第七十三話 ~船旅の始まり~
なるべくアヴォクラウズに動きがバレないように低空を飛び続けること数十分。ようやくビハイドの終わりが見え、そして真っ青な海が見えてきた。
「実に綺麗な海だ……」
獅子民は飛空艇の欄干に手を乗せ、目先に広がる海を見てそう呟いた。
「おーい、オッサン!」
海を眺めていると、ハンガーの方から初汰の声がした。それを聞いた獅子民は梯子の近くまで歩み寄り、下を覗き込んだ。
「どうかしたのか?」
「スフィーが西の大陸に到着したみたいだ!」
「うむ、分かった。伝えておく!」
獅子民はそう言うと、梯子を離れて甲板を歩き回っているユーニに伝え、仮眠室で連結銃の整備をしているクローキンスに伝え、最後に舵を握っているギルのもとへ向かった。
「どうやらスフィーが西の大陸に到着したようです」
「流石小型飛空艇じゃな。機動力はバッチリじゃな」
ギルは舵を操りながら、微笑んでそう言った。
「もう真下も海になりましたね」
獅子民は再び欄干に寄り、真下を見てからそう話した。
「そうじゃな。しかしどうも進みが悪いのぅ……」
「どうかしたのですか?」
「高度がどんどん下がっている気がするんじゃ」
「海に出てしまえばアヴォクラウズの監視も薄くなるはずです。高度を上げることは不可能なのですか?」
「それがのぅ……。やってはいるんじゃが……」
ギルは困惑した顔で舵を操ってみたり、その他のレバーを操縦してみたりするのだが、飛空艇の高度は上がるどころかどんどん降下していた。
「ダメじゃ! 全く高度が上がらん!」
「何か手伝えることは!?」
「この状況では、不時着するしかないかも知れんのう……」
「ではまず初汰とリーアを呼んできます!」
獅子民はそう言うと、ハンガーに繋がる梯子まで走った。そしてそこまでたどり着くと、蓋を開けて叫んだ。
「初汰、リーア! 上がって来るんだ!」
「え? なんでだよ?」
「飛空艇の高度が下がっていて、不時着するのだ!」
「ま、マジかよ!?」
知らせを聞いた初汰とリーアはすぐにハンガーから甲板へ戻って来た。その後ユーニとクローキンスにも声をかけ、一行は舵を操るギルのもとへ集まった。
「もう限界じゃ! みんな何かに捕まるんじゃ!」
ギルはそう叫びながら、舵の右側にあるレバーを思い切り手前に引いた。すると魔力が切れ、飛空艇は垂直に落下を始めた。それと同時に初汰たちは四方八方に散り、飛空艇の欄干やマストに抱きついた。
「うぉおい! これ大丈夫なのか!?」
落下する中、初汰は叫びながらそう聞いた。
「大丈夫じゃ! こいつは優秀な飛空艇。船にもなるんじゃ!」
「ちっ、信じて良いんだな?」
「ふ、不安しか無いぞっ!」
「本当に大丈夫じゃ!」
落下中に不安を隠すことは難しく、クローキンスやユーニまでもが心配の声を上げた。それに対してギルは、確証は無いのだが大丈夫だと言い切るしかなかった。
そんな会話をしている間も、飛空艇は落下し続ける。そしてついに飛空艇は大海原に不時着した。
「うおおっ!」
「ぬあぁっ!」
不時着した瞬間、初汰とユーニは叫び声を上げた。リーアは吹き飛ばされないように力強く柵を抱き、獅子民はマストの紐に掴まりながら皆の様子を伺い、クローキンスは欄干にしっかりと掴まり、ギルはしっかりと舵を握っていた。
大型飛空艇が空から降って来たとなると、海には大きな波が立った。そして不時着した飛空艇も大きく揺れた。初汰たちはそんな波と不時着の衝撃に揺られ、しばらく身動きが取れず、数分間飛空艇のどこかに掴まっていた。
「だ、大丈夫か。みんな?」
しばらくすると獅子民が皆に向かって声をかけた。
「結構酔ったけど、俺はだいじょぶ……」
初汰は気分が悪そうな表情で甲板をフラフラと歩きながらそう言った。
「私も大丈夫です」
「私も無事ですっ。獅子民さんは大丈夫でしたかっ?」
リーアとユーニも平気そうな顔で甲板に集まって来た。そのあとでしれっとクローキンスも甲板に戻ってくると、ポケットからラムネを取り出して咥えた。
「リーアもユーニ殿も、それにクローキンス殿も大丈夫そうだな。私もこの通り無事だ。後はギル殿だけだな」
獅子民はギル以外全員の安否を確認すると、マストから離れて舵がある船首へ向かった。
「ギル殿、無事か?」
階段を上がりながら船首を覗くと、そこには舵をしっかりと握ったまましゃがみ込んでいるギルが居た。
「ふぉふぉ、無事じゃよ。じゃがちぃと腰が抜けてしもうた」
ギルは苦笑いしながらそう言った。
「ひとまず無事で良かった。仮眠室に運びます」
「すまんの」
腰を抜かしてしまったギルを獅子民とユーニで仮眠室へ運び、一行はそのまま仮眠室に集まった。
「ギル殿、腰の具合は?」
一度ギルをベッドに座らせ、倉庫へ水を取りに行っていた獅子民が戻ってきてそう聞いた。
「大丈夫じゃ。まだちぃと痛むがの」
「ちっ、こんな海のど真ん中で立ち往生とはな」
「すまんのう。もう少し休んだら戻るから、ちと待っててくれ」
「なんか俺たちに出来ることある?」
仮眠室の出入り口付近を歩き回っていた初汰がそう言った。
「それがのう……。ただの魔力切れらしいんじゃ」
「魔力切れ。ですか?」
ギルのベッド脇に立っているリーアがそう聞いた。
「そうなんじゃ。昨日点検したばかりじゃから、飛空艇本体の欠損があるとは考え難いのじゃ」
「魔力はどこで補充できるのだっ?」
腕を組んでベッドに座っていたユーニが切り出した。
「アヴォクラウズか、その他大きなドックを持っている町。あるいは今向かっている西の大陸じゃ」
「あぁ~、確かそんなこと言ってたよな」
あんぐりと口を開け、初汰はため息をついた。
「とりあえず簡単な操縦方法だけは教える。後は風が導いてくれるはずじゃ」
「うむ、では私が教わろう」
ギルの正面に座っていた獅子民が名乗り出て、船の操縦方法を教わった。そしてもう少ししたら戻る。というギルを仮眠室に残し、初汰たちは甲板に出た。
「では私は舵を見てくる。他の者は念のため敵襲に気を配っていてくれ」
「おう、任せとけ」
「承知しましたっ!」
「私はもう一度ハンガーに行ってきます。もしかしたらスフィーが他の大陸に移動しているかもしれませんから」
「うむ、そうだな。よろしく頼む」
「じゃあ俺もリーアに付いて行こうかな」
初汰はリーアの護衛兼、監視役としてハンガーに向かうことにした。こうして甲板で解散すると、獅子民は舵を取りに、クローキンスは船尾に、ユーニは甲板に留まり、初汰とリーアはハンガーに向かった。
のどかな航海が続いた。敵が追ってくる気配も無ければ、スフィーの飛空艇が飛び立つ気配も無かった。
「なぁリーア」
オーブをじっと見つめているリーアに向かって、初汰は静かに話し出した。
「どうかしたの?」
リーアは振り向かず、オーブに顔を向けたまま答えた。
「その、体調はどうだ?」
「バッチリよ。いつだって戦えるわ」
「あのさ、しばらくは……。いや、当分は……。いや違うな、俺が生きてる間は、俺の前で戦ってほしくないんだ」
「……あなたの方が体調悪いんじゃない?」
変なことを言い出した初汰を気にして、リーアはようやく振り返ってそう言った。
「だから、単純に言うと、もう戦ってほしくないんだよ」
「何故ですか? 私はアヴォクラウズの独裁を断ずるために戦っているのですよ?」
「じゃあ逆だ! 俺の前でだけ戦っていいことにしよう!」
「はぁ、なんで貴方にそんなことを決められなきゃいけないの?」
「だって、俺のためにリーアが倒れるなんておかしいだろ」
「貴方の為に。って言った? 初汰もしかして貴方……」
口を滑らせてしまったと思った初汰は黙った。時魔法のことがバレたと思ったリーアは鋭く初汰を睨んだ。気まずい空気がハンガーを満たしていく。
――そんな時、急に船が大きく揺れた。満ち始めていた気まずい空気はそれによって霧散し、気が散ったリーアは先に視線を逸らして梯子を上がって行った。ほのかに照っていたオーブはその光を失った。
「何かあったのですか?」
先に梯子を上り切ったリーアは、舵を取っている獅子民のもとに向かってそう聞いた。
「それが私にも分からんのだ。急に船が大きく揺れて以降全く進展が無いのだ」
「座礁したわけではなさそうですね……」
過ぎていく景色を見ながらリーアが呟いた。
「うむ、西の大陸に向かって進んではいるのだが、やはり先ほどの揺れが気になるな」
「獅子民さんっ! 船尾の方に異常は無しですっ!」
見回りに行っていたユーニが戻ってきて、船首にいる獅子民に報告をした。そんな彼と共にクローキンスも戻って来た。
「うーむ、何が起こったのだ……?」
目に見える異変も無く、獅子民は困惑して辺りを見回した。
「おーい! これ見てくれ!」
ハンガーから上がって来た初汰が甲板で叫んでいた。舵を握っている獅子民はその場を離れられないので、ユーニが一番に初汰のもとへ向かった。
「なにがあった!」
「これ見てくれよ」
初汰はそう言うと右手に持っている魚を見せた。
「これは、魚かっ?」
初汰が持っている物を見たユーニは、思わず聞き返した。
「多分、魚だよな?」
正体が分かっていない初汰も疑問形で返す。結局二人とも首を傾げながら魚らしきものを眺めていると、リーアが甲板に下りて来た。
「何か異常でも?」
「いや、それがさ。ハンガーにいたら魚が入り込んできたんだよ」
「魚が独りでに?」
リーアは訝し気に、首を傾げながらそう聞いた。
「そうなんだよ。どっか隙間でもあったのかな?」
「待って、この魚……」
そう言って目を細めると、リーアはじっと魚を見つめた。
「初汰、それを捨てて!」
リーアは突然そう言うと、初汰の手をはたいて魚を海へはたき飛ばした。
「いって、いきなり何すんだ――」
手をはたかれた初汰が怒鳴ろうとした時、海に向かって舞っていた魚が空中で爆散した。
「なんだっ!?」
それを目撃したユーニは真っ先に身構えた。手をはたかれた初汰は茫然と散って行く魚を眺め、手をはたいたリーアはそっと初汰の右手を自らの両手で包み込んだ。
「ごめんなさい初汰。あの魚から膨張する魔力を感じたの。だからああするしか無くて」
「いや、良いんだよ。全然」
初汰はそう言うと、空いている左手をリーアの両手の上に乗せた。
「仲直りが終ったら、この状況を説明してほしいのだが?」
先ほどまで初汰たちの傍にいたユーニは、いつの間にか欄干付近に立っており、海の方を指さしてそう言った。呼ばれた二人はすぐに自分の手を引き、ユーニの元へ向かった。
「何か分かったのですか?」
「これを見てくれっ」
そう言われた二人は海を見た。するとそこには先ほど爆散した魚と全く同じ種類の魚が無数に泳いでいた。
「うえぇ、なんじゃこりゃ」
「まさかこれは、敵襲じゃありませんか……?」
リーアが二人のことを見てそう言った瞬間、一匹の魚が船に乗り込もうと飛び込んできた。
「危ないっ!」
ユーニは咄嗟に聖剣を抜き、魚が船に乗り込むよりも前に叩き切り、海へ落した。すると魚は海内で爆発した。
「どうやら本当に敵襲らしいなっ」
「こんなやり方もあるんだな。ったくよく考えるわ」
初汰はそう言いながらも、武器を抜いて構えた。
「撃ち落とすくらいなら手伝うわ」
リーアはそう言いながら初汰のことを見た。対して初汰は、まぁいいか。と言った風に小さく頷いた。
「来るぞっ!」
ユーニの号令で二人は魚たちの急襲に構えた。




