第71夜 シンガポールは燃えている (1)
「今晩は、東條閣下。ご機嫌はいかがでありますか。」
「頗る良い。」
「それは良かったであります。ところで、新聞記事に日米の間に海底電話ケーブルが繋がったことが載っていました。」
「これが、あの当時あれば、大統領と総理が直談判できただろうに。」
初通話は、池田総理とジョンソン大統領の電話会談だった。
「そうですね。お互いの言いたいことがもっと言えましたね。」
「それでは、シンガポール空爆の話だ。」
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シンガポールは東西42km南北23km、面積564平方キロ、淡路島よりやや小さい島であり、アジア大陸の最南端、インド洋と太平洋の水路の交叉するマラッカ海峡の隘路にあり、インドと東アジア、東アジアとオセアニアとの海上航路を抑える一大要衝である。
北岸は狭い海峡(水道)を隔ててマレー半島ジョホールに対し、ジョホールとの間は有名な陸橋によって結ばれている。ジョホール水道の西側は水深が浅く大艦は通行できないが東側の長さ20キロ、幅5キロの水道は4万トン以上の船舶が楽々と通行できる水深(12m)を有し、しかも島の南岸にあるシンガポール商港から17キロ北方にある入り江は、天然の軍港を形成している。英国は1921年以来17年間にわたって東洋侵略の最大拠点として、軍備拡充に邁進してきた。
セレター軍港が海軍基地として群を抜いているものはドック設備の完璧さで排水量5万トンのキング・ジョージ五世浮ドックと3万トンの浮ドックのほか造船所も所有、艦艇の修理、再装備に重大な役割を果している。両ドックとも英本国で建造され、海路を遥々曳航されて来た。特にキング・ジョージ五世ドックは長さ300m、幅9.1m、深さ10m、世界最大の巨艦を収容してなお余裕がある規模である。港内には数隻の軍艦を一時に収容できる千mの大岸壁があり、倉庫および食糧貯蔵所、修繕廠、兵員休息運動所、医療機関、司令本部等があり、特に海軍にとって重要な石油は、イギリス全艦隊を半年稼働できる125万トン貯蔵し、石炭もまた30万トンを貯えていた。
ジョホールのグノン・プライ丘陵からは海を渡って延々と水道の鉄管が延び、水の供給も十分で、武器倉庫には海軍用砲台機雷、魚雷を初め15インチ砲搭載主力艦に至るまでのあらゆる軍艦の弾薬を保有していた。
シンガポール防衛の陸軍は、正規軍とマレー義勇軍よりなり、第2次世界大戦前、正規軍は昭和13年の計画人員8,043名(内インド人約1,500名)、義勇軍は海峡植民地義勇軍、連邦州義勇軍、非連邦州義勇軍の三つに分れ約1万名を数えるほかマレーにおいて実戦参加の義務を有する警察隊約1万名、合計約28,000名の兵力を有していたが、大戦後急速度に増強を計り、シンガポールよりマレーに亘る防衛力は正規軍のみでも10万名を超えるといわれていた。
シンガポール海岸一帯の緑濃い椰子の木は射界清掃のため伐採され、あらゆる予想上陸地点には障碍物を設置、トーチカを設ける一方、軍港の入口、チャンヂ突端には口径18インチの大砲が外洋を脾脱し、対岸ジョホールのフェーバー丘陵にも15インチの長身砲が砲口を海に向けているのをはじめ島一帯に要塞砲が林立、北方の陸上よりの攻撃に対しても砲口が向けられていた。
シンガポールはまた空軍根拠地としても英国最大の基地で、セレター河の右岸に、セレター飛行場、テンガー、センバワン飛行場のほかカラン民間空港があった。
1940年11月、イギリス政府は極東英軍の統制を強化するため新たに極東軍総司令部を置くこととなり、初代総司令官にロバート・ブルック・ポッパム空軍大将を任命した。司令部をシンガポールに置き、総司令官の管轄区域はシンガポール、マレー、ビルマおよび香港に及び、R・H・ユーイング陸軍少将を参謀長として極東軍関係の指揮命令を統一した。これにより、この地域の陸・空軍の司令官は、極東軍総司令官の指揮下に入ったが、海軍は支那総司令官の指揮下に残された。
シンガポール及び英領マレーは、マレー司令部司令官の指揮するところとなり、アーサー・パーシバル中将が1941年5月、司令官に就任している。しかし、マレー司令部の内情は複雑であった。
マレー上陸作戦開始の1日前、1月15日。ジョホーバルの防備についていた第8オーストラリア師団長H・ゴードン・ベネット少将は、シンガポールの司令部に来ていた。
「パーシバル司令官、ジョホーバルから見ますと本島の北側からの防備は手薄であります。陣地を構築することが急務であると考察します。是非、ご検討ください。」
「ああ~、君の言うことは分かるんだが、今、シンガポールでそんなことをすれば、義勇兵や警官隊や市民が動揺をきたす。君の担当区のジョホーバルの防備を手厚くしてくれ。」
ゴードン・ベネット少将は、市民兵上がりで、痩せぎみ中背で、気が短く、傲慢でづけづけ物を言う人物であった。
一方、パーシバル中将は痩せていて背が高く、最も目立つ特徴は、突き出た2本のウサギのような歯である。知識はあるが、厳しい戦闘を戦い抜く強さは持っていない慎重で外交的そして学問を好む指導者であった。ベネットは、職業軍人が嫌いで、同じ53歳のパーシバルが上官であるのが我慢できなかった。
無遠慮で攻撃的な性格であるベネットは、12月の記者会見の席上、つい本音を言ってしまった。パーシバルを「利口だが弱い」と評してしまったのである。また、ベネットは、特に第3インド軍団長ルイス・ヒース中将に職業軍人ということだけで批判的であった。
開戦後、パーシバルは戦略についてヒースと対立を繰り返し、ヒースに対する信頼を徐々に失っていく。だが、ヒースを解任する勇気をパーシバルは持ち合わせていなかった。
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もうじき就寝の時間ですから今日はここまでとしましょう。
続きはまた、明日、お話します。おやすみなさい。




