第79夜 戦術転換
「今晩は、東條閣下。ご機嫌はいかがでありますか。」
「頗る良い。」
「6月も今日で終わりですね。」
「今年の梅雨明け宣言は、いつ頃になるかね。」
「7月22日頃、平年並みだそうですよ。」
「それでは、話を聞いてもらおう。」
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陸海軍合同のマレー作戦の戦果は、歓呼の声を持って国内で迎えられた。しかし、イギリスおよびその植民地では衝撃をもって受け止められた。
シンガポール空爆の戦果は、凄まじいものがあった。空母1隻、戦艦1隻、巡洋戦艦1隻、重巡1隻、軽巡4隻、駆逐艦7隻を撃沈し、駆逐艦5隻大破した。ここに、大英帝国の誇る東洋艦隊は、ほぼ壊滅した。残るは空母1隻、巡洋艦4隻、戦艦1隻、駆逐艦2隻であり、インド洋の広い海域をカバーすることは、到底無理であった。
英国海軍が誇る戦艦プリンス・オブ・ウエールズの撃沈は、大英帝国、なかんずく植民地政府の住民に衝撃を与えた。大英帝国の植民地支配の象徴である弩級戦艦と東洋艦隊が後進国の航空機による爆撃で壊滅させられたのだ。シンガポールのイギリス人は、恐慌に陥った。荷物をまとめる人たちが続出した。
それまでの世界の海軍は、イギリスのドレッドノート(HMS Dreadnought)に象徴されるように争って弩級戦艦を建造し、それに巨砲を載せてきた。特に日本では、大艦巨砲主義という言葉が生まれるほどで、排水量6万トンに20インチ砲を目指して建艦することが理想像となっていた。
黄泉がえり前の史上、戦艦プリンス・オブ・ウエールズの撃沈は、航空機の戦艦に対する優位性を証明するものと英米の海軍では認識された。特に、真珠湾攻撃で戦艦を失い、空母が残ったアメリカでは、これ以後、空母を主力とする機動艦隊による攻撃=航空主兵論が海軍作戦の主流になった。
しかし、日本では、大艦巨砲主義が、海軍上層部を占めていた。大和型戦艦の1番艦大和は、基準排水量、64,000トン、主砲45口径46cm3連装砲塔を3基搭載し、昭和16年12月に就役。そして、2番艦戦艦武蔵は、昭和17年夏の就役を目指し、艤装中であった。
私は、東洋艦隊が壊滅した翌週、1月19日、霞が関の海軍省を訪問した。
「東條総理、どうされました?」
嶋田海軍大臣が訊ねた。
「いや、おめでとうございます。アメリカのことは予想外だったけど、今回の海軍の戦果は素晴らし
い。」
「お祝いの言葉を言いに来たのではないでしょう。ご用向きは何ですか。」
「なに、今日は、総理大臣としてではなく、統帥権の受任者として来ました。」
「統帥権とは穏やかではないですな。どういう事かお聞きしましょう。」
「これを見て、嶋田さんはどう考えますか。」
私は、1枚の写真を見せた。それには、プリンス・オブ・ウェールズが沈没する姿がはっきり撮られていた。
「これは、我が海軍が沈没させたプリンス・オブ・ウェールズですな。」
「今、嶋田さんは、我が海軍が沈没させたと言いましたが、我が海軍の航空隊がと訂正した上で、これを見て、どう解釈しますか。」
「どう解釈すると言いますと?」
「戦術、作戦、戦略の上で、どう捉えるかということです。」
「戦術、作戦、戦略ですか。」
「これからの艦隊運用は、航空機の援護、つまり制空権の確保がない場合は、どうなるかお考え下さい。また、航空機の攻撃を受けるとどうなるかをお考え下さい。戦艦同士の艦砲戦があり得るかをお考えください。今日は、それを言いたくて来ました。」
「それで、統帥権ですか。」
「それから、日本側の飛行機の被害は、どうでしたか。」
「零戦6機、7.5%、九九艦爆10機、11.1%、九六艦攻4機、3.47%、戦死38名でした。」
「1回の戦闘で、その被害ですか。今回は奇襲が成功しました。言ってみれば一方的な戦いでした。今後もそうなるとは限りません。」
「搭乗員の補充が大事になりますな。」
「そうです。搭乗員の養成が必要となります。」
「搭乗員の養成は、2・3年はかかる。それに、燃料、訓練機の準備が必要だ。」
「それから、新しいレーダー、電波探信儀の開発は進捗していますかな?」
「今までの電波探信儀は、故障が多くて、真空管の性能を高めなければだめだ。海軍と陸軍の合同チームは、民業と上手くやってくれている。」
「楽しみにしている。では、艦政本部、航空本部、教育本部、技術研究所に航空機・空母運用を主軸にした戦術を諮問してください。」
嶋田海軍大臣は、面食らったまま総理大臣の私を見送った。
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もうじき就寝の時間ですから今日はここまでとしましょう。
続きはまた、明日、お話します。
「節子さん、今晩は。」
「達矢さん、今晩は。」
私たちは、挨拶がわりのキスをしました。




