屋上・サバイバル・デッド13
「……言っている意味がわからないが?」
教頭は手を差し出したまま固まり、引きつったような笑みを浮かべていた。
「最初に変だと思ったのは、先生が僕らの“能力”をすんなり信じた時です。同年代の皆ですら、実際に何度か見てようやく納得したのに──先生は異世界の話も、見ていない能力の存在も、なぜか否定しませんでした」
「……ふむ。それは私が“話が早くて理解ある教師”ってだけの話じゃないかね? それに君が調理場で食料を指輪にしまうところも見たし、信じるには充分な根拠が──」
「ええ、そこだけならそう思えたでしょう。でも──決定的だったのはその後です」
谷々は一歩、教頭に近づく。
「先生。あのとき、僕が持っていたものを“コンロ”だと断言しましたよね」
その瞬間、教頭の目がわずかに揺れた。
「──わかるはずがないんです。あのエンブレムみたいな外観を見て、“コンロ”と認識できる人間なんて、異世界の“魔導具”を知ってる人間以外にいない」
「……」
「現実のコンロとはかけ離れた形状なんですから。先生はあれを見たことがある。──異世界で」
教頭は沈黙したまま、左手の時計をちらりと確認した。
「となると──エゴを持ってる可能性が極めて高い。そして、先生がこれまでそれを黙っていた理由。これが最大の疑問でした」
「……黙っていたのは“見せる機会がなかった”だけ、という可能性もあると思うが?」
「違います。“話さなかった”んじゃない。“話せなかった”んです」
谷々の目が刺すように細まる。
「そのエゴが何か大きな問題を孕んでいるから──」
教頭の表情が微かに歪み、笑顔が硬直する。
「……なるほど。つまり君は、最初から私を敵と見ていたというわけか。やれやれ、とんだところに名探偵がいたものだな。……それで? 君はそれを看破してどうするつもりなのかな?」
教頭が不敵に笑う。
しかし、その額には一筋の汗が流れていた。
「先生次第です。ただ……」
谷々はゆっくりと目を伏せ、ひと呼吸おく。
「この状況で僕が生き残るには先生の言うように力が必要なことも事実です。異世界の能力を持っているとはいえ、僕の力はみんなのように強力じゃない。もっと命に直結する。それこそこの物資のように“従わざるを得ない力”が必要です」
小さな溜息を漏らし、谷々はそっと手を差し出した。
「……僕は生き延びるために合理的な選択をするだけです。だから先生の手を取ります」
その声音にはかすかな諦めと疲労の色が混じっていた。
支配と承認を欲しがる人間にとって──これはあまりにも甘美な屈服だった。
「ふふ……やっと分かったかね。いやいや、よかったよかった。やはり若者は素直でないとねぇ」
教頭はほくそ笑みながら、再びその手を差し出す。
視線が谷々の掌に向いた──その一瞬。
「《一激》」
次の瞬間、谷々の右手は稲妻のように軌道を変え教頭の手首を強く握る。
同時に、左手の掌底で教頭の肘を真上に跳ね上げる。
バキィッ!
乾いた音が響き、教頭の腕が無残に折れる。
「ふぎっ──!? ぅ゛、ぅああ!!」
地面に崩れ落ちる教頭の姿を谷々は淡々と見下ろす。
「先生。人をはめるなら“上手くいった”時こそ警戒しないとだめですよ」
その言葉はナイフのように冷ややかだった。
「叫び声をあげなかったのは褒めてあげます。大声出したらそのネクタイを喉に詰めて黙らせるつもりでしたから」
谷々は平然と言い放った。
「き、きっさまぁ! こんな……こんなことをしてただで済むとでも」
苦悶の表情を浮かべる教頭があらん限りの怒りを込めて谷々をにらみつける。
その表情には明確な殺意が見て取れた。
「思ってませんよ。しかし、ここまでされてもエゴを発動しないということはやはり戦闘系の能力じゃないですね。先生の性格、そして今まで隠していたことを思うと発動に一定の条件があるタイプのエゴです。おそらく……精神干渉系じゃないですか?」
腰を落とし、教頭と同じ目線の高さに合わせた谷々がその表情を観察するように言い放つ。対する教頭は悔しそうな目で谷々をにらみつけるだけだった。
「あたりですかね。発動のトリガーはさっきの不自然な握手ですか。その前の演説じみたお説教も条件のうちに含まれてそうですし、そうなると屋上という限られた空間の中で発動できなかったのも納得いきます。そして本来安全圏から動きたがらないであろう教頭が僕と一緒に来たことも」
目論見を看破され、怒りに燃えていた教頭の顔に徐々に焦りが見えてくる。
いかに谷々のエゴが他の帰還者ほどの力がないとしても、能力を看破された教頭はただの一般人でしかない。
その力の差は歴然としていた。
「それではまず物理的に力を使えないようにしましょうか」
淡々と告げた谷々が教頭に迫る。
「ま、待て……! わ、私のエゴはもう使わない! 屋上の管理もお前たちに任せる……! だからっ!」
教頭が必死に腕を押さえ膝をついて降参の意思を示す。
「信じません。だから折らせてもらいます。もう片方の腕と、足を1本。機能だけを奪います。……殺しません。安心してください」
谷々は、優しさと冷酷さを同じ声色で告げながら、一歩、また一歩と教頭ににじり寄る。
「ひっ……!」
教頭は後ずさり、保管庫の中へ逃げ込もうとする。
「それ以上動かないでください。──折るのが面倒になる」
「く、くそっ……そ、それなら取引だ! 情報をやろう!」
「取引?」
「“最愛”を知っているか? あの十全と並び称された……無差別殺人鬼だ!」
谷々の足が止まる。
「……知りません」
「な、なんで!? 有名な召喚者だろう!? 向こうの世界で現地人も召喚者も殺しまくった──!」
「知りませんし興味もありません」
谷々がじわりと笑う。
「一応聞いておきますが、その“最愛”とやらの情報を話したら何をしてほしいんですか?」
「わ、私に危害を加えないでくれ……! そ、それだけでいいんだ!」
「内容を聞いてから判断します」
「な、なんて交渉だ……! それじゃ取引にならないだろう!」
「別に、最愛の情報をどうしても知りたいわけじゃありませんから」
そう吐き捨てて谷々はふたたび歩を進める。
「ま、待ってくれ! 最後に一つだけ──これだけは聞いてくれ!」
教頭が慌てて叫ぶ。
谷々は黙って立ち止まった。
その視線の先、教頭の顔は見えなかった。
だが──谷々の目は、教頭の視線が“時計”に落ちているのを見逃さなかった。
(……また、時間を気にしてる?)
そして。
「──授業はここまでだ」
教頭の呟きと同時に、廊下にけたたましい《ベルの音》が響き渡った。




