花火の前に咲いた紅花
~あらすじ~
花火大会を目前にした神社の境内で、王太郎は燕尾服の男と対面していた。
敵意を剥き出しにする王太郎と紗耶は男に攻防をしかけるが、男の能力に苦戦する。
そんな中、男が不意に攻撃に転ずると……。
「お前は何者だ。紗耶に何の用件があっての有り様だこら」
俺の声音は自分でも分かるほどに剣しかった。
俺は男の動きに警戒し、男との距離を計る。
「これは参りましたね。“殴られる”のは何年振りでしょうか……」
男は燕尾服に付いた土を払いながら立ち上がった。そして呟く小言には僅かの怒気も焦燥も感じない。男はただ楽しそうである。
「俺の質問に答えやがれ。お前の素性と目的を端的に教えろ。お前の“流動的な身体”という能力も、俺なら突破出来ることを忘れるなよ」
俺は男ににじり寄りながら拳を握り締める。
俺は先程の一発で魔力を消費しきってしまったが、白髪モードに入ることによって魔力切れをカバーしている。
そして俺の魔術“相殺”でなら、身体が流動的な男の魔術も無駄である。男の魔術を相殺しながら殴り飛ばせることはすでに証明済みだ。
男もそのことは承知しているだろうが、飄々としている。男の掴み所のない振舞いに不安が煽られる。
「いいですね。君には宇佐美紗耶にはない“殺意”がある。
……この能力とその原因不明の白髪化現象、なるほど君が朝臣王太郎ですか」
「っ? なぜ俺たちの名前を知っている?」
益々怪しい男は一人、合点が入ったように手を叩いた。
「王太郎、この男が何者であろうと捕まえる方がよさそうだね」
「あぁ。こいつは異常者だ、それもとびっきりヤバいやつ」
俺は握った拳を構え、紗耶も銀色の長搶で臨戦態勢を整える。
俺と紗耶の間に言葉はなく、アイコンタクトで策を合わせる。
そして俺と紗耶は、ドンピシャのタイミングで走り出した。
「覚悟しやがれ!」
先陣を切った俺は思い切りのいい正拳突きを仕掛ける。
初手の突きは男によって受け流されたがそれも想定内だ。俺は続く攻撃の手を緩めることなく、突きや蹴りで男にペースを掴ませない。
「なるほど。貴方の魔術をもってして、わたしに流動化させる隙を与えないつもりですか」
男は俺の攻撃を受け流しながらも冷静に分析をした。
しかし俺は別のことに驚いていた。
男は俺の攻撃を、魔術ではなく徒手で受けているのだ。
確かに俺が触れている間は男の魔術は相殺される。そのため魔術を使っての攻防は無為なのだ。
しかし自慢じゃないが、俺の動きは紗耶仕込みの生粋の組手空手の動きだ。並みの戦闘能力では受けることに気を割き、分析など出来るはずもない。
(こいつはちょっと見込みを間違えたか……?)
俺は攻撃の最中、頭の中で舌打ちをする。
男は俺の一瞬の迷いを見逃すことなく、突然攻撃に転じた。
ひゅるりと流れる身のこなしで俺の前回に突きを後ろに流すと、ノーガードの俺の横っ腹に側刀蹴りを打ち込んだ。
たった一撃ながらも激しい吐き気が俺に襲いかかり、気が飛びそうになる。それを気合いで持ちこたえると、俺は思わずしたり顔をした。
「かかったな……!」
「ほほぅ……。そういう手筈でしたか……」
俺は横っ腹に据えられた男の脚を両手でしっかりホールドする。
男も俺の策に気付き、感嘆の声を漏らす。
男の脚を掴んだ俺の背後から、槍を振り上げた紗耶が飛び出した。
これが本命の攻撃だ!
「手加減とか出来ないから致命傷になったらごめんね……。
チェストーー!」
気合い十分の紗耶は全力で叫び、槍を降り下ろす。
紗耶の打ち込む槍が男に肉薄したそのとき、男の糸目が不適に吊り上がった。
「いい策ですね……。
ならば、“策”には“力”で押しきるとしましょう。それが わ た し 達 の流儀」
「っ!!」
不気味な男の発言の直後、俺の後頭部に殴られたような衝撃が走る。衝撃の強さの余り、俺は両手と両膝を地面に着いてしまった。
俺には一体何が起こったのか分からなかったが、直感的に俯いた顔を上げる。
「退け! 紗耶!」
「もう無理!」
紗耶の降り下ろした槍はすでに男の身体に突き刺さっていた。だが男の能力により槍は身体を透過し、決して致命傷にはならない。
男は能力で受け流した槍を鷲掴みにする。
対する紗耶は握る鉄槍に力を込めるが、想像以上の男の怪力に槍はビクともしない。
男は怪しく薄ら笑いを浮かべながら、片方の手をおもむろに紗耶に伸ばした。対する紗耶は身動きも取れず硬直してしまっている。
「離れろこの野郎っ!」
俺は自分の脚に鞭を打って立ち上がり、紗耶と男の間に割って入った。
「ふふふ……」
男は余裕の笑い声を上げながら身体を水と化かし、俺たちの間を遊ぶように通過していく。
掴もうとしても指の間を器用に抜けていく水は、少しの距離を置いた場所で人型に回帰した。
「大丈夫か紗耶?」
「私は大丈夫……。王太郎は?」
「問題ない。さっきのは魔力切れの反動だ」
俺の言葉を紡ぎながら、先程の後頭部を襲った衝撃を思い出していた。
あれは急激な魔力の消耗、及び魔力切れの反動である。俺が男の脚をホールドしているとき、俺は男の魔術を封じるために魔力と魔力を相殺していた。
男は自信の放出する魔力をさらに解放することで俺のさらなる魔力の消費を強制した。その解放された魔力が桁違いな量だったために意識が飛びそうなほどの衝撃が走ったのだ。
意識が飛ばなかっただけでも行幸だったのかもしれない。
何よりも男がまだ底を見せていないことが俺の不安を煽る。
先程の魔力解放で見せた魔力も今は身を潜めている。
もしかしたら先程の魔力量すら底ではないのかもしれない。
「紗耶、作戦変更だ。あいつの狙いは紗耶だ。俺があいつを足止めするからここから離れろ」
「は? 何言ってんのバカ太郎。あいつの足止めを一人でするなんて危険よ。私と王太郎の二人であいつを拘束するわよ」
「駄目だ紗耶。あいつは俺たちが思っているよりも手強い。いや、俺たちでは敵わないかもしれない」
「そんなことはない。二人でなら何とかなるよ!」
紗耶は頭に血が上っているようで、俺の話を聞く耳を持たない。俺は何とか紗耶を説得しようと言葉を探すが、男が仕掛けてきた。
「お話しのところ悪いのですが、わたしも時間が余りある訳ではありません。終わらせましょう」
男は手を鉄砲の形にすると、指先から滴る水滴を弾き飛ばした。
言葉の通りの水鉄砲は鉛の弾丸のように、それ以上の破壊力を持って俺の肩を掠めた。
「くっ……!」
俺は肩の傷口を押さえてくぐもった声を漏らす。傷口はすぐに塞がっているが、男の水鉄砲は次々と放たれる。
「王太郎、盾に隠れて!」
俺は咄嗟に紗耶が造り出した大盾に身を隠した。
男の水鉄砲は数を増して襲いかかってくる。水鉄砲から水の散弾銃へと化し、鉄の盾に穴を開けた。
「くそっ……! 修復を……!」
紗耶は盾に開いた穴をただちに塞いだが、すぐに水の散弾銃が穴を穿つ。
紗耶が穴を塞ぎ、また穴が開く。いたちごっこの攻防を、俺は息を殺して耐えていた。
どこかに隙が出来るはずだ。そこを上手く突いてこの男から離れられたら……。
「『せめて宇佐美紗耶さえ逃がすことが出来れば』などと言うところでしょうか。貴方が考えていることは」
「「っ!?」」
背中にかけられるねっとりとした声音。俺たちを弄ぶような余裕の言葉は俺の図星を突いた。
俺と紗耶は顔を蒼白にして後ろを振り返る。
そこには燕尾服を整えるあの男がいた。
「嘘でs!?」
「紗耶!」
真後ろに現れた男は紗耶の首を掴んで持ち上げた。
俺は男の手を取り払おうとしたが、腹に水塊の一撃を食らう。二、三メートル飛ばされて俺は受け身を取って着地した。
「お……、ろう……」
男の手は水となり、紗耶の鼻と口を塞いでいる。
水のマスクで呼吸を止められた紗耶は、瞳に涙を浮かべて俺に手を伸ばす。
俺は紗耶の手を取ろうとひたすらに走り、手を伸ばす。
指先が紗耶の手と触れ合う。一度は掠った指先が二度目は重なり、三度目は手が重なる。
紗耶の手を握り、力一杯に手を引く。
すると……、
「グゥッ……、ァァァ!!!」
「っ! 王太郎っ!」
重ねた手は俺の身体から離れ、遅れて腕に激痛が走った。
紗耶の絶叫とともき瞳からは涙が溢れ、俺の手は地面に落下する。
俺は痛みの走る腕を確認すると、肘から先が丸っきりなかった。
「言ったでしょう。『終わらせましょう』と」
男は無表情のまま冷酷に言い放つ。男の片方の手からは水圧の高い水が放たれていた。
「ウォーターカッターかくそが!」
「ほほう……。腕を失っても痛みや焦りを見せないとは、中々見込みがありますね」
男は声を弾ませて分析をするが、その糸目は何一つ笑っていない。
だがそんなことはどうでもよかった。今の今まで遊んでいた男が本気で俺たちを相手にし出した。
本気で俺を無力化し、本気で紗耶を奪いにきている。
「紗耶から離れろこの野郎!」
「それは叶いませんね……。残念ながら」
男は相変わらず表情を変えない。冷酷なままに流水を操り、冷酷なまま言葉を吐き捨てる。
「この野郎……っ!!」
だが俺の力任せの一振りは男に届くことはなかった。突然視界が下に下降し、前のめりのまま地面に倒れた。
「ァァァ……ゥゥ…………」
右脚の膝下から流血が溢れる。
しかし、今度の傷に激痛はなかった。痛みもないまま嗚咽が漏れる。
「ゥゥ……、ゥゥゥ!!」
目から口から鼻から、涙とか血とか悔しさとか……。ありとあらゆるものが溢れ出た。
何もなす術がない。だがじっとしてられない。
何度もそこにあったはずの脚で地面を蹴ろうと試みるが脚は空振る。その度に自分の無力さを痛感し心が痛い。
「お…………。逃……て……」
紗耶は虚ろな眼から涙を止めどなく流し、歯切れの悪い言葉を紡ぐ。
「待ってろ、紗耶……。今、助けてやる、からな……」
何とか紗耶だけでも逃がす、その想いだけで俺は動いていた。
片腕で身体を起こし、片脚に力を込めて立ち上がろうとする。何度も地面に倒れるが、止めるなんて選択肢はなかった。
「……やれやれ。諦めの悪いことですね。それ以上無理すると、貴方は死にますよ」
男は地面に這いつくばる俺を見下ろして、呆れたように溜め息を吐いた。
俺は男を見上げる気力もなく、苦しさを抱いたまま目の前の土を睨んで声を振り絞る。
「俺は、死んでも構わない……。誰かを、目の前に失うくらいなら、命懸けで救いたい……」
「そうですか……。では勝手にどうぞ」
その言葉以降、男は俺に声をかけることはなかった。ただ地に落ちている剣を拾い上げ、俺の背中に突き刺した。
地面に打ち付ける釘のように刺さった剣は身体の重心を貫き、身動きが取れない。
痛みも出血も感じないのに動けない。
俺は嗚咽と涙を流すしかなかった。
苦しそうに悶える紗耶の声が遠くから聞こえ、その果てに俺は意識の闇に落ちていった。
余りにも無惨だった。
王太郎の片腕片脚からは致死量を遥かに越える出血、紗耶も呼吸が出来ないまま窒息寸前の瀬戸際にまで追い詰められていた。
燕尾服の男は眉一つ動かすことなく紗耶の意識が飛ぶのを待っていた。
男にとってこの二人は有象無象の一つにすぎない。
それでも紗耶を欲する理由は、彼女の持つ才能故だった。
今は弱々しく涙を流す少女も、きっと立派な力を持つ。
男の見込みでは、“大罪の魔王”に匹敵しうる才能だ。
だからこそ男は執着した。
が、男はやや落胆しているのも事実。
余りにも“人間味”に染まりすぎていたからだ。
『Ririririri……』
突然、暗闇に染まる境内に着信音が鳴り響いた。
男は内ポケットから携帯を取り出して通話ボタンを押した。
手短なやり取りの後、男は通話を切った。
すると、男は何の惜し気もなく紗耶を手放した。
地面に落ちた紗耶は、激しく噎せ返りながら酸素を取り込む。
「ゲホッゲホッ……!!
……あんた何のつもりよ」
紗耶は早速強気に問いかけるが、瞳は恐怖で震えている。立ち上がる脚も震えた、流れる涙は止まるところを知らない。
男はやはり落胆した様子で踵を返した。
「また、お迎えにあがります。そのときまでに強くなっていてくださいね」
男はこれまでにないほどの笑みで答えを返した、
男な階段を下って姿を消した。
境内には紗耶の漏らす嗚咽が残る。
その数分後、夏の闇夜空に鮮やかな花火が打ち上がった。




