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黄泉がえりの東條英機  作者: 広田昭和
30/81

第30夜 自供

「今晩は、東條さん、ご機嫌はいかがでしょうか。」


「頗る良い。」


「今日で4月も終わりです。4月29日から5月5日までを世間では、ゴールデンウイークと言っています。といっても私には関係ありませんが、閣下もそうですね。」


「最近の日本は休み過ぎだ。」


「そうでもないです。欧米からは日本人は働き過ぎと言われています。では、お話をお願いします。」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 東京特高の監獄。


「おい、気が付いたか。」


「うっ。」


「鯉川君。大丈夫か。4年の榊原だ。」

 正面の鉄格子から声が聞こえた。


「榊原さん。あなたも捕まったのですか。」


「静かにしろ。」

 看守が二人を注意した。看守が向こうへ行くと榊原がささやいた。


「大分やられたな。顔が腫れあがっている。」


「背中が痛くて動けません。でも党細胞の名前は白状しませんでした。」


「シンパのくせに良く頑張ったな。もうそれ以上喋るな。奴らは、また明日、君を攻めるぞ。今日より厳しいぞ。君は党員じゃない。白状しても恨まないぞ。」


「嫌です。本人から党員だと僕ははっきり聞いていませんし、新聞会の友達です。友達は売りません。」


「ありがとう。」


 金次郎は、腹と背中の痛みで一晩中苦しんだ。

 朝が来た。

カン、カン、カン。看守が鉄格子を警棒で叩いた。起床の合図だ。

「起きろ。朝だ。」

 金次郎は、まだ寝かして欲しいと思った。

 しばらくすると朝食がでた。容疑者には食事と取調べ以外にすることはない。


「鯉川、食べられる時には食べといた方が良いぞ。」


「分かりました。」


 口を近づけると プーンとすえた匂いがした。麦入りの外米だ。金次郎は、ご飯を止め、味噌汁を飲んだ。口の中が切れているので、沁みた。唇が腫れあがっているのを感じた。味噌汁は、具のない薄い味だった。味噌汁が余りに沁みるので、漬物でご飯を無理やり飲み下した。

 朝食が終わり、午前8時になると金次郎は、取調べに呼ばれ、留置場を出された。


「おい、鯉川。お前が強情に頑張るのはいい。しかし、お前は、シンパじゃないか。榊原は良い奴だが、共産党員だ。お前が、新聞会の党細胞の2人を庇って名を明かさなければ、奴に口を割らせるしかない。あるいは、お前の身体に聞くか。二つに一つだ。俺は急いでいる。コミンテルンの国際諜報団事件が起きて上から共産党を根絶やしにしろと命令を受けている。共産党の一人や二人死んだってどうということないんだ。それにお前の妹は婚約中だそうだな。今度の事件でそれも破談だ。」

 

 そこに、上司がやってきて、ひそひそ話をした。警視総監から特高に電話が入り、善処しろと言ってきたのだ。横槍を快く思わなかった井上刑事は、殊更、金次郎に当たった。竹刀で必死の形相で叩く井上刑事の手が汗で滑った。運悪く、瞼が切れた。


「井上さん、もうそれくらいでストップです。やばいです。顔はまずいでしょう。」

同僚の川上刑事が止めに入るほど井上刑事は逆上していた。


「こいつは親の金で大学に行っている奴らだ。それが労働者の味方だとは可笑しくて反吐が出そうだ。水をぶっかけろ。川上。」


「井上さん。やり方を変えましょう。」


「なら。お前がやってみろ。」

 水を掛けられ息を吹き返した金次郎に、川上刑事が言った。川上という刑事は、短身で痩躯、長い顔に薄い眉と薄い唇があった。


「おい、鯉川。お前には、リーベが居るそうじゃないか。」


 「リーベ」とは、学生の隠語でドイツ語の恋人を指す。金次郎には、スペイン人民戦線支援集会であった女子大生がいた。藤谷八重子という日本女子大学校の才媛だ。彼女は友達に誘われてきていた。


「『ミラボー橋の下をセーヌが流れる』。彼女はアポリネールが好きだそうだな。」

 それは、金次郎が送った詩集の一節だった。


「ミラボー橋の下をセーヌが流れる。我らの愛も忘れないでおこう。苦悩の後には喜びがあることを。」


「止めろ、それ以上読むな。」

 川上刑事がアポリネールの一節を読んだ時、大事なものが汚されたうな気持ちになった。

金次郎は、自分が参加していた詩の朗読会に八重子を連れて行った。自分の趣味に付き合せたのだ。


「日は暮れよ 鐘よ鳴れ。時は流れ ぼくはとどまる。手をつなぎ 顔を見詰め合おう。  つないだ手の下にはゆったりと永遠のまなざしが流れていくだろう。」


「止めろ。」


「藤谷八重子をここに呼ぼうか。この本には、お前の名前と購入日が書いてあるな。どうして、彼女がお前の本を持っているのか。」


「彼女は関係ない。詩の朗読会であっただけだ。」


「そうじゃないだろう。スペイン人民戦線支援集会であったんだろ。共産党のシンパだろう。彼女の名前もカンパのリストにあった。」


「やめろ。彼女は関係ない。俺が誘っただけだ。」


 川上刑事が潜り込ませたスパイが榊原の周辺を探っていた。他にも学生が会には集まっていたが、藤谷八重子の存在は、川上刑事の直感に訴えるものがあった。八重子を任意で取り調べると、あっさり金次郎との関係を認め、2円の金を提供していることも掴んだ。


「それじゃ、喋るんだ。でないと八重子も痛い目にあう。」

 金次郎は、観念したように大学新聞会の党細胞を白状した。


「鯉川大丈夫か。」


「すみません。党細胞の名前を言ってしまいました。」


「そうか。よく頑張った。瞼が切れているが見えるか。」


「ええ、大丈夫です。」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 もうじき就寝の時間ですから今日はここまでとしましょう。

 続きはまた、明日、お話します。


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