20.お姉様との会話はすごく久しぶりです 2
「失礼いたします」
お姉様がわたしの質問に答える前に、エイダが氷水と手拭いを持ってきた。
「……エイダ、ありがとう」と、お姉様が堅い声音で答えていた。
お姉様は何も言わずわたしから手を離し、氷水に手拭いを濡らしたあと軽く絞って、手拭いをわたしの瞼に充てる。
やっぱり、いきなり過ぎたんだわ。どうしよう、でも、口から出た言葉はもう取り消せない。
「お姉様……」
手拭いを押さえているお姉様の手に触れようと手を伸ばせば、お姉様がさらに動揺したのが分かった。
やっぱり、散々わがまま言って勉強もしなかったのに、今さらと思うわよね。でも、ここで怯んだら、お姉様は答えてくれないと思えるの。
「そんなにわたしは駄目なんでしょうか?」
「……エレン、どうして今になってそんなことを訊くの?」
「今だからです。……いえ、本当はもっと前に言うべきことだったとは思います。けれど、過去はやり直せないので。でも、これ以上、目を瞑ってはいられません。お姉様の大事な未来のために」
「っ!」
目元に手拭いを当てているせいで、お姉様の表情は読めないけど、動揺しているのは雰囲気で伝わってくる。
お姉様が言いにくいのは、今までのわたしの行動のせい。どれだけ言葉を重ねれば、これが本当の気持ちなのだと分かってもらえるのかしら。
目元に当てている手拭いが温かくなってきているのだけど、お姉様はそれさえ気づかないほど動揺しているのかもしれない。
「お姉様、手拭いが温まってきてしまったので、手を放していただけますか? 一度、水につけ直したいので」
「あっ、ごめんなさい。気付かなかったわ」
と慌てて声で、手拭いを取って氷水に浸していた。氷水を入れた容器はテーブルに置いているため、お姉様は背を向けている状態になっていた。お姉様は慌てて踵を返して氷水に浸した。
そういえば王宮主催の夜会の後から、お姉様の挙動不審は増えている。それだけ、お姉様の心も揺れ動いているのかもしれない。恋してはいけない人への消えない想いと、幼少の頃から言い聞かされてきた家への責任で……。
でも、わたしに打ち明けてくれないのと、わたしが跡を継いだ時の学習具合を教えてくれないのは、あまりにもわたしが頼りないせいなのでしょうね。
苦しい状態なのに、それでも言えないほどわたしには信用がなさすぎる。
「……ごめんなさい、お姉様。余計なことを言いました」
「エレン?」
「お姉様が辛いのに頼ってもらえないのは、今までのわたしの所業のせいですね」
「そんなことはないわっ! ただ……」
お姉様はまだ絞っていない手拭いを持って振り返り、ぎゅっと握り締めた。
「お姉様っ、服が濡れます!」
「……あ、ご、ごめんなさい」
慌てて氷水を入れている容器に戻して、手拭いを絞って水が落ちる音がした。
「あなたの気持ちは嬉しいと思うわ。でも、家を継ぐ重荷を、あなたに背負わせたくないの」
「どうしてですか? お姉様は今そのことで悩んでいらっしゃるでしょう?」
「だから、よ。お父様もお母様も、あなたを幸せにしてくれるような方を探しているわ。それは、あなたがお嫁に行くのが前提なの。あなたのお相手は婿として入ってくれる方ではないのよ」
それは分かってる。だから、少しでも早く訂正するために、お姉様にわたしの現状を訊ねたのだから。……勢いもあったけど。
お姉様は手拭いを絞ると、もう一度目に当てようとしたので、手拭いを受け取って自分で当てる。
「お父様の考えを変えるのに、お姉様が承諾していなければいけないと思ったのです」
「でも、難しいわよ? お父様とお母様は、あなたがお嫁に行って嫁ぎ先で幸せになることを望んでいるの。女性で伯爵位を継ぐのには、場合によっては男性よりも学ぶことが多いのよ」
たしかに、女性が跡を継ぐことが出来るこの国でも、多少の偏見はある。
嫁いだ先でなら夫人としてお茶会での社交がメインだろうけど、爵位を継いだ場合は男性の中にも入っていかなければならない。
それは、どれだけ神経を使うものなのか――前世OLとして働いたけど、25手前だったから平社員だったのよね。だから男性と対等に渡り合ったことは余りなかったの。
「お父様とお母様のお気持ちは分かりますが、そこにお姉様の幸せはありますか?」
「それは……」
おそらく、お姉様にとって初めての恋に違いない。アドルフ様とは、家が望んだ政略的なもので、好きとか嫌いとかの問題ではなかったのだから。
自分から好きになった人を、お姉様は諦められるの?――わたしだったら、嫌だって騒ぎそうだわ。
でも、わたしにはまだ好きだと思える人がいない。だから、政略でもそういうものだと割り切るわ。逆に、わがままな妹だと言われているわたしに婿に来てくれるなんて、些細なことに囚われない豪胆な人でしょう。
「お姉様1人ですべて背負わないでください。拙いながら、わたしも居ます」
「エレン……」
「今までの所業については、もう今さら変えられません。ですが、変わって見せますから」
だから、お姉様、はっきりと言って欲しい。
お姉様の無言が、わたしには跡継ぎの価値がないと言われているようで心苦しい。いえ、今までのことを考えれば仕方ないことだけど。
「エレンの歳になって跡継ぎの勉強は大変よ?」
「分かっています」
「なら、とりあえず反対はしないわ。わたくしと一緒に勉強してみましょう。話はそれからよ」
仕方ないわね――という雰囲気でいうと、ため息をつかれた。
この様子から、お姉様にとってわたしは庇護すべき存在で、並び立てるものではないと分かってしまう。
それでもいい。お姉様と一緒に勉強して、わたしが本気だと解ってもらうだけよ。
「そういえば、あなたはお父様にも家庭教師を付けて欲しいと願っていたわね。あの時から考えていたの?」
「はい。馬鹿なことをして怪我をして……今までの自分を顧みたのです。わたし、馬鹿なことばかりしていたなって。お姉様に信じてもらえるかは分かりませんが……」
「……いいえ、信じましょう。あなたが変わりたいというのなら、わたくしも手助けをするわ」
お姉様はそう言うと、はにかんだ笑みを浮かべた。




