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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第四章「鉄の棺」Der eiserne Sarg.
29/114

4-1

※※※

 月曜日の放課後、高原詩都香(しずか)は委員会を早めに抜けさせてもらって、市役所の前で河合涼子と落ち合った。

「来たよー。んで、どこ行くの?」

「い、い、と、こ」

「うわ、詩都香が言うと当社比五倍くらい腹が立つ」

「なんでだ」

 二人が向う先は、市役所からやや北西に行ったところにある“アンデパンダン”という名の喫茶店である。ありがちな名前だが、フランスのカフェ文化を伝えようというマスターの気概が伝わったのか、この辺りの大学生がよくたむろしている。

 店内には、詩都香の友人の相川魅咲(みさき)と一条伽那(かな)が待機しているはずだ。

 詩都香は昼休みの内に、魅咲と伽那に話をつけていた。

 今日の放課後につきあって、と。

 もちろん理由を尋ねられたが、適当に誤魔化した。涼子を由佳里(ゆかり)に引き合わせるときと同じ意識が働いたのである。

 それにしても、と詩都香は涼子と並んで歩きながら考えてしまう。

 たしかに涼子はビジュアルも声もいいし、何よりオーラをまとっている。詩都香が考えるアイドルらしいアイドルだ。人気が出るのも頷ける。

 が、デビューして半年足らずで、そこまで売れるものなのだろうか。

 インターネットで少しだけ調べたところによると、涼子は今年の五月頃から活動を開始した。その直後にテレビコマーシャルで一気に知名度を上げ、六月開始のドラマの後半数話で助演、ブレイクを果たした。バラエティ番組でのトークも軽妙でありかつ場をわきまえており、大御所のウケもいい。

 芸能界で働く力学がいかなるものなのか、詩都香は何ひとつ知らない。それでも、たとえ涼子が数年に一人の逸材であったとしても、この急速なブレイクはまさに絵に描いたようなシンデレラストーリーである。少なくとも所属する事務所が集中的にバックアップする必要があっただろう。

 とはいえ、である。

 今の詩都香は人気アイドルを連れて歩いている格好になるわけで、当人としてはそっちの方がもっと気がかりであった。

 すれ違う人の何割かは、涼子を振り返ったり二度見したりする。詩都香と違ってテレビや雑誌で見知っているのだろう。涼子自身も、この街の高校に通っていることを格別隠してはいないようである。

 そして、そのうちの何人かは決まって携帯電話を取り出す。SNSの類でつぶやかれているのではないかと、詩都香は気が気ではない。盗撮だけはやめて、涼子はともかく隣にいるわたしの顔にはモザイクかけて、と願わざるをえないのであった。

 それに、ひょっとしたらプロのカメラマンのような連中からも狙われているのではないか、と考えてしまう。おそらくはそうした写真を扱う商業誌の方が、SNSにアップするだけの素人カメラマンよりは詩都香のプライバシーに配慮してくれるだろうが。

 さらに詩都香を不安にさせるのは——

「ねえ、涼子。あのさ、さっきからわたしたち、尾けられてない?」

 一定の距離を置いて後ろを歩く集団があった。ちらりと振り返れば、全員涼子と同じ制服を着た四人組の女子生徒。グループ内で賑やかにお喋りをしているようでいて、内二、三人は詩都香たちに視線を向けている。だいいち、さっきから無軌道に針路を採っているのに、付かず離れずついてくるのはどう考えても不自然だ。

「お、さっすが詩都香、鋭いね。なんて言うかまあ、私の追っかけみたいな? 同じ学校なんだから遠慮しないで声かけてくれればいいのにね。でも見ての通りみんな女の子だし、心配しなくていいよ」

 のほほんと言う涼子に、詩都香の懸念はますます高まる。

(また不幸の手紙でももらわなきゃいいけど……)

 聖マグダレーナ学院(マグ学)水鏡女子大学附属高校(ミズジョ)と同じ女子校文化圏だとすると、彼女らの恨みを買いかねない。

「でも、せっかく詩都香といっしょなのに邪魔されるのもシャクだな。——逃げちゃおっか」

「え? わっ! またかっ!?」

 詩都香の返事を待たずに涼子は詩都香の右手をとって駆け出す。

 詩都香は足をもつれさせそうになりながら、左手の鞄を抱えなおしてかろうじてついていった。

 後ろの集団が色めき立つ気配があったが、もう今さら止まれない。


「あんたといるとわたしは走ってばかり……」

「最初の日は私が走らされたじゃない」

 裏道を縫うように走って尾行者たちを撒いた二人は、呼吸を整えながら店へと歩いた。

 アンデパンダンの前に到着すると、涼子は看板を見上げて首を傾げた。

「んー? 『インデペンデント』……? これで『アンデパンダン』って読むんだ?」

「そ。フランス語は規則さえ覚えれば大体発音できるよ。それじゃ、とりあえずわたしが行ってくるからちょっと待っててね」

「無駄にもったいぶるなあ」という声を背に受けながら、詩都香は扉を開けて店内に足を踏み入れた。

「あ、詩都香こっちこっち」

 入店した詩都香にいち早く気づいた伽那が、奥まったテーブル席から声を上げた。

 腰を浮かせた魅咲も手を挙げて詩都香を招いた。

「ごめんごめん、ちょっと遅くなった」

 詩都香が手刀を立てて謝りながら伽那の隣に腰を下ろそうとすると、伽那は立ち上がって魅咲の隣に座った。

 並んで座る魅咲と伽那に、詩都香がひとり相対する相談シフトだ。

 すぐさまやって来た若い男性店員に詩都香がコーヒーを注文するのを待ってから、魅咲が口を開いた。

「んで? 今日は何? 珍しく呼び出したりしちゃって」

「……あのね、今日はちょっと、二人に紹介したい人がいて」

 詩都香がおずおずと切り出すと、魅咲と伽那はまず顔を見合わせた。

 最初に動いたのは伽那だった。

「もしかして彼氏?」

「ちっ、違う!」

 詩都香はわたわたと両手を振った。

「じゃあ……彼女?」

「ちっがーうっ! ただの友だち!」

 詩都香がそう断言すると、今度は魅咲が目を見開いた。

「えぇ!? 詩都香に友だちぃ!?」

「なんつー失礼な奴だ」

 詩都香は若干イラっとしつつ、あらかじめ電話帳を開いてあった携帯電話の通話ボタンをタップした。

 ややあって、店の入り口の扉が開いた。

 入ってきたのはもちろん涼子である。応対に出た店員とひと言ふた言話してから、詩都香たちの席までやって来る。

 その姿を認めて、魅咲と伽那が同時にぽかんとした顔になった。

「初めまして。河合涼子です」

 テーブル際で足を止めた涼子が、ぺこりとお辞儀をする。

 魅咲も伽那も一様に、テニスの試合でも観ているかのように視線を左右に動かして詩都香と涼子の顔を見比べた。

「……え?」

 思考を放棄したらしい伽那がまず首を傾げ、

「……は? ドッキリ?」

 魅咲はカメラでも探しているのか、店内のあちこちに目を向けた。

「ほら詩都香、もう少しそっち詰めてよ」

「え、座るの?」

 顔見せだけして帰るものと勝手に考えていた詩都香は、荷物をテーブルの下に置いて体を壁際にずらし、涼子を隣に座らせた。

「あらためて初めまして。えーと、詩都香から話は聞いてます。あいかわみさきさんと一条伽那さん、ですよね。あ、一条さん、ご実家の方にはお世話になってます」

「え? ……ああ、CM!」

 詩都香は見たことがないが、涼子は一条グループの企業のテレビコマーシャルにも出演しているようだ。そういえば、以前柿沼もそんなことを言っていたように思う。まさかグループ内のいち企業のCMにまで、持株会社の経営者一族である伽那の親族が関わっているわけではなかろうが。

「格好いいよねー、あれ」

 さすがはマイペースの伽那、最初の衝撃から立ち直ると、いつもの笑顔に戻った。

 一方の魅咲は、まだドッキリという着想に囚われているらしい。しばらくキョロキョロしてから、詩都香の方に身を乗り出して囁いた。

「何これ? どういう企画なの?」

 いつになく混乱した様子の魅咲に、詩都香の方が愉快になってきた。

「企画て。言ったでしょ、友だちを紹介するって。知り合ったのはついこないだだけど」

「いやいやいや、河合涼子がこの街に住んでるってのは聞いたことあるけど、よりにもよってあんたと友だちはありえないでしょ」

「あんた、どこまでも失礼な奴だな」

 魅咲がそこで視線を逸らし、横目で涼子の方を窺った。

 伽那と話していた涼子は、その視線に気づいて顔をこちらに向け、はにかむような微笑を浮かべて軽く頭を下げた。

 魅咲もつられて詩都香の方に身を乗り出した姿勢のまま、愛想笑いで頭を下げ返す。

「相川さん、でいいんだよね? 詩都香がいつもお世話になっています——ってのも変か」

「うん、変だよ」

 妙なことを言う涼子に、詩都香は傍からツッコんだ。

「え……、うん、相川魅咲です。こちらこそ詩都香がお世話になってるみたいで……」

「お前もか」

 これまた変なことを口走る魅咲に、詩都香は力なくつぶやいた。

「みさきって、どんな字? ケープ? それとも美しく咲く?」

 と涼子に問われ、みさきは軽く息を吸ってから説明した。

「ううん。美しく、じゃなくて、チミモーリョーのミに咲く」

「えっ? 何それ?」

 涼子はくすくす笑いながら、左の掌に右の人差し指で字を書く仕草をした。

「ああ、『魅咲』ね。私は——」

「いや、わかるわかる」

 魅咲もやっと自然な表情を取り戻してきた。

 さきほどのは魅咲の定番で、素直に「魅力の魅」とでも説明すればいものを、こんなおどろおどろしい単語を持ち出す。「あれはね、そんなチャーミングな単語を自分の名前の説明に使うことに抵抗がある魅咲なりの乙女心なんだよ」とは伽那の言。

「あ、わたしの名前はね——」

「いや、わかるわかる」

 涼子は魅咲の真似をして伽那の説明を遮ろうとするが、伽那はかまわず続けた。

「かやの『か』にみなまの……『なま』?」

「なま?」詩都香は伽那の意図をつかみそこね、しばらく視線を空中にさまよわせた。「……伽那、『みなま』じゃなくて『みまな』でしょ」

「あれ? そうだっけ? じゃあ、みまなの……『まな』?」

「『な』だけなんじゃないの?」

 伽耶の「伽」に任那の「那」——古代語はどこで切れるのかよくわからない。

「ええと? ——あ、わかった。ああ、たしかに」

 再度掌に字を書いていた涼子が、納得して頷く。

「今の説明でわかるんだ。ケムに巻いたつもりなのに」

 伽那はなぜ初対面の相手を煙に巻こうとするのか。

「ああ、古代史か。気づかなかった。伽那のくせに味なマネを」

 と、最後に魅咲がぽん、と手を打った。

「でもさ、涼子さんって——」

「涼子、でいいよ。同い年でしょう? こっちも魅咲でいい?」

 そう言われ、魅咲はひとつ頷いた。

「ん。涼子さんって、芸能人のわりに結構頭いいね。なんかこう、クイズ番組とか視てるとさ、あまり……」

 今日の魅咲は失礼キャラで通す気だろうか。詩都香は少しひやりとしてしまう。

 しかし涼子は笑いながら頷いた。

「まあね。これでも一応高校生だもん。一般常識くらい心得てますって。ああいうのは、求められてるとこもあるしさ。それに、なんだかんだでカメラは回ってるわお客さんは見てるわで、アガっちゃうから」

「あー、わかるー。わたしも試験とか緊張しちゃって、実力出せないんだよねぇ」

 伽那が乗っかってくるが、詩都香はあえて何も言わず、ボケ殺しの寂しさを味わわせてやる。

 その代わり涼子に、

「へー、涼子ってクイズとかも出るんだ。珍回答続出、みたいな?」

 と問うと、涼子は軽く首を横に振った。

「うーん、そういうのは本職さんもいるしね。それに、あまりおバカな回答すると、芸能活動の許可出してくれてる学校側がいい顔しないの」

「『河合さん、マグ学はこんな常識のない生徒でも入学できるのかと思われてしまいます』とか?」

 眼鏡を直す真似を交える魅咲に、涼子は手を叩いて笑った。

「あはははは! そうそう! そんな感じ!」

 どうやら魅咲も普段の調子を取り戻したようだ。そうなれば魅咲は、相手が芸能人だろうが総理大臣だろうが物怖じしない。

「でもこの間のは可笑しかったよ。『楽市楽座を最初に始めたのは?』——『徳川吉宗!』って、涼子さんったら自信満々で答えるんだもん」

「あー、あれはちょっとマジだった。目安箱と勘違いしちゃった」

 茶々を入れる伽那に、涼子は少し恥ずかしそうに目を泳がせた。

「……伽那、ちなみに答えは?」

「え? 織田信長でしょ?」

「ねー?」と伽那と涼子が視線を合わせて同時に首を傾ける。

 むむむ、と詩都香は考えてしまう。

 楽市楽座も、ついでに言えば目安箱も、信長や吉宗の創始した政策ではないのだが。

「あっ、ほら。詩都香のスイッチが入っちゃった。伽那も涼子も、歴史ネタ禁止」

 魅咲がそう言うと、伽那と涼子の笑い声が唱和した。

「ごめんね、涼子さん。詩都香ってば、『3B政策だとか3C政策だとかは日本でしか使われていない用語なのに、どうしていつまでも世界史で教えるのか』とか、心底どうでもいいことに神経使う子だから」

「へ? いやまあそれは本当にどうでもいいけど、伽那もさ、涼子でいいよ。私もさっきから伽那って呼んでるし」

「えぇ? 伽那って呼んだの、今が初めてでしょう?」

「あ、すごいね、伽那は。でも実は、心の中じゃずっと呼び捨てだった」

「ん、わかった。じゃあ、涼子。……うわあ、なんだか有名人を呼び捨てにするのって照れるなあ」

 伽那が体をくねくねさせる。

「いやいや、伽那だって業界じゃ結構有名だよ?」

「業界って?」

「……ん、つまり大企業と契約を結びたいな〜、って考えてる業界」

「えー? そんなの嬉しくなーい」

 ぶーたれる伽那の肩を、隣の魅咲が叩く。

「まあまあ。ていうかもうさ、伽那がCM出ちゃえばよくない?」

「魅咲ってば。伽那に演技なんか無理に決まってるでしょ」

 詩都香がたしなめると、魅咲はかえってニヤニヤした。

「でもこいつ、カメラの前とかでも全然緊張しなさそうじゃん。意外とウケるかもよ?」

「ひとを無神経みたいに……」

「そう言う魅咲が燃焼系みたいなCMに出たら? あんただったら余裕でしょう?」

「あたしじゃ華がないからなあ」

 と、そこで涼子がクスクスと笑いを忍ばせているのに、詩都香は気づいた。

「あ、ごめん。つい内輪で……」

「ううん、いいよ。でも本当に仲がいいんだね」

 少しうらやましそうな色がその顔に浮かんでいた——というのは詩都香の考えすぎだろうか。

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