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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第八章「真夜中過ぎのシンデレラ」Aschenputtel nach Mitternacht.
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8-1

(あ~、しまった。辞世の句を詠んで「大部分……盗作」やるの忘れてたわ)

 まず考えたのがそれだった。

(ま、とても考える体力なかったし、仕方ないか。ていうか、ここどこだ?)

 高原詩都香(しずか)は目を開いた。

 辺りは暗かったが、すぐに車の中だということがわかった。

 二列ある後部座席の後列シートに横たわっていた。体の上にブランケットがかけられていた。

(目を覚ましたら車の中。何の因果か本日二度目)

 ときおり、外からの光が車内に差し込む。

 詩都香はその眩しさに目を細めた。

(死に死に死に死んで生の終わりに(くら)し、か)

 死の淵に沈んでいくものだと思ったが、あれは死ではなかったのか。さすが空海だ、と変な感心をしてから腕を上げようとした。

「うっ……」

 覚悟していた痛みはなかったものの、ひどくだるかった。

 だが、動く。不自由ながら、詩都香の体はわずかな力を取り戻していた。

 続いて、呻吟しながら体の各部を動かしてみようとしたところで、

「よかった。気がついた?」

 運転席から男性の声がかかった。

 詩都香は少し苦労しながらそちらに首を傾けた。

 後部前列のシートは背もたれが倒してあり、運転席まで視線が届いた。

「あの、ここは?」

「もうすぐ京舞原(きょうぶはら)市に入る。ひどい怪我だし、動かない方がいい」

「怪我……」

 あれほどの重傷だったのに、体のだるさを除けば、痛みはない。

(あっ)

 左目も開いていることに、今やっと気づいた。

「あなたは?」

 ゆっくりと身を起こして、詩都香はそう尋ねた。運転手は魔術師ではなさそうだ。

「言えない。君は魔術師なんだろ?」

 声に聞き覚えがないではない。あの研究所で会った相手なのだろう。

 四人の魔術師を除けば、あとは二人の所員。

 伊吹ではない。ということは。

「船岡、さん?」

 ややあって、男は答えた。

「ああ。よくわかったな。名乗った覚えはないんだけど」

「伊吹ってひとにそう呼ばれてた」

「……覚えてない。記憶力いいんだな」

「で、あなたは伊吹さんのことを先輩って呼んでた」

「同じ大学の出身なんだ。……あのさ、おしゃべりはやめよう。もうすぐ家に帰してやれるから」

「あなたはわたしに注射したよね。犯罪でしょ、あれ」

「魔術師もそういうこと気にするのか」

 その声に含まれた動揺に、詩都香はつけ入ることにする。再度シートに横になった。

「そう、わたしは魔術師。船岡さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「ダメだ」

「どうして?」

「何も話せない」

「じゃあ独り言。……マンション……まだ新しい。……若い女性……眠ってるのか。指に金の指輪――きゃっ」

 車が急停車した。詩都香はシートから転がり落ちそうになった。

 後続の車両がけたたましいクラクションの音を残して追い抜いていった。高速道路じゃなくてよかった、と詩都香は胸を撫で下ろした。

「何を……何を『見て』いる……?」

 船岡が上体をひねり、身を乗り出していた。

「安全運転でお願い。独り言だって言ったでしょ」

 体を支えるため助手席の背もたれに置かれた船岡の左手に、目を走らせる。薬指に金の指輪。先ほど座席の隙間からちらっと見えたのだ。

 詩都香はそれからわざとらしく目を瞑った。

 いい車だ。アウディか。七人乗りのSUV、いくらするのかは知らないが、収入はあるようだ。結婚もしているし、マンション住まいというのは当たっていたらしい。

 それから、後部前列のシートの下に畳まれているのは……。

「……子供。まだ小さい……」

「やめろ!」船岡が叫んだ。「りょうこに手を出すな!」

 詩都香はきょとんとして目を開いた。

(りょうこ?)

 すぐに気づいた。船岡は河合涼子から名前をとって自分の娘に名づけたのだ。

 ということは、

「……小さいというか、まだ赤ん坊。……あっ、むずかってる。泣いちゃうんじゃない?」

 彼らが「クルミ」と呼んでいた河合涼子が世に出てまだ半年足らず。船岡の娘の涼子が生後間もないことは推察できる。

「やめろって言ってるだろ!」

 覿面に効いた。彼の怒声は悲鳴混じりになっていた。

「なら質問に答えて」

 簡単なリーディングに引っかかるほど、彼が魔術師を怖れているのがわかった。車内に真新しいチャイルドシートがあれば、小さな子供がいることは誰にだって想像できる。

「勘弁してくれ……。ちくしょう……先輩に言われたからって、こんな仕事引き受けるんじゃなかった……」

 詩都香はカッとなった。

「勝手なこと言うな! わたしがあんたらのところでどんな目に遭ったか知ってるんでしょうが!」

 詩都香の怒気に気圧されたように、船岡が顔を背けた。

 その向こうで、かたかた、と微かな音。

 船岡はぎょっとして体を前に向けた。

 ルームミラーが動いていた。

「運転して。早く帰りたいし」

「君が、やったのか……?」

「当たり前じゃない」

 船岡がごくり、と唾を飲み込んだ。

「簡単な念動力(テレキネシス)。あなたの動脈でも堰き止めたら信じてくれる? それともいっそ心臓止めてあげようか?」

 嘘である。念動力で生体の内部に影響を与えることはできない。

「あー、でもそうすると車を運転するひとがいなくなっちゃうか。――さ、車出して」

 詩都香が調整したルームミラーに映る船岡の顔は固まったままだった。

 それでも車は再スタートした。

 しばらくの間、エンジン音と船岡の荒い呼吸の音だけが車内を支配した。

「ブランケット、かけ直して」

 沈黙を破る船岡の言葉に、意表を突かれた。

「え?」

「君、今すごい格好だから。運転に集中できない」

「あ」

 詩都香は慌てて、ずり落ちていたブランケットを引き上げた。衣服で覆われている面積の方が少ない感触だ。

「ちょっとしたグロ画像だった」

「なっ」

 そういう意味か。たしかに詩都香は今血まみれだ。だけどいくらなんでもグロ画像はひどい。

「……車のシート汚しちゃってごめんなさい」

 軽い憤懣の念を込めて言ったのだが、船岡には通じなかったようだ。

「いいよ。というか、毛布敷いてあるから大丈夫だ」

「あっそう」

 汚れもの扱いの詩都香は、憮然としながら足元に置かれていた鞄を手探りで開けた。

 いつも整理してある鞄の中身だが、勝手にいじられていたようだ。目的のものがなかなか探り当てられない。

「どうして高速走らないの?」

「……君がなかなか目を覚まさないから、ゆっくり行こうと思って」

 なるほど。気を失ったままの詩都香を京舞原市内の路上に捨てていくつもりではなかったらしい。

「あなたもいい人ね」

「そうなんだ、実はね。だから心臓止めるのはやめてくれるかな」

「ふふふ、どうしようかな」

「……マジで? マジで俺を殺っちゃう?」

「質問の答え次第」

「勘弁して。答えられないことはあるんだ」

「じゃあ、涼子は――あ、河合涼子は、これからどうなるの?」

「…………」

 いきなりの沈黙だった。

「答えられないんだ?」

「答えられない」

「涼子は危害を加えられるの?」

「…………」

 ふぅ、とひとつ吐息を挟んだ詩都香は、だるい体に鞭打って身を起こした。目的のものは見つかっていた。

 ルームミラーでその動きを察知した船岡の顔に、緊張の色が浮かぶ。

 畳んである後部前列のシートを乗り越えた詩都香は、唇の前に左手の人差し指を立てながら、運転席の後ろまで辿り着いた。

 ヘッドレスト越しに手を伸ばし、耳にそのイヤリングをつけてやる間、船岡はガチガチに固まっていた。よほど魔術師が怖いと見える。

 詩都香は最後列に戻って身を横たえ、ブランケットをかぶった。

「……ならいいわ。わたしももう涼子のことなんてどうでもいいし。あの子のせいでこんな目に遭ったんだもんね。もう一度眠るから東京舞原駅を過ぎたら起こして」

 その言葉を聞いて、船岡が悲しげな顔になったのは一瞬。

『聞こえる? 聞こえてたら声を上げずに頷いて』

「痛っ!」

 ハンドル操作が乱れ、詩都香は頭をぶつけた。

『痛ーい。もう、怪我人運んでるんだから優しく運転してよ。……聞こえてるみたいね』

 船岡はきょろきょろと左右に目を遣ってから、ルームミラー越しに詩都香に視線を向けてきた。

 詩都香はひとつ頷いてみせた。

『喋らなくていいわ。今船岡さんの耳につけたのは魔法道具。わたしの精神感応(テレパシー)波をキャッチできるの。理解できた? 理解できてたら頷いて』

 困惑の表情を浮かべる船岡だが、やがて頷いた。

『おっけ。じゃあ、質問の答えがイエスなら頷いて、ノーなら首を振って。――気になってたんだけど、ここにはわたしたち二人きりでしょう? そしてきっと船岡さんも涼子のことを大事に思っている。助けたいと思っているはず。……なのにわたしの質問には答えられないという。――もしかして、盗聴でもされてる?』

 船岡は一度頷いてから、首を振った。

『何それ? ああ、正確にはわからないけどその可能性はあるってこと?』

 今度は首肯された。イエスらしい。

『船岡さんは涼子を助けたい?』

 イエス。

『でも、逆らえない?』

 イエス。

『まあ、事情はいろいろあるんだろうけど、それは訊かないでおく。上は魔術師と繋がっているし、家族だっているんだもんね。――涼子に残された時間は? ……二十四時間ある?』

 少し迷った末、イエス。その蓋然性は高い、ということか。

『じゃあ、あの研究所の所在地。群馬県高崎市?』

 ノー。

『あ、タカサキ研究所って、地名からとったわけじゃないのか。でも群馬県?』

 イエス。

 涼子を襲撃した車が群馬ナンバーだったことから、詩都香にもそれはだいたい推察できていた。

『安中市?』

 ノー。

『伊勢崎市?』

 ノー。

『板倉町?』

 ノー。

『大泉町?』

 ノー。

 そこで船岡は怪訝そうな顔になり、ルームミラーを凝視した。どうして縁もゆかりもないはずの県の自治体を五十音順に挙げられるのか、という想いがにじみ出ている。

『わたし、関東の地理得意だから。そういう部活に入ってるし。――太田市?』

 ノー。

 船岡の首が縦に動いたのは、それからいくつかの自治体の名を挙げてからだった。

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