3 母親
「そういえば、直己さんがイオンで働いてるの知ってる?」
湯気をあげているティーカップをテーブルに置くと、少年の母親はお茶の相手に尋ねた。
「ナオキ?」
由希姉は、そのぱっちりした瞳を更に大きくして不審げに反問した。
「直己さん。高校のころ由希姉が付き合ってた」
「直己って、奥田? 奥田直己? マジで? え、めっちゃ懐かしい」
二人がお茶をしている母親のアパートのリビングには、掃き出し窓から冬の午後の弱々しい陽射しが射しこんでいた。その陽が、ローテーブルを挟んで窓に対して平行に座っている二人の足元に届き、わずかながらの暖かさを加えていた。
この日少年はスイミングスクールの授業に行っていて、アパートにはいなかった。
「今何してるの、直己」
彼女自身が買ってきたガトーショコラを食べる手を止めてまで質問をしてくる、由希姉の予想以上の食いつきに、母親は嫌な予感を覚えた。
由希姉は四十手前と思えないサラサラのロングストレートの金髪の内側に、いつまでも褪せないゴージャスな美しさを湛えた顔を見せていた。夜の仕事を辞めてから更に男漁りは激しくなり、現在年下の彼氏が二人いるがその人たちには満足しておらず、マッチングアプリで月一回は新しい男性と会い続けているということだった。母親は、子供のころから姉妹のように仲良くしてきていた、この美人の幼馴染のそういうところだけは理解できずにいた。
「『天上天下』っていう焼き鳥屋さんあるの分かる? あそこの店員さんやってるよ。そもそもね、私じゃなくていっちゃんがあそこの焼き鳥を夕飯に買うようになって――」
母親は師匠と再会したいきさつを話した。すると由希姉は、ははっ、と高い声で笑った。
「ふーん、まだ焼き鳥屋で働いてたんだ。大学行かなかったのかな?」
どうだろうねえ、と母親は相づちを打ち、半分ほどになっていたガトーショコラをフォークで切った。
「普通に会いたいんだけど。萌、連絡先知ってる?」
由希姉を見ると、そこには少し媚を売るような、嫌な表情が垣間見えた。「知らない」母親はそう言って、切ったケーキをフォークに刺して口に入れた。
「じゃあ一度イオンに会いに行こうよ。萌付き合ってよ」
「え、由希姉一人で行けばいいじゃん」
「なんか恥かしくて。久しぶりだし。でも土日は直己働いてないんでしょ? そうしたら、そうだ、年末年始のどっか一日どう? イオンは年中無休だから直己もそのうちの何日かは出勤するでしょ」
母親はちょっと黙って、ケーキを噛みながら幼馴染の希望について考えた。(そうやって、昔から私の欲しいものは全部取っていっちゃうんだよね)心の中でそう呟いた。
「萌?」
由希姉が少し不安そうに尋ねた。母親はこくんとケーキを飲み込んだ。その時にはもう半分諦めがついていた。
「うん。分かった。いっちゃんがよく直己さんに会いに行ってるから、いっちゃんに今度シフトを聞いてきてもらえば、年末年始の出勤日が分かると思う。分かったら連絡するね」
由希姉は向日葵のような笑顔を咲かせた。
「ありがとう。直己、どんなんになってるかな」
(戦国時代の落ち武者みたいになってるよ)
母親は心の中で再度呟いた。