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属性なしのハズレ精霊に選ばれて追放された僕――白い相棒と旅に出たら、消えた属性が蘇り始めました  作者: ハッピーミラクルエンジョイ
追放の旅と灰喰いの獣

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9話 石角兎の包囲網

「一匹ではないぞ」


アインの声を伝えると、依頼票を掲示板へ留めようとしていたマルタさんの手が止まった。


「何匹いるか、分かりますか?」


『匂いは重なっておった。五つ……いや、もっとだ。小さなものも混じっておる』


アインは僕の肩から受付台へ飛び移り、灰色の毛へ鼻先を近づけた。


「五匹以上。小さい個体もいるみたいです」


マルタさんは掲示板から依頼票を外した。


「では、一匹という記載は保留します」


「見てもいない精霊の勘で、依頼を引っ込めるのか?」


背後から声がした。


振り返ると、腕に赤い事務章を巻いた男が立っていた。四十歳くらいで、短く刈った黒髪に銀色の筋が混じっている。


「南採取場を担当しているローデン副支部長です」


マルタさんが紹介した。


ローデンさんは僕たちではなく、外された依頼票を見ている。


「朝の巡回では石角兎を一匹確認した。穴も一つだ。採取場を閉めたままにすれば、薬草商から苦情が来る」


「だからこそ、個体数が違う可能性を無視できません」


「可能性だけなら、森中の兎を数えることになる」


僕は口を挟むべきか迷った。


アインの声を聞けるのは僕だけだ。見てもいない精霊の勘と言われれば、証明できるものはない。


けれど、依頼票には一匹と書かれていた。


それを信じて入った冒険者が、五匹以上に囲まれたらどうなる。


「本当に一匹か、もう一度見に行けませんか」


ローデンさんの目が、初めて僕へ向いた。


「Fランクの見習いが、支部の依頼書式に意見するのか」


「ち、違います。ただ……一匹だと思って入って、五匹いたら危ないです」


声が震えた。


ローデンさんに見られると、続きを忘れそうになる。それでも、掲示板の紙を指さした。


「アインの勘だけじゃ信じられないのは分かります。だから、誰かが確かめてから、この紙を貼ってほしいです」


エリクが隣で息を止めた。


言い過ぎただろうか。


ベルンさんは止めなかった。


代わりに、杖の先で床を一度叩いた。


「現地を見れば済む話だ」


「南採取場は一時閉鎖中です」


「閉鎖した場所を調べるのが、調査依頼だろう」


ローデンさんは眉間へ皺を寄せた。


「E級の追い払いを、Aランクが受けるつもりか」


「俺が受けるのは個体数と侵入経路の確認だ。見習い二人は監督下の補助。追い払いは確認後に危険度を決めろ」


マルタさんが新しい用紙を取り出した。


『南採取場・侵入個体の数および経路調査』


達成条件は、柵の内外を確認し、痕跡と個体数を報告すること。魔獣へ攻撃せず、危険を感じたら撤退すること。


報酬欄は空白だった。


「緊急の安全確認として、支部経費から出します。正式な額は帰還後に決裁します」


ローデンさんは不満そうだったが、依頼そのものは止めなかった。


「日没までに報告を上げろ。それまでに確認できなければ、朝の巡回記録を採用する」


「分かりました」


僕が答えると、ベルンさんに後頭部を軽く小突かれた。


「依頼を受けたのは俺だ。お前は返事の前に責任者を見る癖をつけろ」


「すみません」


「ただし、質問したことは謝るな」


ベルンさんは署名を終えると、僕たちをギルドの裏庭へ連れていった。


「調査に持っていく物を、自分たちで決めろ」


置かれていたのは、縄、木札、石灰の袋、小さな鏡、折り畳み式の棒、革手袋だった。


僕は柵の穴を測る棒と、足跡の位置を残す木札を選んだ。


エリクは縄と石灰、それに鏡を手に取る。


「鏡は何に使うの?」


「穴へ顔を近づけたくない。棒の先につければ、向こう側を見られる」


「なるほど」


『我が覗けばよかろう』


「アインが、自分で見ればいいって」


「穴から何か飛び出したら、最初に噛まれるぞ」


『我は噛まれぬ』


「噛まれないって」


「噛まれてから言うなよ」


アインが頬を膨らませた。


ベルンさんは僕たちのやり取りを聞きながら、革手袋と短い鉤棒だけを取った。


「武器は持たないんですか?」


「追い払いではなく調査だ。武器を持つと、使える場面を探し始める」


「襲われたら?」


「逃げる。そのために、入る前に出口を三つ決める」


ベルンさんは、僕が持った木札を一本抜いた。


「それから、印は自分のためだけに置くな」


木札の片面には番号、反対側には矢印を書く。


一番には正門、二番には低い柵、三番には管理用小門。


「調査中に俺たちが離れたら、後から入った者にも退路が分かるようにする。声が届かない場合は、木札を二本倒せば危険、三本なら即時撤退だ」


「僕たちだけ分かればいい合図じゃないんですね」


「事故の最中に説明書を読む暇はない。数字と矢印なら、初めて見た者でも意味を推測できる」


僕は木札を持ち直した。


家にいたころ、勉強は自分が正しい答えを書くためのものだった。


今は、まだ会っていない誰かを逃がすためにも使える。


エリクは縄の端に、指の長さほど間隔を空けて結び目を作った。


「穴の深さを測る。中で引っかかっても、手を突っ込まなくて済むように」


「誰に教わったの?」


「井戸へ落とした金槌を拾ったとき、父さんに。金槌より先に俺を引き上げろって怒られた」


笑いながら話したが、縄を結ぶ指は迷わなかった。


僕にも、持っている知識がある。


エリクにも、アインにもある。


調査とは、ベルンさんの後ろを歩くだけではないのだと思った。


南採取場へ戻ると、入口には閉鎖を示す赤い縄が張られていた。


昼を過ぎ、朝露は消えている。


白い痺れ鈴草がある場所には、支部の職員が目印の赤旗を立てていた。


僕たちは柵の外周から調べ始めた。


最初に確認したのは、朝に見つかった南端の穴だ。


横幅は僕の拳二つ分より少し広い。柵の下の土が外側から内側へ削られている。


穴の縁には、石角兎の硬い毛が三本引っかかっていた。


エリクが棒の先へ鏡を針金で固定し、穴へ差し込む。


「奥に足跡がある。でも、こっちからだと重なって数が分からない」


僕は穴を挟むように木札を二本立て、外側の土へ石灰を薄く撒いた。


「何をしておる?」


アインの言葉を僕が伝えると、エリクが答えた。


「戻ってきたやつがいれば、石灰に足跡がつく。今ある跡と、新しい跡を分けるんだ」


『待てばよいのか。退屈だな』


「待つだけじゃないよ」


外周を進むと、東側の柵にも土が盛り上がった場所があった。


穴は開いていない。けれど、柵板の下に細い隙間がある。


テトが鼻先を土へ近づけ、短く二度鳴いた。


ベルンさんがしゃがみ込む。


「下が空洞だ」


テトの前脚が土へ触れると、地面の内部だけに茶色い線が走った。


線は柵の外から内へ続き、途中で三つに枝分かれしている。


巣穴だった。


「一匹が通った穴じゃない」


僕が言うと、ベルンさんが頷いた。


「だが、まだ数は確定していない。見たものと推測を混ぜるな」


僕は木札へ『東柵下・枝分かれした空洞』と書いた。


採取場の中へ入る前に、出口を決めた。


北の正門。西側の低い柵。南東にある管理用の小門。


正門が使えなければ西へ。西が塞がれたら小門へ。


「ただし、南東の小門は錆びている」


エリクが留め具を動かし、顔をしかめた。


「今は開かない」


「出口に数えるな」


ベルンさんが言った。


「直せば使えます」


「直ってから数えろ」


エリクは悔しそうに小門を見たが、すぐやっとこを取り出した。


僕とベルンさんは北と西の二つだけを出口として、柵の内側へ入った。


痺れ鈴草を避け、朝にニコが倒れていた場所へ近づく。


土には、テトが切り出した板の跡が残っていた。


その周囲を、小さな三本指の足跡がいくつも横切っている。


一つは北へ。


二つは東へ。


もっと小さな足跡は、痺れ鈴草の根元で何度も重なっていた。


『七つだ』


アインが低く言った。


「今度は分かるの?」


『匂いの新しさが違う。大きなものが二つ。中ほどが三つ。小さなものが二つ』


僕はそのままベルンさんへ伝えた。


ベルンさんは足跡へ鉤棒を当て、幅を測った。


「少なくとも、大きさの違う三種類はいる。七匹というのも筋は通る」


草むらで、石が擦れる音がした。


灰色の耳が一つ、黄色い花の間から立ち上がる。


次に二つ。


三つ。


背中に薄い石板のような毛を重ね、額に短い角を持つ兎が姿を現した。


朝に見た毛と同じ色だ。


大きさは普通の兎の倍ほど。


その後ろから、手のひらほどの子兎が二匹、顔を出した。


「五匹見えた」


「数えるな。位置を見ろ」


ベルンさんの声が低くなる。


見えている五匹は、僕たちを半円に囲んでいた。


背後は痺れ鈴草の群生地。


正門へ戻る道には、大きな一匹がいる。


「西へ下がるぞ。走るな」


僕たちは同時に一歩下がった。


一匹の前脚が地面を叩く。


乾いた音が三度続いた。


東側の巣穴から、さらに二匹が飛び出した。


七匹。


アインの言った数と合った。


けれど、喜んでいる場合ではない。


中くらいの一匹は、右の後ろ脚を浮かせていた。


石の毛の隙間に、痺れ鈴草の蔓が絡んでいる。


子兎たちがその個体の腹へ隠れた。


「怪我をしてる」


『だから巣の近くから動けぬのだ』


「追い払おうとしたら、余計に抵抗するかもしれません」


ベルンさんが短く頷いた。


「観察を続けろ。助けられるかどうかは、逃げてから考える」


目の前で傷ついているものを見つけても、すぐ手を伸ばさない。


ニコを助けたときと同じだ。


近づけば、今度は僕たちが巣を襲う敵になる。


子兎を隠すように、大きな二匹が前へ出る。額の角が灰色に光り、地面の小石が細かく震え始めた。


『怒っておる。子を取られると思っておるぞ』


「僕たちは子どもを取らない!」


言葉が通じる相手ではない。


それでも、両手を見える位置へ上げた。


ベルンさんが僕の肩を引く。


「気持ちを示すのは悪くない。だが、通じたと決めつけるな」


石角兎が地面を蹴った。


角ではなく、足元から小石が弾丸のように飛んでくる。


テトが前へ出た。


茶色い光が地面を走り、土が低く盛り上がる。


小石は土壁へ刺さり、勢いを失った。


「西へ!」


僕たちは後退した。


ベルンさんが僕の腕を支え、痛む右足の歩幅に合わせてくれる。


走ったのではない。テトの土壁に守られながら、一歩ずつ柵へ近づいた。


だが、西側の低い柵の前にも、一匹が回り込んでいた。


出口が塞がれる。


「エリク!」


返事は南東から聞こえた。


「こっち、開く!」


錆びた小門の留め金へ、エリクが縄を巻きつけている。


やっとこで金具を捻り、縄の反対側を柵柱へ回していた。


「引いてください!」


ベルンさんが縄を掴み、体重をかける。


僕も続こうとして、右膝に痛みが走った。


「お前は見る役だ!」


ベルンさんに怒鳴られ、手を離す。


代わりに周囲を見た。


正面の二匹が、もう一度地面を叩こうとしている。


けれど、子兎は動いていない。


大きな兎たちは、僕たちを追いたいのではない。


子どもと巣穴から離したいだけだ。


「テト、土壁を僕たちの前じゃなく、子兎との間に作れる?」


テトが僕を見た。


ベルンさんも一瞬だけ手を止める。


「理由は」


「僕たちが子兎を見えなくなれば、追う必要がなくなるかもしれません」


「やれ、テト」


テトの前脚が地面を掻いた。


低い土壁が横へ伸び、僕たちと子兎の姿を遮る。


石角兎たちの動きが止まった。


その瞬間、錆びた留め金が音を立てて外れた。


小門が外側へ開く。


「順番に出ろ。ルカ、最初だ」


「でも――」


「怪我人からだ。走らなくていい」


僕は小門をくぐった。


アイン、エリク、テトが続く。


ベルンさんは最後まで内側を見たまま下がり、門を閉じた。


柵越しに見ると、石角兎たちは追ってこなかった。


土壁の向こうへ戻り、子兎の周囲へ集まっている。


「追い払いどころか、僕たちが追い払われましたね」


僕が言うと、エリクがその場へ座り込んだ。


「笑えない」


「笑ってないよ」


「顔が少し笑ってる」


怖かった。


それでも、七匹だと確かめられたことに、少しだけ安心していた。


一匹という依頼票のまま誰かが入る前に分かった。


ベルンさんは柵の外側を南へ進み、巣穴の先を調べた。


そこには浅い窪地があり、痺れ鈴草の白い花が群生していた。


石角兎の毛には、粘つく種がいくつも付着している。


「兎が草を植えたわけじゃない」


ベルンさんが言った。


「巣穴を通るたび、毛についた種が採取場へ落ちた。柵だけ直しても、外の群生地を処理しなければまた入る」


怪我をした個体が何度も同じ狭い穴を通れば、絡んだ種も、傷へついた汁も運ばれる。


痺れ鈴草が採取場へ入った原因は石角兎だった。


けれど、兎が悪意を持って危険な草を植えたわけではない。


柵の外へ群生地があることも、東側の地面の下へ巣穴が伸びていることも、人間が見落としていただけだ。


「足を怪我した兎のことも、書いた方がいいですよね」


「書け。近づいた理由を考える手がかりになる」


ベルンさんに言われ、僕は木札へ付け足した。


「追い払う前に、あの蔓を切れないかな」


エリクは痺れ鈴草の位置を自分の紙へ写しながら言った。


「森の方だけ開けておけば、そっちへ逃げるかもしれない」


「道を一つだけ残す誘導柵だな。罠を組む職人には、その案も伝えろ」


ベルンさんが言うと、エリクの顔が明るくなった。


『罠とは捕らえるものではないのか』


「森へ逃げる道を作るんだって」


アインは納得しきれない顔をしたが、エリクの紙を覗き込んだ。


ベルンさんが読み上げ、僕は木札へ書いた。


確認個体、七。


成体らしい大二、中三、幼体二。


攻撃は追跡ではなく、巣と幼体へ近づいたとき。


侵入経路は南端の穴だけでなく、東柵下の分岐した巣穴。


外側に痺れ鈴草の群生地。


『我の鼻が正しかったであろう』


アインが胸を張る。


「うん。ありがとう」


素直に答えると、アインは少しだけ戸惑い、それから僕の肩へ飛び乗った。


帰り道、エリクが外れた小門の留め金を見せた。


錆びて薄くなった金具の内側に、新しい亀裂が走っている。


「無理に開けたから、もう使えない。修理代を取られるかな」


「何を壊したかも報告しよう」


「せっかく報酬が出ても、また減るな」


僕の革袋には、止血草三本分の銅貨がある。


最初の依頼では稼げなかった。


二度目の依頼では、追い払われた。


冒険者になれば、魔獣を倒して報酬を受け取れると思っていた。


でも本当の依頼は、思っていたよりずっと面倒だった。


何匹いたか。何を壊したか。できなかったことは何か。


格好の悪い話も、全部持って帰らなければならない。


ギルドの建物が見えたころには、日が西へ傾き始めていた。


僕は木札を握り直す。


一匹ではなかった。


それを報告すれば、朝の巡回記録が間違っていたことになる。


正しい数を伝えるだけなら、簡単だと思っていた。


けれど入口には、腕に赤い事務章を巻いたローデンさんが待っていた。


その隣には、薬草商らしい二人の男が立っている。


二人とも、僕たちが持ち帰った木札ではなく、閉鎖された南採取場の方角を睨んでいた。

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