第57話 やさしいせかいのはじまり
ベルトコンベヤの上に一冊の絵本が置かれている。
タイトルは「やさしいせかいのはじまり」――最近はやたらと“紙”が多いな。
飲食物の包み紙、破れた本、折り鶴、紙屑、チラシ、雑誌、契約書……それらを一括りに紙と言ってしまうのは自分が印刷物の類に興味が無いからだろうか。
題を呼んで、この感想が出たことをアキには言わない方がいいだろう。
環は指で艶々とした表紙をそっとなぞる。
興味の湧かない“紙ゾーン”の中、絵本は特に馴染みのないものだ。
表紙には鮮やかな色彩で空と海が描かれている。空には鳥、海には魚、陸には人間、それから複数の動物たち……まじまじと表紙を眺める環の横からすっとアキの手が伸びてくる。彼女もまた興味があるのか、それともコレを知っているのか表紙を見下ろして「へえ」と呟いた。
「懐かしいですね~。先輩のセクターではこれの読み聞かせしませんでしたか?」
「お前の地元で有名な作品なのか?」
「有名も何も世界創生のおとぎ話ですよ!勿論、セクターの方針によってはこの話に懐疑的なところもありますけど。大半のセクターでは幼稚園とか小学校でこの絵本を読むんじゃないですかね。先輩の地元はやらない地域だったんですね」
世界創世――となると曲がりなりにも歴史の話だ。
環は以前、循からこの国では宗教が衰退していることを教えられていた。
とはいえ「創世記」について教育するか否か、という部分は各セクターの判断に委ねられているらしい。……少なくとも“大半”は読むのか。
アキは本を裏返し、裏表紙の対象年齢を読み上げる――4、5歳。
そのまま絵本を開く。アキは題名を飛ばし、本文へと頁を捲った。
……環は少々気恥ずかしさを感じていたが、彼女のペースに“慣れ”を感じているのか、すっかり身体は話を聞く体勢になっている。
この流れだと確実にアキは自分に内容を読み聞かせるだろう。
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むかしむかし、まだなにもはっきりしていなかったころ。
そらもだいちもいまのようにわかれていませんでした。
ひかりは ぼんやりと ただよい、みずはしずかにゆれていました。
せかいはまだやわらかく、すこしあぶないばしょだったのです
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アキは普段のトーンで本文を読み上げた。
内容を知っているからか、表紙は環に向けたままだ。
挿絵にはパステルカラーの漠然とした色彩で恐らく“風景”が描かれている。
環が“風景”と断言出来なかったのは画力の問題ではなく、空と地面の区別がつかなかったからであった。輪郭が曖昧で境界線が存在しない。
――立体感の無い色の交錯。混沌とでも呼べばいいのか。
頷く環を横目にアキはページを捲る。
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やがてながいじかんをかけて、そらとだいちがわかれました。
ひかりはまっすぐにさしこみ、みずはみちをつくってながれます。
そうしてせかいはすこしずつかたちをもちはじめました。
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「この世界の話にはことごとく神が出てこないな」
「衰退しちゃいましたからね、神話。大昔はあったみたいですけど」
「ああ」
「宗教施設も今はほぼ見られませんし。細々と祭壇や礼拝場があるとかって噂は聞きますけど、普通に暮らしてて見かけるものではないですね」
神話があるにはあるが、信仰している人間は極少数……というのは事実らしい。
世界創生の場においても超常的な存在が登場しない、というのは珍しい。
どこまでも人間の物語――環は久々にこの国の人間に関心していた。
……見方を変えれば傲慢とも考えられるのだが。
挿絵には青い空、緑の地面、流れる川。
非常に“理想的な自然”が描かれている。徐々に整ってきたようだ。
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そこにひとびとがあらわれました。
ひとびとはちからをあわせて、くらしをつくっていきました。
いえをたて、みちをつくり、まちをひろげていきます。
せかいはどんどんべんりで、くらしやすいばしょになっていきました。
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「進化の過程はカットされたのか」
「諸説有りますから。歴史の授業でもこのあたりはサクッと過ぎちゃうものですよ。それに小さな子に進化論とか説いても理解出来ないでしょう」
「それもそうだな」
このページの挿絵は数多くの人間。点と線とシンプルな人型が並んでいるが、年齢や性別といった個性はほぼ描かれていない。そして全員が笑っている。
幸せそうな人間達の様子を余所に先程まで挿絵の端々に登場していた鳥や獣、植物の類はすっかり姿を消していた。
たった一ページの間に人が生まれ、文明が誕生し……。
やはり進化の“過程”というものは何処でも省かれるものなのだろうか。
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けれど、ときどき。
どうしてかわからないことがおこります。
さっきまでだいじょうぶだったものが、とつぜんこわれてしまったり。
あんぜんだったばしょが、ふいにあぶなくなったり。
ひとびとはすこしこまりました。
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挿絵には壊れたおもちゃ、傾いた家々……。
柔らかいタッチで描かれているもののどこか不穏な気配が漂っている。
しかし子供向けの作品だからか“死人”や“怪我人”の姿までは描かれていない。
「“少し”困る程度で済むか?」
「済まないでしょうね。見えないところで死んでるんでしょうね」
「災害の暗喩だと思うか?」
「うーん……ここ数十年の災害のことしか習ってないんですよね」
原因は何も描かれていない。
危険を前にして絵本の中の人物は驚いているだけだ。
アキと環は二人揃って絵本の前で首を傾げていた。
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「どうしたらみんながあんしんしてくらせるだろう?」
ひとびとはなんどもはなしあいました。
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「シンプルなページですねえ」
「まあ、情報量はそこそこ多いページだな」
「言われて見れば確かに。権力者……っぽいのいないですよね」
不穏なページから一転し、場面は会議に移った。
ある意味、平和的なその転換に環はどこか拍子抜けしてしまった。
円卓に座る人々から感じ取れるのは“平等”、又は権力者の不在。
先程のシンプルな人型達が同じ表情でテーブルを囲んでいる。
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そしてせかいはいくつかのばしょにわけられることになりました。
それぞれのばしょにはそれぞれのやくそくがあります。
ひとびとはそのやくそくをまもりながら、くらしていくことにしたのです。
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「ああ、ようやく知っているのが出てきましたね」
「セクター誕生の瞬間だな」
環とアキはここでようやく見慣れた“図”を見つけた。
現在、自分達が使っているものとは異なるが――これは地図だ。
色分けされたエリア。境界線は柔らかいが明確にセクター間に線が引かれている。
アキはそっと今自分達の“いる”フェノム・システムズ周辺の地域を指差す。
数十年前から区切りそのものはそこまで変わっていないらしい。
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それからせかいはずっとおちついています。
ときどきふしぎなことはおこるけれど。
むかしのようにこわいことはおこりません。
いまあなたがあんしんしてくらしていられるのは、
みんながやくそくをまもっているからです。
だから――きまりをたいせつにしましょう。
まわりのひととなかよくくらしましょう。
それがこのせかいであんしんしていきていくほうほうです。
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「“時々”じゃないですし、“約束”を大切にしてても私の両親は死んだんですけどね」
「ああ」
挿絵の中では笑顔の子どもが遊んでいる。空は晴天、全てが整っている。
これが最後のページ――
アキは本を閉じるとやれやれと言った様子でベルトコンベヤに絵本を戻す。
いつもその表情をしているのは自分であったため、環はどこか物珍しそうにアキの横顔を眺めていた。




