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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第六章「苦楽を分かつ人々」Sie teilen Lieb und Leid.
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6-3

 図書室は読書好きの詩都香(しずか)にとって気の休まる空間である。予想通りに頂戴したお説教――なんと学年主任まで同席していた――でささくれ立った心も癒えてくる。

 詩都香は入口の方に背を向け、閲覧席の中でも最も奥まったところに座っていた。まだあの記事のことを引きずっているのだ。できればあまり顔を見られたくない。

 伝統ある女子校だったこの学校の図書館には、戦前からの本もかなり保存されている。数年前の移転を機に、上の女子大からも相当数の書籍が譲渡された。もっとも、そうした本は利用する生徒があまり多くないため、閉架の書庫に保管されている。

 開架図書には新しい一般向けの本が多い。委員会と部活を終えた詩都香はその中の一冊を選び、柿沼からの連絡を待ちながら読んでいる内に、読了してしまった。

 ――さてどうするか。今からもう一冊にとりかかったところで、さすがに閉室までには読み切れないだろう。

 借りていこうにも、すでに限度いっぱいまで借り出している。こんなことなら読み終わったのを持ってくればよかった、と後悔する。

 ま、軽めの新書でも速読で済ませるか、と立ち上がったところで、カウンターのそばに立つ見知った顔が視界の隅に映った。

 二つ結びと眼鏡の特徴で、遠目にも相手がわかった。

 ――あら、高原さん。

 向こうも詩都香に気づいたようで、口をそう動かし、閲覧席へやって来た。

 詩都香の友人が何人か在籍する文芸部の副部長、飛鳥井(あすかい)あやめだった。

「こんにちは、飛鳥井先輩」

 詩都香は声をひそめて挨拶をした。

 あやめなら安心できる。あの記事を読んだとは思えないし、読んでいても態度に出す人ではない。

「こんにちは。こんな遅くまで残って、郷土史研の調べ物?」と、そこであやめは机の上の本の表紙に目を落とし、「というわけでもなさそうね」

「暇つぶしです。飛鳥井先輩は?」

「まあ私も暇つぶしというか。一応忙しいんだけどさ、文芸部なのに部の活動で本を読む時間がとれないんじゃなんでしょ? それで、部活が終わった後はここに来て閉室まで読書して帰るの」

 あやめはそう言って詩都香の向かいに座り、鞄の中から本を取り出した。

 日夏(ひなつ)耿之介(こうのすけ)の『明治浪曼文學史』。その渋さに詩都香は呆気にとられた。

「……伽那(かな)にも少しはそういうお固い本を読むように言ってやってください。せっかく文芸部なんだし」

「一条? あの子はそういうガラじゃないよねえ。高原さんが言ってやった方がいいんじゃない?」

「わたしが言ったんじゃ聞きませんから」

「それで先輩の私が強権発動? 私もそういうガラじゃないんだけどなあ。でもまあ、実はちょっと心配ではある」

「心配?」

「来年のこと。このままだとたぶん、一条がうちの部長になるから」

「えっ?」

 驚いた。それとともに、納得できないわけではない。

「あの子、部の人気者だしさ。お嬢様で人柄もいいし、中学のときに生徒会長やってたってことも知られてる。それにたぶん、推薦されたら断らない。いや、実際一条なら巧く回してくれると思うよ? でも、やっぱり文芸部の部長やるんだったらもう少し……、って思っちゃうのは、私が古い人間だからなのかな」

 たしかに今どき日夏耿之介を読むような人には、多少アナクロニスティックなところがあるかもしれない、と思ったが、もちろん口には出さなかった。

 文芸部の他の一年生は誰だったろう、と詩都香は一人ひとり顔を思い浮かべた。といっても、三人しか知らないのだが。

 田中翔一……まあ、ダメだろう。詩都香のオタク仲間の田中では、下手をすると“現代文学研究部”か何かに改組されかねない。

 三鷹誠介……彼が文芸部に入ったのは謎だった。文芸にさほど興味があるようには見えない。“ゲーテ”をおじさん向けの雑誌の名前としか思っていなそうだ。

 西村二葉……詩都香の隣の席のクラスメート。あまり話したことはないが。

「――西村さんはどうですか?」

「西村? あの子は結構読んでるし、自分でも実作やってるんだけど、ちょっと一匹狼気質なところがあるからねえ」

 おや、と詩都香は眉を上げた。実作、つまりは小説か詩か何かを書いているということか。彼女がそんな素振りを見せたことはない。

「他にもいるけど、そういうわけで、最有力候補は一条なんだな。まあ、文芸部の部長が文芸のことに詳しい必要は特にないんだけど」

「詳しいに越したことはないでしょうね」

「そういうこと。……そうだなあ、文化祭が終わったら、少し一条を教育してやるか」

 あやめが大儀そうに右肩を回した。

「その頃には飛鳥井先輩が部長ですね」

 文芸部では文化祭の終了を以て三年生が完全に引退し、二年生に運営が任されるのだという。

「そうねぇ。で、一条が副部長になる、と」

 ああそうか、と詩都香は心中頷くとともに軽い意外の念に打たれた。

 もうそれだけの時間が経った。自分たちも、いつまでもピカピカの一年生気分ではいられないのだ。

 そこで会話が途切れた。

 あやめは『明治浪曼文學史』の中程を開いた。

 詩都香も荷物をそのままにそっと席を立ち、読み終えた本を片手に書架へ向かった。


 閉室十五分前を知らせるチャイムが鳴った。

 詩都香とあやめはそれまで向かい合って読書していた。

 柿沼からの連絡はまだ来ない。今日は中止だろうか。

(ったく、今のわたしのお願いくらい聞いてくれたっていいじゃない)

 詩都香は舌打ちしたくなる気持ちを堪え、本を閉じた。

 結局選んだのは新書ではなく、マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』だった。この高名な著作を、詩都香はすでに一度読んでいるし、中にはあまり理解できていない部分もある。ただ、筋道立てた論証ではなくエピソードのパッチワークのようなこの本は、スキマ時間に興味を惹かれた部分を拾いながら読み返すのにはもってこいである。

 それに、対抗意識というわけではないが、大事に丹念に一冊の本を読むあやめの前で新書を速読で読み捨てにするのは気が引けた、というのもある。

 あやめも本を閉じた。このチャイムが鳴ると気が急いて読書に集中できなくなるのは、彼女もいっしょのようだ。

 書架に本を戻してきた詩都香は、黙々と帰り支度をするのも気詰まりに思い、あやめに話しかけた。

「文化祭の準備は大丈夫ですか?」

 雑談のとっかかりとしてあまりふさわしくはない気がしたが、共通の話題とてあまりない。かといって日夏耿之介を足がかりにして文学論を戦わせることにでもなったら、十五分では終わりそうにない。

「うん、まあ……」

 あやめは歯切れ悪く答えた。ギリギリなのはどこも同じか。

 追及するつもりもなかったのだが、あやめは慌てて言葉を付け足した。

「一条が頑張ってくれてるよ。あの子、仕事が速いわけじゃないけど、あの子が頑張ると他もやる気出すから」

「それはそれは」

 たしかに伽那にはそういう資質がある。伽那がやるのなら自分もやらなきゃ、と思わされることが多い。

「それにしても熱心ね。高原さん、来年も文実やるの?」

「え?」

 詩都香は戸惑った。この質問をされるのは初めてではなかった。土曜日の附属中学校の文化祭に行った際にも、同学年の委員にまったく同じことを訊かれた。

 あまり強く否定するのも現委員としてはどうかと考え、はっきりとした回答は避けたが、来年もこの仕事をやる決心はついていない。

「わかりません」

 詩都香は結局首を振った。自分にこの仕事は合っているのだろうか。

「迷っているならやっちゃいなよ。高原さんって、そういう役割にでも就いてないと、積極的に外に出るタイプじゃないし。んで、再来年には実行委員長」

「実行委員長」

 ついオウム返しになる。今年の実行委員長の畠山(つかさ)を見ていると、自分はとてもああはやれない、と思い知らされる。

「そしたらうちの部も安心だ。部長が一条で、文実の委員長が高原さん。これで再来年の文化祭も乗り切れる」

 卒業後のことまで心配してくれる先輩は頼もしいが、

「言っておきますけど、わたしは伽那が相手でも手心を加えたりしませんよ? むしろ伽那が部長だったら、かえって要求を上げるかも」

「おやおや、友達同士なのに厳しいわね。……でも、なんだかんだでやる気はあるんだ?」

 言われて少しの間絶句する。たしかに今、自分が実行委員長をやっている光景を想像してしまっていたことは否めない。

「……でも、来年やるかは本当にわかりませんよ。他の人の希望もありますし」

「いや~、今年の活躍を知ってたら、高原さんを差し置いて文実やろうとか、他薦で高原さんを他の委員に就けてやろうとか考える人はいないわよ。もっと自信持ちなさいって」

「そんなことないですよ」

 今度は詩都香の反論の歯切れが悪くなった。

 この人は案外乗せるのが上手いな、と思った。それとも詩都香が自分で思っているよりも乗せられやすい性格なのだろうか。

 あやめは組んだ両手の上に顎を載せた。

「この学校は昔から文化部の活動が盛んで、おまけに申請が通りやすいから、部も同好会もたくさんある。家政科の団体もあるしね。鉄道研究会から被服部、天文部からアニメーション同好会、演劇部からアマチュア無線部……。まあ、中にはほとんど活動していないところもあるけど。でも、そんな文化部全体に目配りの利く人なんてそんなにいないわ。これだけ多様な文化活動になにがしかのアドバイスを行ったり、進み具合をチェックしたり、企画の妥当性を判断したりできるのは――私が知る限り二人しかいない」

「二人?」

 詩都香が聞き返すと、あやめはだしぬけに顔を上げて右手の人差し指を突きつけてきた。

(きみ)()だ!」

 突然のネタ振りに、詩都香はあたふたと机上を見回し、メモ用に出していたボールペンを拾い上げてからポロリと落とした。

 もちろん雷は鳴らなかった。

「……えーと、どこまで続けたら」

 さすがに床にうずくまるのは嫌だ。

 あやめはポーズを解いてへらへらと笑った。

「ふふふ、いい反応。さすが歴女」

「わたしは歴女じゃないですよ。というか、飛鳥井先輩って漫画も読んでるんですね」

「まーねぇ。古典的なのだけだけど。……さっきのは冗談。私には伝統芸能の知識もないし、被服室のミシンを直したりできないし、生物部に適切な統計処理の方法を教えたりすることもできない。二人ってのは高原さんと吉村さん」

「はあ……」

 詩都香は曖昧に頷いた。自分はともかく、吉村奈緒はたしかに大概のことはできそうだ。とはいえ奈緒は生徒会役員であるし、文化祭実行委員をやるよりも、委員からのツッコミをかわす方が彼女には似合っている。

「まあというわけで、一条が部長やるときには高原さんが実行委員長やって助けてあげてね」

「友情に訴えてもダメですよ。わたしは今のところその気はありませんからね」

 詩都香は今度はそう言い切ってボールペンをペンケースにしまった。

 あやめは口元に微笑を浮かべてそれを見守っていた。

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