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雌雄

~あらすじ~

世界最強の双璧をなす零とブレアの激闘は世界樹を震撼させる。斬って打って放って下す。言葉もなく繰り返す攻防の中、王太郎たちは脱出を試みるが――――。

「スゥゥ…………」


 長く息を吸い込み長剣を抜刀した“憤怒の魔王(ブレア・レッドウッド)”は、銀色に煌めく刀身を天へ掲げた。剣は息をするように光を返しながらも、噴火に匹敵する熱量を蓄えていた。


「ハッ!!」


 ブレアの喝と同時に振り下ろされた剣は、その威力を遺憾なく吐き出した。凝縮された熱量は切っ先を辿り刃となって空を切る。

 蜃気楼を生み出しながら進む刃は一閃、“怠惰の魔王(新見 零)”を掠めて壁が弾け飛ぶ。

 コンクリートが噴火に意味をなさないように、粉々に砕かれた壁は大小の瓦礫を撒き散らす。赤黒く燃える瓦礫は火山弾のように辺りを蹴散らし跳ね回る。


「危ないっ!」


 その様子を見ていた俺たちは、咄嗟に積み重なる瓦礫の山に身を隠した。

 瓦礫が瓦礫を散らし、高熱の散弾が止む頃には身を隠した瓦礫の山は殆どがなくなっていた。


「剣の一振りでこんなに……」


 恵梨香(えりか)はなだらかになった瓦礫から顔を覗かせて見回す。砂塵と黒煙が立ち上る惨劇は本物の噴火を想起させる。人の手の、たった一振りで起こった出来事とは思えない。


「相変わらず、脳筋してんな」


 カカカと笑った零は出で立ちを崩しながらも、瓦礫の一撃を当たっているようには見えない。

 零なら飛礫の全てを避けることは容易いだろう。

 汗一つ流さない零は手近な石を拾い上げた。拳に収まる石を振り被った零は筋肉質な細腕をしならせた。


「受け取れクソおらぁ!」


 怒声と罵声が入り交じった一喝で弩のような一投をする。

 人の手から放たれた石は可視の衝撃波を放ち、ソニックブームが円形空間に轟いた。留まるところを知らぬ投擲は第三宇宙速度に到達した。

 拳ほどの石は帯びる熱と摩擦で、もはや塵程度にしか残っていない。

 その場に残る衝撃波と撒き散らした瓦礫が振りかかる。

 塵芥と熱波は三人の魔王を飲み込もうとした。


「アイリスちゃん、お願い」

「……うん」


 “色欲の魔王(アイーダ・ベロニカ)”は異様な反撃を目にしても狼狽えない。

 落ち着いた声音で“暴食の魔王(アイリス・ミラー)”は短く答えると、彼女の足下の影が脈打った。

 蛇のように細長い変形したアイリスの影は、地を突き破って空間で頭を上げる。

 大きく螺旋を描いて三人の魔王を包んだ影は繭のように閉じた。外からの光の一切を遮断する繭は軟弱に見えるが、熱波の全てを正面から受け止めた。


「ちっ」


 渾身の一撃を防がれた零は静かに舌打ちをする。瞳には悔しさよりも、燦然と輝く闘志が宿っていた。

 そして防御を終えた影の繭は脈打ち蠢く。役目を終えたのか、糸のように解れてまた、アイリスの足下へ影は収まった。


「あれが“暴食の魔王”の魔術……。さっき私たちを追いかけたのも」

「あの魔術だ」


 震える恵梨香に短く答える。俺たちは確かに魔王と対峙していたが、とてもじゃないが勝てる戦いだったとは言い切れない。


「あの魔術は“暴食”。アイリスの二つ名は、あの触れたら噛み千切られる、食いしん坊影法師が由来なの」


 すると、傍らで眠りに就いていたクロエが身体を起こした。


「身体は大丈夫なのか?」

「ええ、本調子とまではいかなくても健勝よ。戦力にはなるわ」


 そう言ったクロエは力を込めたファインティングポーズをとる。

 言われた通り彼女の身体は、萎れていた先程とは打って変わって瑞々しさに満ちていた。

 ミイラのようだった肢体には年相応のハリと肉感が戻り、痩けた頬には赤い血潮が通っている。


「確か、貴女(クロエ)の魔術は“塑逆”。……そうか、肉体の時間を戻して復活した訳か」


 クロエ復活のトリックに納得した恵梨香は、ポンと一つ手を打った。


「そう言うわけ。…………で、これどういう状況? どうしてレイとブレアとアイーダとアイリスが戦っているわけ?」

「それは俺にも」

「私にも分からない。けど零は私たちの味方よ、たぶん」

「そっか…………。うーん…………、ねぇ! レイ! 手助けした方がいい!?」


 するとクロエは、戦闘中の零に言葉を投げかけた。

 ブレアの放つ一騎当千の一振りを避けながら、零は声に反応して振り向いた。


「んなもんいらねーよ! それよりもオルガんとこ行け! あいつは一人で魔導師相手にしてんだぞ! ……たぶん」

「たぶん!?」


 不安な一言に補足はなく、零は紙一重の回避に徹する。

 ブレアの放つ波動は威力こそ一撃目ほどではないため、周囲への被害は小さい。問題はその手数の多さで、素振りの要領で振るう剣捌きから爆撃が放たれる。

 零は反撃の隙を伺い、要所で地面を蹴り抜くが、どうしても決め手が生まれない。

 クロエの影法師が防御に回り、360°全てに影の要塞があるようだった。

 神速の打突を持つ零ど言えど、触れれば蝕まれる壁に簡単に手出しができない。

 隙のない魔王の攻と防だったが、零の闘志はまだ消えない。それは、まだ反撃の隠し玉を持つようにも見えた。

 “傲慢(クロエ・)の魔王(キャベンディッシュ)”は零の意図を見抜いたのか、ハッと声を上げた。

 しかし意思を俺たちに伝えることはせず、ただ地上へ行こうと手を引く。


「一体何が何だか。ちゃんと情報伝達はすべきじゃないかしら!?」


 急かされ頭上から瓦礫の降る戦場を駆ける羽目となった。痺れを切らした恵梨香がキレる。

 息を切らしながら頭上から降りかかる脅威に注意を配りながら、「魔王は皆言葉足らずなのよ!」と小声で付け加えた。

 恵梨香の溢した愚痴を拾い上げたクロエは、端的に言葉を紡いだ。


「私たちがここに居たら邪魔ってこと」


 二の句を踏ませない物言いに、さすがの恵梨香も閉口した。突き付けられた一言はそれほどに重かったのだ。

 クロエ救出を目的として地下空間を訪れたものの、俺たちに地上へ戻る手段はない。

 そこでクロエが目を着けたのが、人間三人が乗れるほどの、巨体な岩石だった。


「これって……、ただのおっきな瓦礫、よね?」

「そ。

 じゃ掴まって」

「……瓦礫(これ)に?」

「そ。

 おっきな瓦礫(これ)に」

「どうやって昇るんだよ!」


 俺の盛大な疑問符は、頬を掠めた火山弾に打ち砕かれた。熱気の余韻が脳に至り、背中には冷や汗と脂汗が流れる。


「くそっ! こうなりゃ自棄だ、南無三!」


 クロエに導かれるまま、俺と恵梨香は巨石へしがみつく。夏の蝉のように四肢で岩を捉え、ミンミンと疑問不平を垂れ流す。


「先に行くから!」

「おーおー行ってろ。俺もこいつら締めたらすぐ行ってやる」


 零は悪態を吐きながら手で払う仕草をする。

 零の様子を見届けたクロエは行動を次へ進めた。


「しっかり掴まってね!」


 その合図で巨石が傾いた。

 俺たちの支えとなる身の丈を遥かに越える瓦礫は不自然に震え、生き物のように一人でに動き出した。

 瓦礫の初動は起き抜けの人間のようにゆったりとしていたが、次第に速度は増す。みるみる大地は遠ざかり、重厚な瓦礫は真っ直ぐと天を目指し昇る。


「一体どうなってるの?」


 両腕両足でしがみつく恵梨香が問いかけた。

 クロエも俺たち同様しがみつきながら声を張り上げる。


「この瓦礫の時間を、『天井だった』ときまで巻き戻しているの。相対的な位置関係を巻き戻せば」

「落ちるの反対、昇るをするってこと!」


 恵梨香が納得した。

 天井があった高さまで瓦礫が上昇すると、クロエは「舌を噛むよ」と閉口を指示する。

 俺たちは言われたままに口を真一文字に閉じ、巨岩のエレベーターに身を任せる。

 すると天井の位置まで昇りきった瓦礫は役目を終え、静かに天井としての時間を再び刻み始めた。


「あちゃー、逃げられたね」


 超自然的な現象を、激戦の最中にいるアイーダが呑気に見送った。

 何を隠そう、”色欲の魔王“ことアイーダ・ベロニカは、対魔王戦に置いては何もやることがないのである。

 彼女の自慢の魔術”支配“も、零には通用しないのだ。


「見送ってないで、追いかけたらどうだ? なぜクロエがここに居たのかも、知らなければだめだろう?


 ハッァ!」


 剣戟の間を縫って、ブレアが調子よく突っ込みを入れた。


「かといって、私、上まで行く方法がないのよ」


 これまた冷静にアイーダは自己分析する。

 アイリスと二人がかりで優勢とはいえ、気の抜けない状況下でブレアは溜め息を吐いた。


「ならばアイリスと行くといい。僕もすぐに追い付く」


 そのブレアの言葉に反応したのは、やはり零だった。

 「すぐに片付ける」と啖呵を切られ、それを看過する男ではない。


「調子こいてんじゃねーぞ!」


 怒号とともに零は身の丈ほどの瓦礫を蹴り出した。

 飛礫ほどの速力はないものの、見上げる巨石が弾丸の速さで迫る。


「……ッ!!」


 ブレアは長剣の柄を捻り、純然たる剣技でそれを二つに断割した。しかし本命はこの後、巨岩の影に隠れた零が肉薄し、弩級の拳擊を振り抜いた。

 ブレアも超人的な反射神経を見せたものの回避は間に合わず、防御を構えるだけで精一杯だった。攻撃に回していた威力と熱量を注ぎ込んだ鞘を拳にけしかけるも、鞘は無惨に砕け欠片を散らす。

 この二人のやり取りにアイリスとアイーダが介入できるはずもなく、零の強襲はブレアの肉体を捉えた。

 身体を捻り勢いで回転させる、その軌道上で物理法則を逸した加速を得た拳は、なまじの兵器などは目ではない。

 その拳にのしかかる一点突破、文字通り”必ず殺す技“を受け意識を保てたのは、ブレアが”最強の魔王“の一角である所以だ。


 身体にかけた魔力と魔術の二重強化ですら意識を剥ぎ取られるのであれば、後は意地が繋ぎ止めたのだろう。

 決別をした10年前から、どうしてもこの男(新見 零)にだけは屈することはできなかった。


 刹那の思考でブレアは闘志を再点火させる。

 爆発的に吹き飛ばされたブレアは壁へぶつかる瞬間、爆破をけしかけ勢いの相殺をした。殺しきれなかった分は背中で受け止め、膝を折ることなく零を睨み返す。


「さぁ、行くんだアイーダ、アイリス! 魔王の任を遂行しろ!」


 立ち上り一言、それだけ残したブレアは、足下の壁面ごとぶち抜いた爆破で零へ突進する。


「ォォォオオオ!!」

「うらぁぁ!」


 ”最強の魔王“の双璧が、10年の時を経て再び衝突する。

 残るは周囲を省みない跳躍と疾走と、爆発と破壊――――。

 ドーム状の地下空間で爆音と絶叫が木霊すると、後は人の言葉などは耳に届かない。


(ここにいる方が危険かも。

 ここはアイリスを見張りつつ、オルガと合流するのが得策ね)


 眼前の無差別破壊に身の危険を察したアイーダは、腹の奥の企みを練り直す。

 ブレアが安全策を捨ててまで零との決着を選んだのなら、もはや説得の余地はなく自分の出る幕はない。

 ならば、説得次第で味方にも転がる可能性のあるアイリスとともに、オルガの元へ駆けつけるのが”出来る姉“というやつだ。

 例えオルガが魔王の一角を担い、一流魔導師さえ歯牙にかけぬほど強く美しく可愛く最愛であるとしても、姉の助力は霞みはしない。

 姉の愛情はいつだって最強であり、妹の思慕は最大のエネルギー源なのだ。

 ムンッと半ば邪な動機で力を込めたアイーダは、呆然と立ち尽くすアイリスへ向き直る。


「じゃあ、地上までエスコート、お願いできるかしら?」


 アイリスはにべもなくコクコクと頷くと、足下に自由自在の影を召還する。再び3次元へ突出した影は、無機質な蠢きの果てに平坦な足場へと変わった。

 俺たちを地上へ届けのが”瓦礫のエレベーター“とするなら、アイリスの影はさながらエスカレーターのような胎動をする。

 棒立ちの二人を乗せた影はみるみる内に高く昇り、難なく地上へ達した。

 二人が影の足場から地の足場に移ると、影はアイリスの足下へ収束する。

 かくして、俺たちは二人の魔王に終われる羽目となった。

 背中に途方もない魔力の圧を受けながらも、恵梨香は進むべき方向を指し示した。


「あっちに魔力の反応……、オルガよ! それに七海(ななみ)も昴(すばる)くんも、二騎(にき)先生もいる! 間違いない」


 そう言った恵梨香が指さした先では、不自然な火柱は乱気流、そして白煙と黒煙がとぐろを巻いて立ち上っていた。

 さらに探りを入れた恵梨香は、声を上擦らせて俺たちに叫ぶ。


「…………かなりの数の魔導師と戦ってるわ! 急がないと!!」

「それを先に言え……!」

「場所は? 案内を!」


 俺たちとクロエは、恵梨香の指さす方角へ脱兎のごとく飛び出した。走力の劣る恵梨香はやや後ろを行き、瓦礫の山や不安定な足場はひとっ飛びで乗り越える。

 しかし後方からはアイリスの影法師が凶牙を剥いていた。

 使い手は散歩のような歩調で悠々としているものの、影法師は猟犬のように俊敏だった。


「くそっ! 急いでるときに!!」


 俺は触れれば喰われるという食いしん坊影法師に、拳骨を食らわせた。詳細には”相殺“の魔術で影法師を撃退したのだが、どうやら効果的だったようだ。

 無敵の影法師を払われたアイリスは、焦るでもなく憤るわけでもない。次の猟犬を足下から解き放ち、構わずゆったりとした一歩で道を行く。

 グレーのフードを深く被った顔から表情は読み取れないが、何一つ変化のないことはその場の誰もが容易に想像できた。


「王太郎(おうたろう)、殿任せちゃって大丈夫?」

「問題ない! それよりクロエは前を切り開いてくれ!」


 クロエ、恵梨香、俺の順番で列を成し前進する。

 クロエが行く先の道を切り開き、恵梨香が羅針盤となり隠れた伏兵の警戒に当たる。そして俺が影の追っ手を撃退するという、付け焼き刃の陣形は思いの外形になっていた。

 しばらく恵梨香の示す方向に進むと瓦礫の山は切り開け、魔導師たちの戦場がまざまざと見えた。

 先頭を行くクロエが語調を強くし、最後尾にいる俺へ聴こえるように叫んだ。


「このまま突っ込むよ!」


 オルガへ意識を注いでいた魔導師たちは、背中からの思わぬ奇襲に悲鳴を上げる。すぐに魔導師たちの陣形は瓦解し、俺たちは颯爽と戦場に割って入ることができた。

 さらに幸運なことに、俺たちの背中を追っていたアイリスの影が、魔導師たちを散らしていた。その影の脅威を知る者から順に、蜘蛛の子を散らすように散っていく。


「待たせたな!」


 どこぞの特殊工作員よろしく、高らかに参戦を表明する。

 するのだが……、辺り360°を囲む魔導師群に、やや腰が引けた。

 背中に二騎先生の冷静で冷淡な、落胆の溜め息が聴こえた。






(行ったか……)


 新見 零は三人の脱出を確認すると、意識を眼前の魔王に切り替える。その後すぐに二人の魔王が追跡をするが、これを追うつもりは毛頭なかった。


 あいつらにはクロエが付いてる。

 アイーダだって腹心何か企んでるっぽい、大事はないだろう。


 冷静な分析と同時に、猛る鼓動で全身が火照っていた。

 ブレア・レッドウッドは、へし折られ手中に僅かに残った鞘を投げ捨てた。

 カランコロンと一転二転……、三転目で鞘は粉々に砕けた。鞘だった破片は小さく飛び散り、無造作な瓦礫の山の中で華美な光を撒き散らす。

 そして二人の魔王は向かい合った。

 愛用の長剣を正眼で構えたブレアは、握り締めた柄から刀身へと威力を注ぐ。ただの一振りなれど、それに文字通り全身全霊を賭けんとする気迫は、さながら修羅の陽炎を匂わせる。

 零は腰を低く落として踏み切りの勢いを健脚に集中させていた。ブレアと異なり己の徒手のみで挑む零はその分身軽だ。持ち前の速度と、速度を活かした人間離れした破壊の正拳、そしてとっておきの一撃を懐に接近の機を窺う。

 達人の睨み合いは先に動いた方が負けるという。

 彼らは達人ではなければ、頂を目指した武人ではない。

 正確にはブレアは武を極めんとした時期があったが、そんな正攻法が零に通じる筈もない。

 つまりこれは、世界最高峰の我(・)慢(・)比(・)べ(・)。些細な気の乱れが世界の鄒勢を決する。


「…………」

「……………………」

「……………………………………………………………………………………」

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 無言の圧は空気を圧縮する。これは比喩ではなく、ブレアの長剣に破壊力が集約している証拠だった。


 ―――――先に動いたのは零だった。


 正確には動かされた。

 これ以上ブレアの一撃が重鈍で苛烈で燃え上がってしまえば、たとえ零とて手がつけられなくなる。これはブレアの魔術の底を計り違えた零の失態である。


(くそったれ! これが分かっててこの余裕か!)


 零は内心で悪態を吐いたが、思考の言の葉が終わる前には肉薄していた。

 零がいた場所では遅れた音が弾け、踏み砕かれた瓦礫が粉塵を上げクレーターを作り出す。まるで消えたような最高速で接近した零は、突進と捻りを乗せた拳を振り翳す。

 ブレアは中段に構えた切っ先を最短距離で振るい、零の正拳に白刃を合わせた。

 剣の内で胎動したエネルギーは、太陽の表面にも匹敵する熱量を炎という形で現出させた。放たれた熱量に気圧された地下空間は、膨張した空気に耐えられない。

 辺り一面は壁も瓦礫も地殻すらも残さず、なだらかな平面となって新たな地平を切り開いていた。

 押し返されるような空気圧にも耐え抜いた零だったが、加速して得た運動エネルギーはもはや残っていなかった。正面からの高圧に相殺された。その拳擊は常人より力強い程度の力しか残っていない。

 零の一心を打ち破ったブレアは、小さく息を整え勝利を確信する。


「とった」


 僅かな剣裁きで零の首を絡め取ろうと腕を起こしたとき、その手から柄が滑り落ちた。

 見ると刀身は零の右肩を、鮮血に染めながら切り裂いている。首とはいかなかったものの、あと一捻りの技術で、せめて力任せに押し込めば、右腕を切断していたはずだ。

 しかしブレアの手に剣はない。

 この状況を訝るブレアは、両掌を開いて確かめる。と、研鑽を重ね岩肌のような皮膚をした掌は、釣り上げられた深海魚のように痙攣していた。


「……ッ!? これは、一体…………!?」


 ブレアが疑問に思うのも仕方がない。何と言っても、零はブレアに初めて見せる奥の手を披露したのだ。

 真骨頂は今からお披露目だ、と言わんばかりの笑みを浮かべる。

 ブレアが焦燥と疑心で固まったのは刹那の間であったが、零にとっては十分すぎる猶予であった。

 切り傷と血痕にまみれた零の身体から、不自然に迸る雷光。蒼明に輝く雷電は鎖から解き放たれると、縦横無尽に周囲を疾走した。

 その放電は手綱を失った獣のように、光の三分の一し(・)か(・)な(・)い(・)速さで辺りを蹂躙する。

 ブレアにとっては驚異的な速さであり、脅威的な殺傷能力だった。伸びる放電の枝は、軍服の裾を掠めただけで身体を目掛けて侵略する。

 いくらブレアが常人を逸した魔王と言えど、その肉体は生物学的にはヒトと相違ない。そしてヒトの身体とは回路そのものである。人体が電子を通す仕組みになっているのだか。この一撃が必殺でないわけがない。


「がっ、がぁぁァ!!」


 ブレアは内側から焼かれるような痛みに堪らず苦悶を漏らし、膝を着いて口から吐血の滝を流した。


「が、だんだごぇば……!」


 舌が痙攣したブレアは、意味を成さない言葉を羅列した。

 しかし恥辱にまみれ屈辱的に膝を着こうとも、ブレアは士気を失わない。プライドだけを原動力に身体に鞭打ち、四肢に万感の思いを込める。も立ち上がることすら叶わない。四肢は石のように固く、脳の電気信号などでは鞭すら打てない。


「…………」


 零は遠くからブレアを見下ろし、肩の傷口を衣服の切れ端で手当てした。手当てとて応急の素人手当てだ。当分この腕は使いものにならないと割り切る。

 両手両膝を支えに伏したことで、ブレアの体内の雷電は地面へ逃げていく。通常の人間ならば内と外をウェルダンに焼かれ絶命している筈だが、命どころか意識すら保っているのは、最強の名は伊達でないことが窺える。

 ようやく身体の自由を回復したブレアは、覚束無い足取りで立ち上がり、投げ捨てた長剣を拾い上げた。その行動が示すこととはつまり、


「…………まだやんのかてめー。殺されねーとわかんねぇカタブツだなぁ!」


 零が啖呵を切った。が、正直零も限界である。間近で太陽の熱を漏れなく浴びるなど零にとって初めての体験であり、どうして両の眼が開いているのか自分でもよく分かっていない。

 それに、身体を雷電に預けた代償はかなり大きい。

 零が雷電を放った仕組みは至極単純である。ただ体内の静電気を、身体を回路と見立て超高速で発電するのだ。これにより体内で発熱を行うこともできれば、発電を行うこともできる。しかし蓄電はできず、放電した雷の制御もできない。

 だからこそ、王太郎たちが近くにいた際には使えずにいた。

 それに身体を回路とすることは、ブレアが身を雷電に焼かれた現象と同意である。

どうして無事かというと、焼かれた骨肉から血の一滴、細胞の一つに至るまでを全て超絶高速で回復していたからだ。

 こんな力業で放った奥の手の代償は、雷に身を焼かれる苦痛と体内の異常な代謝による虚脱感、そして膨大な魔力量であった。

 互いの魔王が残す魔力は僅か。

 それは二人ともが認識を共通していた。

 だからこそ、小細工はいらない。

 右腕が駄目なら左腕だ。零は平らな足場を踏み砕き、固く握った拳にありったけの全身全霊全魔力を込めた。

 ブレアは長剣の最も柄に近い部分に魔力を集中させる。高速の打突を迎え撃つはこの一点だけ。最高潮にまで高まる集中力とともに、掲げた剣を振り下ろす。


「去ねこらぁ――――!!」

「ハァァァァァァ――――!!」


 ”怠惰の魔王“と”憤怒の魔王“、その二人の万感の思いを乗せた雄叫びは、天高くどこまでも轟いた。

 最後の一滴まで絞り出した最後のたった一撃は、過去と矜持と生き様を賭した雌雄を決するには余りある一撃だった。

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