誰かが笑うのかい?
~あらすじ~
夏祭りの夜から数日後、目を覚ました王太郎は学園の保健室にいた。
傷む傷跡を負いながらも安堵感に浸る王太郎だったが、その心には影が落ちていた。
見失った意味を探す問答に二騎が答えを下す。
「生きてたか……」
おもむろに視界が開けた。
LEDの光は白い天井に映えて、寝起きの俺の瞳孔を刺激する。
眩しいを通り越して痛い光りから瞳を庇おうと目蓋を閉じる。が、二度目の睡眠には落ちられなかった。
目を閉じたままも意識ははっきりしてしまった。眠れそうにもない。
するとニコチンの臭いが鼻孔を突いた。同時に横から声がかけられる。
「やっと起きたか」
火の着いたタバコを片手に、二騎先生がベッドの横で佇んでいた。
「先生、ここ保健室なんで喫煙するのはいかがかと」
「だが病室ではない。『保健室は禁煙』なんてルールはない。
開口一番そんなことを言えるなら頭はしっかりしているようだな」
二騎先生は俺の容態を確めるついでに煙を吹かす。
『保健室は禁煙』なんてのは言わずもがなのルールなん規定がないのかと……。とはおくびにも出さずに、俺は天井を見つめる。
しばらくの間、保健室に沈黙の時が流れた。時計の秒針の進む音がけたたましく聞こえる。
話を先に切り出したのは二騎先生だった。
タバコの吸殻を携帯灰皿に捩じ込んで、座る姿勢を直した。
「さて、お前の怪我の容態についてだが……。
噂には聞いていたが、朝臣の自然治癒には驚かされた。三日三晩眠りはしたが、切り落とされた腕脚は問題なく身体に付いている。傷跡は残った訳だが文句はあるまい」
二騎先生の言葉を受けて、俺は布団の下の身体を動かしてみる。
痺れるような痛みが走ったものの、確かに切り落とされた腕も脚もあった。
胸を撫で下ろした俺を見て、二騎先生は言葉を続ける。
「だが他の外傷に関しては一刻を争う様子だったそうだ。残りの夏休みは保健室で養生してもらう」
俺は無言で頷いた。と同時に、一抹の不安が脳裏を過った。
「紗耶は無事なんですか?」
俺は二本目のタバコをくわえた二騎先生に尋ねる。
二騎先生は一瞬驚いたような眼差しで俺を一瞥し、その後は何も言わずにライターの火を灯した。
もったいぶっているのか、躊躇っているのか……。二騎先生のゆっくりな動きが俺の不安を煽る。
そして二騎先生は煙を吐き出して、ようやく口を開いた。
「宇佐美が救急車を呼んで瀕死のお前を救ったんだ。一体どうすれば宇佐美が無事ではないと言える?」
「……つまり紗耶は無事で、俺は紗耶のお陰で生きている、と」
「そういうことだ」
よかった。
言葉にもならない言葉と安堵で、急な睡魔に見舞われた。緊張の糸が緩んだのか、意識がふわふわとし出して、身体が浮かびそうだ。
二騎先生はうとうとし出した俺を咎めるでもなく、静かに立ち上がって扉に向かう。
二騎先生は特に干渉をすることもなく、俺を一人にしてくれようとしている。
その心遣いはありがたく、俺は静かに瞳を閉じた。
もう少しで眠りに落ちることが出来る。
もう少し……。
もう少し……、なのに……。
眠れない。
腕と脚の傷が疼く。身体の傷が疼く。心のどこがが疼く。
俺の惨敗の記憶が、惨苦となり疼痛となる。
燕尾服の男がどういう気紛れで紗耶を逃したかのは分からないが、あの執着加減から考えるとまた襲ってくるかもしれない。
そのとき、俺は紗耶を守れるのか……?
俺は紗耶を守れなかったのに……?
その事実が俺の頭の中を縦横無尽に走り回る。
俺がこの学園で手にしたものは一体何だったのか、そんな疑念が鎌首をもたげた。
俺は無意識の内に二騎先生を呼び止めていた。
「……」
二騎先生は無言で振り向き、俺の二言目を待つ。
二騎先生なら答えてくれるかもしれない。
俺は二騎先生に答えのないように思える問答を始める。
「俺は学園にいて強くなっているんですか? 俺は死にかけて、強くなるって何なんですか?」
俺は抱えたモヤモヤした疑念を一つずつ言葉にした。
「あたしが知るか馬鹿者」
「えっ?」
二騎先生は考える間も置かずに、反射的に答えた。
歯切れのいい明瞭な回答に、思わず聞き返してしまう。
「あたしの仕事は生徒を魔導師にすることだ。強くすることじゃない」
「魔導師にするって強くするってことじゃないんですか?」
「違うな。全く違う」
二騎先生は俺の問いかけをバッサリ切り捨てた。
「全ての魔導師が強くあるものか。人間も然り、“強い”なんて曖昧なものが普遍的なものか」
「じゃあ俺はどうしたら……?」
問答の果てに最初の問いに回帰した。
“強い”なんて概念のために走ってきたのに、それすら幻想だったのだろうか。
俺は何のために、そしてこれかは何を目指せばいいのだろうか……。
頭の中を、新たな疑念が堂々巡りを始めた。
俺が一人、思考の海に沈んでいると、二騎先生がおもむろに口を開いた。
「『どうしたら』と言ったな。そんなものは最初から決まっているだろう」
「えっ? 決まっている、んですか?」
俺は二騎先生の予想外の返答におうむ返しをしてしまった。
二騎先生はおうむ返しを気にも留めることなく、話を続ける。
「お前は走ることを続けるだけだ」
「でも、それでも、勝てない相手もいます。誰も守れない強さなら、俺にとっては意味がありません」
「お前が全員全部守りたいなら、あたしは止めはしない。だが、お前が走ることを止めれば“守れたはず”のやつが守れなくなるぞ」
「そ、そんなタラレバ話は聞きたくありません。自分の力不足で、目の前で誰かを失うなんて嫌です」
二騎先生の言葉が痛いところを突いてくる。
俺は返す言葉もないまま、子供のわがままのような屁理屈を並べた。
俺はベッドの上で二騎先生からの鉄拳制裁が来るかと身構えたが、二騎先生は拳を振るうことはなかった。それどころか悪戯な笑みさえ浮かべていた。
「タラレバ話? 結構じゃないか。魔術なんてフィクションがノンフィクションになったときから世迷い言なんてなくなった。
『千里の道も一歩から』『ローマは一日にして成らず』、一人を最後まで守りきらないでいきなり全員全部守るなど不可能だ」
「……」
俺は今度こそ返す言葉を失った。
二騎先生はタラレバ話を笑うことはなく、タラレバ話を笑う者を笑ったのだ。
その強く凛々しい笑みが眩しい。
「今回は都合のいいことに、誰も失っていないのだろ。死んでもおかしくなかったはずの状況で死んでいない。
それがどういうことか、分かるか?」
そして二騎先生は、そのしなやかな指で俺を指した。
二騎先生の言わんがすること、今の俺にでも分かる。
あのとき、俺と紗耶の抵抗が功を奏した。
それはつまり……。
俺は一瞬の旬順で二騎先生の真意を理解し言葉に変換する。その時間、僅か一秒。
「俺は守ることが出来た、ということ……」
「その通りだ」
歯切れのよく、早い俺の返答に二騎先生は満足げに笑った。
俺の心のわだかまりが溶けていく。
張り詰めた糸が切れ、一気に疲れが襲ってきた。
俺は微睡みの中で二騎先生に声をかける。
「ありがとうございます先生。何だか今までで一番先生っぽかったですよ」
「あたしのことを馬鹿にする気か朝臣。いい度胸じゃないか。校庭を何周したい?」
「いや、マジで思ってるんです。俺、二騎先生のクラスでよかった……」
そして俺は最後の言葉を言い終わるのを合図に眠りに落ち始める。
遠くで小言を言う先生の声が聞こえた。
そしてピシャリと閉められた扉の音を最後に、深い惰眠を貪るのだった。




