6-10
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事件は十月十七日木曜日に起こった。
この日、詩都香は果たされなかった約束を果たしに、魅咲といっしょに中京舞原に向かうことになった。
涼子も加えて三人でのショッピングの約束だ。本当は祝日の月曜日に行くはずだったのだが、涼子に急な仕事が入ったため、キャンセルになったのだ。
今日の放課後なら行けそう、という涼子からの連絡が入ったのが今朝がたのこと。埋め合わせに、二人に何か甘いものでもおごってくれるという。
間の悪いことに、伽那はまた参加できなかった。今日は文芸部の方で抜けられない作業があるのだという。
もっと早く教えてくれれば時間をやりくりしたのに、と恨み言を並べる伽那をなだめて、魅咲はいったん帰宅し、詩都香は委員会に向かった。今日はそれほど仕事はないはずだ。
午後四時十五分に東京舞原駅前で落ち合った魅咲は、詩都香と同じく制服姿だった。
「帰ったんじゃなかったの?」
と、不審に思った詩都香が問うと、
「だって、アイドルに私服チェックされるのってちょっと緊張するじゃない」
などと体をくねらせながら照れくさそうに笑う魅咲だった。
「あんたも選んでもらったらいいんじゃないの?」
「それもいいけどねぇ。今月もうお小遣いピンチ。まあ、見るだけなら?」
「わたしはこないだ入ったばかり」
「じゃあ詩都香に借りよう」
「アホか」
そんな風に喋りながら涼子を待つことしばし。四時半の約束なので余裕はあるが、詩都香はふとスマートフォンをチェックした。
「あ、涼子からメール入ってた」
「何て?」
詩都香は魅咲にディスプレイを示した。
『ごめん補習~(泣) 先生に捕まっちゃった。そっち着くの五時過ぎになりそう』
「あちゃ」
魅咲が額に手を当てた。
「まあ、ちょくちょく授業抜けてるみたいだしね」
「忙しいんだね、やっぱり。ていうかあんたもっと頻繁にスマホチェックしなよ」
「どうしよう? また今度にする?」
「いや、待とう。詩都香だってそう何度も部活抜けられないでしょう? ……あ、そうだ。ショッピングもいいけど、アイドルの部屋にも興味ある」
「……? どういうこと?」
「涼子はいったん家戻るでしょ? 押しかけよう」
なかなか図々しいことを言い出すものだ。
とはいえ、たしかにそれもいいかもしれない、と詩都香は考えた。魅咲だって涼子に振り回されたのだから、そのくらいする権利はあるだろう。
「おっけ、わかった。涼子に連絡は?」
「サプライズ」
魅咲がにやりとする。
「了解」
詩都香も笑みを浮かべて頷いた。
いったん家に戻って着替える、という涼子の予定の確認をとってから、二人は電車に乗った。
この時間帯の下りの電車はまだ空いている。ロングシートの隅に隣り合って座ることができた。
「そういえばさ」魅咲が口を開いた。「涼子が詩都香を助けてくれたのって、考えてみればすごい偶然だよね」
「というと?」
「だって、あの日詩都香は伽那の家からの帰りだったんでしょ? でも涼子はどこからの帰り?」
「学校でしょ。マグダレーナって西京舞原だし」
「遅すぎない?」
「あ、たしかに」詩都香が電車に乗り込んだ時点で午後七時半を回っていたはずだ。「今日みたいに補習……にしても遅すぎるか。じゃあどっかに寄った帰りかな」
「制服で?」
「別におかしくないでしょ」
と応じながら、詩都香は胸の中がざわつくのを感じた。
なぜだろう、あまり考え続けたい事柄ではない。
「まあ、それも今日聞いてみればいいか」
魅咲は話を切り上げた。
「そうだね」
詩都香もそれ以上考えなかった。
涼子の住まいである“ニデグレット中京舞原”の最寄りの九郎ヶ岳駅で降り、坂道の多い道を少しだけ歩く。
「この辺あんまり来ないなぁ」
と、魅咲。
「わたしも来たことなかったわ。まあ、用無いしね」
坂道と集合住宅の街である。知り合いが住んででもいない限り、来る機会はない。
「二葉のうちってこの辺らしいよ。それもマンションじゃなくてお屋敷」
「へ~」
などと話している内に、ニデグレット中京舞原の前に着いた。高級マンションだけあって、通りに直接面してはおらず、私道の奥の敷地に鎮座している。
「すごいね。伽那のうちもすごいけど、こういうところに住むのもいいな」
魅咲が感嘆する。
「伽那のうちは、ユキさんみたいなのがいないと暮らしが成り立たなそうだしね」
「たしかにそうだ。あの邸宅を自分で管理する自信ないわ」
詩都香はそこでもう一度涼子に連絡を入れた。
『もう家に着いた?』
返信はすぐに来た。
『今電車降りるところ。走るよ。汗臭かったらごめんね』
「もうすぐ来るみたい。どこで待つ?」
魅咲はいたずらっぽい表情を浮かべた。
「あそこのゴミ捨て場の裏」
魅咲が指差す方を見れば敷地の隅に、入居者のためのゴミのコンテナが設置されている。その陰に隠れようというのか。
「ゴミぃ? なんで?」
「ドッキリ」
魅咲はたまにこうした稚気を見せる。
「そんなんで驚いてくれるかな」
「そこを驚くのが芸能人でしょ」
「リアクション芸人でもあるまいし」
そんな風にこぼしながら、詩都香も先に立って歩き出した魅咲の背を追う。
と、そこで、
『防犯カメラ作動中』
という音声が流れて、魅咲がぎょっと立ちすくんだ。彼女の方がドッキリを食らったかのようである。
「ああ、あそこあそこ」詩都香が玄関先にとりつけられた防犯カメラを指差す。「誰かが近づくとこの警告が流れるみたい」
「うるさいね、これ。住人が来ても鳴るんでしょ?」
「そりゃ人物の区別はできないしね」
「ご近所に迷惑じゃないのかな。ていうか、ちゃんと録画されてるの?」
予算の都合上、ダミーの防犯カメラも多いと聞くが、
「このマンションでそんなケチなことしないでしょう」
魅咲はもう一度マンションの威容を見上げて、「まあたしかに」と頷き、ゴミ捨て場の方に向かう。
「ていうか、あたしら今まさに不審者だな。防犯されちゃう」
「今ごろ気づいた?」
「涼子がさっさと来てくれないと、管理人が飛んできそう」
「まあ、わたしはもう顔見知りだし、言い訳は何とでも利くと思う」
「そりゃ頼もしい。つか、あんたの方が乗り気じゃないの」
そんな風に笑顔を交わし合い、カメラに向かって“怪しい者じゃないですよアピール”を行ってから、二人はコンテナの後ろに身を潜めた。
その直後、一台の白いステーションワゴンが左折して入ってきた。敷地の中で切り返し、二人の方に後ろを向ける形で停車する。
「群馬ナンバーだ。引っ越しかな?」
魅咲に言われ、詩都香も目を凝らしたが、日が傾いていることもあり、この距離では読み取れない。詩都香も視力はいい方なのだが。
「ほんと目がいいな。体鍛えると目もよくなるの?」
「んなことないと思うけど。まあ、あたしは特殊」
「引っ越しなら業者に頼みそうなもんだけどね」
「たしかにそうだ」
魅咲も納得顔になる。こんなお高そうなマンションに引っ越してくる人間が、費用を惜しんで自分で荷物を運んでくるとも思えない。
「……降りてこないね」
気になった詩都香も観察していたが、ステーションワゴンからは誰も出てこなかった。
「誰か待ってるのかな。……お」
「あ、来たかな」
二人は顔を見合わせた。
住宅街の静けさにアクセントを加えるかのような軽い足音が近づいてくる。宣言どおり走ってきたのだろう。
車と同じく通りの右手から駆け込んできた涼子の姿が現れた。
しゃがみ込んでいた詩都香と魅咲は腰を浮かせた。
と、そのとき――
ワゴンからばらばらと四人の男が降りた。全員が目出し帽で覆面している。
涼子が驚いた様子で足を止めた。
「えっ!? 何ですか!?」
薄闇を破って、悲鳴に近い声が届いた。
「詩都香っ!」
魅咲が叫んだ。
「先行って!」
詩都香は鞄を開きながら応えた。
頷いた魅咲が飛び出した。
「誰か!」
涼子は叫び、身を翻して逃げ出そうとしたが、あっという間に男たちに捕まえらた。口元を押さえつけられ、車に引きずり込まれそうになっている。なおも暴れるその体に、男たちの一人が取り出した黒塗りの器具が押しつけられた。
涼子は小さく悲鳴を上げて脱力した。
「何してんだこらあっ!」
魅咲が駆ける。その前に、二人の男が立ちふさがった。残りは涼子を車の中に押し込もうとしている。
遅れて飛び出した詩都香は、ブックバンドでくくった二冊の本を頭の上でぐるりと振り回して勢いをつけた。今日図書室に返却しようと思って持ってきたものの、委員会の時間がぎりぎりになって返しそびれたものだ。
魅咲が瞬く間に一人目を倒した。
詩都香は本を投擲した。
束ねられた二冊のハードカバーは、魅咲と、彼女の前に立つ相手の頭上を超えて、涼子を羽交い締めにしていた男の後頭部に狙い違わず命中した。
たまらずしゃがみ込んだ男の手から涼子がくずおれる。
「魅咲、スタンガン持ってるのがいる! 気をつけて!」
「わかってる!」
そのときには魅咲がまた一人倒していた。
四人目は慌てふためき、しゃがみ込んだ涼子の背に目を向けた後、魅咲が倒した一人目の仲間のもとに駆け寄った。
魅咲はしばし逡巡する様子を見せたが、涼子をかかえ上げてその場から距離をとる。その二人に、スタンガンを持った男がにじり寄る。
詩都香は助太刀しようと、二人に向かって走った。その行く手を、頭に本を食らった男が通せんぼする。体つきから察するに青年から中年と見えた。痛そうに後頭部を押さえている。
「何なの、あなたたち!」
詩都香は魅咲とは違う。一対一で成人男性を徒手格闘で倒すことはできないだろう。
それでもいちおう握りこぶしを固めて構える。
相手はちらっと後ろを振り返ってから、拳を振りかぶった。
腹を狙って繰り出されたパンチを、詩都香は身をひねってかわした。
(あれ? 弱そう?)
拍子抜けした。動きも鈍いし、パンチに腰が入っていない。
視線を遣ると、涼子を支えた体勢の魅咲が、相手の手からスタンガンを蹴り飛ばしていた。男は逃げ腰になっている。
「ふっ……!」
余裕を取り戻した詩都香は、軽い呼気とともに念動力を行使した。
足元に落ちていた本がバネ仕掛けのように跳ね、詩都香に向かってきた相手の顎を不意打ちで一撃した。
頭を揺さぶられた男は、片手で顔を押さえてよろめきながら後退し、ステーションワゴンの車体にもう片方の手をついてかろうじて体を支える。ダメージよりもショックの方が大きそうだ。
「何だ、今のは……」
その背後では、他の襲撃者たちが車に乗り込み終わっていた。
「行くぞ!」
運転席から声がかかる。詩都香と対峙していた男は、未練がましく涼子の方に目を向けてから車に飛び乗った。
その直後、ワゴンが急発進した。
身構えたままそれを見守っていると、
「詩都香」
背後から声がした。詩都香はそちらを振り返った。
魅咲が涼子を支えるようにして立っていた。
「涼子! 大丈夫!?」
詩都香は緊張を解き、足元の本を拾って二人のもとに駆け寄った。
涼子の顔は真っ青だったが、意識はある。
「け、警察? あっ、先に救急車?」
魅咲がおろおろする。さっきまであれほど頼りになっていたのがウソのようだ。
涼子が弱々しく首を振った。
「事務所に、相談してから……」
「あ、そっか。じゃあ、じゃあ、ええと――」
「魅咲、ひとまず涼子を部屋に」
見かねた詩都香が、逆サイドから涼子を支える。
「あっ、そっか。そうだね」
魅咲も頷いた。




