世変の勝鬨
~あらすじ~
最終決戦に望む零とブレアは一切の難なく魔獣の群れを押し返していた。敗色など匂わせることもなく前進する二人の前に、不穏な影が現れる。
零は規格外の人型魔獣を相手に苦戦を強いられる。そして魔獣との対面にブレアの様子が豹変して――――。
「————さぁ来たぞ……。俺らの出番だ」
待機していた零は、作戦通りに雪崩れ込んできた魔獣の群れを見下ろしている。ブレアは零の隣で静かに佇み、その右手は帯刀した長剣の柄に手を添えている。
「まさかきんちょうか?」
「そりゃあ最後の作戦の要なんだよ。僕だって緊張するさ。
……そういうレイはいつも通りだね?」
「やることはいつもと同じさ。力みすぎたっていいことなんて一つもないだろ?」
「言うのは簡単だけれど……、誰にだってできることではないよね、それ……」
相変わらずだ、と朗らかに微笑むブレアからは、もう余計な力みはなかった。
「二人とも、出番だ。頼む」
「あぁ……」
「はい!」
現場を指揮するジェームズ大尉に促され、二者二様の返事をする。
湿度が満ちる張り詰めた戦場の中に、二人の若者が足を踏み入れる。
一撃目、ブレアは腰を下げ重心を低く、力を溜め込んだ剣を光らせる。
「僕から行くよ、レイ————!?」
しかし零は一目散に飛び出していた。電光石火の速さで地を往く零は、魔獣ごと大地を穿つ一振りを皮切りに接敵する。
「ふんっ!」
零が魔獣と接敵したと同時に、ブレアは長剣を真一文字に振り抜いた。零も巻き込むことを構わない一振りは、灼熱の波を生み出し魔獣を飲み込む。そして数十もの魔獣を巻き込む大爆発が巻き起こり、豊かな自然の大地にクレーターを作り出した。
魔獣の阿鼻叫喚を孕んだ爆炎は依然赤々と燃えている。
そこにブレアの第二撃の熱波が飛び込み、白い光を放つ爆発が容赦なく天へ立ち昇る。
白光りする爆炎から命からがら逃れた魔獣は、脚を引摺り一目散に去ろうと群れを逆行する。だが、逃げる魔獣を追う影が一つあった。
同じ白炎から飛び出した零は、爆炎の熱を帯びた拳を振りかざす。たった一振りに込められた熱は魔獣の脳天を貫くには余りあるものだった。
零の肢体に籠った熱気もすでに冷めているが、本人はそんなことに頓着などしない。常に渾身の一殴り一蹴りを見舞いながら獣列を突き進む。
「無茶苦茶だ…………」
二人を見送ったジェームズ大尉は、怒濤の進撃にひたすら息と感嘆を飲んでいた。
「作戦は上手く進行しているようだな」
「少佐――――!」
先発隊を率いる二騎たちと合流したジェームズは、一安心とため息を吐いた。
「そちらも、よくあの二人を今まで大人しくしつけてくれた。後はあたしたちに出来ることは少ないが、まだ働いてもらうぞ」
ジェームズ大尉は返事の代わりに小銃を構え、その安全装置を外して見せた。
「お前たちもまだ戦えるだろう?」
「もちろんですわ!」
「むしろここからが本番だよね!」
オルガとクロエは意気揚々とした返事をする。孔明は以前大人しく首肯で返し、アイリスは相変わらず無関心だ。
アイーダはただ一人不安を忍ばせるが、この勢いを止めぬようにと胸の内へ押し込んだ。
「た、大変です少佐!」
「っ!? どうした?」
そんな押せ押せムードの本陣に、青ざめた隊員が転がり込んできた。隊員は顔一杯に汗を流しながらも血の気は引いている。
よほど急いでいたようで過呼吸になりながらも報告は止めない。
「囲まれています!」
「……は?」
「この部隊の四方八方、来た道もすべていつの間にか魔獣に囲まれています!」
「なんだと!?」
この事態を二騎は完全に予想していなかった。魔獣の群れを、牧羊犬が羊を厩舎へ返すように追い立てて来たのに、思わぬ伏兵に包囲されている。
(魔獣に“待ち伏せ”と“挟撃”を立案するほどの知能が……?
すべてがそうでなくとも、まさか、いや、想定が甘かったか……!?)
「くそっ! 何てことだ!」
苛立ちと悔しさから、二騎は装甲車を殴り付け怒鳴り上げる。
「大丈夫ですわチサト。わたくしたちですぐに蹴散らしますもの」
「そうだよ! その後で二人と合流しよう。諦めるわけにはいかないよ!」
オルガとクロエは二騎を励まし自らを奮起させる。孔明も腹を括ったのか臨戦態勢に入った。
「レイ君とブレア君にはもう少し踏ん張ってもらうしかないですね……」
「あぁ……」
ジェームズの言葉に相槌を打つ二騎は、最悪の事態が頭をよぎった。
「――――ふぅっ!」
そして相変わらずの快進撃を続ける零は器用に魔獣の間隙を突き、一体の魔獣の頭蓋を踏み砕いていた。そして背中からさざ波のように寄せるブレアの爆撃を掻い潜り、誰よりも最前線に押し出ていた。
「突出しすぎだレイ! 足並みを揃えて攻めないとキリがない!」
「ぅるせー! てめーの派手な攻撃のせいでこいつらが尻尾巻いて逃げてんだろ!?」
「それを先行して叩きに行ってどうするのさ!」
「だったら討ち漏らすんじゃねー!」
そしてこの有り様である。
さっきから二人で言い争いをしながらも、全く危うい状況などなく進撃している。
爆撃から、そして追撃者の魔の手から逃れるように魔獣の戦線は後退していく。
当初の目的である「魔獣の掃討」は困難なままではあるが、この戦いは総じて“勝利”といっても過言ではない。
……ただ零はそれでも前進した。
――――この先に何かいる。
そんな虫の知らせにも近い衝動が零を突き動かした。
そのとき、隙間なく撤退する魔獣の中に確かな人影が見えた。
(今のは見間違い……、じゃねーか!)
零は自分をよく知っている。零は一瞬たりとも気を緩めてはなく、その場合は本当に油断も隙もありはしない。
そんな傲慢にもにた自信が零を次の一手へ動かした。
「そこか!」
一度捉えた人影を逃すことなく、零は躊躇なく剛拳を高速で叩き付けた。
周囲の魔獣を巻き込み穿った地は蜘蛛の巣のようなひび割れを起こし草木を吹き飛ばした。しかしそこには狙いの残骸はない。
「外した――――!?」
先にも後にも、この戦いただ唯一の零の焦燥が絶好の反撃の狼煙だった。
「Guyyya!!」
「Baaaaau!!」
「Guryy!!」
機を合わせたかのように魔獣が奮い起つ。個では決して零には敵わなくとも、それらが同時に群れとなり襲いくる。
加速の暇も与えられない零は小技で牙を逸らすも危機は、続々と襲いかかる。逆転の一発を封じられた零は、先程の自らの愚態を呪った。
「せぇぇい!」
零が最期を悟りかけたとき、頭上で爆音が鳴り伝播した。
その音に飲まれるように魔獣が焼けると、そこに“道”が出来上がる。零はまばたきの間に最高速に達し窮地を脱した。
「大丈夫かレイ?」
「あぁ……」
短く言葉を交わした二人は足並みを揃えた魔獣の群れと相対する。
ブレアは柄を力強く握り、長剣を正面で構える。団子になった敵はブレアにとっては格好の的である。
しかし零は相変わらず不安とざわつきを感じている。しかしその内心をブレアに打ち明けることはできなかった。
「Uuuu……」
すると魔獣たちは二人を囲うように隊列を整え静止した。360°を囲いながらも、襲撃の色気すら出さない群れは不気味である。
この動きの示すところは、指揮者の存在を明示していた。
「さすがだよ。素晴らしい。
今のチャンスを逃したなら、この子達では無理だね」
そして魔獣の海を割って登場したのは、二足で歩む魔獣だった。人の四肢を持ちながらも人とは異なる黒い皮膚、そして怪しく光る紅眼と鬼のような二本の角が異様さを掻き立てる。
「な……、何だあれは…………」
予想外の敵の登場にブレアは明らかな動揺を見せた。
(くそっ! まさかそこまでか!?)
対する零も予想外の敵の姿に最悪の事態へのイメージが直結する。
零は魔獣に何もさせる訳にはいくまいと、直立から最高速へ加速した。
地面を踏み砕き砂塵を舞い上げたスタートダッシュまでがコンマ一秒、そして敵に肉薄するまでには時速120kmまでに達していた。
その運動エネルギーを余すことなく右腕に乗せると、身体の捻りを加えて魔獣の顔面に叩き込んだ。
魔獣は一秒にも満たない神速の奇襲にも冷静に対応し、拳を左猿臂で打ち返した。
「っ!?」
魔獣の生物離れした動きに目を見開く零は、跳ね返された勢いに従い、左足を大地に突き刺し軸として背面に回転する。次に
後ろ回転回し蹴りを魔獣の腹部に叩きつけるも、それは魔獣の脚に阻まれる。
「くそっが!」
左拳の振り下ろしに槍のような脚蹴り、遠心力にものを言わせた腕振り、跳躍から叩き付ける回転蹴り、そして隕石にも比類する踵蹴りの連撃を繰り出す。
しかし、魔獣はその一つ一つを体捌きで防いでみせた。
五秒にも満たない攻防に果てに、互いに与えた物理ダメージは0に近い。しかし零は遥かな何敵の存在に焦りを隠せない。
「避けろよ! レイ!」
「っ!」
我に返ったブレアが、大敵に対して全力の攻撃の構えに入った。長剣を頭上高く掲げ煌々とした火花を散らす。そして膝を曲げ腰を落とし下半身の重心を固める。
「はぁぁぁ!」
そして頭上から長剣を振り下ろす。鋭利な刃が空を切る金切音が鳴った。
周囲への被害、そして零を巻き込む可能性の全てをかなぐり捨てた爆撃が放たれた。
回避に徹した零が目の当たりにしたのは、地獄の釜を開けたかのような“赤”だった。
眼前一面の草木を山々を大地を水面を飲み込んだ炎は、瞬く間に何もかもを消炭へと変える。
「やったか……?」
全火力を出したブレアは膝を突きながらも、剣を支えに何とか体勢を保つ。その隣では炎から逃れた零が立ち竦み、ことの顛末を観察していた。
次第に炎は薄れいき、立ち上る熱が陽炎を作り出す。
そんな天まで届く爆炎を目印として、魔獣の群れを振り払った二騎たちの隊が合流した。
蒸し返る熱気を吸い込んだオルガは肺の底から咳き込んでいる。
「どういうスケールですの、これ……」
目前の焼け野はらに唖然とする一同は、その中央に不審な物体を見付ける。
「――――何だあれは……!?」
その陽炎の中、ブレアが見付けたのはどす黒い繭のような岩だった。それは確かに高熱を帯びているが、外傷といったものは一つも見当たらなかった。
そしてその黒岩は生き物のような胎動を見せる。鼓動を刻むと形が変容を始める。どろどろと流れ出た繭は四肢を形成し、再び人形を取り戻した。
「何かくる」
誰もが感じ取れる危機に、全員が咄嗟に身構える。
しかしそれは杞憂に終わり、穏やかな挙動で魔獣は立ち上がる。
「矢鱈めったら出鱈目な攻撃をさせたら敵わないなぁ。
だが、“能力”に依存しすぎる癖もよくない。言っただろう、『“力”を出しきるためには“業”から磨け』と。ブレア」
「ま、魔獣が喋った!?」
クロエが声を上げて驚嘆した。他の誰もがまず第一に“喋る魔獣”という現状に狼狽えている。そして誰もがその本音を理解できずにいた。
しかしただ一人、ブレアはその言葉を聞いて固まってしまっていた。
「お前は何を言っている……」
ブレアは明らかに見てとれる動揺をしていた。呼吸は乱れ動悸は激しく、瞳は魔獣に恩人の影を重ね始めていた。
「長剣は遠心力に振られないように全身で操るんだ。腕だけでもなく、脚だけでもない、全身の連動こそが最も難解なんだ」
魔獣は身振り手振りで長剣の扱いを語っていた。それは“獣”を越えた知性の現れ、そして“人”としての明確な記憶。
「止めろ……、お前が、お前なんかが……、ジンさんの言葉を語るな……!」
「なぜ否定する? お前だって分かっているんだろう?
私こそが“ジン・フォルオム・リーテ”――――」
「黙れぇぇ!」
ブレアは怒号を飛ばすとともに、容赦のない爆撃の一振りを終えていた。残る力を振り絞り、精神すら磨耗したブレアは一撃の行く末を見届けることなく地に伏した。
しかし人型の魔獣は腕も変形させ盾として防ぎ、ダメージは以前与えられない。
「そんな……」
その場の全員が戸惑いを隠せなかった。
滅多に怒りを表さないブレアの激昂、そして得体の知れない魔獣の能力。
“人型の魔獣”
“能力を駆使する魔獣”
“喋る魔獣”
たった一つの個体に詰め込まれた情報が意味するのは、それが“規格外”の敵であるという事実だった。
「この戦いは魔獣サイドの敗けだとも。すでに大部分の個体を屠られている。私一人、いいや一体が出張ったところで覆すのは困難だとも」
魔獣はブレアの攻撃がまるでなかったかのように語る。そして頭を振り撤退を示唆するも、その雰囲気から何か企んでいることは明白だった。
「だからこそ、何か大きな傷痕を残しておかないとね。二度と立ち上がれなくなる、そんな傷痕さ……」
魔獣の口角が吊り上がる。それを見逃さなかったのは二騎と零、そしてアイーダの三人だけだった。
「“そのまま自害なさい”!」
魔獣の狙いに勘付き、先手を打ったのはアイーダだった。絶対服従の言葉が魔獣の鼓膜を震わせる。
「…………そんなもの効くとでも?」
(予想はしてたけど、やはり格上!?)
零やブレアが支配されなかったように、アイーダがこの魔獣を支配することは不可能だった。
「新見!」
「分かってら!」
二騎の激よりも速く零が飛び出したが、奇襲は魔獣の徒手で防がれる。果敢な連続攻撃を繰り出すも、避けることに徹した魔獣には当たらない。
「君たちがこれまで殺してきた魔獣、それが何処から来たか、考えたことはないか?」
「黙れくそ!」
零の攻撃をもってしても、魔獣の饒舌は止まらない。
「ないはずかないだろう。魔獣を数え切れないほど殺してきた君たちだからこそ、その生について考えさせられるんじゃないのかな?」
「“黙りなさい”!」
魔獣の言葉は優しく語りかけるようだったが、その裏で激しく煽り立てていた。人が持つ好奇心を、知りたいという探求心をもって、魔獣は心留めを刺す。
「簡単なことじゃないか!
魔獣は人の身を依り代に産まれるのさ!
魔獣とは人の命の先にある姿! 肉体の殻を超越した“人類の天敵”!
君たちは正しいのさ。人を守るために人を殺す、歴史のレールに乗って正しい行動をしたんじゃないかな!」
――――何かが折れる音がした。
これは比喩表現なのだが、零の耳には確かに聴こえた。
二騎が恐れていた“心が敗ける音”である。
若干二十歳前後の若者が、知らずとはいえ己の殺戮を突き付けられる。
折れない筈がない。
『痛い目では済まなくなるぞ』
いつの日かの零の忠言が脳内をぐちゃぐちゃに揺らす。
「あ、ぁぁぁ――――!」
耳を塞ぎ、頭を抱えた二騎が崩れ落ちた。
「…………」
言葉を失ったオルガは思考も止め、虚空を見つめる。感情のない標準化の中、大粒の涙だけが溢れ落ちた。
孔明は掌で顔を押さえ、アイリスを静かに抱き寄せた。
クロエは唇を強く噛み締め俯き押し黙る。ぼとぼとと落ちる粒が地を叩いた。
クロエの涙が地を濡らす。地には次々と水滴が落ち、天から降り始めた雨が激しさを増した。
「くっくっくっ。
予想以上だよ。まさか千里、伝えてなかったのかい?」
魔獣は白々しい笑みで二騎を嘲る。
それが零の逆鱗に触れた。
「アイーダ! 俺に指示しろ!」
降りしきる雨音と零の声だけが木霊する。
アイーダは零の意図を瞬時に察すると、ありったけの祈りを込めた。
「お願い、“勝って”……」
ドクン――――。
鼓動が高鳴る。
身体が熱い。
身が焼けそうな痛みに襲われると、その四肢には電光が走っていた。
「っ!」
何度も魔獣に阻まれた奇襲を、零はもう一度繰り出した。この一撃に文字通りの全身全霊をかける。
雨に濡れた身体で弾ける碧電は右拳に集約されると、魔獣を目掛けて振り下ろされた。
「ふんっ!」
しかし零の一撃はやはり魔獣に防がれる。のだが、今回は違った。
零は今“勝つ”という祈りに支配されている。
想いが奇跡を呼び込む。
「くらぇ!」
零の拳から放たれた雷が魔獣の身体を駆け抜けた。
降り出した雨に濡れた身体は、たとえ魔獣であろうと通電を加速させる。
「っ! ぐぅっ!」
魔獣はその攻撃に対して、始めて狼狽えた様子を見せた。
零がこの好機を逃すはずもなく、無防備になった脚から弾いて見せた。
宙に浮いた魔獣の四肢に、隕石に匹敵する一撃が叩き付ける。さらに雷電により殺傷力の増した一撃は魔獣を内側からヴェルダンにする。
ほんの数擊、されど数擊。
一瞬の攻防が決した。
「くぅうぅぅぅ…………」
殴り飛ばされた魔獣は、焼き焦げた更地に着地し転がり止まる。
身動き一つとれずに雨に打たれ、脆弱な呻き声を上げるだけだった。
「……勝った」
アイーダの表情は込み上げる喜びに綻ぶが、それも束の間だった。
全身全霊を出し尽くし、あまつさえ雷電で身を焦がしていた零が顔から倒れ込む。
「レイ!」
慌てて駆け付けるも、アイーダは火傷の残る零を見て震え上がる。
「ふふふ……。君たちの勝ちだよ、今回は」
天を扇いだ魔獣が細々と声を上げる。
「いいえ、それは間違いよ。
だって貴方たちに“次”はないもの」
「本当にそうかな?」
「何を言っているの……?
っ!」
するとどこからともなく、小柄な魔獣が人型の魔獣の元へ駆け寄ってきた。
「私がただ喋るだけの存在だとお思いか?
……だとしたら、その思い込みこそが君たちの“次”の敗北の遠因だ」
犬の形をとった魔獣が人型の魔獣を運び出す。
「待ちなさい! “そいつの息の根を止めて”!」
アイーダの言葉を受けた犬の魔獣が、人型の魔獣へ向けて鋭い牙を剥き出した。
しかしそれを突き立てることはない。
「何で!?
私の支配は成功しているはずなのに!?」
アイーダは焦りの余り、零を抱き抱える腕に力が入ってしまう。
「簡単なことだよお嬢さん。
君よりも、私の支配が絶対的だということだ」
「魔獣の頭脳、指揮官、そして王気取りかしら?」
「違う、私はただ彼らよりちょっとばかり特別なだけさ。
そうさな……。名乗るとしたら“原初”かな?
私という存在はただの始まりさ。世界はまだ末長く続くのだからね――――」
“原初”と名乗った魔獣はそのまま北上し、地平線の果てへと姿をくらました。
焦土と化した大地に残ったのは、全身全霊を出し尽くした勇猛な戦士と、心の枯れた歴戦の猛者のみだった。
後に“世変の勝鬨”と呼ばれる魔獣戦線はこうして勝利に終わるも、それを戦い抜いた者の心には深い傷痕が残される――――。




