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ワールド・エンド・サマー  作者: amada
エピローグ
16/16

Ω.終章





 海の見える高台のてっぺんに、その家はある。そこには先生と奥さんが暮らしていた。この町の多くはお年寄りで、先生たちくらいの歳のひとは少し珍しかった。ぼくは夏休みの間、先生の家に通い詰めるのが日課になっていた。ぼくらはそこに住む夫婦の、旦那さんのほうを先生と呼んでいる。ここに来るより昔は大きな街でお医者さんをしていたと言っていたからだ。ぼくは先生の話を聞くのがとても好きだった。先生は、辛い思いをしている人の、心を治す仕事をしていたんだと言っていた。辛い思いってなんだろう。ぼくは考える。でもきっと、ぼくみたいな子どもの考える辛いには限界があって、きっと先生が向き合っていたのはその先にある大人の辛さだったんだと思う。だからぼくは先生の話を、もちろん真剣に聞いてはいたけれど、やっぱりどこかフィクションみたいな、エンターテイメントみたいな、そんな捉え方をしていたのかもしれない。先生はきっとぼくがそう思っていることもわかっていて、それでもぼくに一生懸命話しをしてくれた。


 先生にはお父さんとかお母さんがいなくて、ずっと独りで子どもの頃を過ごしていたらしい。それを聞いたぼくは、世界ではじめてぼくのことをわかってくれる人が見つかったように嬉しかった。ぼくのお父さんとお母さんは、ぼくがもっと小さいときに海の事故で死んでしまった。だからぼくは、それからずっと、おばあちゃんの家で暮らしている。

 人が死ぬってどういうことなの。ぼくはいつか、先生にそう聞いたことがある。先生はくしゃっとした髪を掻いて、少し考えこんだ後言った。それはな、目には見えない姿に変わるってことなんだ。生きていることと死んでいることは、目に見えるか見えないかの違い。たとえば、そうだな。君の持ってるアイスがあるだろう。今は凍っているからアイスの形をしているけれど、放っておいたらそいつは溶けて、それから蒸発して見えなくなる。人間もそれと一緒なんだ。体はなくなってしまうけど、感情や記憶は見えなくてもいつでもそこにあるんだ。ぼくは手に持った棒付きアイスを眺めながら、頭を捻っていた。先生の話は面白いけれど、ときどきとてもむずかしい。ぼくが考え込んでいると、先生は笑いながらぼくの頭をなでてくれた。そのうちわかるときが来るさ。先生はそう言ってくれたけれど、先生の言うそのときがいつくるのか、やっぱりぼくには解らなかった。


 先生の奥さんはぼくより背が高いけれど、大人にしては小さなひとだ。ぼくが先生たちの家に行くと、よくお茶やお菓子を出してくれる。ぼくはお母さんのことを覚えていないけれど、もしお母さんがいるのなら、こんな感じなのかな、なんて思ったりした。

 先生の家にはたくさんの紙の本がある。三分の二くらいは奥さんのものなのだと、先生は言っていた。この町はとても小さいから、ぼくらの学校以外に図書館なんてものはない。だからぼくは、先生の家を図書館代わりにもしていた。先生の家にはたくさんの本がある。難しい科学とか医学の本から、ぼくでもわかるような小説とか童話、図鑑なんかもある。ぼくは先生の家の、木の匂いで溢れるリビングの椅子に腰掛けて、本棚から引っ張り出してきた本をよく読んだ。夏休みの宿題に読書感想文があるからというのもあるけれど、ぼくはもっと単純に本が読みたかった。先生と奥さんは、好きな本があるなら貸してあげるから、お家に持って帰って読んでもいいよと言ってくれた。だからぼくは、本当の図書館みたいに、本を借りて家に帰って読んだ。おばあちゃんはぼくがたくさん本を読んでいるのを見て、えらいえらいとほめてくれた。本を読むことがどうしてえらいことなのか、ぼくにはいまいちわからなかったけれど、ほめられて悪い気はしなかった。


 先生と奥さんは、町の人からも頼られていた。この町にも、先生の言う『辛い思いをしている人』がいるみたいで、そんな人は決まって先生の家を訪ねていた。だから先生は町のひとたちからも先生と呼ばれていた。町のひとたちは、よく先生たちの家に、海でとれた魚とか、畑でとれた野菜なんかを持って行っていた。ぼくも、うちの庭にあるトマトとかとうもろこしを、おばあちゃんに言われて先生たちの家に持って行った。先生と奥さんはとても喜んでくれて、その日はぼくが持って行ったとうもろこしを茹でてくれて、それを三人で食べた。先生の家には海の見える大きな縁側と庭があって、ぼくはよくそこに座って海を眺めていた。ぼくのうちはもっと低い場所にあるから、遠くの屋根の間に少し海が見えるくらいだった。だからぼくは、そんな眺めがいい先生の家が好きだった。


 ぼくには別に友達がいないわけじゃない。むしろ自分で言うのも変だけど、友達は多いほうだと思う。でもこの夏休みは、友達はみんなお父さんとお母さんと一緒に、町のそとに行ってしまう。毎年のことだった。ぼくは先生が来るまで、それがほんとうに羨ましかったし、悔しかった。いつもあんなに仲良くしているのに、夏休みになったら急にひとりぼっちになる。だからぼくは夏が嫌いだった。青い空も、かもめの鳴き声も、海風の匂いも、雲も、ひまわりも、風鈴も、花火も、蝉の声も、ぼくは嫌いだった。そいつらはみんな、ぼくがひとりぼっちであることを、強く感じさせるものだったから。でもある夏、先生たちがこの町に引っ越してきた。それからぼくの夏は何もかもが変わった。

 先生は言っていた。いいか、ツヅリ。夏ってのはな、地球の命が一番輝く季節なんだ。その証拠にほら、こんなに熱いし、うるさいし、自然がものすごく主張してくるだろ。だからぼくは、そんな生きていることのすべてを感じられるから、夏が好きだったんだ。もっとも、昔は君と同じように嫌いだったけどね。縁側に並んで座って、遠くの海を眺めながら、先生はそう言った。先生も夏が嫌いだったの。ぼくが訊く。ああ、思い出がありすぎて辛かったんだ。先生は答えた。思い出があると辛いの。ぼくはまた訊いた。辛いっていうより、切ないって言ったほうがわかりやすいかな。今はもういない奴のことを思い出すから、辛いんだ。先生は笑っていたけど、その笑顔はどこか寂しそうだった。


 先生たちの家には車がなかった。その代わりに、大きな青いバイクがあった。ぼくはそれがとても好きだった。なんて言ったって、かっこいいから。夏の空みたいに光るバイクは、眺めているだけでも十分心が満たされた。ぼくがあんまり見ているから、先生はあるとき、ぼくを乗せて『ツーリング』というやつに連れて行ってくれた。先生は前に乗って、ぼくは後ろに乗って、先生の腰に手を回す。落っこちてしまいそうで怖かったけれど、風を切る感触とか、流れていく景色とか、自転車じゃ味わえないスピードには、とてもわくわくした。このバイク、とってもかっこいいね。ぼくが言うと、先生は得意気に言った。そうだろ。これはな、ぼくの友達がくれたものなんだ。訳あってそいつとは会えなくなったけれど、これに乗っているとそいつと一緒にいられる気がするんだ。先生はときには奥さんを後ろに乗せて出かけたりもしているといった。町を抜けて、海沿いの道を走って、町の外をぐるっと回ってぼくらは帰ってきた。奥さんは外で待っていて、ぼくらの姿が見えると笑顔で手を振っていた。とてもうれしそうな、そんな笑顔だった。


 ぼくの町の外れには、おおきなひまわり畑がある。夏の間だけ、そこには一面の黄色い世界が広がる。畑の中にはあぜ道があって、左右を黄色い壁に挟まれながら歩く。ぼくはそれがとても好きだった。先生と奥さんは、このひまわりが見たくてこの町に来たのだと言っていた。たしかにひまわり畑はとてもきれいだと思うけれど、わざわざこれを見るために引っ越すほどだろうか。ぼくは少し不思議だった。先生たちにとって、このひまわり畑はきっと特別なのかもしれない。先生が言っていた、思い出ってやつなのかもしれない。


 夏休みも半分が過ぎて、そろそろ本腰を入れて学校の宿題に手を付けないといけなくなった。読書感想文は、先生のうちの本をたくさん読んだから、とっくに終わっている。計算ドリルも、漢字練習帳も、焦ってやるほど溜まってもいない。問題は自由研究だ。去年は宇宙のことをやって、一昨年はナノマシンの仕組みをやって、ぼくの中にはもうネタがなかった。おばあちゃんと相談もしたけれど、いまいちいい案は出なかった。だからぼくは先生に相談することにした。子ども用のAR端末で、先生にメッセージを送った。自由研究のテーマが決まらなくて困っていると。するとすぐに返事が返ってきた。それなら力になれるかもしれないから、来るといい。ぼくはそのメッセージを見るやいなや、先生の家に向かった。


 先生は自分の部屋にぼくを通すと、椅子に座って一冊の本を見せてくれた。いりょう、きょうかん、と書いてある。難しそうな印象だ。ぼくは心配になって先生の顔を見る。先生はにっこりと笑って、これは専門家じゃなくてもわかるように書いてあるから大丈夫。わからなかったらぼくが教えてやる。そう言ってくれた。ぼくは本を受け取ると、先生の家のリビングの、いつもの場所に座って読み始めた。医療共感。共感という言葉は聞いたことくらいはある。他の人と心を繋げることだ。先生はそれを使って患者さんを治す先生だったのだと知った。ぼくはページをめくる。たしかに小学生でもわかるように図がたくさんあるし、難しい漢字にはふりがなが振ってあるし、噛み砕いた解説もあるから、最初の印象ほど難しくはない。それに先生はよく共感の話をしてくれていたから、それを復習するみたいな感覚で、ぼくは本を読み進めていた。しばらくすると、奥さんがジュースを持ってきてくれた。今日は何の本を読んでいるの。奥さんがそう訊いたから、ぼくはテーブルに置いてあった本を持ち上げて、その表紙を奥さんに見せた。奥さんはちょっとびっくりしたような顔をしたけれど、すぐにいつもみたいな優しい笑顔になった。わからないことがあったら、なんでも聞いてね。そう言ってくれた。


 共感について知れば知るほど、ぼくは『けげん』な気持ちになっていった。この本には機械を使って『いしきば』を同調させると書いてある。ぼくの普段やっていることとは違うものだった。ぼくは頭の中で、相手のことを知りたいと思うと、その人の心を読み取ることができた。先生も、奥さんも、おばあちゃんも。学校の友達にも、何人か同じことができるやつがいた。学校の先生は、それを注意していた。ぼくらのような子どもたちは、大人たちはきっとそれが出来ないから悔しいんだと思っていた。

 ぼくは先生にそのことを話してみた。先生は、それはぼくが子どもの頃に読んだ本だから、内容は少し古いんだと言って、ぼくにすまないと謝った。ぼくはそんなこと別に気にしていなかったし、もっと訊きたいことがあった。先生もぼくらと同じようなことができるの。ぼくはそう訊いた。先生は笑いながら小さく頷いた。そして言った。いいか、その力はな、人と心を通わせて、人の喜びとか、辛さとかを分かち合って、皆でしっかりと生きていくためのものなんだ。誰もひとりぼっちで泣かないためのものなんだ。だから、相手の心を自分の思うように変えてやろうとか、そんなことは間違っても考えてはいけない。それは人を殺すことと変わらないんだ。先生はいつになく真剣で、ぼくは少し怖かったけれど、先生のその言葉はどこか言い聞かせるような優しさも含んでいた。先生の言ったことは、ぼくの胸にゆっくりと染みこんでいった。


 夏休みが終わりに近づいて、自由研究もあと少しで完成というときになって、おばあちゃんが死んだ。おばあちゃんは別に病気とかじゃなかったのに、ある朝起きてこなくて様子を見に行ったら、目を閉じたまま冷たくなっていた。ぼくはすぐに町のお医者さんを呼んだけれど、間に合わなかった。前の日の夜、おやすみと言って、それが最後になってしまった。お父さんとお母さんが死んだのは、ぼくがとても小さい頃の事だったから、まったく覚えていない。だからおばあちゃんが死んだのは、ぼくにとって初めての、人が死ぬことだった。

 ぼくには親戚がいなくて、ぼくとおばあちゃんは世界にふたりぼっちだった。でも町の人たちは、おばあちゃんのためにお葬式をやってくれた。先生と奥さんも手伝いに来てくれた。みんなかんかん照りなのに黒い服を着ていた。ぼくは小学校の入学式のときに着たよそ行きの服を着た。一年生の頃からは体が大きくなっていたからきつかったけれど、それを着ることで、ぼくはひとりぼっちになったことを忘れようとしていた。お葬式とか、それに関わるいろんなことは、みんな町の人たちがやってくれた。ぼくはその間、自分の部屋の机に向かって、泣き疲れて、ぼうっとしていた。夏休みの宿題の中に、家のコンソールのメーターを調べるという物があった。電気とか、ガスとか、水道とか、家族の人数とメーターの数字を書いてまとめるものだ。家族の人数のところには、ぼくが書いた2という文字があった。ぼくとおばあちゃんで2。でももうおばあちゃんは死んでしまった。いない。だからぼくは、消しゴムで2の文字を消して、えんぴつで1と書き直した。涙がプリントに落ちて、周りのインクが変な具合に滲んだ。ぼくは1になった。ぼくは、ひとりになった。


 お葬式が終わってしばらく経った。ぼくはしばらくひとりで家にいた。町の人たちはぼくとこの家のことを心配してくれていた。それもそうだ。小学生の子どもひとりで生きていくなんて、とてもじゃないけどできそうもない。ぼくは家にひとりだった。おばあちゃんのいた跡をたどるように、家の中を歩きまわった。そしてたまにおばあちゃんの存在を感じることがあった。それは怖いとかじゃなくて、なんていうか、安心感だった。先生が言っていたことを思い出した。人が死ぬってのは、目に見えない姿に変わることなんだって。だったらおばあちゃんも、今はもう目に見えないけれど、きっとぼくと一緒にいてくれる。そう思ったら、少し元気が出てきた。


 夏休み最後の日、ぼくは先生の家に行った。先生と、特に奥さんはぼくのことをとても心配してくれた。ぼくは、もう心配いらないこと、そしておばあちゃんの存在を感じるときがあることを伝えた。それを聞いた先生たちは、少しびっくりしたような、それでいてどこか懐かしそうな顔をして、ふたりでぼくを抱きしめてくれた。

 先生と奥さんは、ぼくに話すことがあると言った。改まってなんだろうと思っていると、ARのウィンドウを出してぼくに見せてくれた。難しい言葉が並んでいてよくわからない。ぼくがそう言うと、先生がわかりやすく説明してくれた。町の人たちと相談したんだけどな、君には縁者、つまり親戚がいないだろう。でも君はまだ子どもだ。だから親戚とか親の代わりに君の面倒を見る人が法的にも必要なんだ。そこで、だ。ぼくらで君が成人するまで面倒を見ることになったんだ。これはそれが決まったという書類だよ。

 ぼくはすぐには飲み込めなくて、ウィンドウと先生と奥さんの顔を順番に見ていた。先生たちがぼくの面倒を見る。今までも十分面倒を見てもらった気がするけれど、何が変わるの。ぼくが先生に訊くと、先生は、家族になるようなもんだと思えばいいさ、と言った。家族に。ぼくと先生と奥さんが家族に。それはとても良いことのように思えた。おばあちゃんが死んで、ぼくは2を1に書きなおした。ぼくは正真正銘ひとりになった。でも、先生と奥さんが家族になってくれると言ってくれた。夏休みが終わっても、いつでも来てもいいの。ぼくが訊く。ああ、いつでも来い。先生が答える。ツヅリ君の家にも遊びに行くね。奥さんが言う。ぼくは、ひとりぼっちだった。でも今は、もうひとりぼっちじゃなくなった。それだけでじゅうぶんだった。


 その夜、ぼくは夢を見た。たくさんの光が溢れる、海のような、空のような場所に浮かんでいる。とてもきれいな場所だった。とても安心する場所だった。ぼくはひとりぼっちじゃない。上手く言えないけれど、なぜか、そう強く感じた。先生と奥さんが家族になるって言ってくれたから、きっとこんな夢を見たのかもしれない。


 それから何週間かが過ぎて、ある秋の日曜日、ぼくと先生は先生の家の縁側に座って空を眺めていた。夏の空と秋の空は違う。もちろん青いとか、雲があるとか、そういうのは同じだけど、何かが違うように思えた。けれどぼくの中にはその違いをちゃんと説明する言葉がなかった。ぼくと先生は、ただ空を眺めていた。キッチンの方では、奥さんが何かをしている音がする。時間がゆっくりと流れていた。ぼくは今、たしかにひとりぼっちじゃない。


 ふと、先生がぼくに言った。

「なあ、ツヅリ。空が何で青いか知ってるか」

ぼくが返答できずに首をかしげていると、先生はこう続けた。

「空の青は空気の青、そして海の青。つまり青は、生命が必要とするもののすべての色なんだ」

そうか。この青は、みんなに必要とされているから、青なんだね。

「そうだ。だからぼくらは、空に憧れるんだ。いつだって、どこにいたって、誰かが自分を必要としてくれることを確かめたいんだ」

先生はぼくの頭に手を乗せた。先生の心が流れ込んでくる。ああ、そうか。だから先生は。


 ぼくらはまた空を見上げていた。奥さんがお茶とお菓子を持ってきてくれた。三人で縁側に座って、お茶を飲んで、お菓子を食べた。


 それはたぶん、家族だった。






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