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4-4

 時が移ろい、年度が替わった。


 毎水曜日に会う二人の関係は変わらず、そのままずっと続くように思われた。しかし何事にも始まりがあれば終わりというものが訪れる。


 ゴールデンウィーク直後の水曜日のその夕、師匠は少年の座っている休憩スペースの席にやってくると、いつもと違いそのまま向かいの席に座った(普段は少年と落ち合うと二人の飲み物を買うため、席を立つよう少年に促がすのだ)。そうして手に持っていた白いビニール袋をテーブルの上に出し、少年の手元に押しやった。


「これ何?」


 少年が聞き、中を確かめようとした。袋には何か温かいものが入っていて、ほかほかしている。


「ああ、ちょっと! 開けないで。お母さんにだから」


 師匠が慌てて注意した。少年は大人しく言うことを聞き、袋から手を離した。


「何? 焼き鳥?」


 その温度とビニール袋の中身の感触で、少年には大体予想がついたようだった。


「ねぎま。塩とタレと二本ずつな。お母さんと二人で食べて。お母さんは帰りが遅いそうだから、夜食にでも」


「なんで? なんでよりによってねぎま? 僕ねぎ嫌いなんやけど?」


 少年が不思議そうに尋ねたが、師匠はそれを半ば無視して、ゆっくりしゃべり始めた。


「ねぎまは焼き鳥の中でももっとも焼き方にコツがいるんだ。当然肉はぷりぷりに仕上げなきゃならない。一方で、ねぎは真っ黒焦げなんかにしてはいけない。でもほどよい焦げは欠かせない。そのバランスを保ちつつ、ねぎの甘みを十分引き出して焼き上げていく」


 少年はいつになく饒舌な師匠にぽかんとした。


「だから僕ねぎ嫌いやねん。前に言ったやんか」


「まあ、食べてみな。俺の渾身の、焼きたてのねぎまだ。きっと気に入る。君はうちの店でねぎまだけ、食べたことが無かったよな?」


「うん――」


「食べさせられるうちに、食べてもらおうと思って。ねぎまは焼き鳥の基本で、そして一番奥が深く、作るのが難しい。ただ作るんじゃなく、美味しく作ろうとするとな。最後に本物の、美味いねぎまを食べて欲しかった」


「最後? どういう意味?」


 少年は嫌な予感を覚えたようで、だんだん興奮してきた。師匠はじっと黙って、答えた。


「正社員になる話が決まって、今度転勤することになった」


「どこの店?」


「N・K市にある店」


「N――栃木の北の方やん。めっちゃ遠いとこやんか。転勤っていつ?」


「来月からそっちに移る」


「引っ越すん?」


「ああ」


「僕の」


 少年は瞳に店の照明を反射させてきらきら輝かせた。


「僕の弟子入りの話はどうなるん!」


 それは叫び声に近かった。二人のそばを通った親子連れの買い物客がぱっと振り向き、迷惑そうに去っていった。師匠は心の底から悲しそうな顔をした。


「うん、それは」


「中学出たら、ここの店で働けって言ってくれたやんか! それで、焼き鳥の作り方教えてくれるって。約束したやん!」


 師匠は鈍い表情をして、黙り込んだ。


「どうしても行ってまうん? ここの店で正社員にはなれへんの?」


「ああ――、もちろんそれが一番だったんだけど、無理なんだ。会社っていうのは色々事情があるんだよ。ここでの社員を目指したら、運が良くてもなれるまでにはまた何年かかかるだろう」


 師匠は苦しそうに言った。


「じゃあ僕はどうすればいいん? そうしたら僕、またお母さんと二人きりや。お願い、ここでの社員になるのを目指してや。何年か待ってでも、ここで社員になって、僕と一緒に働こうや。それでええやん。なんでそれがだめなん?」


「分かって欲しいんだけど、これはチャンスなんだ。俺ももう三十八だ。すぐ四十になる。それまでには正社員になっておきたいんだ」


「三十八も四十も今さら大して変わらんやん」


「大してって……」


「だいたい社員とパートの何がそんなに違うん? そんなんこだわるの師匠らしくないよ。ええやんか、師匠は誰にも負けないくらい美味しい焼き鳥作れるんやから、別にパートだって。ここで社員になれるのを待ってよ」


「……」


 師匠は完全に黙り込んでしまった。相手が答えてくれないことが分かると、少年は目の前にあった焼き鳥入りの袋に、なんとなしに再び手を伸ばした。


「あっ、それはお母さんにで――」


 師匠が慌てふためいたので、少年はいじわるな気持ちからだろう、言うことを聞かずビニール袋を開けて中を覗きこんだ。中には焼き鳥の紙袋が二つ入っていた。


「なん、これ?」


 紙袋と紙袋の間に、クリーム色をしたメモ用紙が一枚入っていた。少年はそれをつまみ出した。


「ちょっと、それはダメだ!」


 師匠が慌ててテーブルに身を乗り出し、少年からメモ用紙を取り返そうと右手を伸ばした。少年はそれをさっと避けてメモを手元に引き、更に椅子を後ろに引いて師匠からメモを遠ざけた。


 メモには師匠の携帯番号と、LINEIDが書いてあった。師匠は少年にそれがばっちり見られてしまったのを確認し、全てを諦め、尻を席に戻した。


 少年は初めて会った時のようにニヤニヤ笑いを顔に浮かべた。


「ふうん。お母さんにやな?」


 師匠は苦々しい顔をした。


「ああ。ちゃんと渡してくれよ」


「もちろんや」


 少年は少し機嫌を直したらしく、破顔した。

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