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黄泉がえりの東條英機  作者: 広田昭和
47/81

第47夜 「我は苦難の道を行く」 汪兆銘南京国民政府(2)

 今晩も203号室の松井岩根の部屋に私は訪れた。松井閣下の顔を見るとなぜか私の頭のなかで、「会うな。」という声が聞こえた。

 私は、幻聴だと思った。しかし、声がしたのは、一度だけだったので、扉をあけた。

「今晩は、松井閣下、ご機嫌はいかがでしょうか」


「頗る良い。」


「それでは、話の続きをお願いします。」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 自分は、自分の『先生』と対話をしていた。


『松井先生』:(歴史というのは不思議なものだ。黄泉がえり前の世界では、南京虐殺事件の責任を問われ、死刑になった。今度の世界では、南京攻略をした自分が蒋介石と講和条約を締結する役回りとなった。)


『松井』:(歴史の復讐だ。)


『松井先生』:(大亜細亜主義は、結局、支那には受入れられなかった。どうしてか分かるか。)


『松井』:(日本軍の師団長クラス特に、中島今朝吾のような、支那人を一段と下に見る態度を示す者が数多くいたから、軍規が乱れ、支那人に恐怖を与えるか反抗心を惹起させたからではないか。)


『松井先生』:(支那人の中華思想から見れば、子或いは弟に当たる小国の日本が親或いは兄である支那を軍事力で恐喝するなどフザケルナということさ。)


『松井』:(僕は、日本と中国が連携することが西洋列強国家群に対抗する唯一の方法だと思っている。)


『松井の先生』:(支那人から見れば、2千年近く支那の恩恵を受けた日本、それが明治以降に近代化に成功したからといって、自分たちより総合力として上だと思っていないというところだ。だから、ロシアに敗れたナポレオンの例もあるように、首都南京を攻略されても武漢、重慶と遷都し、徹底抗戦を続けているのだ。こんな広大な中国を日本が10年も占領できるわけがないのだ。それに英米の支援もある。)


『松井』:(汪兆銘は、政治家としては、優秀かもしれないが、この支那で軍隊を傘下に加えることができなかったのが致命傷だった。)


『松井の先生』:(ああ、四川の潘文華、広東・広西の張発奎、特に昆明の竜雲の一人でも傘下に加えれば、日本軍の占領地に政権を作るなんてことはなかっただろうに。)


『松井の先生』:(どうやって引導を渡すか。)


『松井』(正攻法でやるよ。)



 自分は、南京国民政府がある鶏鳴寺寧望楼に赴いた。寧望楼の入口には、「和平、反共、建国」の瓢帯(三角旗)が付いた晴天白日満地紅旗が掲揚されていた。この瓢帯は、日本政府が最後まで拘ってつけさせたものだ。 


「汪主席代理閣下。あなたが、南京に国民政府を樹立した目的は、なんですか。」

 自分は、中国語で話しかけた。


「そうですね。一つには、戦火の中、政府の庇護がない中国人民を助け、少しでも苦難を緩和することにあります。二つ目は、自由のない共産党支配を阻止することです。そこにいる影佐最高軍事顧問がよくご存じだと思います。」


「主席代理閣下の辛抱強さは、誠に真の愛国心から出たものです。」


 影佐少将の任務は、重慶国民党政府を分裂させ、弱体化させることにあった。しかし、影佐の思うようには、陸軍参謀本部は、動かず残念な思いをしたであろうと、自分は今回の会見に同席させたのです。


「そうですか。お会いできた意味もあるというものです。」


 自分は、影佐少将をちらと見ながら、

「実は、影佐少将に誘われて重慶を脱出したことを後悔されているのではないかと懸念していました。」


「はい。近衛声明から撤兵条項が消えたことは、ショックでした。しかし、人民をなんとか動乱から守らねばと思っていたから、最終的には決断できました。」

 自分は、汪主席の誠実な態度に好感を持った。


「すでに、御存じだと思いますが、日本政府は、大東亜諸国経済連合構想を発表し、日米交渉案を公表しました。」


「はい、随分な国策変更です。陸軍内部はまとまっているのですか。」


「天皇陛下のご承認を得ていますし、東條総理は、陸軍内部を統制できています。それより、まず、これをご覧ください。」


 自分は、袱紗から書状を取り出し、汪兆銘に渡した。

「うむー」といったきり、汪兆名は黙ってしまった。


「写しですが、原本は、蒋介石に渡すべく別に持っています。しかし、今回、全権大使の任命を受けるときに天皇陛下から汪主席代理へのお言葉を賜っています。」


「天皇陛下のお言葉。『日米交渉は、危機的な状況にあり、大日本帝国は、これを打開すべく国策を大転換したところである。植民地主義を廃し、民族独立権に基づく、大東亜諸国経済連合を構想した。貴国との関係もこれに合わせ、大転換をなすべき所存である。本来であれば、汪兆銘主席代理との間で、日本権益の返還などの条約を締結すべきであるが、現在、日本は蒋介石政権と戦争を行っている。このことから、講和条約などは、重慶政府との間で締結せざるをえない。汪兆銘主席代理閣下におかれては、蒋介石との行き掛かりに拘泥することなく、一つの中国を実現することを希望します。その上で、日中が大東亜諸国経済連合を牽引することを期待するものです。以上です。」


「『一つの中国』それは孫文先生の言葉です。よろしいでしょう。私にも、蒋介石との和解に不満がないとは言えませんが、それは中国人民のことを考えれば、私欲です。蒋介石と和解することにしましょう。」


「それは良かった。汪主席代理は、大人物です。」


「ですが、蒋介石は、どうでしょうか?私を裏切り者と考えています。国民党から永久に除籍されていますから。私達は、『一面抵抗、一面交渉』で合意し、政権を維持してきました。蒋介石が抗日で、私が外交交渉をする役割でした。外交交渉といっても国民軍が強ければ、強く出られるのですが、私は中国の主権や領土を確保しながら日本と交渉するのですから損な役回りです。私が銃撃されたのもそれが原因です。

 だから、私が重慶を去るにあたって、蒋介石に『君は安易な道を行け、我は苦難の道を行く』という文章で終わる手紙を置いてきました。

私の処遇はどうでもいいのですが、南京政権及びそれと合流した華北政権の閣僚の処遇を考えていただきたい。それが、私の条件です。私は、政権合作でも解消でも構いません。」


「恐縮します。精衛とは、まさしく主席代理閣下に相応しい号です。」


 精衛填海という四字熟語がある。炎帝神農氏の娘清衛が、東海に溺死し、その恨みを晴らすべく鳥と化し、東海を埋めんと木石を運んで海中に投下するようになった故事に因んで、不可能な状況へ陥落した後も不屈の意思を示すものの例えを言う。姿は烏に似て頭に文様があり嘴は白く足は赤く、「セイエイ、セイエイ」と鳴くが為に精衛と名付けられた。

 辛亥革命の1年前、1910年、汪兆銘は、摂政王載灃の暗殺に失敗した。獄中で詠んだ漢詩「雙照楼詩詞藳」に陶淵明の読山海経に倣った清衛を連想した詩がある。革命という不可能事に携わる自分を「清衛」に擬えたのだ。


「松井閣下、それより満州国における関東軍駐兵は、普通選挙を実施した後に決まる政府との条約によって決するということで、本当によろしいのですか。」


「それも民族独立権の結果であれば、日本人も受け入れるでしょう。しかし、ソ連が満州を狙う限り、満州国は、国軍を強化する間、日本に駐兵を依頼するでしょう。今回の提案の中に、内蒙古、華北の日米の駐兵という項目が入っていますが、天皇陛下の親書にあるように、ソ連は必ずや満州を手に入れようとするでしょう。そのための駐兵と日本人排斥の暴動を考えての治安維持の駐兵です。期限も3年です。ご理解ください。」


「それも了解です。ですが、米国が駐兵しますか?シベリヤ出兵で懲りたでしょう。」


「蒋介石にルーズベルト大統領を説得させます。いずれ、ソ連が出てきたら日本だけでは無理ですから。そのための満州も含む通商上の機会均等ですから。」


「今日は、中国の未来にとって記念すべき日となりました。」


「私もこれで蒋介石の会見に臨めます。必ずや、蒋介石を説得します。影佐少将、君もこれで肩の荷が降りただろう。」


 自分は、一人になると意識を後頭部1尺の高さに集中した。そして、黄泉がえりの東條英機に報告した。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 もうじき就寝の時間ですから今日はここまでとしましょう。

 続きはまた、明日、お話します。おやすみなさい。


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