第52夜 出油
東條閣下から土肥原大将の部屋に行くように言われた。
また、「会うな」の声が、今度は、はっきり聞こえた。だから、どうしてだ。お前は誰なんだ。いっただろう。死後のお前だと。お前は、ここにいる元総理や元将軍とは敵なのだ。だから、会いに行くな。
分からないことをいう奴だ。俺から離れろ。俺まで精神病患者にされるわ。消えろ。
声の意識はどこかへ消えたようだ。感じられない。
「今晩は、土肥原大将、ご機嫌はいかがでしょうか。お久しぶりです。さあ、お話をお願いします。」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ロータリー掘削機が稼働している傍らで、毎日、2回の爆発音とともに反射式探査が行われた。10台の地震計の波形を写して、予めプロットした測量図に地質構造を描くのは、根気のいる仕事である。スピードをあげるため上床教授と榎本少佐で反射波の分析を行った。20日目には、この一帯が単斜構造で、上層部は、新生代新3紀及び第4紀の堆積物が500m程の厚さで乗っていて、その下に深さ1000mの沙河街組三段が弾性波で確認された。沙河街組三段の上層でも弾性波があるので、なにか鉱物がある証拠である。そのためその範囲を確定させるための測量と探査区域を広げることにした。
日本鉱業には、2つの大きな武器があった。一つは、昭和9年にアメリカのナショナル・サプライ社から輸入した最新鋭のロータリー掘削機だ。アメリカ人技師を1年契約で雇用し、台湾で2500mの深度掘削に成功している。もう一つは、シュルンベルジェ電気検層器だ。これは、掘削中の井戸の中に電極を下げ、周囲の地盤の電気抵抗を測定することで、その地盤の持つ岩石の特性、例えば、透水性、孔隙性を調べる技術だ。地下の地層評価に大いに威力を発揮する。
ロータリー掘削とは、どのような方法なのか、簡単に説明しておこう。先端に岩石を破砕するためのビットを取り付けたドリルストリングと呼ばれる一連のパイプをやぐらから抗井の中に吊り下ろす。
ドリルストリングの最上部は、スイベル(釣りをやる人は知っていると思うが回転継ぎ手)に接続され、ドリルストリングが自由に回転する仕組みになっている。ケリーという駆動軸ごとドリルストリングを回転させることにより、ビットを回転させる。
やぐらの下に動滑車にスイベルがかけられ、ドラム式の巻き上げ機によってドリルストリングを昇降させることができる。ドリルストリングを坑内に降ろしていくときは、動滑車のワイヤーにドリルストリングの自重がかかるが着底すると今度は、ビットに荷重がかかる。ロータリー掘削においてビットに荷重をかける基本的な構造は、ドリルストリングの自重を利用し、吊り荷重を調整することによって行われる。
ロータリー掘削に使用される掘削流体は泥水とよばれ、ポンプから送出された泥水がドリルストリング内を流れ、坑底に達する。ビットで粉砕された堀屑とともに、今度は、ドリルストリング外部と抗井との隙間を通って地上まで戻ってくる。地上では大型のフルイ装置によって堀屑が分離され、泥水の成分調整をしたあと再びドリルストリング内へポンプされる。
実際には、ドリルパイプ1本分(9m)を掘り進むごとにドリルパイプを1本継ぎ足しながら掘り進めていく。途中でビットが摩耗したらドリルストリングを全て引き上げて交換する。この交換に全てを分解するのは効率が悪いので3本単位で切り離す。
また、掘削した抗井を保護するため必要な深度まで掘削を終了したらケーシングとよばれるパイプを抗井内に挿入し、パイプと抗井との間をセメントで固定する。
昭和16年11月6日に開抗した時期、満州は冬に入った。暗い中での長時間作業は、疲労により事故が起きやすい。冬の満州は、夜が長く、寒さも厳しい。朝6時からカンテラをつけながら夜8時まで1日14時間掘削することを日課とした。作業は、11月中は、比較的軟らかい新生代第三紀の堆積層の掘削なので、1日に平均14m進捗した。37日目、500m続いたこの堆積層を突破した。
20m掘削する毎にシュルンベルジェ電気検層器の電極を降ろして比抵抗を測定していた。
「上床教授、堆積層を抜けた地点で比抵抗が急激に増大しています。」
「原油がある可能性がいよいよ高くなったな。」
砂岩の地層に変わると掘削は、1日平均9.8mが限度となった。そして、開抗から47日目601mの地点で変化があった。スタッフの鈴木君が気が付いた。
「松田さん、これ油兆じゃないですか。」
「おい、そうだ。やったぞ。」
砂岩にオイルが混じるオイル・サンドの状態が現われた。現場はにわかに活気づいた。53日目650m地点で堀止めて試掘に入った。
「泥水より原油が多くなっています。上床教授。」
「松田君、ガンパーを実施しよう。いいですね。村山課長。」
ガンパーとは、電気検層で油のありそうな地層の部分に爆発により、生産層から油が坑井内に流入できるよう、穴を開ける作業のことである。
昭和17年1月1日の朝、榎本少佐たちは、昇る太陽に出油の成功を祈った。
10日間に渡る試油作業の結果、64日目、1月8日午前、ついに原油の噴出に成功した。日産量1000トン。原油は、比重計ではかってみると比重は0.87で、中質油であった。後に、満州石油の研究部門で測ったところ、正式に原油の比重は0.87~1.0で、アスファルト分を多く含む重質油田として貯留層深度は650~1,000m、埋蔵量は、6320万キロリットル(4億バレル)と推定され、曙光油田と名付けられた。
このニュースは、直ちに新京の関東軍司令部から私の下に持たされた。
そうか、ついに出たか。これで、東條総理は安心するだろう。松井全権大使も喜ぶだろう。
そして、私が東條総理に直に報告に官邸に行った。
1月9日、東條総理は、先に外国人特派員を含む記者会見に臨む形で発表し、翌日の新聞各紙に掲載された。
「本日は、我が日本そして満州国にとって大いなる吉報を発表します。満州国錦州省盤山県の遼河付近で、油田が発見されました。海軍大佐榎本隆一郎と東京帝大上床国夫教授と日本鉱業のチームが昨年11月から探査し、1月8日出油を見たものです。現在、日量千バレルが見込まれ、その規模は、埋蔵量4億バレルと推定されます。」
記者たちから「ウォッー」という歓声があがった。
「大東亜解放の元年の行動の年、探査を開始、吉報が持たされましたので、我が国の未来を象徴する意味から『曙光油田』と名付けられました。我が国の石油消費量は国家機密ですが10年分以上と言っておきます。なお、採掘された原油が輸入できるまでには、1年はかかるとのことです。 発表は以上です。」
ざわつきが静まるのを待って司会がアナウンスした。
「総理が質問にお答えしますので、挙手をしてから社名と記者名を名乗ってから質問してください。」
「ロイターのジャック・ロンドンです。原油の性質はどうでしょうか。」
「ええ~原油は、比重は0.87~1.0で、アスファルト分を多く含む重質油で、貯留層深度は650~1,000mということです。」
「APのアーサー・スネールです。油田の鉱山権は、日本鉱業にあると考えてよろしいか。」
「満洲国の新法で、鉱山権は、満州国50%、採掘した日本鉱業50%の出資による合弁会社の所有となります。そして、日満の新協定で、満州国の出資分は、日本鉱業が融資し、原油を買い取る形で返済することになります。よろしいですか。」
「タス通信のオンドレー・ミヤエンコフです。盤山県には他に油田があるのでしょうか。」
「油田がある地層は、背斜構造というらしく他にも油田の兆候があるそうです。今後、もし油田が発見されたら余った分はソ連で買い取っていただけますかね。」
「総理。それはリップサービスですか。」
「いや。本音です。原油が余れば売るしかありませんからな。もっとも支那が欲しがるかもしれませんが。」
司会が閉めた。
「会見は以上で終了とします。」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
もうじき就寝の時間ですから今日はここまでとしましょう。
続きはまた、明日、お話します。おやすみなさい。




