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学校・リビングデッド2

「先生! 沢田石を診てください!!」


もうすぐ二時間目が終わるという頃。


壁に掛けられた時計を見上げた時だった。


引き戸が勢いよく開き、数人の生徒と教師がなだれ込んでくる。


叫んだ男子生徒の背中には、ぐったりとした別の男子生徒が背負われていた。


「落ち着いて! その子を床へ下ろして。仰向けに!」


「っ、はい!」


男子生徒が背負ってきた生徒の身体を床へ寝かせる。


隣で腰山先生が事情をまくし立てる横で、後から入ってきた教頭が付き添いで来た女生徒へ詰め寄っていた。


「どういうことなんだね!? 何があった!?」


「教頭今は下がってください! 沢田石君!? 聞こえる!?」


生徒の耳元で大声で呼びかけるが反応はなく、息をしていない上に脈を確認できない。


「AEDを! 救急への連絡は!?」


「職員室からもう入れてますぅ!」


「小玉先生、AEDです!」


駆け込んできた生徒から受け取り、電極パッドを胸へ貼る。


機械の音声が解析を始め、数秒後に電気ショックは不要だと短く告げられる。


私は沢田石君の胸へ両手を重ね、圧迫を始めた。


「ど、どうですかぁ!? 小玉先生ぇ!」


「呼吸も脈もありません! 腰山先生交代をお願いします!」


「は、はいぃ!」


腰山先生と処置を交代しながら、救急隊が到着するまで胸骨圧迫を続けた。


ほどなくして駆けつけた救急隊へ処置を引き継いだが、沢田石君の心拍が戻ることはなかった。


やがて蘇生中止が告げられ、事件の可能性も考慮し、警察が到着するまで遺体は保健室に置かれることになった。


腰山先生は頭を抱え、沢田石君を運んできた男子生徒は壁際で呆然と立ち尽くしている。


女生徒は、その場にしゃがみ込んで泣いていた。


……同級生が目の前で倒れ、二度と動かなくなったのだ。


無理もない。


「大変なことになった……」


腰山先生が何度も額を拭う。


「校長先生に報告してきますぅ。教頭すぐ職員会議を──」


「え、えぇ。分かっています」


「二人とも、つらいと思うけど今は教室へ戻った方がいいわ。これからどうするか、先生たちで相談するから……みんなには教室で自習しているように伝えてくれる?」


泣き崩れた女生徒を支えゆっくりと立たせると、二人は震える足取りのまま保健室を後にした。


ベッドに移された沢田石君にそっと布団を掛ける。


「……遺体に布団など不要では?」


背後から教頭の声がした。


「……ずっと冷たい床にいたので、これくらいは」


それだけ応え、布団の端を整えると教頭へ向き直る。


「ふむ、ところで小玉先生、死因に心当たりは?」


「分かりません。少なくとも外傷は見当たりませんでした。全校生徒のアレルギーも把握していますが、命に関わるものはなかったはずですし、まだ昼食前ですから」


「持病は?」


「学校へ届けられている範囲ではありません」


「ふむ……であれば、どうやら本校の管理責任問題ではないですね」


私は布団の端をぎゅっと握った。


「っ! 今それを確認する必要がありますか!?」


「今だからこそです!!」


教頭の声がわずかに低くなる。


「こんなセンセーショナルな出来事が公になれば、事実とは無関係に憶測が広がります! いじめ、オカルト、教職員の不祥事……原因が分からないからこそ、世間は好き勝手に物語を作るでしょう!」


「だ、だからといって生徒が亡くなったばかりなのに責任の話なんて──」


「亡くなったばかりだからです!」


教頭が両手を広げた。


「警察の事情聴取や会議が始まれば誰もが考えているくせに、口にすれば嫌な人間だと思われる話をする時間はなくなる。打ち合わせもないまま、その時になって矢面へ立たされるのは誰ですか?」


「形だけとはいえ、保健室で生徒が亡くなったんです。私や校長だけでなく、校内の保健担当者である先生もメディアという好奇の目線の前で説明は必要になりますよ。」


「そんな……私は、倒れてから診ただけで……」


「言ったでしょう先生。世間が見るのは事実ではなく、面白そうな物語です。世の中、根拠のないうわさ話を信じる馬鹿というのは非常に多いんですよ」


脳裏によぎったのは、名前も顔も知らない誰かから向けられる好奇の目線。


スマホに映るSNSの中だけで繰り広げられていた誹謗中傷の言葉が、今目のまえに突きつけられているかのようだった。


「加えて……先生は見目もよろしい。メディアにとっては格好の標的でしょうね」


レンズ越しの視線が一瞬だけ私の胸元へ落ち、反射的に白衣の襟を押さえた。


「そうなった時、私以外の同僚たちは守ってくれますか? ……ご家族は信じてくれるかもしれませんね。ですが、そのご家族まで好奇の目に晒されたら小玉先生はどうするんですか?」


否定しなければならない。

そう思っているのに考えがまとまらなかった。


「それは……そうかもしれませんが……」


自分の口から出た言葉が遠く聞こえ、教頭の口元がわずかに緩む。


「自分の身を守ることの何がいけないのでしょう。人としてこうあるべきだというのは余裕のある時にしか語れない理想論です」


教頭が一歩距離を詰める。


「私は教頭という立場上、今後の学校方針や対外的な発表にも関われます。先生が望むなら不要な憶測が先生へ向かわないよう働きかけることもできる」


言葉が滑り込んでくる。

不快なはずなのに、正しいようにも聞こえた。


「無用な憶測への対応に追われれば原因究明に割くべき時間まで失われます。それを防ぐことが、結果としてこの生徒や他の生徒を守ることにもつながるとは思いませんか?」


教頭が右手を差し出した。


「さあ、この手を取ってください。共に学園の危機へ立ち向かいましょう」


その手を見つめ、ゆっくりと手を持ち上げる。


指先が触れようとした、その時だった。


「教頭ぉ! まだここにいらしたんですかぁ! 校長先生との相談が終わりました! すぐに職員会議ですぅ!」


引き戸が勢いよく開き、腰山先生の声が保健室へ響いた瞬間頭を覆っていた熱が消えた。


持ち上げていた手を引っ込める。


「……腰山先生。ノックくらいしてください」


「そんな場合ではないでしょう! 急いでくださいぃ!」


教頭は差し出していた手を引っ込め、舌打ちしながら保健室を出ていく。


扉が閉まって少ししてから、私は自分の右手を見つめた。


……どうしてあの手を取ろうとしたのだろう。


私はそんなに利己的な人間だっただろうか。


先ほどまで頭の中に響いていた言葉は、今はどれもひどく薄っぺらく感じられた。


「最低……」


椅子へ腰を下ろして深く息を吐き、気を取り直して沢田石君のベッドへ向かった。


改めてみても見覚えのない生徒だ。

これまで保健室を利用したことはなかったのだろう。


死斑が出ていないことから亡くなって間もないことはわかる。


死因の特定はこれから警察が行うのだろうが、そんなことよりも気になるのは。


「なんで、こんなに苦しそうな顔なのかしら……」


大きく開かれた口元には乾きかけた涎の跡が残り、その表情は痛みというより恐怖が支配しているように見えた。


引き込まれるようにその表情を見つめていたその時、保健室の扉を叩く音がした。


「どうぞ」


咄嗟にベッドのカーテンを閉めると、先ほど出ていった女生徒が青ざめた顔で立っていた。


「先生……ごめんなさい。教室に戻ろうとしたんですけど……」


「……いいのよ。入って」


女生徒を椅子へ座らせ背中をゆっくりとさする。


「ありがとう……先生……」


さする手の先から細かい震えが伝わってくる。


「私……見ちゃったんです。沢田石君の顔。すごく苦しそうで……それがずっと頭から離れなくて……」


ぽつぽつと話す彼女の手を軽く握ると、その手は冷え切っていた。


「そっか。それは怖かったかもしれないわね」


「はい……でも、怖いって思ったことが……怖くて……」


彼女は両腕で自分の身体を抱いた。


「同級生が亡くなったのに、その顔を見て怖いなんて……私……すごく酷い人間なんじゃないかって……」


ぽろぽろと涙が膝の上へ落ちていく。


「そんなことないわ」


その肩をそっと抱き寄せた。


「先生だってまだ胸がドキドキしているもの。人の死を目の前で見て、怖く感じるのは自然なことよ」


「本当……?」


「ええ。怖いと思ったのは、沢田石君の死を他人事にできなかったからよ。……本当に酷い人なら怖がった自分をこんなふうに責めたりしないわ」


女生徒がゆっくりと顔を上げる。


「……ありがとうございます」


涙を拭い、まだ赤い目でこちらを見た。


「あの……私、田村萌っていいます。また悩んだら話を聞いてもらってもいいですか?」


「もちろん。そのためにここがあって、私がいるのよ」


口にしてから、その言葉が自分の中にも落ちてきた。


生徒の不安を聞き、傷ついた子の傍に寄り添う。


私が本来目指していた校医の姿に、保身なんて言葉が入ってくる隙間は無い。


「さて、ここはこれから騒がしくなるでしょうし、そろそろ教室へ──」


ゴトッ。


その瞬間、背後で何かが床へ落ちる音がした。


田村さんが肩を震わせる。


「……今の、何ですか?」


振り返るが、カーテンの向こうにあるのは沢田石君を寝かせたベッドだけだ。


「……大丈夫。先生が見てくるから」


ゆっくりと近づくと、床とカーテンの隙間から白い布団が覗いているのが見えた。


カーテンの端をつまみ、そっと開くと。


「えっ……?」


かけたはずの布団がベッドの脇へ落ちており、そこにあるはずの沢田石君の身体が──消えていた。

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