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いつも読んで下さる皆様ありがとうございます。ブクマや感想、メッセージ等もありがとうございます。
傭兵団と共に行動することは、私にとっていい隠れ蓑になった。
ずっと一人で行動するのは何だかんだといって目立つし、傭兵団と一緒なら衣食住は全部ダニエルとか他の団員が手配してくれるから、私が直接店の人と話す必要がなくなる。少年のフリをしていても、気付く人はやっぱり女だって気付くから、これは本当に助かった。
ダニエル達と一緒に隊商の護衛をし、その後地元に戻る平民達を護衛がてらそれぞれの町や村に送り届けた後、私は辺境にある村の一つに案内された。農閑期に入って商人達の動きも少なくなる冬は、各々故郷の町や村で過ごすらしい。私は行く当てがないので、ダニエルと一緒に彼のお母さんの故郷で過ごすことになったのだ。
村に着くまでにダニエルの素性は粗方聞いた。
彼のお母さんはアドラー男爵の愛妾というか夜遊びの相手で、ダニエルも平民として生まれたんだけど、魔力を受け継いでいることが分かってアドラー家に迎え入れられたそうだ。
けれども、貴族の生活が肌に合わず、学園を卒業して軍に入った後も国の方針に疑問を感じ続け、結局家には迷惑をかけないことを条件にアドラー家を出たらしい。
商人の護衛とか領内の魔物退治とか、男爵家にもメリットがあるから許されたんだろうとダニエルは言っていた。兄弟もそこそこいるから愛妾から生まれた末子なんかどうでもいいんだろう、とも。
色々と大変なことばかりで不自由なこともたくさんあるんだろうけど、ある意味自由だと私には思えた。どちらがいいかなんて一概に言えることではないけど、自由が何よりも欲しい私は、彼のような生活が少しだけ羨ましかった。
運良く今まで見つからなかったけど、私はいつまでこの逃亡を続けられるだろうか。そんな思いを胸に抱えながら、村での生活が始まった。
ダニエルのお祖母さんから今は誰も使ってない小さな家とか生活に必要な道具を借り、当分の食料をダニエルに買ってもらい、一人暮らし。
最初は慣れないことも多くて苦労したけど、どうにかこうにか身の回りのことは自分でできた。
それもあってか、ダニエルのお祖母さんからはダニエルと同じ境遇の人間――魔力持ちの平民だと思われているようだった。
ただ、それでも女の子が一人ということで、ダニエルのお祖母さんや親戚にはかなり気に掛けてもらった。
そうして、ある程度日々の生活に慣れてからは、村の人達の手伝いをしたり、狩りに行くダニエルについて行ったりした。
この辺りは結界の効力が弱い地域だ。村の周りを魔物がうろついていることもあるし、狩りに行けば必ず魔物に遭遇する。
結界ができた頃のことを考えると、本来ここは人が住むべき場所じゃないんだろう。二国とも、初めは王都とその周囲だけが国の領土だった。それが人が増え、貴族に領地を与えていく内に広がっていったのだ。
安全性を考えるなら、もう少し内側を国境にすべきなんだろうけど、生きていくためには耕す土地を求めざるを得なかったんだろう。
村は当然豊かとは言えなくて、不作の年は冬の間に蓄えていた食料が尽きることもしばしば。必然的に外に狩りに出て行かねばならず、外に出れば魔物に襲われる。
フェガロ領のように飢えて獰猛になった魔物が出るわけじゃないけど、平民にしてみれば魔物というだけで脅威だ。
ダニエルが村に来るようになってからは多少まともに狩りができるようになったらしいけど、それでも怪我人が全く出ないわけではないし、ダニエル自身も怪我をすることがある。
(せめて、アミュレットでもあれば……)
そう思うけれど、アミュレットは国から各兵士に支給されるものだ。軍に所属していないダニエルが手に入れることは難しい。
誰か作ってくれそうな人に伝手はないのかとも訊いてみたけど、材料になる宝石や魔石が高価だから、そんな伝手があっても買えないと言われてしまった。
これが平民の現状なのだ。
アミュレット関連は支給制になっただけマシだけど、それは貴族の間での話であって、平民の状況は何一つ変わっていない。
(でも、これ以上どうにかするのも難しい……)
アミュレットの作成を貴族の女性に対して義務化しただけでも、当時はかなりの反発があったらしい。男性の兵役に比べればかなりマシだと私は思うけど、元々働く習慣のなかった貴族の女性にしてみれば労働を強制されるのは不愉快だったんだろう。
それを更に個数を増やして、しかも平民に支給だなんて、女性陣はもちろん、軍からも反発が上がるだろう。
そんなことを考えながら狩りについて行ったある日、行った先で村人の一人が魔物の死骸を見つけた。赤茶色の熊に似た魔物――ウォーベアーだ。
「今日はツイてるな」
ダニエルはそんなことを言いながらナイフを取り出し、死骸の胸元辺りに突き立てる。何かを抉り出すような動作をした後、出てきたのは暗赤色の石だった。
私は一目見て、それが魔力の塊だと分かった。魔石だ。
「それ、魔石だよね? どうするの?」
「アドラー家に売る。ウォーベアーの魔石ならそこそこの値で買い取ってくれるからな」
「よく魔石を売ってるの?」
「偶にな。ダークウルフの魔石が一番手に入りやすいんだが、相当質が良くないと買い取ってもらえねぇ。ウォーベアーを一人で狩れたらいいんだが、流石にな……」
そういえば、と私はウォーベアーの死骸に目を向ける。毛が焦げていたり、刃物で切ったような傷があったりするから、自然に死んだわけではない。
「このウォーベアーは誰かが集団で狩ったってこと?」
「討伐軍だな。連中も忙しいから、時間がない時はこうして魔石も回収せずに次に行くんだよ」
護衛兵のヴェルナーが以前所属していた軍だ。
「ダークウルフなんかは魔石を取っても小さかったり質が悪かったりで使い物にならないのが多いから、大体そのまま放置されてる。中には当たりもあるから、見つけたら一応回収してるな。売れねぇことがほとんどだが」
「売れなかったものはどうしてるの?」
捨てているのだろうかと思ったけど、違う答えが返ってきた。
「村の連中で欲しがるやつがいるんだよ。土に埋めとくと魔物が寄ってこないんだっつってな。まぁ、埋めたところで普通に村の中に入ってくることもあるから迷信だな」
「じゃあ、もしかして、小さい物ならいくらでも手に入る……?」
「いくらでもってわけじゃねぇが、多少はあるぞ」
ある、という言葉に小さく胸が躍った。
魔石があるなら、アミュレットが作れる。何個できるかは分からないけど、狩りに出るメンバーの分くらいは作れるかもしれない。
「余ってるのがあったら、私にも分けて欲しい。それでアミュレットを作る」
私の言葉にダニエルも顔付きが分かった。
「付加魔法も使えんのか。そりゃ、心強い。もっと早くに聞いとくべきだったな」
学園の二年生だということは話していたから、付加魔法は期待してなかったんだろう。本来ならまだ習ってない魔法だから無理もない。
勉強しといて良かった、と過去の自分に感謝した。
村に戻った後、ダニエルからかなりの量の魔石を貰った。アドラー男爵が買い取らないような小さい物ばかりだったけど、それを元に人数分のアミュレットを作ることができた。
予備に何個か作っても余ってしまった魔石を前に、私はこれまでのことを思い返していた。
(この国の結界は、多分双頭のドラゴンの魔石を核にしてる……)
太陽の塔で見た、あの歪な形の魔石から察するに、恐らく、一つだった魔石を二つに割って太陽の塔と月の塔それぞれに配置してるんだろう。
(絶対防御系ではない、魔物が近付かないだけの結界……結界内で生まれた先祖返りとかハーフに耐性ができている……)
二国の結界は、そもそも魔物が入れないわけではない。
物理的な結界でも、特定のものを弾く魔法障壁でもない。ただ、魔物が近寄りたがらないだけというならば、それは双頭のドラゴンが関係しているんじゃないだろうか。
(いわゆる、双頭のドラゴンの縄張り……みたいになってるだけなんじゃ……)
そう考えたところで、不意に自分の魔力が揺らぐのを感じた。魔法を使ってるわけじゃないのに、一点に魔力が集中する。そして――。
「――正解」
目の前に、始まりの泉の少年が姿を現していた。
泉で会った時よりもかなり小さいけど、その容姿と魔力は変わらない。若干私の魔力が混ざっているのは、さっき感じた変な感覚のせいだろうか。
「なんで……」
「何か面白そうなことを考えてたから。君って結構いい所に目を付けるよね。向こうの世界の記憶があるからかな?」
「そうじゃなくて、何で泉もないのに、こんな離れた場所に……!」
「魔力回路が繋がったって言っただろう? 元々、君達は僕の眷属みたいなものだから、離れていてもその血に流れる魔力で状況を把握することはできるんだよ。加えて、君とは魔力回路も繋がったから、こうして離れていても君の魔力を使って顕現できるというわけ。君は僕のことも見えるようになったし」
開いた口が塞がらなかった。
そんなことは早く言って欲しい。いや、私もそんなことができるようになるなんて想像も付かなかったから、訊きもしなかったんだけど。
「考えたら分かることだと思うんだけど……離れた場所から何もできなかったら、セシルの魔力を余所にやったり、アデールを眠らせたりできないだろ?」
(そ、そうだ……セシル王女もアデール様も、全部始まりの泉が犯人だった……)
「まぁ、流石に顕現とまでなると、魔力回路が繋がらないと難しいんだけどね」
縁もゆかりもない場所に直接行くことはできないと始まりの泉は言う。今は私の魔力を使って身体を作り出し、その中に自分の魔力と意識を流し込んでいるそうだ。
「それで? 結界の仕組みなんて探ってどうするんだい?」
「もう少し、結界の効力を強められないかと思っただけ……それか、簡易結界のようなものを作って、村を守れないかと……」
「ふぅん、どうやって?」
「まだ、分からない。そもそも、二国の結界の仕組みを知らないし……」
「あぁ、知ってるのは王とその後継者、それから役目を担っている王族女性、あとは研究者のごく一部だけだからね」
その通りだ。いくら王族の一員であろうと、私には決して教えられない内容の一つだ。
「何でそんなに詳しいの……」
「ぼくがいつからいると思ってるの? 君達のことは大体知ってるよ」
そんなにしょっちゅう覗き見てるなんて、相当暇なんだろうか。
「それは置いといて、結論から先に言うと、あの結界と同じ仕組みの結界を作るのは無理だよ。あれはかなり特殊な条件が揃わないとダメだから」
「へぇ、そうなんだ……」
特殊な条件というのが気になるけど、作れないなら今は追求しても意味がない。
(じゃあ、他の結界……)
「始まりの塔の周りにある結界は?」
「あれも結構特殊だね。ボクから溢れ出た魔力を取り込んで発動させてるんだけど、その為の術式を元の防御魔法の魔法陣に組み込んでるんだ。同じものを作ろうと思ったら、中心にボクみたいな存在を置かないと魔法陣が発動しない」
想像しただけでもかなり高度な魔法陣だし、魔力源みたいなものが必要になるなら真似るのは無理だ。
(てか、その魔法陣、高性能すぎない……?)
魔法の発動時間を長くするために必要なのが魔法陣だけど、教科書に載っているのは魔法で出した火や風をその場に留めておく程度のものだ。その応用で防御壁をしばらく出しておくというのはあるけど、仕組み自体は単純だ。外部の魔力を自分で取り込んで魔法を自動的に展開するなんて、今の私達の知識だけで作れると思えない。
「もしかして、建国の王達にもこうやって色々教えたりしたの?」
「そりゃあ、もちろん。魔力だけ与えて、使えなかったら意味ないじゃないか」
それは確かにそうだけど。
だったら他にも色々――、と頭をよぎったけど、始まりの泉と話せたのは建国の王二人だけだったから、教えたくても教えられなかったのかもしれない。
「それで、他に考えてることは? できるかできないかくらいは教えてあげるよ」
君は面白いから付き合ってあげる、と始まりの泉は微笑う。
彼にとっては暇潰し程度のことなんだろうけど、魔法書が一切手元にない私にとっては、願ってもないことだ。
◇
連日空を覆っていた雲がどこかへと去り、久しぶりに青い空が見えた。
風はまだまだ冷たいけど、陽射しのお蔭でいつもより暖かく感じられる。――春が近いらしい。
(もう三か月か……)
ずっと同じ村に留まってるけど、まだ誰にも見つかってないから相当運がいいんだろう。こんな辺境の村までそう簡単に捜索の手が伸びるとは思えないから、それも然りかもしれない。
(私が逃亡したことは、公にしてない可能性が高いし……)
捜索のために軍とかには言ってそうだけど、王女が逃げ出したなんて醜聞は民衆には広めたくないだろう。一部の人間にだけ教えて後は箝口令を敷くというのが一番無難だ。
ただ、今は上手く行ってるけど、この先のことを考えると油断はできない。少しずつ捜索範囲を広げていけば、いずれ辺境の村まで行きつく。上手く逃げ出せたものの、結界の外には出れない以上、いつか捕まってしまうのではないかと思う。
(でも、その前に……)
私は石の支柱に置かれた金属の皿に持ってきた魔石を一つ置く。するとすぐに金属に刻んだ魔法陣が反応し、魔法壁を作り出した。
始まりの泉から色々と教えてもらいながら作った結界だ。まだどれ程効果があるか分からないし、問題点も山積みだけど、それっぽい物を作ることはできた。
(これが完成して、辺境の町や村全部に広めようと思ったら、私一人の力じゃ到底無理だ……)
折角ここまで逃げてこれたのに、戻らなければならなくなるかもしれない。
以前から、辺境の人達の暮らしを改善できないかという思いはあった。フェガロ領も辺境にある領地で、あの地に住む人々の苦労はよく聞かされてきたから。
でも、魔法学もそんなに発展していない二国で、私がどんなに頭を捻って何もできることはないのだと分かっていた。現状維持が精一杯で、その現状維持は叔母やナディアの役目だ。
それが、カンザキさんを元の世界に帰す時、幸か不幸か始まりの泉と魔力回路が繋がって、彼の知識を得ることができるようになった。
もう、何もできないわけじゃない。
私にしかできないことが生まれてしまった。
これでフェガロ領や他の辺境地に住む人々の暮らしがマシになるなら嬉しいと思う。他の魔法技術も向上するなら尚更積極的に動くべきだ。
でも、ちゃんと実現するには王家や貴族の力が必須だ。私一人では、大きなことを成せない。
(だけど、戻ったら、きっと嫌な未来が待っている……)
まず二度と逃げ出さないように監視される。それから結婚相手も早々に決められて無理やり結婚させられるかもしれない。王都で研究がしたいと言っても、許されるかどうか――。
これでは、最初と同じだ。
胸の奥が苦しくなり始めて、気持ちを静めるためにゆっくりと息を吐き出す。
(今考えてもダメだ……どうせ答えなんか出やしない……それよりも、結界を完成させることを考えないと……)
頭を切り替えて、他の支柱の皿にも魔石を乗せに行く。
ここは村から一番離れた場所にある畑で、魔物が出やすい場所の一つだ。結界がある程度形になったところで、実験場所をここに移して魔物の侵入をどれだけ防げるかを試している。魔物が出やすいと言っても毎日出るわけではないから、何の成果も得られずに村に戻ることが多い。
(今日は出るといいけど……)
そんなことを思いながら少し離れた場所に腰を下ろした。
どれくらい座っていただろうか。初めは真上にあった太陽が西へと傾いていた。
(今日もダメだったか……)
気温も下がってきたし、そろそろ帰ろう、と立ち上がったところで遠くから馬蹄が聞こえてきた。
村の住人で馬を持っているのはダニエルだけだ。今日は近くの町に出掛けていた筈だけど、何かあったんだろうか。
(あれ、でも複数だ……だったら、軍の兵士……?)
振り返るのと、少し離れた場所で蹄の音が止まるのは同時だった。急に手綱を引かれた馬が嘶いている。
「ニナ……?」
微かな声が聞こえる。
(うそ……)
なだらかな斜面の上にある道に、馬に跨ったクロード王子の姿があった。
「ニナ……!」
一瞬、見間違いに違いないと現実逃避をしかけたけど、再度名前を呼ばれて現実なのだと思い知る。
(いや、何でこんなとこまで来てるんだよ……!)
セレーネの辺境地なんだけど。誰か止めなかったのか、いや、止めてくれ! と内心頭を抱える。
クロード王子は馬から飛び降りると、真っ直ぐに斜面を駆け下りて来た。そして――。
(あ――)
勢いよく抱き締められた衝撃よりも、温もりをまず一番に感じた。
こんな風に誰かの温もりを感じたのは、いつ以来だろうか。遠すぎて、すぐには思い出せそうになかった。
そういえば、ダークウルフに襲われた時も抱き締められたな、と思い出したけど、あの時はもっと遠慮がちで――。
背中に回された腕が痛いくらいなのに、その指先が微かに震えているのが分かって、何も言えなくなった。
(どうして、この人は、こんなに私のことを……)
理由なんて分からない。私はクロード王子のことをそんなに知らないから。
私が知ってるのは、ただ彼がいつも私を気に掛けてくれることとか、私を見ると嬉しそうに微笑うこと、それから、こんな風に抱きしめてくれることだけで――。
(あぁ……)
――私は、この人が好きだ。
(ずっと、考えないようにしてきたのに……)
じわりと胸に広がった思いが、今まで以上に熱を持っていて、もう無視することも、仕舞い込むことも、忘れることもできそうになかった。
「やっと見つけた……無事だった……」
耳元で聞こえた声が、震えていた。
今にも泣きだしそうな声なのに、私は背中に手を回してさすってあげることもできなかった。
(それは、したらダメだ……したらきっと、歯止めが効かなくなる……)
「……お久しぶりです。恙なくお過ごしでしたか?」
「っ……、心配で、夜も眠れない日があった……」
クロード王子は私を抱き締めたまま、ぽつりぽつりと話し始める。
「俺が、無理に望んだせいかと悩みもした……結局、じっとしていられなくなって、父上や側近に無理を言って出てきた……」
私は彼の話が終わるまで静かに耳を傾けた。
「足取りを追って、少しずつ手掛かりを掴んで……だが少しも見つからなくて、誰かに攫われたのかとか、もう無事ではないかもしれないとか……少しも、気が休まらなかった……」
「それは、申し訳ありませんでした……」
私がこんなことをした時点で、私のことは忘れてくれると一番良かったんだけど、それは口に出さなかった。私の身勝手な考えだから。
軽く身じろぎすると、腕の力が少し弱まる。
「本当に、無事だったんだよな……? 髪が短くなっている気がするが……」
「これは、目立つので自分で切ったんです。これでも大分伸びた方ですよ」
「自分で……ここまで来たのも、自分の意思だったんだな……」
「はい」
「ここで暮らすことが、ニナのしたかったことなのか……? 貴族と結婚したくないという話はレイから聞いたが……」
「そう、思ってもらっていいです……」
“ニナ”の願いとは少し違うけれど、説明しても彼には理解できないだろう。前世の記憶にあるような、平凡でも温かな家庭なんて――。
「もし、このまま、貴方とどこかに逃げられたら、もっと幸せな日々が過ごせるのかもしれませんけど……」
身分もしがらみも全部取り去って、お互い素のままで生きれるなら、きっと彼と過ごす日々は楽しいのだろう。そう思ったら、そんな言葉がふと口をついて出ていた。
私の言葉に、クロード王子は軽く目を見開いた後、狼狽えるように視線を逸らした。
「ニナ、俺は……」
言わなければ良かったと後悔しても遅く、私は曖昧に微笑って誤魔化す。
「少し言ってみただけです。実際にそんなことをする気なんてありませんし、何より、私がそんなことをする貴方を見たくない」
クロード王子がどれだけ自国やそこに住む人々のことを思っているかは知っている。もし本当に彼とどこか遠くで幸せに過ごせたとしても、その内私が罪悪感に苛まれるだろう。
「そうか、それを聞いて安心した」
クロード王子はほっと溜め息を吐いた後、私の目を見て嬉しそうに目を細めた。
「だが、もし逃げ出すとしたら……その時は俺を選んでくれるんだな……」
思わず口に出した言葉の裏側にあるものも、彼に伝わってしまったらしい。
肯定も否定もせず、私はただ微笑って返した。
消すことも、見て見ぬふりもできない事実だ。でも、言葉にしてはいけないものだ。
そっと伸びてきた指が頬に触れる。
冷えた頬に彼の指は温かった。
その温もりを追うように自分の頬を寄せ、彼の手に自分の手を重ねる。
(あったかい……)
今この瞬間だけ、彼の気持ちを受け入れられるような気がしたけど、それは本当に今だけだ。この僅かな時間が終われば、また元に戻る。今のこの感情に流されても、理想の未来はやって来ない。
私はやんわりと彼の手を頬から離した。
クロード王子の顔が悲しげに歪む。ぴくりと動いた指先が、一瞬ためらった後、私の指を握り込んだ。
「もう、戻らないのか……?」
苦しそうに吐き出された言葉に、私は返すべき答えを持っていなかった。
「それは……」
戻る可能性は確かにある。簡易結界が完成してそれを二国に広めようと思えば戻らざるを得ない。
でも、“まだ分からない”なんて、曖昧な言葉を言ってしまえば、きっと変に期待させてしまう。
たとえ戻ったとしても、周りの人間が望むがままに結婚するつもりはない。相手が、クロード王子だったとしても――。
(貴族や王族との結婚だけはダメだ……それだけは、“ニナ”が一番望まないことだから……)
もうこれ以上、あの子を苦しめたくない。
クロード王子には諦めてもらうしかないのだ。期待なんてしないで下さい、と。最初から、私はどうやったって貴方の思いに応えることはできなかったのだから、と。
私自身の感情がどうであれ――。
「やらなければならないことがあるんです。まだ、実を結ぶかどうかも分かりませんが、私にしかできないことで……それが、私のやりたいことでもあります。だから、貴方と一緒に行くことはできません」
真っ直ぐに、彼の目を見てそう言った。
私の感情や“ニナ”のことは、言ってもどうしようもないから、そこには触れずに。
数拍置いて、クロード王子は諦めたかのように軽く俯いた。
「そう、か……分かった……」
そう言って、握っていた私の指を持ち上げ、祈るように額に当てる。
「どうか、怪我だけはしないで欲しい……無事で……」
「はい」
軽く手を引くと、するりと指が離れた。
これで、良かったんだ。
「陽が落ちてきましたから、どうぞお帰り下さい。今なら、日暮れまでに宿のある町に戻れると思います」
「ああ……」
クロード王子は顔を上げないまま、踵を返した。
その背中に、お気をつけて、と声を掛け、斜面の上の道へと目を向ける。ずっと待ってくれていたクロード王子の従者に頭を下げた。
斜面を登りきったクロード王子は、すぐさま馬に跨る。一度だけこちらを見たけれど、すぐに前を向いて馬を走らせた。
その後ろ姿が小さくなって見えなくなるまで、私はその場所に立ったまま見送った。
誰もいなくなった平原を風が吹き抜けていく。
空を見上げると、西に傾いた太陽が空を橙色に染めていた。
暖かみのある色なのにどこか寂寥を感じさせるその色合いが、いつか見たものに似ていて、愛しくもあり、悲しくもあった。
それでも、私の心は思った以上に凪いでいた。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。
一区切りつきましたので、この話はここで終わりとなります。続きは考えているのですが、マナミが元の世界に帰り、ニナも悪役令嬢ではなくなってしまいましたので、続きはタイトルを変えて別作品として書く予定です。
今後のことは活動報告等に書いていきますので、そちらをご参照下さい。
勢いで書き始めた作品ですので、読み辛い部分が多々あったかと思います。また、思うように恋愛要素を入れることができず、結局このような形で一区切りをつけることとなりました。色々と決着がついていないこともたくさんありますので、そちらは続きの方で少しずつ書いていきたいと思います。
(基本的にハッピーエンドが好きなので、ニナとクロードはこのままでは終わらないということだけお伝えしておきます……)
拙い作品でしたが、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
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(追記)9/20 誤字脱字報告ありがとうございます。




