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相川魅咲は、自室でパソコンに向かっていた。
この種の事案で最も怖いのは、個人情報の拡散と風評被害だ。
魅咲は「河合涼子」で検索して出てきた結果を当たった。
さすがに売れっ子アイドルだけあって、涼子に関する情報は無数に出てくる。
その中から匿名掲示板を選んだ。いちばん好き勝手に書かれているのは、やはりこの手の掲示板だろう。
あの雑誌記事に関する書き込みの初速は、あまり高くはなかった。ネット掲示板に書き込むタイプの人間が手にとることの少ない雑誌だからなのかもしれない。
しばらくすると、スキャンした画像が貼り付けられていた。
魅咲はそれ以降の書き込みを追っていった。
『さすが女子校だわ』
『お前ら騙されるな ヤラセに決まってるだろ』
『涼子ちゃんがレズだったんて・・・ 失望しました◯◯のファン辞めます』
魅咲は溜息を吐いた。
(好き勝手書いてくれちゃって……。てか最後のは何?)
『この子知ってる』という書き込みが目に入ったときには、心臓が跳ね上がった。
が、幸いなことに、下まで辿っても続報はなかった。これを書き込んだ人物が本当に詩都香を知っているのかどうかはわからないが、このまま沈黙していてくれることを願う。
横顔しか写っていないのに、詩都香についての書き込みもある。
『こっちも結構かわいい予感』
『涼子ちゃんの隣にいるせいかブスにしか見えない やり直し』
『【悲報】××民、このレベルの女子高生をブス扱い』
『レベルも何も横顔しか見えないんですが』
『横顔からでもブサオーラ漂うJKさん、可哀想』
『お前ら好き放題言っとるけど実際に周りにいたら即ハボやろ』
『う~~~ん、チェンジ』
詩都香の容姿を言いたい放題に評し、涼子との関係に悪意をまぶした邪推を加える書き込みを読んでいる内に、胃が締めつけられるような感覚が湧いてきた。
だけど、手と目は書き込みを追っていた。
(こんなの、詩都香が見たら卒倒しちゃうよ……)
最後まで読み切った魅咲は嘆息した。とても他のものまで閲覧する気にはならない。
疲れて背もたれに体重を預け、首を回す。
自然と、今日の晩詩都香の家を訪れたことを思い出した。
今朝、雑誌の記事にショックを受けた詩都香を慰めようとしたところ、自分の代わりに弟の琉斗に夕食を作ってやってほしいと頼まれたのだ。
行きがかり上断ることもできず、おまけに断る口実もなかった。
緊張した。
家族と一条伽那と三鷹誠介以外に手料理を振る舞うのは初めてだった。といっても、誠介に渡す弁当が自分の手作りだとは告げていないが。
緊張のあまり、琉斗とあまりおしゃべりできなかった。琉斗も気詰まりだったかもしれない。
(エマとのこととか、聞こうと思ってたのに)
だが今の魅咲は、後輩の恋愛事情に偉そうにアドバイスできる立場ではない。
魅咲はくるりと椅子を回転させ、ベッドの上のクッションに手を伸ばした。
ぎゅっと抱きかかえると安心する。
(詩都香、いいの、これで……?)
近頃の詩都香は傍から見ていても忙しそうだ。おまけに新しい人間関係に踏み込み、今日はそれが原因で騒動にも巻き込まれた。
今の詩都香には、おそらく自分を振り返る余裕はないのではないだろうか。
誠介は入学以来詩都香にアプローチしてきた。
詩都香だって、誠介のことを気にかけている。
そんな二人の間に、“幼馴染”などという資格で自分が割り込んでいいのだろうか。
厄介なのは、詩都香の方も自分を魅咲と誠介の仲に割り込んだお邪魔虫と思っていることだった。冗談じゃない、と魅咲は吐き捨てそうになる。
詩都香は文化祭までという期日を切った。それまでに魅咲が誠介に告白する約束になっている。
だけど、それでいいのだろうか。詩都香がてんてこまいな今この隙に、魅咲が誠介に言い寄るのはフェアなことなのだろうか。
今日の放課後、部活に向かう伽那を呼び止めて、そんなことを相談した。
返ってきた答えは、
「そんなこと自分で考えなよ。魅咲らしくもない」
という冷めたものだった。
自分はそんなに馬鹿げたことで悩んでいるのだろうか。
(ははっ、なんか最近悩んでばっかり……)
自嘲混じりの苦笑が漏れた。
かつて身内による誘拐事件の被害者になったこともある魅咲だが、両親とこの街に引っ越してきて、小学校と中学校を終えて、このまま高校・大学と平凡な生活が続いていくのだろうとのんびり構えていた。
――きっと傍らには詩都香と伽那がいて、大学は別々になるかもしれないけどひとまず高校の三年間を楽しく過ごして……。誰が最初に恋人を作るかなんて考えると、クスリと笑えて、それから今の関係が壊れたりしないかちょっぴり不安になったりもした。
入学前に漠然と描いていたそんな高校生活は、幼馴染との再会と魔法の習得という魅咲にとっての大事件で、あっさり手放された。
詩都香は元々非日常のファンタジーに憧れるオタクだったし、しかも日常を変える能力を持っていた。
伽那の方は、当初のショックを乗り越えた後では、のほほんとしたいつもの彼女に戻っていた。
二人がするりと踏み越えた線の前で、自分だけが足踏みしているかのようで、もどかしい。
(文化祭、来なきゃいいのに……)
そんなことまで思った。
巡らせた視線の先にかかるカレンダーの上で、定められたデッドラインが刻々と迫ってきていた。




