屋上・サバイバル・デッド4
「「「あぁあゔああああああっ!」」」
一組の教室へ向け、小銭を一掴み投げ入れる。
硬貨が床を跳ね、机や椅子の脚へぶつかりながら教室の奥まで転がっていった。
廊下をふらついていたゾンビたちの首が、一斉に音の方へ跳ねる。
互いの肩をぶつけながら、開いた引き戸へ殺到した。
僕は教室の反対側に立ち、松風が扉脇で取っ手を握って待つ。
最後の一体が中へ飛び込んだ瞬間、松風へ目で合図を送った。
引き戸が勢いよく閉まる。
「閉めたぞ……!」
「そのまま押さえてて」
指輪から小瓶を取り出し、出入口の脇へ置いた。
「……なんだそれ? そんなもん持ってたか?」
「向こうで使っていた聖水。置いた周辺にゾンビが近寄りにくくなる」
教室の中で、机を押し退ける音がした。
複数の足音が扉へ近づいてくる。
松風の指へ力がこもった。
曇りガラスの向こうに、白く濁った顔が浮かぶ。
ゾンビが扉まであと一歩というところで、急に身体を仰け反らせた。
鼻先を焼かれたように首を振り、押し合う後続を掻き分けながら教室の奥へ離れていく。
ほかのゾンビたちも同じだった。
瓶の周囲だけを避けるように、扉から遠ざかっていく。
「……効いたね」
異世界の道具も、こちらで使えるらしい。
「えっ!? 最強じゃん、それ!」
松風が目を輝かせる。
「だったら、もうゾンビなんか怖くねえじゃん!」
声が大きくなりかけたので、口元へ人差し指を立てる。
「過信は禁物。近寄りにくくなるだけで、完全に防げるわけじゃないよ。僕たちを獲物として認識したら、あっさり踏み越えてくる」
「なんだよ……」
松風の肩が目に見えて落ちた。
感情がすぐ顔に出る。
そういうところは、ある意味で羨ましい。
「百円ショップの虫除けと同じだね。効くけど、頼りすぎたら死ぬ」
「例えが急に庶民的だな……」
「ただ、武器としては有効だよ。直接かければ、触れた部分が溶けるし、急所にあたればそれで倒せる」
「溶けるって……気持ち悪ぃな」
「爽やかな話ではないね」
「急所って、やっぱり頭か?」
松風が人差し指と中指で銃の形を作り、自分のこめかみへ当てる。
「大体はね。正確には、脳の中枢を壊せば止まる」
「へえ……なんか詳しくね?」
「向こうで、いろいろあったから」
聖水の小瓶をもう一つ虚空から取り出す。
松風の目が丸くなった。
「なんだそれ!? すげえじゃん、手品みてぇ!」
「聖水は、この指輪の中へ収納してある」
右手の人差し指にはまった銀色の指輪を見せる。
「いろいろな物を入れて、必要な時に取り出せる。いわばアイテムボックスだね」
「はぁー……ゲームっぽく言われると、そんなもんかと思っちまうな」
松風が少しだけ笑った。
「次へ行こうか」
壁沿いに移動し、二組の前まで進む。
物音で誘導。
松風が扉を閉める。
聖水で封鎖。
一つずつ、安全に通れる道を作っていく。
これは異世界で、墓守として生き延びるために覚えた処理作業だった。
ゾンビをすべて倒す必要はない。
動きを読み、遠ざけ、こちらへ来られない場所へ閉じ込める。
そうやって移動経路を確保する。
文字どおり、命懸けの清掃だった。
三組までを封鎖し、四組へ向かう。
松風はもう質問をしなかった。
僕が小銭を構えると引き戸の脇へ立ち、最後の一体が入るまで息を殺して待つ。
合図と同時に扉を閉めた。
聖水を置き、離れようとした瞬間。
ガタッ。
引き戸が内側から揺れた。
松風が反射的に取っ手を押さえる。
「お、おい……!」
ガタガタガタッ!
曇りガラスの向こうで、いくつもの影が重なった。
聖水の瓶が、扉の振動でかすかに震える。
僕はもう一本を手に取り、栓へ指を掛けた。
扉が開けば、最初の一体へ直接浴びせる。
松風は青ざめた顔で歯を食いしばり、それでも取っ手から手を離さなかった。
数秒。
引き戸が、もう一度だけ大きく鳴る。
やがて影が揺らぎ、教室の奥へ離れていった。
松風は扉を押さえたまま動かない。
「もう大丈夫だと思うよ」
「……本当だろうな?」
「たぶん」
「そこは言い切れよ……!」
吐息だけで抗議しながら、松風がようやく取っ手から手を離した。
掌には汗が滲んでいた。
五組。
六組。
同じ作業を繰り返し、廊下を歩いていたゾンビをすべて教室へ隔離する。
廊下の突き当たりには、右手に階段。
左手には職員室や食堂が並んでいる。
職員室前の奥には、まだ数体のゾンビが彷徨っていた。
どれもこちらへ背を向け、遠くの物音へ首を揺らしている。
今の数なら、無理に動かす方が危険だ。
松風へ職員室側を指差す。
彼は小さく頷き、後方を確認しながら僕についてきた。
壁際を伝い、ゆっくりと左へ進む。
開け放たれた扉の前で足を止め、中を覗いた。
食堂。
見える範囲に、ゾンビの姿はない。
先に僕が入り、松風が続く。
彼が扉へ手を掛けたので、その腕を止めた。
「ここの扉は、確か建付けが悪いんだ。開閉音がかなり響く」
「……よく覚えてんな」
松風が口元だけで口笛を吹く真似をする。
食堂の中は、思った以上に整っていた。
教室一つ分ほどの広さに、長机と椅子が規則正しく並んでいる。
床へ落ちた食器もなければ、血の跡もない。
騒動の波は、ここを通らなかったらしい。
ふわりと、中華スープの匂いが鼻をくすぐった。
鉄と腐った血の臭いに染まった廊下から足を踏み入れたことで、胃が静かに生を思い出す。
「……さすがに、少しお腹が空いたね。調理場も確認しよう」
「マジかよ。あれだけ血とかゾンビとか見てきて、食欲湧くのかよ……お前、本当に人間か?」
「多分そう。部分的にそう」
「アキネーターみたいに言うな」
松風へ職員室側の監視を任せ、調理場の扉へ近づく。
ドアノブを握り、音を立てないようゆっくりと引いた。
中を覗いた、その瞬間。
「ひぃぃっ!」
両手に包丁を握った男性が、調理場の奥から突進してきた。
目を固く閉じ、左右の包丁を滅茶苦茶に振り回している。
僕は扉を全開にし、その軌道から半歩外れた。
「一激」
振り回される包丁の間へ踏み込み、軸足を払う。
「ぐえ」
男性の身体が浮いた。
襟首を掴んで向きを変え、包丁を持った両腕から床へ落とす。
二本の包丁が甲高い音を立てて滑っていった。
松風がすぐに片方を蹴り飛ばし、もう片方を拾い上げる。
男性は勢いのまま顔面から床へ落ちた。
「ぁん」
聞きたくない声が、調理場に小さく響いた。
「なんだ、こいつ!?」
松風が囁き声で叫ぶ。
「さあ?」
床に転がった男性は、顔を両手で覆いながら小さく呻いていた。
叫び出すようなら、そのネクタイを口へ詰めようと思ったが、必要はなさそうだ。
ネクタイ。
ワイシャツ。
学校の職員だろうか。
指の隙間から、歪んだ銀縁眼鏡が覗いている。
汗に濡れた広い額。
脂ぎった短い髪。
見覚えがあった。
同時に松風も気づいたらしく、包丁を持ったままこちらへ顔を向ける。
「依代……こいつ、教頭じゃね?」




