7-1
本章の終盤以降、メインの女性キャラクターたちが負傷する暴力的な表現が増えます。特に主人公は(いつもながら)酷い目に遭います。
年齢制限をかけるほどではないと判断しますが、過去作よりもやや過激なところもありますので、苦手な方はお気をつけください。
「涼子がいないんですか!?」
勢い込んで出てしまった高原詩都香の大声に反応して、廊下を行き交う生徒たちの視線が集まる。
だが、かまってはいられない。
『いや、今日は学校早退で校門の前で待ち合わせだったんだけど、来なくてね。これから部屋の方に回るつもりなんだけど、電話にも出ないし、もし高原さんが知ってたら、と思って。まあ他の学校の中にまで行くわけないよね』
柿沼も詩都香の勢いに呑まれたようで、弁解がましい口調になっていた。
なぜそんなに暢気なんだ、と声を上げたくなった。
「柿沼さん、わたしのところに涼子はいません。涼子の部屋に急いでください。わたしも行きます」
『高原さんも? 学校は?』
この非常時に何を。苛立ちがつのる。
しかし、押し問答をしている暇はない。
「お願いします! すぐに」
言い捨てて電話を切る。
それから教室に舞い戻り、荷物をまとめる。
「えっ? 詩都香、どうしたの?」
二時間目が終わったところで帰り支度を始めた詩都香に驚いた様子で、一条伽那がやって来た。
「ごめん伽那ちゃん、俺行かなくちゃ!」
「何のネタ? 早退するの?」
「そういうこと。魅咲は?」
「さぁ。トイレかな?」
間の悪いことだ。いや、まだ事態は明らかになっていない。魅咲の助力が必要になるかはわからない。
「魅咲が戻ったら、わたしが早退したことを先生にうまく伝えるように言っておいて」
「理由はどうするの?」
「魅咲に任せる!」
詩都香は鞄を引っ掴んで飛び出した。
伽那も小走りでついてきた。
「早退したり遅刻したり、詩都香も悪くなったねぇ」
「なぜか周りが真面目な優等生をやらせてくれないのよ。それじゃ」
伽那に向かって片手を上げると、詩都香は一段とばしで階段を駆け下りた。
下足箱を開けると、また手紙が入っていた。
封筒で相手はわかる。いつもの人だ。また詩都香の登校後に投函したらしい。
こんなときに……、と八つ当たりするような気持ちで、詩都香は手紙をそのまま放置し、靴を履き替えて昇降口を飛び出した。
運良く校門の前でタクシーを拾えた。小遣い日直後だったことも幸いした。
運転手に行き先を告げてから、さっきの柿沼の口ぶりを思い出す。
(おかしいでしょ、昨日あんなことがあったのに)
暴漢に襲われた次の日に涼子の姿が見えない。そんな緊急時なのに、柿沼の態度にはどこかしら余裕が窺えた。
もちろん、焦ってはいた。このまま涼子が来ないと、仕事に穴を開けることになるかもしれない。それはもちろん、柿沼にとってはこの世の終わりのような事態だろう。
――だが、彼の焦りはそこで止まっていた。もっとのっぴきならない状況が進行しているかもしれないのに、である。
(まさか)
疑念が持ち上がる。
まさか涼子は、昨日の出来事を事務所に知らせていないのではないか――
タクシーが“ニデグレット中京舞原”の前で停まった。
料金を支払って下りると、柿沼の車が来客用の駐車スペースに見えた。彼はもう着いているようだ。
と、そこで着信があった。柿沼だ。
「もしもし?」
『高原さん、今どこ!?』
その声には、つい二十分前にはなかった緊迫の色がにじみ出ていた。
「涼子のマンションの前です。何かあったんですか!?」
『そうか。ちょうどいい。涼子の部屋に来てもらえるかな。……あ、ついでに管理人を連れてきて』
柿沼の声が震えている。
詩都香の膝も震えそうになった。
全速力でエントランスに飛び込み、管理人室の窓に駆け寄る。その時点で何か引っかかるものを感じたが、その正体を見極めている暇はなかった。
目を白黒させる管理人を引っ張るようにして、エレベーターに乗り、十一階まで上がると、河合涼子の部屋の前に柿沼が立っていた。
「柿沼さん!」
詩都香が声をかけると、柿沼は青い顔で振り返った。
「高原さん、涼子の部屋が開かないんだ」
彼が何を言っているのかよくわからなかった。
柿沼が合鍵を使ったのだろう、鍵は開いていた。詩都香はドアノブを回して扉を押した。
ドアチェーンが開扉を阻んだ。
「えっ?」
がちゃがちゃ、と何度か押すが、無駄だった。
ドアチェーンでロックがかかっているということは――
「涼子! 涼子、いるんでしょ!?」
ドアを叩き、隙間から大声で呼ばわった。
しかし、応答はない。薄暗い室内は不気味に静まり返っていた。
「そうなんだ。涼子は中にいるはずなんだ。それに……」
柿沼が携帯電話を操作した。
すると……場違いに明るい着信音が、部屋の中から鳴り響いた。
涼子は部屋の中にいる。なのに返事がない。
「――道具を持ってきます!」
事態を飲み込んだ管理人が、踵を返してエレベーターの方へ駆けていった。
柿沼は一度通話を切り、別のところに電話をかけ始めた。
「もしもし、柿沼です。ええ、涼子なんですが、ちょっとトラブルが――」
管理人を待ってはいられない。詩都香は〈器〉に働きかけて、念動力を行使した。
チェーンが外れた。詩都香は部屋の中に飛び込んだ。
「涼子!」
突き当りのリビングに走る。
無人だった。
ソファの陰、テーブルの下、カーテンの裏も見たが、人影はない。
廊下に戻ったところで、遅れて入ってきた柿沼とぶつかりそうになった。
「高原さん!? どうやって――」
「魔法です。それよりも柿沼さんはそっちの寝室を!」
「えっ、ああ、わかった!」
何の説明にもなっていない、それでいて端的に真実を伝える詩都香の言葉に素直に従い、柿沼が右手のドアを開ける。
一方の詩都香は脱衣所に入った。
ここも無人だった。
続いて浴室。
とんでもないものを見ることになるのではないか、という詩都香の最悪の想像は、幸いにして外れた。
バスタブを覗き込んでも、涼子の姿を見出すことはできなかった。
「こっちにはいない!」
柿沼の声が届く。
「こっちもです! ベランダをお願いします!」
そう返答してから、詩都香は今度はダイニングキッチンに駆け込んだ。
いない。冷蔵庫の中まで見たが、いない。
ダイニングキッチンを出、私室を確認して出てくると、また柿沼と鉢合わせになった。
柿沼は二台のスマートフォンを手にしていた。片方は見覚えがある涼子のものだ。
「どういうことだ……。どこにもいない……」
呆然としている。
そこでようやく工具箱を抱えた管理人が戻ってきた。どうやってドアチェーンを解除したのか追求されるかと思ったが、彼は浮かない顔で一礼しただけだった。彼にも何か気にかかることがあるようだ。
三人でもう一度部屋の中を見て回ったが、やはり涼子は見つからなかった。
まさか転落したのでは、と窓から下を見ても、そんな痕跡はなかった。
捜索が徒労に終わると、管理人は部屋を出ていった。マンションの住人に聞いて回るという。
「どこに行ったんだ、涼子……」
柿沼はリビングのソファに座り、手の中のスマートフォンに目を落とした。今にも頭を抱えてしまいそうな消沈ぶりだ。
「柿沼さん、しっかりしてください。涼子の行方を考えましょう」
詩都香は向かい合って座った。
これは詩都香が自分でも困ったものだと思っている性分のひとつで、他人が焦る姿を見ていると、なぜか不思議と冷静になっていくのである。
「まず――」
「まず、そうだ。高原さん、さっきはどうやって入ったの? ドアチェーンがかかっていたはずなのに」
そこからか。
詩都香はまた虚偽のストーリーを組み立てるハメになった。
「涼子は、あのチェーンの錠に細工を施していたんです。特殊なやり方で外せるように。それをわたしに教えてくれました。お望みとあらば実演しますが」
柿沼はいったん首を振ってから質問を続けた。
「いや、それはいい。でも、何のために?」
「こんな事態を想定して……いや、今回のは想定外ですけど、何かあったときにわたしが外から入れるように」
「そんな馬鹿な。管理人を呼べばいい」
「若いアイドルの女の子ですよ? 男の人を呼びたくない場合だってあるだろうし、わたしがいちばん頻繁にこの部屋を訪れています。人を呼べないようなときでも、最初に気づくのはわたしだろうから、って。――というか、今はそんなことを考えている場合ですか?」
「いや、チェーンは大事なことだよ。あれがあったから僕たちは涼子がこの部屋の中にいると思ったんだし」
そうだ、ドアチェーン自体は大事なことだ。
「でも、君の言うとおりだ。実際に入れたんだから。――問題は、外からも同じようなやり方で施錠できるか、ってことだ」
「それは……わかりません。でも、あるいは、という気もします」
詩都香は心にもないことを述べる。
たしかにこの問題は不可解だが、ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。
「わたしからもひとつ確認したいことが。電話がかかってきたときの柿沼さんの態度に違和感を持ったのですが、昨日のことはご存じですよね?」
「昨日のこと?」
柿沼はきょとんとした。
――ああ、やっぱりか。
詩都香は昨日の出来事を説明した。
涼子が数人の男に襲われ、連れ去られそうになったこと。それを詩都香ともう一人の友人で阻止したこと。警察への通報は事務所に止められた、と涼子が語ったこと。
柿沼の顔がみるみるうちに青ざめていった。
「ない。そんな連絡はなかった。なぜだ……なぜなんだ、涼子……」
苦痛による呻きのような声だった。




