アイーダのマーチ
~あらすじ~
零は森を荒野に変えてから数時間の間、自分を落ち着かせるために雨に打たれていた。
そんな零の元に謎の女性アイーダが現れる。
そして一方の王太郎たちは、夜が明けてもなおオルガの一件で暗い雰囲気のままだった。
特に落ち込んだ七海を元気付けようとするも空しく、七海は気を落としていく。そんなとき、昴と颯介がとある一面記事を持ってくる。
異常気象によって発生した積乱雲は、日が沈み月が天に達しても消えることはなかった。
轟々と唸る積乱雲は大量の雨を吐き続け、生命の色が消えた大地を潤し続ける。
普段は憎まれものの積乱雲も、この場合に限っては慈愛に満ちた天の恵みである。
「……」
そんな枯れた大地の上、零はただ一人派手すぎる水浴びをしていた。
ぬかるんだ大地の上に一人棒立ちし、少しの挙動も起こすことなくオブジェのようにそこにある。
「どう? 少しは頭が冷えたかしら?」
降りつける豪雨の中で、傘を差した女性が零に近付いた。
女性は持参した二本目の傘を零に差し出し、美しい笑顔で零を見つめる。
「お前の顔を見たら、また煮え繰り返ってきた」
「あら、それは残念」
零は決して傘を受け取らず、女性もまた悪びれなく笑顔を絶やさない。
「怒るのは結構だけれど、いちいち地図を改変しないで頂戴」
「じゃー、これからはお前に当たることにする」
「それは勘弁して欲しいわね。零に本気出されたら勝てる気が全くしないもの」
女性は傘を渡すことを諦め、湿り気を帯びたブロンドヘアーを優雅に靡かせる。フワリと香る甘い香りは土砂降りの雨の中であっても霞むことはない。
零もずぶ濡れの赤髪を掻き上げ、女性と正面から向き合う。
「オルガが見当たらない。どーせ一枚噛んでんだろ?」
「まぁね。そういう仕事で来たわけだから」
静かに本題に入る二人だが、その声音は敵対心を剥き出しにしている。一触即発のシチュエーションに、心なしか雨が勢いを弱めた。
「オルガを連れ出して何を企んでる」
「私が答える義務ある?」
「ここは俺の庭だ。俺の庭で起こった事態を把握する義務がある」
零は怒気を滲ませ、半ば脅迫気味に女性に問いかける。
一方の女性は余裕の表情を崩すことなく、傘をくるくると回して輪舞曲を踏んだ。
「“怠惰の魔王”のクセに、意外と躍起になるのね」
「茶化すなよアイーダ。お前が好むなら実力行使だって辞さないぜ」
「っと、それはナシね」
アイーダと呼ばれた女性はステップを止め、両手を上げて降参のポーズをする。だが、その顔には相変わらず切迫の色は見えない。
「そんなに焦らなくても、明日の朝にはどうせ分かるわよ」
「今、ここで言え」
アイーダの回答に納得しない零はさらに脅しをかける。
ここで、とうとうアイーダが余裕の表情を崩し苛立ちを示す溜め息を吐いた。
「別に答えてあげてもいいけど、私の愛おしい妹をたぶらかすやつに親切にしてあげる義理はないわ」
「俺はたぶらかしてねーよ。オルガの一方的な押し付けだ」
「姉にとってはどうだっていいのよ。昔みたいに『お姉ちゃん!』って後ろを着いて来なくなったのよ」
「俺が知るかよ……。それに何年前の話をしてんだ」
プンスカと可愛らしい怒りを顕にしたアイーダに、今度は零が呆れた溜め息を吐いた。
零はそれ以上何も言うことはなく、静かに足を進めた。
零が進む方向にも続くぬかるんだ荒野。しかし零はぬかるみに足を取られることなく、ただ一つの目的地を目指していた。
「まさか世界樹に行くつもり?」
徐に突き進む零の背中に、警戒心を抱いたアイーダが問いかける。
アイーダの顔にはさっきまでのふざけた怒りはない。況してや余裕など微塵も見えず、真剣そのものだった。
問われた零は答えることをしなかったが、アイーダがその沈黙を是と受け取ることは容易かった。
「まさか戦争を起こすつもりじゃないでしょうね?」
最悪の事態を想定したアイーダは零を引き留めようと身構える。
今のアイーダは実力行使さえもいとわない雰囲気を醸し出している。
そんな緊迫した状況を、零はいつもの乾いた笑いで吹き飛ばした。
「さすがに感情に身を任して世界敵に回すほど馬鹿じゃない。ただ俺の思うところがあるだけだ」
「それじゃあ、いつもの放浪だと思っていいのね」
零は言葉ではなく首肯で返す。
しかしアイーダは身体の緊張をほどかない。零の思惑が明確に見えない限りは油断出来ないからだ。
「貴方がいなくなって学園は大丈夫なの? ここは貴方の庭なんでしょう」
「そのためにアイーダがいる」
「っ!」
やっとアイーダは全てを察した。
どうして零が森を焼き払ったのか。そうすれば物見遊山にアイーダがやってくることを知っていたからだ。
どうしてアイーダに学園の安全を気にかけさせたのか。そうすればアイーダ自身を 安 く 使えるからだ。
零は決してプライドが高いと言えないが、反撃に関しては手を抜かない性分だったのだ。
アイーダは十年目にして、零の新たな狡猾さを発見した。
そして零に踊らされてみようとも思った。
アイーダ自身も、二人の魔王を変えてしまった学園の生徒に興味が湧いた。あわよくば自分も変えてくれるのではないかと、あり得ない妄想をした。
「私は高いわよ」
「言い値で雇うさ」
自嘲気味に笑うアイーダと、いつもの乾いた微笑みを湛える零。
アイーダは零の笑う横顔を見届け、託された学園へ足を運んだ。
吹き荒れた豪雨は晩の間に上がり、今朝は清々しい陽射しが燦々と降り注ぐ。
俺は陽射しがよく当たる自席で伸びをした。
すると視界の片隅に、複雑そうな面持ちの紗耶が現れた。
「七海はどうだった?」
「まだ気持ちの整理がついてないみたい……」
「そうか……。オルガのことだ。やむにやまれぬ事情があったに違いない」
椅子にもたれかかったままの俺は横目で時計を見ながら話す。
時刻は八時二〇分。この時刻が意味するところは、ただの八時二〇分だけではない。
オルガは毎朝、決まって八時二十五分に教室にやって来る。秒単位の誤差はあるものの、一分たりとも時間の前後はない。
つまり八時二〇分とは、「オルガが教室にやって来る」時間の五分前。もしオルガに何事もなかったならば、五分後にはひょっこり現れるに違いない。
……というのも、現時点では希望的観測にすぎないか。
俺は腰を上げ、かける言葉を持たぬままに七海の席へ向かう。
昨日の調査において、俺たちのS.O.Sに対してオルガが駆け付けてくれなかったことを七海は気にしているらしい。
元は他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していたオルガだったが、七海や紗耶たちの女子によるアプローチがオルガを丸くした。
最近ではクラスの女子に溶け込んでいた分、今回の出来事は七海にとっては「裏切り」に見えたのかもしれない。
「そんなに気に病むなよ七海。オルガにだって事情があるんだ。またひょっこり来るさ」
「うん……。ちょっとショックだっただけだから、もう大丈夫……。
あは、あははは。私元気っ」
そう言った七海は作り笑いをしながらポーズをとる。しかしその作り笑いが逆に痛ましく、七海の心傷の深さを表している。
七海は無意識の内に陰鬱な溜め息を吐いた。
「ちょっと太郎! あなたのせいで七海がより落ち込んだじゃない。どうしてくれるのよ!?」
「俺のせいかよ! それと俺は王“太郎”だ。いい加減覚えろチビ」
俺は難癖を付けてきた恵梨香と、小声で言い争う。
そんな俺と恵梨香の様子を見た紗耶が、俺の小脇を生成した鉄棒で小突いた。
「黙れ」という合図なのだろうが……、何で俺だけ?
俺が理不尽かつ狂暴な痛みに悶絶していると、たった今登校した昴と颯介がこちらに来た。
「おはよう、みんな」
「お前ら、今朝の一面見たか?」
爽やかに挨拶した颯介に対し、何やら怖い顔をした昴は手持ちのスマホを見せるとともに問うてくる。
「ニュースっていうと、『昨日の積乱雲によって気圧が乱され梅雨前線が起動を変えて、梅雨明けが早まった』ってやつかしら?」
「それも一大ニュースだが一面じゃない」
恵梨香の解答に首を横に振った昴は、手早くスマホのネットニュースのページを開いた。そして恵梨香にスマホを投げて寄越す。
というか恵梨香の言ったニュースも到底信じ難いぞ。
何せあの積乱雲は零が引き起こしたもので、つまりは零が梅雨明けを早めたということだ。次元が違うにもほどがあるだろ。
紗耶は俺の抱いた感想など露知らず、恵梨香の持つスマホを覗き込む。近くの席に座る七海も微かに聞き耳を立てているようだ。
七海の様子を察した恵梨香は記事を読み上げる。
「『圧倒! “大罪の魔王”の正義執行!
昨日未明、欧州で活動を活発化させていた魔導テロ組織“ReKindle”の拠点を特定した世界評議会は、“憤怒の魔王”ブレア・レッドウッドと、“色欲の魔王”オルガ・ベロニカの二人で殲滅したと発表した。
今回殲滅した魔導テロ組織“ReKindle”の拠点は欧州主要都市Pにあり、平時は欧州全土を手掛ける不動産業を行っていたとのこと。
この計画は拠点周囲の地元警察や住民にも通達なしという異例の秘匿性をもちながら、一般市民の死傷者は0、被害状況も皆無という成果を挙げた』
って……、何よこの記事は!?」
一頻り読み終えたところで恵梨香が驚天動地の声を上げた。
横で清聴していた俺なんて途中から何が何だか分からなかったが、大切な名前だけは理解できた。
「だからオーちゃん来れなかったの……?」
まるで年齢退行したかのように片言で話す七海の目には涙が浮かんでいた。
七海にとってはオルガが来なかった“事実”よりも、オルガが来れなかった“原因”が重要なのだ、
このニュースを聞いて、七海の胸のわだかまりも、つっかえていた疑惑の小骨を綺麗に洗い流された。
本人にとって、これほど嬉しいこともあるまい。
ところで“ReKindle”というテロ組織、どこかで聞いたことのある名だが……、はてさてどこだったか?
いかんせん“ReKindle”についての予備知識が少なすぎる。これでは思い出せるものも思い出せないというものだ。
「なぁ恵梨香、その“ReKindle”ってのはどんな組織なんだ?」
「聞くは一時の恥じ、聞かぬは一生の恥じ」とも言う。ここは羞恥をかなぐり捨て、(小声で)恵梨香に尋ねた。
しかし、俺は尋ねる相手を見誤ったようだ。颯介に聞いときゃよかった。
「はぁぁ!? あんたそんなことも知らないで話を聞いてたの、馬鹿なの!? 前々から馬鹿だとは思っていたけれど、言いようもない馬鹿ね! この馬鹿!!」
俺の足元を見た恵梨香はここぞと言わんばかりに詰ってくる。というより「馬鹿」って連呼したいだけの馬鹿だろ。馬と鹿に手を着いて謝れ馬鹿。
一息の内にこれでもか、と俺を罵倒し続けた恵梨香はやっと質問に答える素振りを見せた。
俺は込み上げてくる怒りをグッと堪えて聞く体勢を取る。
「“ReKindle”っ言うのはさっきも言った通り“魔導テロ組織”、つまりは魔導師によるテロ組織の大元とも言える組織よ。なんでも魔導師最優位な世界構想を理念に置いて、魔術を使えない人たちを狙って殺人・誘拐etc...残虐極まりない最低最悪の組織よ」
恵梨香は語っている途中から怒りわ含んだ険しい顔になる。
“ReKindle”は世界人口の二割弱が魔導師だと言われているこのご時世、残りの八割強の人口を切り捨てると言うのだ。
恵梨香の怒りももっともである。
「それで、これが“ReKindle”のシンボルマーク。これを見かけたら注意しなさい」
そして恵梨香は内ポケットからペンとメモ帳を取り出した。メモ帳の一ページを切り取り、颯爽とペンを走らせる。
恵梨香が書いたシンボルマークは、アルファベットの“R”と“K”。Rの文字は左右反転しており、RとKが互いに背中合わせになって、蝶のようになっておる。
俺にシンボルマークを見せた恵梨香はすぐに紙をクシャっと丸めてゴミ箱に入れた。
「今回はそんなテロ組織の拠点を狙った作戦だったわけだ。俺らに構えなくてもしょうがないだろ」
恵梨香からスマホを受け取った昴は受け取りがてらに呟く。それはふと呟いたように見えるが、確かに七海へ向けられたものだった。
昴の意図を汲み取った七海は穏やかに微笑み返した。どうやら七海は完全復活のようだ。
そして昴はスマホを颯介に渡した。颯介はスマホをポケットに仕舞う。
って颯介のスマホなよ。昴はよくも人のスマホを投げたな。それを指摘しない颯介もどれだけ信頼しているのやら……。
俺が内心苦笑いしているも、教室前方の扉が軽快な音を立てて開いた。
俺はそのとき、無意識の内に扉ではなく時計に目を向けた。
時刻は八時二十五分……。
「皆さん、御早う御座います」
そう言って入室者の女性は丁寧に朝の挨拶をした。下がる頭と、フワリと垂れ下がる秋に実る黄金の稲穂を彷彿とさせるブロンドヘアー。やっと頭が上がったかと思うと、筆舌に尽くし難い清廉なる微笑み。
絹のように透き通った白い柔肌と、紅玉よりも情熱的な紅い瞳。口元には新しい玩具を見つけた無邪気な子供のような笑み。
女性はクラス中から自身へ集まる疑惑の眼差しをモノともせず、俺たちの方へ向き直る。
その優雅かつ大胆なターンにブロンドヘアーが揺れ、辺りに甘い香りが漂った。
「まずは自己紹介よね。
私の名前はアイーダ。アイーダ・ベロニカよ。貴方たちのよく知るオルガ・ベロニカの実姉。よろしく」
取って置きのサプライズのつもりだろうか、アイーダは実に愉快そうに名乗った。そしてサプライズは大成功したと言っていい。
クラス中に喧しい限りの感嘆が鳴り響いた。




