屋上・サバイバル・デッド13
「……言っている意味が分からないが?」
教頭は差し出した右手を下ろさないまま、引きつった笑みを貼りつけていた。
「最初に引っかかったのは、先生が僕らの能力をすんなり信じたことです」
「同年代の皆ですら、実際に能力を見るまでは半信半疑でした。でも先生は、異世界の話も、見ていない能力の存在も否定しなかった」
「それは、私の理解が早かったというだけの話じゃないかね。調理場では、君が食料を指輪へ収納するところも見ている。それだけの根拠があれば──」
「そこだけなら、そう思えました」
一歩、教頭へ近づく。
「先生はあの時、『コンロを渡しなさい』と言いましたよね」
教頭の喉仏が、引っかかるように上下した。
僕が取り出した魔道コンロは、三つ又に開いた金属部品のような外見をしている。
火をつけるところを見ていなければ、用途など分かるはずがない。
「僕は、先生にあれが何なのか説明していません」
「見た目だけでコンロだと分かる人間なんていないんです」
もう一歩、距離を詰める。
「異世界の魔道具を知っている人間以外には」
教頭の笑みが止まった。
差し出していた右手を、ゆっくりと引く。
「異世界の話を疑わなかったことは、違和感でしかありませんでした。でも、あれをコンロと呼んだことで確信しました」
「先生も、異世界へ行っていた」
「……」
「それなのに、先生は話さなかった」
教頭の目が、細くなる。
「知られたくなかったんですよね。自分が持ち帰った能力のことを」
しばらく沈黙したあと、教頭の顔から強張りが消えた。
口元だけが、ゆっくりと持ち上がる。
「なるほど。つまり君は、最初から私を敵だと思っていたわけか」
「敵だとは思っていませんでした」
教頭の眉が動く。
「ただ、警戒はしていました」
「やれやれ。とんだところに名探偵がいたものだな」
教頭は眉間へ指を当て、大げさにため息をついた。
「それで? 私が異世界帰りだと看破して、君はどうするつもりなのかね?」
声から、先ほどまでの温かみが消えている。
「別に、何かするつもりはありません」
目を伏せ、ひと呼吸置く。
「むしろ先生の話にも、一理あると思っています」
「……ほう?」
「僕の力だけでは、これから先も全員を守り続けるには足りません。生き残るために、使える力は使うべきです」
教頭の頬が僅かに緩む。
「無月より先生の方がこの状況を理解しているなら、僕は先生に協力します」
こちらから右手を差し出した。
「僕を導いてください」
「おやおや……」
教頭の目が細まり、頬の肉が持ち上がる。
「ようやく分かったかね。よかった、よかった。やはり若者は素直でなくてはいけない」
再び差し出された右手が、僕の掌へ近づく。
「君が力を担い、私が正しい方向を示す。これで屋上もようやく一つにまとまる」
教頭の指が、僕の手へ触れようとした瞬間。
「一激」
掌を返す。
差し出された右手首を掴み、外側へ捻り上げた。
同時に左手で教頭の口を塞ぐ。
骨が砕ける乾いた音が、掌の下で響いた。
「んぐぅっ……!」
押し殺された悲鳴とともに、教頭が畳へ崩れ落ちる。
「先生。人をはめるなら、上手くいった時ほど警戒した方がいいですよ」
教頭の顔が、痛みに歪む。
「騒がないでください。廊下のゾンビが戻ってきます」
ゆっくりと口から手を離す。
教頭は折れた手首を胸元へ引き寄せ、息を詰まらせた。
「き、貴様……こんなことをして、ただで済むとでも……!」
「思っていませんよ」
教頭と目線が合う高さまで腰を落とす。
「腕を折られても使わないなら、少なくとも好きな時に撃てる能力ではないみたいですね」
教頭の視線が、僕の両手へ落ちる。
「屋上でも最初無月に握手を求めていましたね。そして今も握手へ誘導した」
「手を握ることをトリガーに成立する。そういう能力ですか?」
教頭は答えなかった。
折れた右手を左腕で抱え込み、宿直室の出口へ一度だけ目を向ける。
「握手だけが条件だとしたら緩すぎますから、他にもいくつか条件がありそうですね」
一歩、近づく。
教頭が畳の上を後ずさる。
「本来なら安全な場所から動きたがらない先生が、僕に同行した理由も、だいたい分かりました」
「ち、違う……私は教師として、生徒を──」
「それなら、僕と手を組む必要はありませんよね」
教頭の背中が、保管庫の扉へぶつかった。
「な、何をするつもりだ……!」
「握手が条件なら、両手を使えなくしておけばいい」
ゆっくりと教頭に近づく。
「逃げられても困るので、片脚も折ります」
教頭は必死に逃れようとするが、もう下がれる場所はない。
「殺しはしませんから、安心してください」
「ひっ……!」
教頭が折れた右手を抱え、扉へ身体を押しつける。
「エゴはもう使わない! 屋上の管理もお前たちに任せる! だから──」
「信じられません」
もう一歩、距離を詰める。
「そ、それなら取引だ! 情報をやろう!」
足を止める。
「取引?」
「『人愛し』を知っているだろう? あの『正解』と並んで有名な」
「知りません」
「し、知らない!? 向こうでは有名な転移者だぞ! 何人もの転移者を殺し、あの──」
「手短にお願いします」
教頭の唇が震える。
「『人愛し』は、向こうで国一つを消した転移者だ」
「そうですか」
再び足を進める。
「ま、待て! 話はまだ終わっていない!」
「その人の情報と引き換えに、僕へ何を求めるんですか?」
「私に危害を加えないでくれ! それだけでいい!」
「内容を聞いても、先生を傷つけないとは約束しません」
「そ、そんなものは取引ではないだろう!?」
「そうですね」
更に教頭との距離を詰める。
「僕は、その情報がどうしても欲しいわけではありませんから」
「待ってくれ! 最後に一つだけだ! これだけは聞いてくれ!」
教頭が声を抑えながら叫ぶ。
最愛の話には興味がない。
ただ、教頭がまだ何かを隠しているなら、確認しておく価値はあった。
その場で立ち止まると、教頭の視線が左手首の腕時計へ落ちた。
また時間を見ている。
秒針が、十二の位置を跨いだ。
「授業はここまでだ!」
教頭の声と同時に、扉の向こうでけたたましいベルが鳴り響いた。




