。華のお母さんから電話が来たのだ。くっあのお喋り娘・・・それにしても、やっぱり陽子は”華ママ”とまだ繋がっていたのかと思って聞いたが「虹ちゃんがサッカー辞めてから、苗さんにはほとんど連絡していなかったの」と意外な言葉が。虹子は改めて申し訳ない気持ちになった。
陽子「だからさっき、何年かぶりに電話が来て、びっくりしちゃった」
虹子「あたしが外で走ってる間に来たんだ」
陽子「そう。固定電話って今じゃ、病院とか電話会社の営業ぐらいしか来ないでしょ」
虹子「そうだよね」
結論としては虹子の心配は杞憂だった。それどころか陽子は喜んで背中を押してくれた。
どんな時でも勉強はしておきなさいとは言われていたが、自分がやりたいことを犠牲にしてまで勉強しろと言われたことはなかった。虹子はひと安心すると、UNITYで華にメッセージを送った。
もう寝てるかと思ったら、すぐに既読になる。そして「明日、監督とマネージャーに相談してみるから。おやすみ」と返事とともに、可愛い子犬が丸くなって寝ているスタンプを貼り付けて来た。
虹子も柄にも無く、香月朋美にプレゼントされたアニメのスタンプから、おやすみを表すスタンプを選んで華に返した。
「そっか。もし静岡に行ったら、朋美とも簡単には会えなくなるのか」
東京シスターズのようなこともある。「ディーネ」に入れたら考えようと虹子は思い直し、ベッドに寝転がった。
「今日は長かったな・・・」
とりあえず凌駕に、華と無事に話ができたことを伝えたが、まだ華からの誘いや浜名ウンディーネのことは知らせなかった。
「会った時に面と向かって言おう」
凌駕を黙っていたいわけではない。ここまで親身になってくれた凌駕に直接伝えたかったのだ。それは虹子の決意表明でもあった。
「明後日、新宿中央公園か。行ったことないけど」
なんで飛鳥山でないのかはちゃんと聞いていないが、西東京に学校がある凌駕にとって都合が良いのだろう。考えても仕方がないので早く寝ることにした。
翌日、午前の授業が終わって教室で陽子の作ったお弁当を食べていると、華からUNITYで「練習参加OKだって」とメッセージが届いた。「ありがとう」と返信すると、すぐに追加のメッセージが来た。
華:うちの監督、虹子のこと知ってたよ。やっぱ全国ジュニアのスターは違いますな〜(ムンクの叫びのアイコン)
虹子:もはや地底に堕ちとるわ!
華:できたら今週末の土日で来ない?
虹子:早っ、もう何日もないじゃん!
華:公式戦の選手登録とかもあるし、善は急げでしょ。監督も2日間で集中して見たいって。
虹子:たぶん大丈夫。お母さんに確認して、夜にでも連絡するよ。
自宅に帰って、陽子が郵便局の勤めから帰るのを待って予定を伝える。すると陽子はすでにメモ書きしていた浜松のお土産リストを突き出して来た。優先順位の高いものには◎までしてある。
秋華堂の鰻パイはさすがに虹子も知っていたが、十穀屋の玉羊羹、治次郎のバウムクーヘン、まるとやの潮あげ、モンタニャのラスクetc。
虹子「そんな、全部は無理でしょ」
陽子「先に郵送してくれてもいいのよ♪」
虹子「お取り寄せと変わんないじゃん」
陽子「実の娘が選んで買うから意味があるんでしょ」
虹子「すでに決まってるじゃん商品」
陽子「あら、一本取られたわ。じゃあよろしく」
何がよろしくだ・・・と悪態をついてから、仕方なくUNITYで華に相談したら「それさ、虹ママに送るわ。一応、住所教えて」と返ってきた。
「それって、お土産じゃないだろ」
スマホの画面にツッコミを入れつつ、華のお言葉に甘えることにした。もう1つ気になることがあったので、頃合いを見て華に通話した。
華「虹ちゃん、おはよう」
虹子「もう夕方だよ」
華「おそよう」
虹子「ひととよう」
華「わっ、くっだらない」
虹子「言わせる展開にするな。ところで、お勧めのホテルある?練習場へのアクセスも分からないから」
華「何を水くさいこと言ってるの。うちに泊まるでしょ。金曜から来てもいいよ」
虹子「浜名湖の近くなんだよね」
華「そう、舞阪っていう駅からすぐ。静かなところだけど」
虹子「お、お世話になります」
通話が終了すると虹子はすぐタブレットを手に取り、MOOGLE MAPに「舞阪」と入力して、検索をかけてみる。ひょっとして舞阪って・・・虹子は心は踊らせながら画像を見る。舞阪駅から少し西側に見覚えのある漢字3文字が。
「弁天島だぁぁぁぁぁ〜!!」




