眠り姫は目を覚ます
~あらすじ~
世界樹の地下の大空洞にて、ようやくクロエを発見した王太郎。しかし大きな地響きで地下の大空洞は崩落の危機に瀕していた。何とか難を逃れたものの、更なる事件が発生する。
「天井が崩れるわ!」
恵梨香の大呼で咄嗟に天井を仰ぐ。見上げた天井には視認できるほどの亀裂が走っており、切迫した状況を理解するのに時間はかからなかった。
「通路に戻るぞ!」
呼びかかけようと振り向くと、恵梨香はすぐに走り出していた。
通路へ向かうでもない足取りは、部屋の中央で横たわるクロエの身体を目指している。
俺も恵梨香に続いて駆け寄り、二人でクロエへ呼び掛ける。しかしクロエは反応は一つもせず、穏やかで浅い寝息を漏らすのみだった。
「で、どうやったらこの眠り姫は起きるの?」
「俺もそこまでは知らねえよ」
「何も聞いてないの?」
「当方には何も……」
「本当に使えない太郎ね!?」
「う、うるせえ!」
恵梨香に急かされ、変貌した己の白髪を掻き毟る。しかしどれほど焦ったところで、俺の魂にいるクロエからの応答はない。
「とりあえず避難だ。天井で崩れちまう!」
「そうね。急いで運びましょう」
恵梨香の手を借りクロエを背に負ぶった。枝のように細い手足と、嘘みたいに軽い一身を背に、クロエが辛うじて呼吸をしている状態なのだと再認識する。グッと込み上げる不安と、憂いと歯痒さに押され疾走した。
来た道を二人で戻ると、限界を迎えた天井が轟音を立てる。
「あと少し!」
先に通路へ入った恵梨香が手招きをする。
おう! と気概よく応えるが、正直かなりぎりぎりだ。あと十メートルの距離が遠く感じられる。
天井の亀裂はみるみるうちに広がり、崩壊を始めた。
背後で瓦礫が砂塵を立て、地響きを上げて視界を揺らす。
「くっそおおお!!」
全身全霊を脚力に変換し、気合を込めて飛び込む。恵梨香に引っ張られ、何とか安全圏へ逃げこんだ。
三秒前まで走っていた場所に、驟雨のごとく降り注ぐ瓦礫に冷や汗を流す。
「危なかった……」
「こっちのセリフよ……。はぁー、心臓に悪い」
二人でぶつくさと物言いをする。ひとしきり零し終わると、仕方がないので来た通路w戻ることで合意した。
以前俺がクロエを背負い、恵梨香が暗闇の中を探知して先行する。来たときは辛うじて射し込む薄明りがあったが、今では入り口が塞がれてしまい灯りはない。
息を切らし背に汗を滲ませ歩くこと十分、先を行く恵梨香が足を止めた。
「まずいわね……」
「どうした?」
後から唸る恵梨香に合流すると、悩みの種が何なのかすぐに理解した。
眼前は一見行き止まりの壁だが、所々の隙間から光が漏れている。すなわち瓦礫で先が塞がれてしまっている、ということだ。
恵梨香が瓦礫を手掴みでどけていくと、先からは眩しい光が射し込んだ。
その明るさに思わず目を細めると、光の中に青空が垣間見えた。天井は一部が欠けており、地上へよじ登れなくもない。
「地上は一体どうなってんだ?」
丁寧に瓦礫をどける恵梨香に問いかける。
「自身なのか何なのか、さっぱり……。
ただ緊急なのは間違いないみたいで、人気がまばらよ」
慣れない肉体労働に息を切らしながら恵梨香は答えた。
やっと人が通れるほどの隙間が生まれると、俺たちは身を縮こまらせて通路を抜ける。
その先に続く不安定な瓦礫の山を慎重に踏みしめながら、一段一段を丁寧に登っていく。
終始無言で登山をし、やっと山の六合目に辿り着いたとき、恵梨香が大きく息を飲んだ。
「――――何よこの魔力!? しかも一、二……四つも!?
太郎、何かに掴まっ!」
恵梨香の言葉を最後まで待つことなく、地鳴りと同時に身体が上下に揺れた。頭の先から爪先までを駆け抜けた音に身を震わせ、歯を食い縛りやっとのことで立っている状態を保った。
背負うクロエを落とすまいと手に力を入れ直すと、二度目の振動で足元の瓦礫が崩れた。
「う、うあわあああ!!」
「きぃゃゃ!!」
山を転がり落ちる二つの悲鳴は、一番下の地面に打ち付けられることで鳴り止んだ。
「どうして恵梨香もすっこけてんだよ」
「足場が崩れたんだから仕方ないでしょ……。
……それよりクロエは!? 大丈夫!?」
「あぁ何とか……。細かい切り傷はできちまったが、大事はなさそうだ」
それを聞いた恵梨香は胸を撫で下ろした。
「それより今の地響き……」
「えぇ。ただの地震なんかじゃないわ」
そう言って天井に空いた穴から見上げた空には、噴煙と砂塵が待っている。
脳裏によぎる嫌な予感。俺たちがどれほど移動したのかはわからないが、世界樹の近郊で発生する異変に不安が募る。
「何があったか、そして何が起こっているかは分からないけど、急いだ方がいいのは確実ね」
「そうだな。いつ残りの天井が崩れるかも分からないし、辛うじて足場が残っている内に登り切らないと、地下に閉じ込められたまま全部が終わってたら笑えない」
そんな呑気なことを口走った矢先、再び大地を揺らす地響きが起こった。
今度の揺れは先ほどの揺れとは比べ物にならないほど激しく大きい。
天で弾けた光彩が衝撃を放ち、反響とともに平衡は失われた。振動に揺らせれ震える壁には亀裂が蜘蛛の巣状に走り、天井は今にも崩れんとばかりに悲鳴を上げる。
「このままじゃ下敷きに!」
焦燥の苦悶が漏れ出すも、俺も恵梨香もこの揺れの中ではミミズのように這いずることしかできない。
崩れ落ちるギリギリで堪える天井から逃れようと地を手繰り寄せ前進する中、耳を突き刺す風切音が接近する。
垂直に落下したそれは、瓦礫の山を蹴散らして地面に衝突する。地面を貫通し、大きなか穴を開けた衝撃に地下空間が大きく揺れ、限界を超えた天井が決壊した。
「まずっ――――!!」
切迫した状況下でいち早い離脱が急がれる。
俺と恵梨香は揺れが収まると、同時にスタートダッシュを仕掛けた。クロエを背負う手に力が入り、前傾姿勢で地を蹴る。
しかし多数の大小様々な瓦礫が散乱し、全力で走り切れない。落下する瓦礫からは逃れられなかった。
下敷きになる瓦礫が落下する瓦礫に踏み潰され、それがまた落下する岩石に押し潰される。大の瓦礫が小の瓦礫を蹂躙し、みるみるうちに岩の山が形成された。
俺たちは無慈悲に積み重なる重荷に見舞われ、刹那の抵抗も許されないまま押し潰された。と覚悟を決めたはずだった。
「…………あれ。
生きて、る?」
頓狂な恵梨香の呟きに、俺も間抜けな返事をした。
俺も俺とて、どうして無事なのか皆目分からない。
理解不能な出来事に着いて来ておらず、呆けたまま辺りを見回す。
崩れた天井は石屑を散らしているが、大きな山になっていない。山どころか、積み重なる瓦礫の数が不自然にも少ない。
そして、見上げた空には天井があった。
艶やかに真新しい天井には亀裂はなく、頑丈な様相で憮然と構えている。まるで時間が巻き戻ったような幻想、狐につままれた気分だ。
「————危機一髪だったね」
「「っ!?」」
俺でも、恵梨香でもない声の主はふらついた足取りで佇んでいた。
か細い素足で力強くもふらつき、彼女の白い純絹の髪が揺らめく。黄金の双眸に写る俺は間抜けな顔で瞳を『見つめ返している。
「久しぶり、だね。王太郎くん。
それと始めました渡恵梨香さん。
……そしてありがとう」
彼女はか細い体躯で弱々しい挨拶をする。
突然の出来事に言葉をなくした俺たちは、クロエの挨拶に返答をすることができなかった。
夢の中のような事態に呆気を取られてしまったが、再びの振動が現実に引き戻された。
脳髄から指先までを貫く衝撃に、クロエが足を取られた。
「危ないっ」
固まった身体が咄嗟に反射で動いた。前に倒れこむクロエを受け止めて揺れを堪える。
やっとの思いで振動を堪える。腕の中で震えるクロエは余りにも弱々しかった。
「大丈夫なのかよ?」
「うん、ちょっとカッコつけすぎた」
クロエは蒼白の顔で照れ臭そうに微笑む。
「ちょっと時間をもらえれば、万全まで戻せるから。タンマ……」
切れ切れの息の中で言葉を残したクロエは、静かに瞳を閉じた。どうやら回復に集中しているようだ。
俺がクロエと顔を見合わせ、状況の整理をしていると、地面に空いた風穴の深くから雄叫びが木霊する。
「っっつぁ!!」
怒号とともに風穴から飛び出した人影は、瓦礫の山を突き抜けて着地した。
砂埃に塗れた男が、口に含んだ塵と血塊を吐き捨てる。男の身体には幾つかの生傷が刻まれており、それが落下による負傷でないことが窺えた。
男は赤髪を掻き上げて目を細め、天の高みを睨み付けた。
「零!?」
「おう、おめーらか。クロエはどうだっ……、首尾よくいったみてーだな」
険しい瞳をこちらへ向けた零は、俺の腕の中を一瞥すると穏やかに笑う。入り込む陽射しに照らされながらも、零の負った傷が対照的に胸を締め付けた。
「って、魔王のあんたが、どうしてそんなにボロボロなのよ?」
恵梨香が瓦礫の上に立つ零へ叫んで問いかける。
しかし天を仰いだ零は答えることなく、再び険しい視線で見上げる。
「んなことどーでもいいんだわ。
おめーらはクロエ抱えて下がってな」
零がぶっきらぼうに吐き捨てると、再び落下する風切音が接近する。
音に気が付いた恵梨香は身を震わせ、声にならない悲鳴を上げた。
降ってきた人影は三つ。
零のように打ち付けられ穴を空けるようなことはなく、三人は見事な着地をした。
金髪の青年は生身で着地、四肢で大地を掴んで携えた剣を鞘から抜刀する。
褐色の少女は色白の女性に抱えられる。二人は身体能力に頼ることなく、地面から生えた黒い塊に受け止められる。影に包まれた二人はふわりと舞い、レッドカーペットの上を行くように優雅に佇んだ。
「……アイーダ」
恵梨香は金色の髪を揺らす”強欲の魔王”と対峙する。
「アイーダの隣、”暴食の魔王”か」
褐色で小さな体格、特徴的な灰色のパーカーを羽織ったアイリスは、フードの中に乱雑に黒髪を押し込んだ。フードから覗く黒目が真っ直ぐに零を捉えてた。
「そして生身で着地した金色ゴリラが、”憤怒の魔王”」
零が指し示したブレアは、修羅のような形相で剣を構える。
”怠惰の魔王”
”傲慢の魔王”
”憤怒の魔王”
”強欲の魔王”
”暴食の魔王”
この場に五人の魔王が集った。魔導士ならば、一生に一度お目にかかることがあるかないかの奇跡の集いだ。しかし、状況は芳しくない。
「おめーら、逃げろ!」
零の絶叫と同時に、瓦礫を吹き飛ばす爆風が滑走した。
腹の底に響く爆発と、瓦礫を蒸発させる爆炎を、零は拳一つで霧散させる。
「どうなってんだよ!?」
息を飲む暇もない攻防に疑問が飛び出した。
爆撃を撥ね退けた零は、真面目な顔で、しかしこちらには目もくれずに、
「こいつら全員敵だ!」
怒鳴り散らす。
”魔王”対"魔王"。
それも一対三のハンディキャップマッチ。
「どうなってんだよ!?」
俺の絶叫は、ブレアと零の攻防に掻き消された。




